第24話 KOPPON’S GATE

 四月二十六日、日曜日の午前にミカは一人でこの町で最も危険な場所に足を踏み入れた。


 粉本町こっぽんまち――多井平市西部の新幹線も停まる中心部の駅から程近い歓楽街である。上空から見ると、市道で囲まれた一辺四〇〇メートルの正四角形の範囲が該当する。


 外郭と呼ばれるブロックは、粉本町の四隅をなぞるように市道に囲まれた通りには飲み屋が立ち並んでいる。中心部から内側は内郭と呼ばれている。外郭の路地から中心部に向かって進むと、そこには現実とは思えない異空間が広がっていた。


 現代の魔境と言う表現が正しいのか。内郭は鉄筋コンクリートで建造されたペンシルビルが立ち並ぶ。無計画に作り上げられたビルのせいで路地はグネグネに曲がって迷路と化していた。知らない人が入れば迷ってしまう程である。ビルとビルを繋ぐ橋渡しがアーケードとなり、日の当たらない路地すらある。建築基準法などは到底無視されて作られていた。


 この町を主に取り仕切るのは主に反社会勢力である。暴力団の事務所が幾つも立ち並んでいる。行政の目が行き届かないことで違法行為が当たり前のように行われていた。


 粉本町に来る用事はそう多くない。地下一階と地上一階から二階に相当する位置にはブラックマーケットが広がっていた。市中では手に入らないような品が売られている。ミカの目的はこれである。


 外郭から内郭へ繋がる路地裏にミカは足を踏み入れる。建物と建物の間は何処か油臭い。ダクトからこもれる匂いは服についたら取れなくなる。


 路地自体も狭く、建物の所有者や店を営む者が路地に瓶のケースやごみ箱を置いていることもあって人が一人やっと通れるような感じであった。


 左右にせり立った建物の間を抜けると十字路が現われた。左右の道幅は変わらない。その先は外郭に戻ることも内郭に入ることも出来る。境目である。


 正面にある黒い外観のコンクリートで建造されたビルには、内郭と外郭を行きかうことが出来るように通路が作られていた。これを粉本町ではゲートと呼んでいた。


 ミカはためらいもなく、ゲートに足を踏み入れた。左側にあるガラス戸から暴力団員が目を光らせている。警戒をしている相手が内郭に入ってきたときの為であろう。


 ゲートを抜けると、街の活気が耳に入る。外郭に比べて歩く人はこちらの方が多い。


「ちょっと、そこのお嬢さん。そこの紫陽花の模様が入った服を着ているお嬢さん」


 ミカは振り返った。紫陽花の模様が入ったブラウスを着ていた。声をかけてきたのは綸巾を被り、派手な服装をした人物であった。通りの角で占いと書いた看板を立てかけて、占い道具を机に置いて座っている。


 怪しさしか伝わってこない。しかし、ミカは近づいていく。警戒心も見せず相手に向かっていく。目線は相手の手の甲のシワに向いていた。


「貴方、この町の住人じゃないわね」


「まあ、そうですけど」


「観光客?何処からきたの」


「スプリングセンター」


「ああ、市内の人」


 そこまで言えば、市内に住む人間には理解してくれる。それと同時に純粋な市民でないことを悟らせてしまう。


「今日は家鴨通りに行かないほうがいいわ」


「理由は?」


 知らないふりをしている。中年の占い師にはわかっていた。ミカは粉本町という街の特性を理解している。何度も出入りしている人間の感性が備わっていた。


「街の騒がしさ。抗争でも始まるかも」


 ミカは占い師の道具に目がいった。細長い棒を束ねて筒の中に入っている。水晶玉はない。


「あんた、エキシャーマン?」


「どちらかといえば風水師ですね」


 気を読んでいる。非科学的な論理であった。そうやって結論づければ簡単だが、相手は食い下がってくる。論理で勝てなくても、適当な物言いで押さえつける。ミカは相手がどう動くのか。選択肢は浮かんでいた。


「まずは、粉本町このせかいの流れをしっかり読み取ること。正すことは貴方でもできる。風水の世界では、ここは理とは大きく乖離した世界。このままでは、今私達がいる現実にも影響を及ぼすでしょう」


 風水を信じろと言いたいのか。ミカはあまり相手にする気は無かった。思っていた通りの結論が待っていた。


 ミカは風水師に一礼すると、その場を足早に離れた。風水師は去っていくミカに対して、胸元で小さく手を振るのみ。去る相手を引き留めようとしなかった。


 人が行き交う通りを縫って進んでいく。ミカの目当ては首都圏で販売されていたある商品が入荷したという情報を得たからであった。


 その店は通りの途中にある左右を挟まれたビルの一階の店舗スペースで営業しているアクセサリーショップである。ミカは最初からどれにするか決めていた。しかし、雑誌に載っていた物はここにはない。


 ミカは近くにいた店員に目配せをする。店員は気づいて寄ってきた。


「これって他の種類ありませんか?」


「申し訳ありません。今出ている物の全てです」


「そうですか。プレゼント用に包んで欲しいのですが……」


「かしこまりました」


 店員はミカが購入したアクセサリーをプレゼント用に包装する為、店舗の奥に行った。ミカはその間、店内で商品を眺めて時間を潰していた。


 外の通りを歩く人の流れは速く、ざわめいている。さっき風水師が口にしたことが、脳裏にチラついた。


 家鴨通りは現在ミカがいる古印通りとはだいぶ離れていた。店を左に出て、次の三叉路を左に曲がってから六花通りと呼ばれる通りを真っ直ぐ進む。その突き当たりを右に曲がってクランクを進むと家鴨通りに出られる。


 家鴨通りはあまり良い噂は聞かない。そもそも粉本町の内郭に住む住民でなければ訪れることはほぼないだろう。


「お待たせ致しました」


 ミカは声のする方向へ振り向いた。店員が店の奥から出て来た。手元には紙袋がある。


 ミカは紙袋を受け取る。店員はその際にミカの首に着けている黒のチョーカーが目に入った。


「そちらのチョーカーは……」


「ここで買ったチョーカーです。昔、友人に貰った物で」


「左様でございますか。ありがとうございます」


 ミカは紙袋を左手に持って店を出た。人の流れに乗って、左へ歩いていく。粉本町は何処か流されてしまう。それはまるで、人間は一種類であるといわんばかりに。個はかき消されてしまう。


(人が多くて気持ち悪くなりそう)


 波は逆らえない。逆らえたら、離岸流に引きずり込まれることはない。ミカは流されつつも、三叉路の手前にある喫茶店に入った。


 店内は人で賑わっている。ウェイトレスがミカに気づき、「お好きな席へどうぞ」と声をかけた。


 周囲を見渡しても、空いているテーブルは三席しかない。窓際の真ん中と入り口付近、店の奥であった。


 ミカは消去法で窓際の真ん中を選んだ。ボックス席に腰をかけて、カバンと紙袋をボックス席の窓側に置いた。


「いらっしゃいませ」


 先程のウェイトレスがミカの前にコースターを敷き、冷水の入ったグラスを置いた。


「ご注文が決まりましたら、そちらのボタンを押して下さい」


 奥のボタンを手で示した。一通りの説明が終えるとウェイトレスは去っていく。ミカは、ボタンの後ろにしまってあるメニュー表を開いた。


 粉本町に来るまでは感じない暑さ。人混みの影響か、それともこの街が原因か。鏡で反射した太陽光が差すような暑さで身体は火照っていた。


(紅茶はないかな)


 いつもの癖でミカは紅茶を探してしまった。ふと、同じことを繰り返している。たまには別な飲み物を飲むべきか。謎の押し問答が始まった。


(暑いから冷たい物。ジュースは甘いからな)


 冷房は稼働している。ファンが動いている。けれど、冷たい風はミカの元には来ていなかった。

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