第25話 常識の外側

 ミカは注文したアイスコーヒーをストロー越しに吸い上げる。縦縞模様のストローから茶褐色の液体が昇っていく。口の中にコーヒーが入って来ると乾ききった身体に染み渡った。


 オーバーヒートしそうな処理機関が冷やされていく。ミカは冷静になった。次は何をするか。物事の順序が頭の中で組み立てられていく。


 ミカがガラス越しから流れていく人の波を目で追いつつ、コーヒーを飲んでいると、スマホに通知音が鳴った。カバンから取り出して、画面を見ると誰から届いたのかわかった。相手は瞳である。


  今って出先?


  出先


  そう。じゃあ、また今度でいいわ


 ミカは送られてきたメッセージに既読をつける。少し間を置いてから、フリップ入力で文字を打ち込んでいく。


  明日 何の日かわかる


 返事はすぐに帰ってきた。


  わからない


 やはり、そうだったか。ミカはため息をついてスマホをカバンにしまった。


 メニュー表をぱっと見て手を挙げる。ウエイトレスが気づいてミカの席へ来た。


「ミックスサンドください」


「かしこまりました」


 注文からすぐにミックスサンドが運ばれてきた。ミカは左からサンドウィッチを口にしていく。レタスとハムが挟んだサンドとたまごサンドを交互に口に入れた。


 ぼんやりとした味。何処か懐かしく感じた味。ミカはこの味を過去に食べた記憶があった。


 粉本町このまちは何度も来ている。ミカは誰と来たか、いつ来たのかを思い出そうとしていた。


 ミカはミックスサンドを全て食べ終わると、伝票を持って会計をして店を出た。外は熱波が吹き荒れる。喫茶店という店がどれだけ遮熱されていたかをわからされた。


 汗は瞬時に流れ始めた。ミカはゲートのある方角へ足を進める。古印通りのゲート超えて真っ直ぐ進み、途中の丁字路を右に曲がると加毛通りという電気街があった。ミカは加毛通りを歩いていく。


 加毛通りはやたら男性が多い。ちゃんと数えたわけではない。ぱっと見のおおよそである。ミカの目的は電気製品等を販売する小売店ではなく、加毛通りにある空きテナントを利用した展示であった。


 雑居ビルに入り、階段を三階まで昇る。三階には世界の紅茶展と書かれた立て看板が入り口に立てかけられている。入り口を挟んで隣には男性が立っていた。入場にはチケットがいる。チケットをもぎる人物であろう。


 ミカはチケットをカバンから出した。入り口に近づくと男性が受け取るしぐさを見せる。ミカがチケットを渡すと男性はチケットをもぎり半券を渡した。


 薄暗い照明の中は狭いスペースに様々な紅茶の茶葉が展示されている。試飲が出来ないが、茶葉の販売は行っていた。


 販売スペースには《混ぜ物は入っていません》という貼り紙がしてある。これは家鴨通り付近で違法薬物を売っていることに由来した。


 家鴨通りは、雨が降っていなくとも年中湿っぽい場所であった。カビ臭い路地の左右に娼婦が客を捕まえるべく立っている。建物の間では、違法薬物を使用している輩がたむろっていた。


 粉本町は噂の煽りを受けやすい。内郭と外郭の違いがわからない者は多井平市内に住む人間でも多く存在する。


 粉本町の住民には蔑まれて見られている姿を多少気にしている者もいるのだろう。それを意識して、貼り紙がしてあった。


「珍しいですね」


 ミカの隣に立つ女性。首のシワから年齢は還暦を超えているのだろう。目線はミカの肩と同じである。急に話しかけられて、ミカは少し焦っていた。


「お嬢さん、急に話しかけてごめんなさいね。この街に来る若い人は少ないから」


「そうですか」


 粉本町の通りを歩く人々は老若男女であった。幼い子供を連れてくる親もいる。ミカはこの発言に違和感を持ったが、何も言わずに流した。


「私ね、この街に来るべきじゃないのよね」


 意味不明な発言は続いた。


「あまり、長く居過ぎると違和感を感じなくなって、街に苛まれるから気を付けてね」


「はい」


 女性は去っていく。発言は、ゲートで風水師が口にしたことと被っていた。


 何処から何処までが本当か。何処までが虚構か。考え過ぎれてはいけない。渦巻きの中から外に抜け出す機会は一瞬であった。


 ミカは紅茶の茶葉を買って雑居ビルを出た。時刻は午後二時をまわっていた。加毛通りの人通りは極端に減っていた。


 しーんした雰囲気が流れる。まるで最初からそうだったかのように。


(違和感……こういうこと?)


 騙される予感が最初に浮かんだ。ミカは疑いながら足を進めた。


 加毛通りは閑散としていた。古印通りと結ぶ丁字路まで人は指で数えられる程度しかいない。


「ごらぁ」


 男性の怒鳴り声が古印通りから聞こえる。


(長く居過ぎた?)


 大柄な男性が複数人声の方向へ走っていく。ミカは反射的に立て看板の影に隠れた。


(ヤクザ)


 これから起こることは抗争だろう。古印通りで戦闘が行われる。内郭から出るには別な通りにひとまず向かわなければならなくなった。


(違和感)


 ずっと引っかかる言葉であった。粉本町の内郭は、法の届かない街だから、常識などはない。


 少しのズレが大きくなったとき、慣れてしまえば人は気付かなくなる。鈍感になってしまう。


(蜃気楼みたいに)


 室外機の大きい音が現実へ呼び戻す。ミカは記憶を頼りに路地を歩いていった。


 ぎこちない感覚。これを多井平市外の人はある言葉を使う。市内ではもはや死語の様な言葉である。


 流れの辿り着く場所は何処か。何処へ風は吹いているか。ミカはある建物から階段を降りて地下道へ出た。


 モルタルで出来た通路の内部は薄暗い。湿っている。油臭い。この街の悪い所を詰め込んだような場所となっている。


 道の端っこには、ござを敷いた上に寝っ転がる人もいる。暑さに耐えかねたのか、息をしていない者もちらほら存在する。


 ミカは目を合わせないように斜め下を向いていた。たまに方向を確認しつつ、絡まれないように目線を下げて進んでいった。


 目線が合えば、いちゃもんをつけられる。二つ目には殴られる。息が出来なくなるまで殴られるならまだいい。それだけで済めばまだいい方。粉本町このまちの暗部に連れていかれ、レイプされることもある。そんな話はざらに聞く。


 もしもが起これば殺せばいい。あながち間違いではない。仮に他殺の死体が見つかっても粉本町このまちでは相手にされない。調べられることも少ないのである。


 二キロくらいであろうか。ミカは薄暗い地下通路を歩き続けてようやくたどり着いた。左に曲がると地上へ繋がる階段がある。内郭の南側にある重力通りに繋がっている。右に曲がれば、しばらく通路が続くが行き止まりとなっている。


 後ろを振り返ればミカが使った入り口まで見渡せる。それほどの直線通路であるが、行えば端にいる路上生活者と目が合ってしまう。振り返ることは身の危険と隣合わせであった。


 地下通路を抜けたミカは地上の熱波にさらされた。蒸し暑さから焼けるような暑さに様変わりする。一瞬ぼんやりとするが、意識が遠のきかけた状態から踏みとどまる。


(ここから右に曲がればゲート)


 ミカはビルとビルの間にあったプレハブ造りの出入り口から外に出た。この通りにも人はいない。


 記憶通りにミカはゲートのある方へ足を進めた。右に曲がり、しばらくすればゲートは見えてくる。その筈だった。


(ない)


 ゲートがあると思われる場所には全長四メートルの鏡がはめ込まれていた。ミカは鏡の前で足を止める。鏡に近づくとミカは手を当てた。


 鏡はミカの全身を映す。ミカは目をつむった。頭の中では再び風水師の言葉がよみがえる。


(他と違う。暑さ、無法、懐かしさと汚さ。ああ、うるさいな)


 ミカは目を見開いた。鏡には自身の全身が映り込む。ミカの視線は自身ではなく、周囲の風景に変わった。


 道端に落ちている石。直径は三十センチ程度か。その石に目が入った。


 ミカは両手の荷物を地面に置くと、落ちている石を拾い上げて鏡に向かって投げつけた。鏡は石が当たった部分から周囲に広がるようにヒビが入り、粉々に割れていった。


 鏡に隠されたゲートが姿を現した。ミカは地面に置いていた荷物を手にしてゲートから去っていった。

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