ハラスメント道場、または命令と10と羽の三角関係
@free-dreamer
第1話
「やめろ!」
その怒声は部屋中に響いた。もしも、廊下を人が歩いていたら、何事が起ったのかと覗き込むか、危険を感じてその場からすぐに逃げるか、だろう。
普通は。
だが、ここでは、少し驚くにしても何事もなかったように歩いていく。ふたりで歩いていた場合は顔を見合わせることもある。
ここは会社のハラスメント対策専用研修室、「ハラスメント道場」と呼ばれているところだ。聞くに堪えない発言や怒声など、ここでは日常茶飯事のことだった。
怒声の主はハラスメント対策専任指導員、平原 誠という。「平原」はへいはらと読む。通称で「ヘビハラ」と呼ばれている。へいはら→へひはら→へびはらとなったそうだ。だれもが知っている。だが、その通称を表立って口にするものはいない。個人間であろうと、メールなど記録に残る媒体でやりとりすることもない。あくまで内々のグループ内の会話でのみ囁かれている、らしい。うっかり彼の通称を口に出してしまい、懲戒処分された社員がいるという都市伝説のような話もある。うちの会社のハラスメント対策の過剰性というか、異常性からすれば、そして、今、彼の指導を一対一で受けている身としては、十分ありうる、いや事実はそれよりひどいだろうと思えてしまう。
「当社のハラスメント規程では、このような威圧的な言い方は即アウト、レッドカードです」平原が諭すように言った。「他にも、やれ! 急げ! 出せ! 言え! などなど、基本的に命令形は使用厳禁です」
2人掛けの机なら10台、20人は収容できる広さの部屋だが、今は1台だけ、私ひとり、部屋の中央辺りに座っている。平原は机の前に立ち、私を見下ろして怒声をぶつけている。私は何気ない体で彼の後ろにあるドアを視界の片隅に入れ、次の受講者(犠牲者)か、研修終了を伝える研修スタッフの出現を祈っていた。
「覚えておくべきです」平原の言葉が降ってきた。
「はい」私は右手の中指で拍子をとるように机を数回叩いた。なにかを覚えるときの癖だった。
机を叩く大きな音とともに机が激しく揺れた。平原の両手が私を挟むようにして机を叩いたのだ。私は思わず中指から目を上げた。平原の顔が間近にあった。その顔はいつも部長が私を見るときの顔に似ていた。
「君ねぇ」部長の言い方そっくりだった。私の上司でもなく、ベテラン社員と自負する私より多分20歳は年下の若造が続けて言う。「それ癖かもしれないけど、重大なハラスメント行為だと分かってます?」
私は、机を叩くのはどうなんですか? と思ったが、中指を叩かれる前に両手を机の下に隠した。
「私の話を真剣に聞くつもりなら、集中しなさい。集中すれば、覚えられます。覚えていないなら、集中が足りない、なにも聞いていない証拠です」
集中しなさいって、当社では命令形は厳禁ではなかったのか。
「なにか言いたそうですね」そう言う平原の目を見て、私は彼がヘビハラと言われる理由が分かった。
ヘビハラは私を見て、わざとらしく腕を組んだ。「ここがどこであるか知ってますよね」
ヘビハラは問うように首を傾げた。学校の教師気取りのようだ。
「はい、ハラスメント道場です」私はどのような展開が待っているのか分からず、素直に答えた。
「そう、ここはハラスメントのための指導の場です。当社からハラスメントの芽を摘むこと、更にはハラスメントの種を駆逐することを目的とした場所です。その目的のためであれば、ここで行われることはすべて業務上必要かつ相当な範囲内で行われる適正な指導であり、ハラスメントには相当しません」
ヘビハラはここまで言うと、最後にこう付け加えた。
「つまり、ここにはハラスメントは存在しません。あなたがどう感じようと」
「ここも会社施設の一部なのに、ハラスメント規程が適用されない、そういうことですか。であれば、先ほどの行為もカウントされない?」
「安心しなさい。ここで私とあなたの間であれば、あなたがハラスメントを犯しても、ハラスメントカードは付きませんから」ヘビハラは私を見ていた目を私の胸に並ぶ7本の黄色い羽に移した。
ハラスメントカード。ハラスメントと認定された行為を犯したとき、発行される。初犯または軽微であればイエローカードとして1枚、重大であればレッドカードとして3枚となり、10枚に達した場合、懲戒免職となる。
私のようにカードが7枚に達した場合、ハラスメント対策としてこのような研修を受けることになっている。
「勤続30年ですか。20年目に課長になられて今に至るわけですか」ヘビハラは小型のタブレットを見ながら、独り言のように言った。わざとらしく私の周りを歩いている。「あなたのように昔の企業文化に染まった人は、今の新しい職場環境に慣れるのは大変でしょうね。分かりますよ、これまであなたのような方が何人もここに来てますから」
「努力はしているんですが」
「違うでしょ。努力をしているつもりなんでしょ。もっと正しく言いなさいよ」ヘビハラの怒声が頭の上から、つばと一緒に落ちてきた。「だから人間ではだめなんだ」
ハラスメント対策の重要施策として、新しい職場環境への変革が始まったのは、1年前のことだった。昨今のハラスメント、人権問題に端をする企業存続の危機を防ぐため、ハラスメント対策の強化が進められた。経営者の責任追及を恐れた当社の経営陣は当時ハラスメント対策の革命企業と噂されたコンサルタント会社と契約を結んだ。そこから来たのが平原だった。
当社のハラスメント規程は刷新され、社内のコミュニケーションは原則生成AI経由で行い、直接言葉を交わすのは重要事項を必要最低限の範囲とした。そのため、社内での挨拶を含め、直接口にせず、すべてメールやチャットなどを使うことになっている。メールやチャットなども相手との間に生成AIが介在しハラスメント対策処理がされる。生成AIが各社員のバイタルサインを常に検知し、その社員に適したハラスメント対策が取られるのだ。
メールやチャットで作成されたメッセージは生成AIが検証し、相手がハラスメントと感じないメッセージに変換する。
ネット会議も同様に発言者の音声を発言内容と共に声質、言い方も個々の相手に合わせ変換し、更には画像も処理する。
挨拶などは必要な場合、チャットで行うことになっているが、挨拶をハラスメントと感じる社員には配信されないようになっている。
これらに違反して、ハラスメントと認定された行為を犯したものには、ハラスメントカードが発行される。ハラスメントの認定はハラスメントと感じた社員からの申告を受け、その事実確認がされれば、確定される。社内の至る所に監視カメラとマイクがあり、日時と場所が分かれば、画像と音声がチェックされる。
ヘビハラが持つ小型のタブレットに、そのハラスメントに認定された行為が再生されていた。私はすでに何度となく見せられていた。
「あいつらに言ったのは、業務上必要な最低限の指示と、あいつらを思っての注意です」
「それはあなたの思いあがった主観であって、あいつら…」ヘビハラは味わうように間を置いた。「には違ったようです。さっき言ったでしょ、指示であろうと注意であろうと、命令形は厳禁だと」
「命令のつもりは…」
「命令形であれば、当然命令です。ハラスメントにつもりなどというあなたの主観は通用しません。あくまで、相手がどのように感じたか。相手に不利益や不快感を与えた場合は当社では無条件でハラスメントと認定して処理します。あなたのような考え、感覚、感性のハラスメントの種を駆逐するためです」
「ならば、どのように彼らに伝えればよかったんですか」
ヘビハラはしばし私を見ると、天井を見上げた。大きくため息を吐いた。
「30年掛けて出来上がったものを1年やそこらで変えるのは無理なんですかね」ヘビハラは天井に向けて言った。相手は私ではないようだ。
ヘビハラは疲れたように頭を下げると、両手を机に突いて私を覗き込んだ。私はヘビハラを見上げる格好になった。
「彼らではなく、女性を含めたあの方々が少なくとも、つまり最低限でも許容する、可能であれば納得する、共感するように伝えるべきでした」
私には理解できない。私はただヘビハラの目を見ていた。
「助けて!」ヘビハラの声が部屋中に響く。それでも、私は身動きせず、ヘビハラを見ていた。「あの方々の心の叫びです。どうやら、あなたも今そう思っているようですが」
私はヘビハラの目を見たまま、あごを引いた。
「私の目を見て集中しなさい。そうすれば、見えてくるはずです」
ヘビハラの目にあざけりの色が付いたように見えた。と同時に、目の端に部屋のドアがゆっくり開くのが映った。次の受講者が来たんだ。やっと解放される。
彼、男だとは分かった、は部屋に入ってくると、静かにドアを閉め、振り返って私たちを見た。私は目の端で見ながら、視線はヘビハラから離さなかった。ヘビハラの目に集中すべく努力し続けた。まばたきすることも耐えた。
彼は一言も発せず、挨拶もなく、静かに近づいてきた。私の視界の中で大きくなっていく。
ヘビハラのすぐ後ろで止まった。そのとき、その胸に10本の黄色い羽が並んでいることに気付いた。なにかおかしいと感じたが、それがなにか分からない。
ヘビハラはすぐ後ろにいる彼に気付いていないようだ。まばたきもせず、私の集中が切れる瞬間を待っているようだ。
ヘビハラの後ろに立つ彼の右腕が上がっていくのが見える。その腕の先になにが握られている。振り上げられた右腕がヘビハラの頭の上で止まったとき、腕の先にあったのは中型のカッターナイフだと気付いた。同時に、10本の黄色い羽はハラスメントの懲戒解雇者だと。
「やめろ!」と言おうとして、私はためらった。命令形じゃないか。わたしとヘビハラの間であれば、ハラスメントにはならないが、彼と私の場合は違うかもしれない。
私はヘビハラから目を離し、彼の握るカッターナイフを見た。ヘビハラからすると、私が集中を切らし、天井を見たように見えただろう。
ヘビハラは頭を振ると、私になにか言おうとした。そのとき、やっと私がヘビハラの背後になにかを見ていると気付いたようだ。
ヘビハラが振り返ったのと、彼の握るカッターナイフが振り下ろされたのがほぼ同時だった。カッターナイフがヘビハラの右顔に赤い線を引いた。
言葉にならない叫び声が上がり、ヘビハラが床に倒れこんだ。
私は机を挟んでヘビハラと彼を見ていた。彼になにか言おうと思うが、ハラスメントにならない言葉が出てこない。浮かぶのは「やめろ」「よせ」「ばかなことはするな」などの命令形だけだ。
ハラスメント上、命令形は厳禁だ。即アウト、レッドカードだ。私には今、7枚の黄色い羽が付いている。もし、ここでレッドカードになれば、3枚追加の10枚になってしまう。その時点で懲戒解雇となり、30年の辛抱、課長になってからの10年の忍耐が報われない。そして、ここでの我慢も。
それこそ、会社からのハラスメントだ。
ただ、会社も社会からのハラスメントに怯え耐えている。「業務上必要かつ相当な範囲」を超えた、不寛容と不条理と、声の大きい正義を鵜吞みにした価値観が道に迷った会社、時流に乗れなかった会社を容赦なく指弾し、レッドカードを突き付ける。
そのために、ハラスメント規程が作られ、新しい職場環境が構築され、挨拶さえも声に出せず生成AIが代わりに行い、ハラスメントカード10枚で懲戒解雇され、そして「ハラスメント道場」でハラスメントの種を駆逐し、ハラスメントのない会社の実現を目指している。だが、代わりになにか大事なものもなくなっているように感じる。それがなんなのか、私のようなばかには分からないが。
「10枚の羽が生えたら、無理やり巣から放り出される」
この前、ハラスメントカードが10枚になって懲戒解雇になった同期が去り際に言った。
立ち去る同期の背中に私は声を掛けた。
「ガンバレよ」
同期は振り返らず、右手を上げて振った。そのまま、廊下の先を右に曲がって消えた。
翌日、同期に対するハラスメントとしてイエローカードが発行された。
見せられた監視カメラの映像の中で、ヤツは笑いながら手を振っていた。
そして、私のハラスメントカードは7枚になり、ヘビハラの巣に放り込まれた。
彼もヘビハラも、そしてヤツもハラスメントの被害者のひとりなのだ。私はばかだが、大馬鹿ではない。同情するが、ここで自分を犠牲にするつもりはない。
「やめろ! 助けて!」ヘビハラの叫びが部屋中に響く。きっと、廊下にも聞こえているはずだ。だが、だれも気にするものはいないだろう。
ここは「ハラスメント道場」なのだから。
ハラスメント道場、または命令と10と羽の三角関係 @free-dreamer
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