第30話 食卓心理戦 後半

 苛立っているジブとそれを笑顔でいなすエイラスは見ていて面白かいーーが、グルーザグは大きく声を出して近づいた。

「二人とも、おはよう! 仲良さそうでいいね!」

 ジブがこちらを振り向く。赤毛の彼は顎を引き、眉を寄せたむすっとした表情だった。グルーザグはエイラスの隣に腰掛けた。

「おはようございます」

 エイラスは微笑んだが、やや陰りが見えた。昨日、自分に詰め寄った時とは様子が違う。グルーザグも笑い返すと、居心地の悪さを感じているのか、視線を背けてスープを飲んだ。

「グルーザグ団長、お食事を取ってきましょうか」

 立ったままのガヨが声をかける。目の下のクマは深いのに、立場が上のグルーザグを立てていることが分かる。

「それよりもガヨくん、目のクマすごいよ。夜ふかしでもしたんじゃないのぉ?」

「失礼しました。夜は寝ましたが、朝方、市場に行っていましたので」

「へえ」

 グルーザグの声が少し低くなった。それに微かに反応を示したのはエイラスとエンバーだった。

 ーーどちらも食えない奴らだ。

 ただ、感情的なタイプのジブと馬鹿正直気味のガヨなら余計な詮索もせずに内情を吐くかも知れない。グルーザグは察しのいい二人を締め出すことにした。

「エイラスくん、エンバーくん。俺たちの分のご飯とってきてくれるかなぁ? いいよねぇ。ガヨくん、彼らにお願いしても?」

「問題ありません」

 ガヨは二人に目配せをした。エイラスもエンバーもそれに大人しく従う。彼らは一瞬目を合わせたが、エイラスの細い顎が頷くと、エンバーが立ち上がる。

「では、行ってきます。……なるべく早く戻ります」

 白金の髪はガヨに囁いた。表面上は不満げな表情を見せないが、警戒しているのは分かる。エンバーは黒髪から黄金の瞳をグルーザグに向けている。ーー二人はやはり扱いづらい。


 彼らが雑踏に紛れたのを確認して、グルーザグが口を開く。

「ガヨくん、どうしたの。四年前は任務一直線でクマなんて作らなかったじゃない」

 向かいに座ったガヨを心配するように覗き込むと、彼は申し訳なさそうに頭を下げた。

「何かあったんじゃないの? おじさんに言ってみなよ」 

 柔らかく話しかけると、ガヨの背筋が伸び、真っ直ぐにグルーザグを見据えた。

「落とし物を探していました」

「……睡眠時間まで削って探すなんて、ガヨくんにとって大切なものなんだねぇ」

 ガヨの視線が落ちる。軽く俯いた額に、整髪剤のついていない髪が流れ、彼の疲労を浮き彫りにした。

 ジブは両肘をついてスプーンでスープをゆっくりと掻きまわしながら、二人の会話を聞いている。


 食事を終えた団員たちは長居することなく仕事に戻っていく。

 食堂では、カウンターからバットを片付ける音が聞こえてきた。

「……いいえ、俺のものではありません」

「ええっ、じゃあ誰の落とし物なのぉ?」

 ガヨの口が薄く開いたが、言葉はまだない。グルーザグは片手を机につき、小指から人差し指の順にリズミカルに叩く。たたたん、たたたん。小さな音が何度も続いた。ジブは、その流れる指から手首、肘、肩、顔へと順に視線を向けた。窓から入る光は逆光で、グルーザグの表情を捉えきることはできなかった。


「うーん、その様子だとここにいる子じゃないよね? カタファくんの?」

「トニーのです」

 ジブが横から口を出した。ガヨは視察早々に落とし物をしたトニーのミスと自らの不摂生に後ろめたさを感じているのか、黙ったままだった。

「トニーくんの? えらい! 分隊の子のために朝早くから探してあげるなんて、ガヨくんは仲間思いなんだねぇ」

「ありがとうございます」

 ガヨは小さな声で礼を返した。単に礼儀としての反射だ。

「ジブくん。君は探してあげないの? 首都から送られてきた君たちのプロフィールを見て知ったんだけど、トニー君とは同じ修道院で育ったんでしょ?」

 グルーザグが顎をしゃくって尋ねると、ジブの上唇がひくりと動いた。口角を上げ小さく口を開くが、それは笑顔ではない。威嚇の表情だった。

「トニーくんが落とした大切なもの。どんなのか教えてくれるかなぁ?」

 要求の意味を込めて首を傾げると、ジブの薄桃色の瞳がグルーザグをまっすぐ睨みつける。体は前のめりになっていて、きっかけがあればすぐに飛び掛かってきそうな勢いだった。

「銀色のチェーンで、鐘のモチーフのついたペンダント……だそうです。な、ジブ」

 ガヨが机の下でジブの太ももを拳で軽く叩く。ジブは下唇を噛んで上体を戻した。

 急に大人しくなったジブを見て、グルーザグは笑った。ガヨは相変わらず鈍感だ。ジブの殺気には反応したが、会話の真意に気付いていない。皮肉ったグルーザグではなく、ジブを止めたのがその証拠だ。


 グルーザグの座る椅子がわずかに揺れる。古い板張りの食堂の床は、体の大きなエンバーの歩みを椅子に伝えていた。グルーザグは振り返って、背後から近づいてくるエンバーとエイラスを迎えた。

「食事、ありがとうねぇ」

 いいえ、とエイラスは皿を並べながら返した。エンバーは無言のままトレーを置くと、そのままグルーザグの隣に座る。エイラスはジブの向かいに座り直した。

「君たちの分隊長は偉いよぉ。トニーくんのペンダントを探してあげてたんだって」

 誰も言葉を返さない。エンバーの食事の前の祈りがぶつぶつと聞こえるだけだった。

「昨晩のうちに見つかればよかったのにねぇ」

 グルーザグがエイラスを見た。エイラスは、そうですねと澄ました顔で言ったが、指先で唇を小さく撫でており、その指先の震えを見たのはグルーザグだけだった。


 食堂の職員たちもいよいよ片づけを終え、遠くから使用済みの食器をシンクに置くように声をかけた。グルーザグは了解、と大きく手を振って答える。彼らが出ていき、いよいよ食堂にはガヨ達を残すところとなった。

 パン、と乾いた音が食堂に響く。両手を合わせたグルーザグに視線が集まる。魚を口に運ぼうとしたエンバーも一瞬固まったが、視線だけ向けてそのまま食べ進めた。

「昼間、ミガル騎士団で君たちのこともみくちゃにしたからねえ。その時に落としちゃったのかな? もしかして、何かのはずみで、誰かのポケットにでも入ってるんじゃないかなぁ?」

 グルーザグはガヨ、ジブ、エンバーの順に視線を合わせていく。エイラスだけが目を合わせず俯いた。ーー正直、その姿さえ絵になる。憎たらしい美しい顔が歪むことを想像すると、グルーザグは楽しくて仕方なかった。

 

 その時、食堂の扉が勢いよく開いた。壁に跳ね返った扉を筋張った手のひらが押さえつける。

「グルーザグさん! もう修道院との会議の時間ですよ!」

 大声で怒鳴りながらサントが大股で走り寄ってきた。額に汗をにじませ、上がった息も整えずにグルーザグの耳を引っ張る。

「いたたた」

「いたた、じゃねぇですよ! ミガル騎士団が適当だってまたぐちぐち言われるでしょうが!」

 サントの勢いはすごかった。上官であるグルーザグを労りもせず引っ張り上げる様子に、ガヨ達は圧倒されてしまった。

「でもさぁ、今ここを出たら食事がもったいないよ。せめて食べてから……」

「こいつらに包ませます! ガヨ、分かってるな?!」

 袖をまくった太い腕がガヨを指差した。サントは勢いそのままにどかどかと音を立てながら出入り口の方へ歩き出す。自身より小柄なサントに引きずられるグルーザグは、痛みに顔を歪ませながら、どこか楽しげだった。


 かちゃん、と食器を置く音がした。ガヨが振り返ると、そこには食後の祈りを捧げるエンバーがいた。皿の上はすっかりきれいになっている。祈りを捧げた後、エンバーは長い髪をかき上げ、黄金の瞳を細めた。

「うまかった。ねちっこい奴がいなければ最高だった」

 エンバーの思いもよらない発言に、ジブがむせた。エイラスも手を口に当てて小さく震えている。

「言うようになったな、エンバー。だがミガルの団員には、そんなこと話すなよ」

 エンバーが入団して数ヶ月。無口ながらも少しずつ彼が自我を持ち始めたことが、分隊の好転につながりそうだとガヨは思った。

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