第5話 覚醒


 俺は今、人生にはご都合主義だとかの創作のテンプレは搭載されていないと痛感した。


 俺が主人公ならば、この時に助っ人が来たり、眠っていた力が覚醒したりするのだろう。だが、そんなことはなかった。全く、一切なかった。、強く握っていたこの要石がいつの間にか熱くなっていたことくらいだ。


 俺はどうすればいいのだろうか。倒れ込んだ親父に口裂け女が近づいているのが見える。まだ親父は生きている。とどめを刺そうとしているらしい。


 止めなくてはと思う俺だったが、どうすればいいのか皆目見当がつかない。立ち上がろうにも、体に力が入らずその場から動くことができなかった。


 あと三歩で口裂け女の間合いに親父が入る。だが、いくら考えてもこの状況を打破するための手段が一つも見つからない。


 あと二歩。どうすれば、どうすれば親父を!!!!


 あと一歩!!!!クソがッ!!!!こっちを向きやがれ!!!!


 自身の父の命が目の前で奪われる寸前、紅城は唯一手元にあった【要石】を口裂け女目がけて投げようとした。


 その瞬間、石から何かが流れ込んできた。力の激流が握っていた手から俺の全身に巡ったのだ。それは熱く熱く燃え上がり、内側から体を燃やす。


 炎が昇ったままの油を体内に流し込んだように、徐々に体の内側が熱を帯び、激痛が駆け巡る。流れは勢いと量を増し、痛みが意識を支配していた。


 現実では一瞬しか時間は過ぎていなかった。しかし、加速された紅城の知覚はその時間を永遠のように感じさせた。


 俺は激流に抗っている。研ぎ澄まされた感覚が伝える力は体を酷く蝕む。熱い。苦しい。熱い。苦しい。苦しい。辛い。飲み込まれる。


 もう諦めるべきなのかもしれない。そうすれば楽になる。楽になれる。








 ────でも、したくない。諦めて何になる。今目の前で親父が倒れているのは俺のせいだ。俺があのとき人質にならなければ、親父が傷つくことはなかったかもしれない。もしも俺が、この神社まで落とし物を届けに来なかったら、こんなことにはならなかったかもしれない。俺に、あいつを倒せる力があれば!!!親父はこんなことにはならなかった!!


 だから!!!こんな痛みで、俺は諦めねぇ!!!!


 流れは勢いを増した。俺の体は傷ついていく。それでも諦めない。 


 どれくらい経ったか分からないが、急に流れがピタリと止んだ。握っていたはずの要石それは手の中から消えていた。そして、新たに心臓から力が全身に流れ込んだ。先程までの熱さや辛さは嘘のように消え、むしろ今は全身ぽかぽかしている。体からエネルギーが溢れているのを感じる。


 そのエネルギーこそ、怪異に対抗できる力である【妖力】と呼ばれるものであった。


 そして紅城が妖力に目覚めたことを察知するや否や、口裂け女はすぐさま標的を変えた。


 このとき口裂け女が警戒したのは、紅城が持つその莫大な妖力。手負いとは言え、歴戦の強者である父を優に凌ぐほどの妖力それは”都市伝説”にとって脅威でしかなかった。


 口裂け女はそんな脅威である紅城に近づくわけもなく、詩郎と同じくメスを投げて危害を加えようと、瞬時に生成した何百という刃物メスを紅城へと向かわせた。











 決着はすぐに────つかなかった。


 むしろ口裂け女は紅城に攻撃をした後に、背後から炎をするりと回避する。


 その炎は詩郎の手からだった。詩郎に注意を向けておらず、勝利に油断しているふうに装っていた自分にしてきた攻撃を無事に躱したことに口裂け女は笑みを浮かべる。これでもう万策尽きたと、そう思っていた。


 だが、実際には違った。


「狙ったのは後ろのメスそれだよ」


 瀕死の状態でありながらも詩郎は自分のしなければならないことを理解しており、それを実行した。右手と右足からの出血は止まっていた。斬られてから間もなく詩郎はを用いてすべての傷を焼き、止血をしていた。だが、失った血は戻っていない。依然として危険な状況なのは変わりない。それでも詩郎は息子を守るために動いた。


 詩郎は紅城がダイヤの原石であることは分かっていた。自分と母の血を引いて何も無いはずがないということも分かっていた。、せめて、せめてその時までは、息子たちがこの世界を知らないままで生きてほしかった。いつかそれに巻き込まれると分かっている仮初の平穏を望んだ。だが、その仮初の平穏も今日で終わった。これからは鍛えなくてはいけない。生き残らせるために。


 自分のせいで何も知らないままこの世界に足を踏み入れさせてしまった未熟な息子を守るために、死力を振り絞った。炎は刃物が紅城に当たるよりも早くすべてを消し炭にした。


 妖力という、”都市伝説”に対抗する力を得ても、何も学んでいない紅城一人では扱いきれぬ代物。それをカバーするのはもちろん────


「紅城!これに”纏わせろ”」


 倒れている詩郎はそう言って近くにあった刀をなんとか投げ渡す。


「ありがとう親父」


 紅城は刀を受け取る前から走り出していた。親父と目が合い、そして信頼した。あの目は俺に任せろと言っていた。だから目の前から来ていたメスに一切臆せず走り、そして当たる寸前のところでメスそれが燃えた。


 あと少しで間合いに口裂け女が入る。手には刀がある。やることはただ一つだった。

 

 俺は刀身を鞘から出した。


 イメージしろ。体に流れるこの力を、刀に”纏わせる”イメージを。すべて流し込め。


 力が紅城の意識に応えた。俺の心臓から流れたエネルギーを纏った刀、それから凄まじい力を感じる。今目の前にいる口裂け女と同等、いやそれ以上の力だ。口裂け女はまだ何が起こったのかを理解できておらず、ただ呆然と立ち尽くしている。


「こいつは親父の分だ!!」


 そう叫び口裂け女の胴体に大きく振りかぶった一太刀を刻んだ。

 

 斬られた口裂け女がこちらに大きく目を見開いたかと思うと、大きな音ともに地面倒れた。


 俺は無事に勝ったのだ。


 俺は刀を投げ捨て、すぐさま親父に駆け寄った。無事生きてはいたが、呼吸が浅く意識もない。今すぐにでも病院に連れて行かなくては行かなくては。


 親父を抱えてこの場を後にしようとした時、俺は背後から気配を感じ取った。そして僅かに金属の擦れる音がした。


 俺は口裂け女はまだ生きていると悟る。


 クソッ、生憎俺は刀を手放してしまった。武器はない。


 金属同士が衝突する音が段々と大きくなった。口裂け女は巨大なハサミで音を響かせているのだ。俺は動けない。足が一切動かない。さっきまで心臓から流れていた力も今は消えてしまい、打つ手なしだ。なすすべもない紅城の首に口裂け女はハサミを突きつけた。


 勝負ありかと思われたその時、あるが社に侵入する。


 ────突然の轟音と共に、”一発の弾丸”が口裂け女の心臓を貫いた。


  首に刃が触れるまで、あとほんの数ミリというところで、口裂け女の天恵で作り出されたハサミは煙のように姿を消した。そして口裂け女も黒い煙を出しながらその場から消失した。


 戦いはいくつもの謎を残して決着を迎えたのだった。

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