第4話 人と怪異の差


「私、キレイ?」


 女は再度その言葉を俺に問いかけ、距離を詰めてくる。入口から離れたところにいる俺は、ここから出ようにもあの女の横を通り過ぎなければならない。ただのマスクを付けた不審者ならいいのだが、本当の口裂け女な気がしてならない。いや、多分そうだと思う。出なきゃこんなに鳥肌が立つわけ無いし、嫌な予感もしないだろう。


 さてと…………え、詰んでないか?


「ネェ、私、キレイ?」


 女は紅城の前にいきなり移動し、目と鼻の先でまた同じことを聞いた。


 被害者の血が女の体に染み付いているのだろう。血生臭さが俺の鼻にくる。


 一瞬吐きかけたが、寸前のところでそれを飲み込んだ。いつのまにか俺の首に左右から大型のハサミが迫っていたからだ。


 女の呼びかけに答えなければ、俺は殺されるだろう。


「あ、あぁ、キレイだ」


 俺はそう思ってもないことを口にした。間近で見た女の顔は全体的に生気が無く、黒目しか無い。もうこれが学校の一件と同じ化け物の類であることは分かっていた。でも、ここで汚いとでも言えば殺されていただろう。


 俺の言葉を聞いて、女はハサミを俺の首からどけた。一秒たりとも目をそらさなかったが、いつの間にか女の手から大きなハサミは消えていた。


 安心したのもつかの間、女はまだ俺から狙いを変えてはいなかった。


「アハハッ。なら、?」


 女はそう言いながらマスクを取った。


 あらわになった女の顔を見て俺は言葉を失う。女の口が耳元まで大きく裂けていた。隙間から真っ赤な歯茎がむき出しになるほど、残酷なそれは俺の体から力を奪う。逃げようとしても、体に力が入らない。


「コレデモ、キレイ?」


 クソ、こんなものを見てキレイなんて言えるわけじゃないだろう。それにこいつ、ハサミを出していないが俺への殺意がプンプンしてきやがる。正直何を言っても俺のことを殺す気だろう。キレイと言った俺の絶望する顔を見て興奮するとかか?


 だったら、お前が望む通りに俺は動いてやるもんか。


「まっっっっったく、キレイじゃねえな」


「jfauhuenvauhvua!!!!」


 女はよくわからない言葉を口にしながら、手に持っている大型のハサミをカチカチと鳴らし、それを俺に近づけ始めた。


 クソ、これは死んだな。いや、あそこでなんて答えても死んでたし、結局変わらない。


「だったら!!!」


 口裂け女を前に、俺は全身の震えを抑えて立ち上がる。近くにあった木の棒を取って、すぐさまそれで女の頭を殴りかかった。女はさっきまでのハサミを持っていない。この距離なら避けることだってできないだろう。


 木のいい音が響いた。


 ────そして金属の音も。


「はぁ!?」


 俺の攻撃はどこからともなく現れたハサミによって防がれた。女は両手で持ったハサミそれで木を断ち切ったのだった。

 

 すぐさま辺りを見回すが、もう武器になりそうなものはない。くそ、どうしようもない。まず第一、物理攻撃とかがこいつに効くのか?


 そうだ、口裂け女なら対処法があるじゃないか。絶望の中、俺はネットか何かで見た口裂け女を撃退する方法を思い出した。


「ポマードポマードポマード!」


 俺は早口でそう唱えた。これで全て解決するはず……。


「……ソレダケ?」


 口裂け女からそう聞こえた。都市伝説が今目の前にいるんだから、対処法だって本当に効果があってもいいじゃないか。でも、どうやら効果はないらしい。ああ、もう何もできないな。また体から力が抜けた。


 カチカチとハサミを鳴らす音が俺の恐怖を駆り立てる。


「ソウ、アナタモ、ワタシヲキタナイッデイウノネェ」


 口裂け女は今までで一番裂けた口を開いた。


 俺はそれを見たくなくて目を閉じた。








「────バカ息子!中々帰ってこんと思ったら、こんなやつとやり合っておったのか」


 突如聞こえてきた、この場にいるはずのない声に俺は目を開けた。目の前には俺をかばうように間に割って入っている親父の姿があった。両手で刀身を支えながらハサミを押し込んでいる。


「なんで親父がここに!?」


「変な『妖気』が漂っていると思ったら、いきなり凄まじいものを感じて突っ走ってきたわ」


 妖気とやらはよくわかんないが、助かった、のか?


「危ないから離れとけ」


 息子が巻き込まれなさそうな隅に移動したのを確認した後、詩郎は刀でハサミを弾き返す。すぐさま左手を柄に回し、刀を両手で構える。ハサミを弾かれて大勢を崩している口裂け女に距離を詰める。


「燃えろ 【灼國あらくに】」


 その言葉と同時に、突如親父が持っていた刀の刀身から炎が立ち込める。


 そして、神崎かんざき詩郎しろうは口裂け女に斬りかかった。

 







 ────両者の実力には明確な差が存在した。


 詩郎は陰陽師だった。なお、引退した今でも自主的な活動は続けている。そしてその実力と踏んだ場数は相対あいたいする口裂け女を優に超えているはずだった、いや超えていた。


 体勢が崩れていた口裂け女だが、詩郎が接近してきたのをただ眺めていた訳では無い。口裂け女それが持っていた力、別名”天恵”は【創呪そうじゅ】。


 有する能力は刃物の創造と操作。無から刃物を作り出し、宙に浮かすことも、好きに動かすこともできる。


 使いやすさ故の明快な強さを持っており、刃物が消えたり現れたりしていたのはそれが理由であった。もちろん今この瞬間も、その力は発揮できる。


「────化け物め」


 確実に決まるはずの攻撃だった。油断も驕りも全てを持たず、ただ首を斬る。それだけの意志で口裂け女へと迫った。実力や経験を鑑みても、勝つのは詩郎のはずだった。だが、現実はそうではなかった。


 詩郎の一撃は宙に浮く数多のハサミに阻まれて、女に当たるあと一歩のところで勢いを失っていた。壁を作り出すように所狭しと浮かぶハサミ。


 だが、詩郎も実力者だ。攻撃が届くとは思いながらも、もしもに備えていた。だからこそ、天恵『灼國』を使っていたのだ。


 刀身の炎によって、幾重にも群がっていたハサミは数秒ほどでその原型を失った。


「たった一撃、”たった数秒”もったところで俺は止まら────」


 ”たった数秒”、それが分水嶺。


 そのまま口裂け女を斬り裂くかに思えた刀の先には、何もいなかった。


「離せッ!?」


 詩郎の攻撃を避けた口裂け女が急接近し、首を掴まれて宙吊りになった男が声を荒げた。男、それは詩郎ではなくその息子、紅城。


 作り出されたわずかな時間の中、不利を悟っていた口裂け女は人質を取ることに動いていた。


「……」


 女はなにも言わない。だが、その大きく開かれた口からは真っ赤に染まった歯が剥き出しになっており、その表情は怒りよりも喜びに近いものだった。


 ***


(しくじったか。いや、がまだいる)


 詩郎は考える。


 まだ致命的なミスは犯していない。まだ全員助かる方法はある。この場にに手伝いを頼んではみたが、この様子だとまだ準備が終わっていないらしい。


 だが、紅城の首にはメスが添えられており、あいつの生殺与奪は完全にあの化け物が握っている。もしここで息子を見捨て、そのまま攻撃したのなら、俺はやつは倒せる。だがそうすれば、息子の命はない。


 俺ならば、やつが首を掻っ切る前に決着をつけられるだろうか。そうすれば、二人共……いや、老いた今の俺では無理だ。


(なら、)


 詩郎は覚悟を決めた。二択の選択肢。これから犠牲者を増やす『都市伝説』の速やかな排除、もしくは息子の命。


 時間にして一秒にも満たない間の後、詩郎は燃え盛っていた炎刀を鞘に納め、それを地面に投げ捨てた。


 そして、詩郎の右腕が肘からぼとりと落ち、背中から勢いよく倒れた。


 口裂け女は武装解除をしたのを見るや否や、無数のメスを空間に作り出し、一斉にそれを打ち出して無数の傷を負わせた。空間に作り出されたメスの中に、口裂け女が持っていた大きなハサミもあった。それが詩郎の右腕を断ち斬ったのだ。


 詩郎の右腕から、そして全身からも血が勢いよく流れる。既に紅城の体は口裂け女からの拘束から離れていたが、彼はただその光景を見ることしかできなかった。


 実際のところ、万全の詩郎ならば全て避けられた。だがその場合、人質になっている紅城の命はなかった。息子が捕まった時点で詩郎には勝つという結果はなかったのだ。


「紅城、逃げ、ろ」


 まだ僅かながらに残っていた意識で詩郎は息子に逃げろと言った。

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