第9話 夢鱗を集める

「ちょっといいだろうか」


 部屋を出たところで呼び止められたマリアは振り返って声をかけた人物を見る。表情に変化は見られないが、少し真面目そうな顔の圷がそこに立っていた。

 皇はというと自分に関係ないこともあって一瞥だけして歩き出してしまう。それを止めようかとも思ったが、どうやら用があるのはマリア1人だったようで、彼女は少し考える。彼に対して何か癇に障ることでもしただろうか。はたまた知らぬところで言ってはいけないことを言ってしまっただろうか。そういう不安が少しばかりあった。

 通信端末を見る。病院からの連絡は未だない。おそらくはまだ手術中なのだろう。急かしたところで意味がないため、手持ち無沙汰なのは確定だ。であれば、圷の話とやらを聞いた方がいいのかもしれないと思い至ったマリアは了承の返しをする。


「どうしたの?」

「少し……話さなければならないことがある」

「そう……なの? えっと、どうしよう。長くなりそうなら――」

「ついてきてくれ。2人でなければ話せない内容でもあるからね」


 圷に連れられてやってきたのは国に1つしかない死者が眠る冷たい場所、国営墓地だった。その中でもさらに奥にある手入れの全くされていない寂れた墓だ。彼は花すら持たずに、かといって手をあわせることもなくその墓を見つめたまま立ちすくんでいた。まるで後悔をしているような姿を見て、この墓の主が気になった。

 この墓が誰のものなのか。圷にとってどういう場所なのかもわからないマリアは圷の背中を見つめて口を開くのを待っている。

 やがて振り返った圷は静かにマリアの瞳を見つめてくる。その目には明らかな殺意が存在していた。


「……もしかして、私をここで殺そうとか思ってる?」

「いいや、そうではない。僕が持っているこの感情は君に向けたものではなく、僕自身に向けたものだ。勘違いさせてしまったのなら申し訳ない」

「自分に向けた殺意……? それにこの墓は?」


 視線を墓へと向けた圷は落ち着いた口調で口を噤んだ。話したくないと言うふうではない。話しずらいと言うのが正しい見た目だ。

 では、なぜマリアをここへ連れてきたのか。彼女は馬鹿じゃないからこそ、その意図にあてができてしまう。それすら確信ではないからあえて言葉にすることはせずに圷が話すのを待つことにしたのだ。

 大きく息を吐いて、心に決意をともしたであろう圷がもう一度マリアに向き直り重い口を開く。


「この墓は……僕たち――僕と皇悠人の師匠の墓だ。僕たちにとってかけがえのない人であり、彼にとっては母親に近いものだったろう」

「師匠……って、小野寺叔父様が言ってた……?」

「そう。僕と皇悠人は君の叔父――小野寺誠とは旧知の仲だ。と言っても、僕らがあの人と顔を合わせたのは片手で数えられる程度だけれどね。正確に言えば僕たちの師匠と小野寺誠が言葉は正しいかわからないが、信頼できるパートナーと言う関係だったわけだけれど」

「でも私はそんな話一度も――」

「言わないさ。師匠は存在自体を消されたからね」


 マリアの髪を大きく乱すほどの冷たい風が吹く。言葉は風に飛ばされて晴れ渡る空に消えていく。

 何も語れない。度肝を抜かれるほどの事実だったがゆえか。それとも受け止められないものだったからか。マリアには圷がこのタイミングで明かした理由がわからなかったのだ。

 絞り出す。感情と言葉と、前に進むための勇気を心の底から捻り出すよう。


「それは小野寺叔父様がしたってこと?」

「そうせざるを得なかった。師匠の名誉を守るためには、彼女の栄光を失わないようにするにはそうしなければならなかったんだ。だから、皇悠人は罪を背負った」

「どういうこと? どうしてそこで皇くんが?」

「10年前。この国を沈めかけた大災害”魔王生誕祭”で魔王として顕現した精神体が、肉体を求めて選んだのは皇悠人ではない。僕らの師匠――かつて”英雄”と呼ばれ、数々の戦場を勝利に導いたたった1人の女性……区道くどうミレイ。今ではわずかな兵士の心の中にしか存在しない偶像へと変わり果てた人だ」


 10年前の大災害。わずか4歳だったマリアに降りかかった災厄の日の裏側でそんな物語があったなど知る由もない。彼女が覚えているのは大地の振動と青い炎、天を覆う黒紅梅くろべにうめの蛇。そしてアスファルトを埋める赤黒い湖の中でもがく少年の姿だけだった。

 絶句する。手で口を覆い、目を見開き、事実が真実で塗り替えられていく。

 優しい風が冷たい草木の香りを運ぶ。


「あの日を境に僕たちは変わってしまった。皇悠人はかつての願いを失い死人同然となり、僕は正義を完全に失い”アンサーズブック”の能力が一部すら使えなくなった」

「使えなくなった? 前にも言ってたけどそれってどういう……」


 マリアの純粋な疑問に圷は少しだけ口を噤んだ。横目で彼女を見て、何やら考えているようでもある。おそらくはこれを言うことによって”アンサーズブック”としての立場を失ってしまうと思っているのだろう。

 ”アンサーズブック”とは、曰くである。だが、読むのではなく記して完成をさせるものであると誰かは言った。さらに本にはすでに題名がつけられており、所有者がその題名に相応しい行いをした時に本のページに文字が記されていくとも。

 圷は自身の力が使えなくなった理由をマリアに教えるべきかどうかをおそらくは考えているのだ。伝えてメリットなどはない。伝えることによってどういった不利益が自身を縛るのかを測っているのかもしれない。それでもやはり、彼は真実を言葉にすることを選んだ。


「僕の”アンサーズブック”の名前は”正義”。その能力は正義を必ず全うすることだ。だが、今の僕には正義がない……というよりは正義とは何かわからなくなってしまった」

「どうして……正義なんて曖昧なもの誰にだって――」

「僕にはかつて絶対に正しいと呼べる人間がいた。僕の父だ。感情的に理論的にも正しかったあの人は、僕にとっての正しさの指針ですらあった。その人が一族を皆殺しに、家族である僕たちと共に死を選んだ。正しかった父が僕たちを悪だと叫んだんだ」


 一息。


「当然、僕の父の暴走だと、生き残りの僕に盟主である小野寺誠は冷たく言った。けれど、当事者だった僕だからこそわかる。父の目、心は、その剣技は暴走――狂乱などしていない。あの光は正しく悪を断ち切らんとする正義の鉄槌そのものだった。だからこそ、僕は……正しい人に悪だと言われた僕は間違えようもなく――悪人だ。罪人の正義など、そんなものは正義とは呼ばない。偽善だ。偽物の正しさだ。僕の”アンサーズブック”は紛い物の正義を赦しはしない。ゆえに――」


 圷の視線は自然に墓へと向けられていた。彼が抱えていることを理解するにはあまりにも情報が少なすぎた。

 マリアの視線も惹きつけられるように墓へと吸い寄せられる。そこにはやはり寂れた冷たい岩があるだけだった。

 圷と皇には少なからずの因縁が存在するのだろう。その根幹がこの墓の下に眠る人であるのか、はたまた他が原因かは定かではない。それでも2人を縛っているのはこの墓の主なのだとマリアは目を細める。


「僕は――”アンサーズブック”を扱えない」

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