第10話 亡酒をかける
「そっか。圷くんは無くしちゃったんだね。1番大切だと思ってたもの」
だが、圷には驚く以外できなかった。彼自身が語ったことの全てはマリアに理解できない――できるはずがないと思っていたからだ。蓋を開けてみればなんて事のない言葉だった。しかしてそれが全てだったのだ。彼が語りたかったことの全てがその言葉には含まれていた。
暖かい風が墓を覆う蔓を揺らす。
「なぜ……」
「ん?」
「いや、そんなはずはない。ただの偶然だろう。でなければ説明のしようがない」
「どうしたの?」
明らかな動揺を見せる圷にマリアは尋ねる。再び自分が何か言ってしまっただろうかと悩むが、悩んだところで説明ができなければ意味のないことだと考えることをやめたからこその言葉だった。
圷の表情には色々な感情が垣間見えていた。あの無表情を貫いていた彼の顔が、今では人間らしい表情へと変わっていたのだ。不思議でたまらない。何がそうさせたのか。いいや、その理由をマリアは深く理解していた。先ほどの自分の発言が、彼を怯ませたのだという確固たる自信があった。
お得意の
「1つ、聞きたいことがある」
「どうぞ?」
「君には”リビングタトゥー”が刻まれている。これは確かなことでいいんだね?」
マリアは自身の服の第二ボタンまでを外し、そこに隠されていた
少しの力を流すと、セイレーンのタトゥーは光を帯び動き出す。体表面――正確には表皮と真皮の境に特殊な液体で構成された絵が命を持って
ただひとつ”リビングタトゥー”の欠点を挙げるとすれば……。
「”リビングタトゥー”を持つ者は”アンサーズブック”を所持できない。やはり僕の勘違いだったようだ」
「女の子の胸元を見て出てきた言葉がそれだとモテないよ? まあいいけどね。で、何を勘違いしたの?」
「いや少し。……君が”アンサーズブック”を持っている可能性があったが、僕の勘違いだった。ともかく、ここに君を連れてきた理由は彼女に君を見せたかったからだ。彼女と同じ夢を見る君を」
マリアの持つ夢とは”世界を救う”という途方もないものだ。その懐かしさすら覚える夢の内容を彼女――
見せたところで見られるわけもない。実際に語り合えるわけでもない。それでも圷はここにマリアを連れてくるべきだと考えたのだ。そうして心が示した通りに彼女をこの御前へと連れ出した。
墓に絡む蔓の長さが時間の経過を重くさせる。寂れた風景の中にかつて英雄と呼ばれたものが1人で眠っている。これほど悲しいことはないだろう。悔しいこともないはずだ。圷が2人でと言ったのは、きっと皇にこの墓を見せたくなかったのかもしれない。彼曰く皇は師匠を母親のように慕っていたと言う。その人の今がこの有様では見るに堪えないとわかっていたから。
「圷くんは優しいね」
「何を持ってそう感じたのかはわからないが、僕は優しくないよ。けれどもし僕を優しいと思ったのなら、それは君が正しい人だからだ」
「正しい人には優しくするってこと?」
「少し違う。もちろん正しい人には優しくもするだろう。むしろ僕は悪人であろうと優しく接しているつもりだ。だが、悪人は他人から受けた優しさを優しいとは思わない。彼らはね、優しさをただ憎らしいと思うのさ。いつの世も正しい人間の正しい行動、優しさの活動は悪人にとっての毒でしかない。悪人は優しさを受け入れる心に穴が空いてしまって、こぼれ落ちる優しさを憎み、やがて正しい人間を妬み始める」
「まるで見てきたみたい。ううん。実際に見てきたんだね」
「何人も、悪人に落ちる人を見送って来た。悪行を止めることが悪人にとっての僕にできる最大の優しさだと信じて。それこそが正しさ――僕にとっての正義なのだと信じて奮ってきた。だが違った。結局僕は僕の中の正しさを押し付けているだけ。それは正しさや優しさでもなんでもない。悪行と同じ――妬ましさでしかなかった」
再度形成された鉄のポーカーフェイスは崩れない。だのに、圷の表情には隠しきれないほどの悔しさを感じさせた。それを汲み取れないマリアではない。汲み取った上でそれを言葉にするべきではないと自分を納得させる。なぜ納得が必要なのかをわからないままであろうとも。
マリアの視線が墓へと戻る。圷と皇を育て上げ、このような姿に変えてしまったかもしれない人が眠る墓は今もなお静かだ。問い詰めようとしても答えは返ってこない。このもどかしさの答えはきっと、墓の中にしか存在しないというのに。
圷の理屈が正しければ、マリアは正しい人なのだろう。優しさを優しいと思えることはあるいは素晴らしいことなのかもしれない。だが、マリアにはその言葉が正しいとは思えなかった。
「私は正しくなんてないよ。正しくあろうとしているだけ……ううん。私のしていることが正しいことだといいなって思っているだけだよ。世界を救うことは正しいことじゃないかもしれない。救ったところでまた新しい争いが起こるだけなのかもしれない。きっとそうなる。歴史が――数多の人類史がそうであったように。だから、世界を救うことは必ずしも正しいことじゃないよ」
「でも、君はそれが正しいと思うのだろう?」
「うん。だって幸せは争いのない世界にしか存在しないでしょ。また新しい争いが起こるまではみんな幸せなんだよ」
「それでは繰り返しだ。いつかまた世界は終わりを迎えることになる。今度こそ人類史を終わらせてしまうことだってありえるだろう」
「だから繰り返すんだよ。何度でも私が世界を救う。救い続ける。私がいる限り、この世界に争いが起こらないようにすればいいんだよ」
マリアは歩き出す。その先には溜め水をさらうことのできる設備があった。そこで桶に水を掬い、その水を墓へとぶちまける。
跳ねた水が圷の靴やズボンに少しかかるが、圷はそのことを気にはしなかった。むしろ、気になったのは彼女を見て驚く自らの心情だった。
マリアは世界を救い続けると言った。世界を救うではなく、救い続けると。これは大きな差がある。彼女は1度の大業では飽き足らず、何度でも偉業を成し遂げると宣言したのだ。それは圷の師匠である区道ミレイですらも見ることができなかった大きな夢、または願望だ。自らの師匠には遠く及ばない弱い存在であるはずの彼女が、身分不相応な願望を抱く。何より不思議なのは、それが不可能だと断言できなかった自分自身。彼は知らぬうち彼女に期待をしてしまっていたらしい。
「”セイレーン”の加護のせいか。それとも、カリスマか。どうも君は不可思議だ。決して”アンサーズブック”には及ばず、”蠢く終末論”にも遠く及ばないはずなのに、僕は君に期待をしているようだ。どうしてだろうね」
「さあ? 私が不思議な力を使って圷くんの心を操ってるのかも〜?」
「それができるなら、君はとっくに世界を1人で救っているだろうに。まあいい。僕の予定は終わった。確認したかったことも終わった。あとは、君次第だ。君は本当に世界を救えるんだろうね」
「そう思ってるし、そうしたいよ。私の力で、私の思いで、私の変わらぬ意思によってこの世界を救い続ける。だから、私に力を貸して欲しいの、圷くん……ううん”正義”の所有者”アンサーズブック”第2位。その破滅的な正義の極光から付けられた王の名は”聖霊王”。私はあなたが正義を思い出すことを願い、輝ける極光を再び手にすることを望みます。私に世界を救う力を貸してもらえますか?」
右膝を地面につけ、右腕を心臓へと置く。現代での最大の敬意を示す作法をマリアは行った。その姿はまるで王に跪く家臣のよう。
実際、圷は王である。その圧倒的な力とかつての揺れぬ正しさを持って彼は王座へと辿り着いた。その事実は変わらず、変わったことは彼の心の有り様だけだった。
マリアの行動を受けて、圷は変わらぬ立ち姿で頭を横に振る。
「そう畏まらないでくれ。かつての僕は王としての力と矜持があったが、今の僕にはそのどちらも存在しない。ただの青年だ。だが、君が僕の力を望むのならば出来うる限りを尽くそう。君がまだ僕を王と呼んでくれるのなら、僕はそれに応えよう」
「ありがと。さあて、形式的なものは終わり終わり。あ〜堅苦しかった」
「まったく、君という人は……どこか皇悠人のような雰囲気を感じさせるな」
「やめてよ〜。私はあんなにバカじゃないもん」
「あぁ、確かに」
心なしか圷の表情が緩んでいるように思える。マリアが手を差し出し、彼はそれに応えた。マリアと圷の協力が確定した瞬間だった。
日が強く差し込んでくる。2人の知らないところで墓が日に照らされていた。滴る水滴で一層輝く墓が2人を見ている。
密かに貶されるもう1人の王はとある場所で状況が変わる瞬間に立ち会っているとも知らずに。
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