幕間

朱い蜜蜂の邑


 今日もまた、白い煙が邑を薄暗く包んでいる。俺たち子どもは、もくもくと流れる白い煙の中に飛び込んでは縦横無尽にその中を走り回る。誰もが大はしゃぎだ。

「まるで雲の中のよう」

 白い煙の中にとび込んでは俺たちは出鱈目な方向に何度も突っ切って走った。たまに誰かとぶつかりそうになると、抱き合って声を上げて笑った。分厚い煙は濃霧のように、中に入るとほんの少しの先も見えないのだ。

「よう、スカイ。お前もか」

「お前だって泣いてるじゃないか」

 あまり長いあいだ煙の中にいると、眼が沁みてくる。涙がぽろぽろ零れるといってはまた笑う。

 両腕をぴんと伸ばして風車のように回ったり、とんぼ返りをしたりして、俺たちは煙に夢中だった。

「スカイ、手を繋ごう」

「よしきた」

 手を繋いで輪になって、右に走り、左に走ると、煙の流れが大きく変わり、真ん中あたりに集まった煙がよじれてそれが竜巻が見えてくる。なんとなくだけど。

「こら、お前たち」

「やべ、父ちゃんたちだ」

「怒られる。逃げようぜ」

 煙の中でごっつんこした額を擦りながら、俺たちは走って逃げた。野辺のあちこちで焚かれている煙はずいぶん遠くに走っても、俺たちの背中をどこまでも追ってきた。


 ただいま。家に帰ると、大人が集まっていた。俺の家は少しだけ大きくて、何かあると近所の人たちが顔を出す。すぐ近くに邑長の家があってそちらの方が屋根が大きいのだが、あちらに何か持ち込む時は、よほど深刻な時だけだ。

 お腹が空いていたので器を手にまっすぐ母さんのところに行った。

「これを持って、二階に行ってなさい」

 木をくりぬいた器に母さんが煮込み料理をよそってくれる。

「みんなは」

「上よ。静かにしているんだよ」

 二階へは梯子で上がる。片手に器を、片手で梯子の縦木を持ち、こぼさないように少しずつ段を上がっていると、

「スカイ」

 上からきょうだいの手が伸びて、器を引き取ってくれた。

「父さんたちは何を話してるの」

「しっ。きいてたら分かるよ」

 俺にはきょうだいが多い。十人いる。全員が俺のように父さんと母さんの子ではなく、親が早くに死んだ親戚の子をうちが次々と引き取っているからだ。幼い頃から一緒に育っているからもう本当のきょうだいと変わらない。

「スカイ」

「あ、姉さん」

 一番上の姉さんまでいた。子どもたちの面倒を任されて二階にいるのだ。俺が読み書きが出来るようになったのは、一番上の姉さんが最初に俺の名まえの綴りを教えてくれたからだ。その後、俺は邑が開いている寺子屋に通っている。

「スカイもいつか街に出て働けるようにね」

 姉さんはそう云うが、俺が寺子屋に通うのはそこに友だちがいるからだ。

 俺は他の子と同じように二階の床に腹ばいになり、床の隙間から階下をのぞいた。大人たちの話は、あの白い煙のことだった。


 これで少しは病の勢いが衰えるといいが。大人たちは深刻な顔をしていた。

「王さまからのご命令とはいえ、病人がいない邑でも定期的に薬草を焚けとは」

「病を追い払ってくれる効果があるそうだが、本当かねえ」

 病気は大きな翼をもった魔物のせいだ。その魔物をあの白い煙がやっつけてくれる。俺はそうきいた。

「あの薬草は安いものではない」

「わざわざ東の国の商人から仕入れているのだ。仕入れた分だけ来年から我らの税に加算されるそうだ」

「東の国」

「東の国といえば、霊視王の宰相におさまった僧の出身国ではないのか」

「しーっ」

 大人たちは話し声をぐんと落とした。

「来年は嗣王子の婚礼だ。大国である北の国からの妃が城に入れば、僧とても、今までのように好きには出来ぬだろう」

「北の国の顔色をうかがうということか」

「それはそれで困ったことだ」

 大人たちはそれからも農作業の合間にぼそぼそと暗い顔を突き合わせ、同じような繰り言を述べていた。

 

 白い煙は毎日流れた。だんだん俺たちも邑を包み込む煙の中で遊ぶことに飽きてきた。両手を振り回してみても、最初の頃のようには心が弾まない。

「森に行こうぜ」

「川に行こうぜ」

 変なにおいのする煙よりも、変化に富んだ森や川の方がおもしろい。

「お前たちもついて来いよ」

 その頃、邑には、病を逃れて街から避難してきた大勢の子どもたちがいた。彼らの先生役として邑の子どもたちは大いに張り切った。川の流れのどこが危なくて、山のどこが崩れやすいか。

「これは食べれる。これは駄目」

 俺たちには違いが分かる木の実や茸であっても、街からきた子どもたちは、「そっくりだ」とまるで見分けがつかないのだ。

 俺はひとりの女の子を追いかけて連れ戻した。

「駄目だよ。その樹に触ったら、かぶれちゃうぞ」

「あのね。わたしの名は本当はカティアじゃないの」

 女の子は俺にそんなことを云った。

「でも、あなたはカティアと呼んでもいいわ」

 小さな子の云うことだ。俺は気にしなかった。


 気がつくと少し離れている処に、いつも大人の男がいた。

「あれ、誰だ」

 それから気をつけてみていると、男は毎日必ず俺たちの近くに現れた。一定の距離をあけて何をするでもなくただ立っている。

「見ろよスカイ。あいつ、剣を持ってるぜ」

「剣だって。見せてもらおう」

 子どもたちで男を取り囲み、「剣を見せて。ねえ、鞘から抜いて見せてよ」とねだったが、男は「駄目だ」と無愛想に首を振るばかりだった。

 男のことはやがて見慣れて、存在を忘れてしまった。子どもの世界に大人はいないのだ。


 街からきた女の子は、陶器で出来たすばらしい人形を持っていた。

「これが父さま。これが母さま」

 籠から出した人形を女の子は平らな石の上に並べた。

「これがわたし。こちらが、大兄上と兄上よ」

 困った。ままごとは苦手だ。

「俺はその中にいないのかい」

 ままごとの相手から逃れようと、俺はわざと文句をつけた。

「俺がいないのなら、つまらないよ。これじゃ遊べないな」

 すると女の子は考え込んで、

「これがあなた」

 籠の底から陶器の犬を取り出して、石の上に並べておいた。他の人形と比べると、犬の人形は牛くらいの大きさがあった。


 女の子が並べた葉っぱのお皿の上に、俺は摘んできた朱い実をのせてやった。

「これ、なあに」

「食べてみろよ」

 女の子が朱い実を食べようとすると、珍しく男が動いて、「おやめください」と女の子をとめた。女の子は男を無視した。

 俺が渡した小さな実を口に入れた女の子はすぐに吐き出した。

「美味しくない」

「小麦に混ぜて焼くと美味しいんだぜ」

 毎日のように俺は女の子を連れて森や川に行った。俺の下には妹が何人もいたから、女の子がひとり増えたくらいのことは、どうってことなかった。仲間は、「妹がひとり増えたな、スカイ」と俺をからかった。

「カティアが男だったらさ、もっと面白い遊びが出来るのに」

「どんな」

「樹から綱でぶら下がって、あっちからこっちへ云ったり、水が流れる岩を滑り台にして川に飛び込んだり。そんな服じゃ木登りだって出来ないだろ」

「やりたい」

 でもそれは叶わない。後ろにいる男が「おやめください」と止めるに決まってる。

「森の中に泉があるの」

「ふうん」

「そこにしかない花が咲いていると大兄上が云っていた」

 陽あたりのいい野原で女の子はぶちぶちと花を摘んでいた。俺は近くの樹を蹴ったり枝にぶら下がったりして、女の子の上に花の雨を降らしてやった。

「こんなかたちの、みずうみの近く」

「月みたいだな」

「お城のすぐ近くにあるのに、あまり知られてない、ひみつの泉」

「いつか行ってみたいな」

「ぜひ」

 女の子は真面目な顔をして頷いた。



》第三章

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