Ⅳ・軍

 

 馬を預けて、宿の二階にあがると、ケルヴィンは俺たちを待っていた。

「ご機嫌よう、五ツ谷のケルヴィン」

「カルティウスシア姫」

 この前は夜なので気づかなかったが、宿の二階の通路や室のいたるところに、マクセンス王とカルティウスシア姫の肖像画が飾られていた。宿の亭主は熱心な『苛烈王』支持者なのだ。

「王女のあなたがこんな下町に来ていいのか」

 後半は俺に向かって云った。

「供人が一人だけとは、不用心ではないのか」

「わたしのことは気にしなくていいわ」

 カティアは頭巾を頭の後ろに払い、青い外套を脱ぎ去った。

「男の子として育ったから、わたしは何でも自分でやるし、何処にでも行くの。ここは兄王が治めている治安のいい街だし、スカイが従者として附いているのだから、ひどくおかしいということもないわ」

 いや、おかしい。

 忠犬のようにカティアの後ろに控えながら俺はケルヴィンに無言で訴えた。これが当たり前だとはゆめゆめ思わないで欲しい。こんなお姫さまは例外中の例外だからな。

「ケルヴィン、お前と少し話したいわ」

 カティアは寝台に腰をかけた。ただ坐っているだけなのに、そのまわりに何ともいえぬ雰囲気が出るのは、王族ならではだ。

「離宮に忍び込んだ理由は紙だとスカイに云ったそうね。紙を捜していると。どんな紙なのか詳しく教えて」

「ただの紙ですよ」

 王女であるカティアを前にしたケルヴィンは少しだけ態度を改めて、口調を変えた。

「お姫さまには関係のないことです」

「あるわ。五ツ谷を焼き払ったのはわたしの兄だもの。その紙はそれほどにお前にとっては重要なものなの」

「俺たちにとってはそうです」

 ケルヴィンは唸った。

「それがあれば、化石の国に対して叛乱を起こそうとしていた罪状で滅ぼされた五ツ谷の汚名を晴らせると、俺はきいたのです」

「誰にきいたの」

 カティアは続けた。

「それは手紙か、書状なの」

「密約書だそうです。俺も中身は知りません」

「その密約書がなぜ、あの離宮にあるの」

「俺には兄と姉がいたんです」

「それで」

「邑が焼けた後、兄のサヴァロンは弓矢海軍に送られちまいました。姉のユナは、事件の起こる前から、あの離宮に使用人としてはたらいていたんです。姉といっても養女にもらわれて、ユナ姉だけは街育ちなんだ」

 邑にとって重要な密約書を何所に隠すかという話し合いが五ツ谷で行われた時に、五ツ谷には置いておかないほうがいい、これは外にいる誰かに託そうという結論になったのだそうだ。

「そして、離宮に奉公に出ていた俺の姉のユナがその密約書の保管者に選ばれたのです。密約書を取り返そうとする者がいたとしても、まさか邑の外にいる、一見して邑とは無関係のユナ姉がそれを持っているとは誰も考えないだろうと」

「お前の姉のユナは離宮に今もいるの」

「いえ。消えました。霊視王と苛烈王の交代劇が起った年に、離宮から姿を消しました」

「消息は不明なの」

 ケルヴィンは首を縦にした。

「そうです。生きているのか死んでいるのかすら分かりません」

「十一年前にユナは離宮からいなくなった。ユナも密約書の行方も、分からなくなった」

「そのとおりです」

「その密約書があれば五ツ谷の汚名が晴らせるとケルヴィンは確信しているようだけど、そのことはどうやって知ったの」

「最近まで、俺は密約書の存在すら知りませんでした。去年死んだ五ツ谷の老女が、そう云い残したのだそうです」

 その女は五ツ谷の邑長の妻だった。邑長は五ツ谷が王の軍によって襲撃を受けたその夜に殺されたが、死に際に妻にあることを云い残していた。


 密約書だ。あれがあれば五ツ谷を救える。

 ユナに預けてあるあれさえあれば。


「生き残った俺たちはばらばらにされてしまった上に、十年間は、勝手に移動することも、互いに連絡を取ることも禁じられていたんです。だからその話も、長の妻が死んでから、人伝にようやく俺の耳に入ったんです。姉のユナが関わっていると知った俺は愕きました。しかしユナ姉はもういない。俺は考えました。ユナ姉の失踪と密約書はきっと無関係ではないだろう。ユナ姉ならば預かった密約書をどうしただろう。姉はいなくなる前に、離宮のどこかにそれを隠したのではないか。ここはひとつ、実際に離宮に入って現場を確かめてみるしかないとね」

 ケルヴィンは肩をすくめた。

「俺は離宮に忍び込める機会を待ちました。王女の誕生祝いでたくさんの荷が運び込まれていました。混みあっている荷馬車の列に紛れて門を通り抜けたんです。実際に忍び込んでみたら、あまりにも広くて室が沢山あって、とてもじゃないが見当もつかないことが分かりましたがね」

「邑長がそう云い残したのは大量の武器が五ツ谷に隠されているとの報を受け、軍隊が邑を襲撃した時。密約書は五ツ谷の川から見つかった武器に関することかもしれないわ」

 カティアは考え込んだ。

「兄の軍によって夜襲を受けた邑長は、その密約書さえあればと悔やんだのよ」

「カルティウスシア姫。あなたは、マクセンス王の軍が五ツ谷を襲ったと、そう信じておいでなのですか」

「そうではないというの」

「俺の故郷を攻め滅ぼしたのは、マクセンス王の軍ではありません」

 ケルヴィンは意外なことを云い出した。



 五ツ谷を襲った軍勢は、二度やって来たという。

「最初は破壊の軍。次に来たのが、俺たちを邑から追い出したマクセンス王の軍です」

 俺とカティアは顔を見合わせた。初耳だ。

「最初の軍は兄が寄こしたものではないというの」 

 領民の多くが目撃したのは、マクセンス王が派遣した軍勢が五ツ谷から引き揚げてくる時だ。風には異臭が混じり、退却する軍の背後の森の上空には、焼き払われた邑の煙が色濃く立ち昇っていた。それはマクセンス王が、父王から王位を奪い取った直後のことだった。

「俺たちの邑は、寝静まった夜のうちに急襲されました」

 ケルヴィンは暗い顔で述べた。

「最初にやって来た軍隊は、鎧から徽章をすべて外し、鎧面を降ろして、正体を隠していました。夜の闇に浮かび上がる黒々としたその覆面の軍勢が、炎に照らされて真っ赤な輪郭に変わるまでは、ほんの僅かしかかかりませんでした。奇妙なことといえば、襲撃される直前に邑に駈け込んできた騎馬がいたことです」

 その騎手は、逃げろ、と邑中に呼ばわった。


 逃げろ、今から王の軍が来る。お前たちは皆殺しにされるぞ。森に逃げろ。


 その騎手はそれだけを告げると、邑を突き抜けていずこかへ駈け去った。代わって、土砂が崩れ落ちるような不気味な地鳴りが始まった。

「何の音だこれは」

「これは軍馬の音だ」

 就寝していた邑人が急いで家族を起こして森に逃げようとした時には、すでに暗い夜空を夕焼けのようにあかく染め上げて、大量の火矢が邑の上に降りそそいでいた。

「五ツ谷を取り囲むようにして、覆面の軍隊は邑に襲い掛かってきました。森の方角からも矢を構えた兵が横一列になって向かってきました。退路を断たれた俺たちは火の雨の中を逃げ惑いました。焼け死ぬ者、馬に蹴られる者、剣や槍で刺し貫かれる者。悲鳴が谷に木霊しました。夜のあいだ続いたその虐殺は途中で突然止まりました。退け。隊長の命令で、覆面軍は来た時と同じように素早く立ち去ったのです。彼らが過ぎ去った後、今度は揃いの鎧と旗を立てた正規軍が、朝焼けの中に姿を現しました」

「それがマクセンス王の派遣した軍なのか」愕きをもって俺は口を出した。

「ああ。そうだ」

「兄の軍は、鎧面をつけた軍の後に現れたのね」

「もはや手遅れでしたが、それでも新王の軍は、地獄の竈のようになっている火災の延焼を家や樹を倒すことで少しは食い止めました。化石の国の最北端にある五ツ谷はまだ王が交代したことを知りませんでしたが、兵士たちは我らはマクセンス新王の命でやって来たと告げました」

 最初の朝陽が谷に差し込んだ時、邑の跡地に残っていたものは、黒く焦げた死体の山と、放心状態のわずかな生存者だけだった。


 新王の軍はしばらく邑に留まって何かを捜していた。やがて渓流の川底から、大量の武具が発見されたという報せが届いた。

「それは元は谷の洞穴に保管されていたものであることが後から分かりました。何者かの手によって、洞穴から下の川に投げ棄てられたのです」

 問題の武器だ。

「その武器こそ、第一王子の死に乗じて、五ツ谷が北の国と結託して化石の国に対して叛乱を起こそうとしていた証左だと伝わっているけれど」

「そんな莫迦な。俺は、邑にそんな武器があったことなど知りませんでした」

 しかし大量の武器は出たのだ。

 俺とカティアは考え込んだ。

「最初に五ツ谷を襲撃した覆面の軍勢が、洞穴に隠されていた武具を川に棄てたのかしら」

「その可能性はありますね」

「おそらくそうです」

 ケルヴィンは認めた。

「見つかった武器は何日も水に浸かっていたものではなく、そして洞穴からは、棄てきれなかった残りの武器が発見されたそうです。俺も、最初の軍隊が川に放棄したとみています」

 当時まだ少年だったケルヴィンは火災の中を逃げまどい、兄サロヴィンと共に崖から川に飛び込んで助かった。

「そしてその後、マクセンス新王は五ツ谷を廃村にすると布告したのです」

 武具を隠していた罪により、生き残った男は海に連れていかれて弓矢海軍に。残りの者は、各邑に分散させられた。それが苛烈王が下した処断だった。


 ケルヴィンが語った話は愕くべきものだった。カティアはケルヴィンを部屋の隅で休ませて、俺を近くに呼んだ。

「最初に五ツ谷を夜襲をした覆面軍は、いったいどこの軍」

「私兵かもしれません」

「大量の武器を揃えるには、かなりのお金が必要だわ」

「鉱物が出る谷です。隠している財があったのかもしれない」

「おかしいわ」

 カティアは腕を組んだ。 

「邑を夜襲した覆面軍が、邑に火を放つかたわら、五ツ谷の洞穴に隠されていた武器を川に棄てたのだとして、覆面軍はどうして川に棄てたの」

 そうなのだ。川に投棄するのは、いかにも変だ。武器は高級品だし、大量の武器ともなればすぐに揃えることは難しい。軍隊ならば、棄てるよりは略奪するはずだ。

 さらに、密約書だ。それがあれば無実が証明できると邑長が死に際に遺言したのなら、五ツ谷は、叛乱目的で自主的に武器を揃えたのではないということになる。

「隠し場所を提供しただけなのでは」

「つまり、五ツ谷は、洞穴に武器を隠しておくように依頼された。それは誰から。やはり北の国が」

「俺は――、俺は、それを知っている」

 部屋の隅から急にケルヴィンが低い声を上げた。

「俺は、それを知っている」

 ケルヴィンはぎらつく眼をして拳を握った。

「邑に武器を預けた者を、俺は見たんだ」




》Ⅴ

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