Ⅲ・谷


 俺の問いかけにその場にいる供人たちは、「あるある」「前泊している貴人の持ち込んだ宝飾品だけでもけっこうな狙い目だぞ」と声を上げた。

「俺たちは日々見慣れているが、下々の眼には、この何でもない食器や水差しですら盗む価値のあるものだ」

 しかしケルヴィンは、捜しているのは「紙」だと云っていた。紙の類なら離宮にも山のようにあるだろうが、ケルヴィンはその中の何かを狙って、わざわざ盗りに入ったのだ。だからそれはよほど特別な紙だ。

 しかし紙であることしか分からない。手がかりがそれしかない状態で探すことは不可能だ。俺はすぐに諦めた。しかし他のことならば分かった。

「俺はまだ子どもだったから、その頃のことはよく憶えていないが」

 ほどよく酒が回った頃合いをみて俺は再度、慎重に切り出した。

「彗星の年には、他にもいろんな大事件があったよな」

「そうだ。彗星が夜空に現れたあの年は激動だった」

「その時に燃やされてしまった邑もあるんだろ。その邑のことで何か知ってる人、いるかな」

「それは五ツ谷のことか」

「そう、それだ。五ツ谷」

 その場にいた者は、「なんでそんなことを知りたいんだ」と不審そうな顔をした。しかし少しは詳しい者がいた。

「地理的に、五ツ谷は北の国との国境に位置していたんだ。そこだけ飛び地のように突き出すかたちだ。知らない者が見たら、北の国の領地だとしか見えないような場所に五ツ谷はあった」

「元はといえばその辺りも大陸一帯を治めていた頃のゼデミネン家の所領地だ。はるか遠い昔の話だけどな。大規模な山崩れで地形が変わり、谷の大半が埋まってしまった。それが五ツ谷の名の起源だ」

 ゼデミネン家の名が不意に出てきた。俺はどきりとした。アリステラさまの恋人、イグナツィオ・リュ・ゼデミネン。

「あの事件からもう十一年が過ぎたのか」

 供人たちは想い出ばなしを始めた。

「第一王子が崖から落ちて不審な死を遂げた後、五ツ谷の川から大量の武具が見つかったのだ。どうやら大急ぎで棄てたようだ。それで、王子の死とあわせて北の国と通じている疑いが邑にかかり、五ツ谷はマクセンス王の派遣した軍勢によって焼き払われたのだ」

「邑の者はほとんど殺されたときく。生き残った男は、『弓矢海軍』に無理やり入隊させられて、海に送られたそうだ」

 弓矢海軍というのは、わが国が有する海軍だ。とはいえ、化石の国の海域は北の国と西の国に挟まれて、とても狭く、化石の国の連中は河口のことを海と呼んでいると揶揄されるほどのものでしかない。海軍といっても、海から来る外敵に備えて一応は防衛のかたちを見せているという程度の、ちっぽけな代物だ。

「女や子どもは」

「ばらばらにされて、方々の邑に強制移住させられた。五ツ谷のあった邑は、今は無人で、焼け跡の他は何も残っていないのだ」

「何だかおかしな話だな」

 ケルヴィンのことを少しでも知ろうと、俺は話を引っ張った。

「どうして五ツ谷が北の国と通じていると分かったんだ」

「五ツ谷に大量の武具が隠されていたからだ。川に投げ込んで棄てたのが余計に怪しい」

「それは単に一揆の為に集めていたものではないのか」

「それはない。良質の木材と鉱物が産出される五ツ谷は、国王の保護をうけて、不作の年であっても潤っていた」

「五ツ谷に大量の武器があることを外に洩らしたのは誰なんだ」

「昔の話だからな。それ以上のことは誰も知らん」

 ケルヴィンは、今は消滅したその邑の生き残りなのだ。


 来るな、と強めに云っておいたので、さすがに宴のあったその夜は離宮の宿舎の窓の外にカティアは現れなかった。昨夜徹夜したせいで寝不足なのと、宴の疲労もあいまって、今頃は俺が城から持ってきた枕を抱えてぐっすり眠っていることだろう。

 最高位の貴人はたとえ主賓であってもあまり長居をしないものらしい。宴の会場から退出してきたカティアを出迎えて、部屋に送っていくあいだ、ひそひそと僅かばかりの言葉をカティアと交わすことが出来た。

「あまり深入りしない方がいいと俺は思いますが」

「でも、スカイだって気になるでしょ。彼は五ツ谷の者なのよ」

 宿舎の寝台に寝転がり、俺は昨夜そこの椅子に坐っていたケルヴィンのことを想い返していた。

 彗星の年にマクセンス王によって滅ぼされた邑。十一年前だから、五ツ谷が焼かれたのはケルヴィンがまだ十代の頃だ。

 五ツ谷がどのような処か俺は知らないが、邑なんて、きっと何処でも似たようなものだ。空があって森がある。川には水車が回り、作物の実る畠がある。それとも、鉱物が採れる谷ならばもっと様相が違うのか。

 飛び地のような最北にあったこともあり、五ツ谷のことはあまり知られていない。 軍隊が蹂躙して焼野原に変えてしまった後は、そこに戻る者もいない。

 焼かれたわけではないが、俺の出身邑である朱い蜜蜂の邑とても、大勢の邑人を失っている。五ツ谷の事情とは異なり、それは疫病のせいだ。

「氷の国の姫君に仕える気はないかい、スカイ」

 俺が邑を離れて隠居屋敷に仕えることになったのは、その時の疫病で父親が死んだせいだ。大勢いたきょうだいはみんな散り散りに他の家に引き取られていったが、隠居屋敷の侍女頭のウーラさんの妹が俺の近所に嫁いでいた縁で、俺は隠居屋敷に行くことになったのだ。

 俺は寝返りをうった。

 あれから一度も郷里に帰っていない。でも朱い蜜蜂の邑の者たちは、街に出てくるついでがあれば俺を呼び出して、邑のことを細々と教えてくれる。

 邑なんて何処でも同じだ。だから、カティアが幼い頃に俺と逢ったといっても、それは誰かと勘違いしているのだ。

 ずっとそう想っていた。しかし、俺とカティアは確かに朱い蜜蜂の邑で逢っているのだそうだ。


「憶えていないの」

「憶えていません」


 この一年、そのことを必死で想い出そうとしているのだが、俺の側にはまったく記憶がない。外で泥だらけになって遊びまわっている男子など、子どもの頃は猿と同じなのだ。だが、確かにそうらしい。

 俺とカティアは馬に乗っていた。離宮から城に戻るにあたり、カティアには馬車が用意されていたのだが、「スカイと一緒に馬で散歩しながら帰る」とカティアが断った。

「それではこれを」

 侍女のラターシャが地味な外套をカティアに被せた。外套の頭巾をかぶると、それで顔がほとんど隠れた。王女がそこにいると気づく者はいないだろう。

「スカイ。またね」

 出しなに離宮の女使用人のフロラが俺に手をふった。カティアはそれを見ていたらしく、離宮が遠くなったあたりで、「後に残ってもいいのに」と俺を揶揄い始めた。

「わたしの従者をやめて、離宮につとめてもいいのよ」

「お断りします」

「フロラ」

「それが何ですか」

 野道を往く俺とカティアはしばらく馬でぐるぐると追いかけっこをした。

「まるであの頃に戻ったみたい」

 カティアが笑い声をあげた。カティアが俺の邑にいたのは、期間にして、三ヶ月ほどだそうだ。


 長い年月、終息するかに見えては盛り返し、国中で猛威をふるった疫病は、港周辺および城のある街をまず襲い、第一波、第二波と、順番に化石の国の国土全体に広がっていった。それと当時頻発していた農奴一揆とは無関係ではない。霊視王は疫病の影響を考慮せずに従来どおりの納税を農民に課したからだ。そして最後の疫病の大波によって俺のいた朱い蜜蜂の邑も、俺の父親を含めた死者を出した。

 幼少期を想い返す時、国土全体がもくもくとした白煙に昼も夜も包まれていたことを想い出す。怪僧のいいなりだった先代王の命令で、病魔を退散させるという薬草を焚いていたからだ。雲の中にいるような気がするほどだったが、実はこの白いもくもくが、マクセンス第二王子が廷臣と結託して父親から王位を簒奪するきっかけになったのだ。

「ええい、呪術の類に願をかける暇があるならば、なぜ病人を隔離したり、困窮した民に食料を配布し、疫病の届かぬ高地に邑ごと移住させたりと、前向きな対策を講じようとはしないのだ」

 マクセンス第二王子は何度も怪僧を遠ざけてくれるようにと霊視王に進言し、また国を救う知恵も巡らせたが、それらはことごとく怪僧によって握りつぶされた。

「父上はもはや信じる先を誤った。そのうざったい煙に病を遠ざける効き目があるのならばよし、しかし疫病はいっこうに下火にならないではないか」

 霊視王と第二王子が親子骨肉の争いを繰り広げている頃、多くの貴人が疫病を避けて地方に避難していた。街から始まった疫病はまだその頃、田舎には届いていなかったからだ。

 その中に幼いカティアがいて、俺は朱い蜜蜂の邑でカティアと一緒に遊んでいたそうなのだ。


 弁解させてもらうならば、あの頃は邑に避難してくる貴人が多く、俺の邑には彼らの使用人も含めて見慣れぬ人たちが大勢うろうろしていたのだ。子どもだって、入れ替わり立ち代わりちょろちょろしていた。だから俺たちは毎日のように初めて逢う知らない子どもと遊んでいたのであって、カティアであろうと誰であろうと、気がつけば一緒に遊んでいる子どもがいるという程度の認識だった。

「牧歌的なとてもよい処で、わたしはすっかり朱い蜜蜂の邑が気に入ってしまった。だから城に戻ることになった時は哀しかった」

 カティアは懐かしそうな顔をした。実際、南の国ではその頃のことばかり、何度も想い返していたそうだ。

 俺が八つ、カティアが五歳の頃ということになる。流行病が一旦下火になると、貴人はみんな邑から引き揚げていった。しばらくの間は俺も寂しかったが、やがてすぐに忘れてしまった。

 薄情? 繰り返すが、男子なんてそんなものだ。

 今はなき五ツ谷のケルヴィンを助けると咄嗟にカティアが決めたのは、化石の国を長く離れていたカティア自身の郷愁と無縁ではないのかもしれない。

 毎度のごとく、憶えているような、いないような態度しかとれない俺を横目に、カティアは俺には推し量れないような顔をして、ただこう云った。

「いいのよ。わたしは憶えているのだから」

 こちらは恐縮するしかない。


 しかしながら一年をかけて必死になって想い出したお蔭で、少しばかり、記憶を辿ることが出来た。朱い蜜蜂の邑から街にきた俺のきょうだいの一人が、「毎日のように遊んでいた子どもたちの中に、いつも御付きの男がついていた子どもがいた」と教えてくれたからだ。

 御付きの者は、遊んでいる俺たちの近くにいつも控えていて、「まいてしまおうぜ」と走って引き離そうとしても、繁みの中でも何処にでも附いてきた。

「御付きの者がいた子ども。でも、あれは女の子でした」

「だからきっとそれがわたしよ。その頃は男装していないのだから」

「ああ、そうか」

 ややこしいな。

「大袈裟に騒がれることを避けて、わたしは正体がばれぬように、あの邑では貴族の子どもとして偽名で過ごしていた。だからその名であなたはわたしを呼んでいた」

 

 おいでよ、カティア。あっちに行ってみよう。


 そんなことがあったような、気がする。あくまでもそんな気がする程度には。手を繋いであちこちに移動するあいだも、護衛が必ず後ろに附いていた女の子。

「ここがその宿です」

 話しているうちに、ちょうど、ケルヴィンを泊めている宿に着いた。




》Ⅳ

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