Ⅳ・回想の続き(前)
カルティウスシア姫の帰還はたちまちのうちに国中に知れ渡り、その春の人々の関心の全てを奪った。
「カルティウスシア姫。それはいったい誰のことだ」
「莫迦だな。マクセンス王の実の妹君だよ」
「ずっと外国でお育ちだったのだ」
幼い頃にちらりと見たきり行方不明も同然だった王女のお国入り。その報に誰もが歓び、昂奮し、熱狂した。亡命先で客死した霊視王の訃報を受けた後なので盛大には祝えないものの、若い姫の存在とはこれほどまでに国を華やがせるものかと感心するほどに、誰もがカルティウスシア姫に夢中になった。
あまりにも騒がしいので、マクセンス王はお披露目のお触れを出した。春の訪れを告げる祭りに合わせて、供人を従えたカルティウスシア姫が白馬に乗って城下の街をぐるりと一巡りするだけのものではあったが、領民は狂喜乱舞して、街の色が変わるほどに窓や戸口に花を飾り立て、通り過ぎる姫君の上に春の花を撒き、その名を口々に呼んだ。
「お帰りなさい、姫」
「化石の国にようこそお帰りなさい、カルティウスシア姫」
その場には、俺もいた。カルティウスシア姫に召集されたからだ。
「スカイも、附いてきて」
「俺もですか」
隠居屋敷に仕えている俺の身分は本来そんな晴れがましいことには不足なのだが、姫君の願いはすみやかに通り、街をゆくカルティウスシア姫のすぐ後ろから、面喰った顔をしたままの俺が栗毛の馬で随行する羽目になってしまった。
「見たぞ、スカイ」
「お前さん、姫君とどういうお知り合いなんだ」
隠居屋敷に野菜を届けにくる農夫たちからは興奮気味に何度も質問されたが、俺にもよく分からない。カルティウスシア姫は何故か俺に対して最初から親しげで、態度も気安いものだが、その理由は俺にも依然として不明だ。そんなことよりも、
「スカイは王女さまのお気に入りだ」
あっという間にそんな噂になってしまったのは閉口だった。お蔭で、ちょっといい仲になりかけていた街の娘に俺はふられてしまった。
話題の人物と知り合いだと軽率に誇る趣味はない。だから王女と逢ったことを俺は誰にも洩らさなかったというのに、隠居屋敷の侍女頭のウーラさんまで、
「カルティウスシア姫はあなたのことを随分とお気に召しているようですね。姫は帰国したばかりだというのに、いったい何処で拝謁の栄誉に浴したのですか」
好奇心のままに俺を呼び止めたほどだ。
それもこれも、前が見えなくなるほど沿道から花びらが投げかけられる中、カルティウスシア姫が後ろにいる俺をちょいちょい振り返り、誰もが見惚れるような笑顔で他愛のない言葉をかけていたからなのだ。目立つから止めて下さい、と俺は必死で訴えていたのだが、カルティウスシア姫は白馬の歩みを遅らせてほとんど俺と並ぶことすらあった。
カティアと呼んで。昔のように。
――昔のように?
魚の小骨のように引っかかることはたまにあったが、帰国したカルティウスシア姫と俺との距離は、お披露目の春祭りを境に、日に日に縮まった。それだけではない。俺を従者に加えて欲しいと姫は兄王に頼んだ。
「しかし、妹カルティウスシアよ」
男装の妹姫を前に、マクセンス青年王は難色を示した。王は、南の国に奪い去られたきり逢うことも叶わなかった幼い妹がすっかり成長して戻ってきたことを大層よろこび、父王を追放した冷酷なマクセンス王にもこのような一面があったのかと誰もが愕くほどに、「カルティウスシアにあれをしてやれ、これをしてやれ」と妹を甘やかしていた。
「カルティウスシア。乗馬が好きならば、白馬一頭だけでは不足だろう」
「わたしはあの子で十分です。兄上」
「よい若駒を取り寄せてやろう」
「今はその話はしておりません。兄上」
「しかしだ、カルティウスシア。その者はどうか」
「名はスカイです」
「スカイは、すでにアリステラ姫に仕えているのだろう」
「兄上、わたしはスカイを是非にと望みます」
すぱっとした物言いで、姫は王に頼んだ。俺は広間の後ろのほうで、手を後ろに組んで脚を少し開いたまま、歳の離れた兄妹のやりとりを見守っていた。
「ご覧のようにわたしは男の子として育ちました。女の子に戻るには、身近に歳の近い男子がいるのが一番の近道かと」
「いや、それはどうか。お前は年頃でもあることだし、カルティウスシア」
「比較対象がいれば、おのれが女子であることを厭でも自覚しましょう。言葉遣いからまずは改める所存です。この件、ルジウス伯はいかが想われますか」
マクセンス王に要望する前に、姫は家臣のルジウス伯に援護を頼んでいた。陪席していたルジウス伯はもちろん姫の肩をもった。
「ご所望なのは朱い蜜蜂の邑出身のスカイですな。調べさせたところ、なかなか気の利くよい若者のようです」
俺がその場にいるのに、まるでいないかのようにルジウス伯は喋った。白髪の目立つ初老のルジウス伯は、孫娘のような姫に対して何でもしてやりたいという気概に溢れており、やけに張り切っていた。
「朱い蜜蜂の邑といえば、カルティウスシア姫が幼少期に過ごされた邑。きっと何かの縁があるのでありましょう」
いいえ。まったく。
「カルティウスシア。従者ならば、そなたが母上の国から連れてきた心強い者たちがいるではないか」
「ザジとコロンバノは、わたしが少年のように振舞うのに慣れております。それではいけません。妹のはじめての我儘をどうかお聞き届け下さい、兄上」
最後の殺し文句が効いたのかどうか。
「考えておく」
マクセンス王は苦い顔をして俺の方を見もせずに返答した。
カルティウスシア姫は白馬に乗って丘を下ってくると、毎日のように俺を隠居屋敷の外に呼び出すようになった。そのたびに仕事を中断することについては、屋敷を取り仕切っている侍女頭のウーラさんが、「王女さまのご用事ならば何においても優先しなければ」と許可を出してくれた。
俺を従者にする件だけでなく、アリステラ姫との対面もカルティウスシア姫は王に願い出た。それは果たされて、正式にカルティウスシア姫が隠居屋敷を訪問する運びとなった。
「ただいま帰国いたしました。アリステラ姫」
それは感動的な再会だった。その場に俺がいて見ていたわけではないが。
「離れていても実の姉上のようにお慕いしておりました」
「わたくしもよ。わたくしの小さなカルティウスシア」
アリステラ姫は戻ってきたカルティウスシア姫を前にして、はらはらと涙を零されたそうだ。十四歳で化石の国に嫁いできてから、想わぬ運命に翻弄されてきたアリステラさまにとっては、カルティウスシア姫と遊んでいた頃が最後の幸福な日々だったのだろう。
俺はというと、遊びにくるカルティウスシア姫にしょっちゅう呼び出されていた。それ自体は、そんなに厭ではなかった。隠居屋敷の生活に不満はなくとも、若い男が毎日同じ場所にいると気分がくさってくるのだ。ウーラさんはそこも承知で、俺を街や城によく遣いに出してくれたし、外にいる兵も非番の日には、狩りや釣りや剣術を俺に教えてくれた。
「お遣いか、スカイ」
「夕方までには戻るよ」
おかげで俺は兵の多くと兄弟分で、隠居屋敷の外に出るのもこの顔があれば足りる。実のところ、隠居屋敷において最も警戒されるのは、若い女の出入りなのだ。何故かというと屋敷に入ったその者が人質のアリステラ姫と入れ替わり、変装した姫が北の国から頼まれた者の手引きで外に逃げてしまうかもしれないからだ。
たいていの日、俺と姫は馬に乗って森の中の泉に行った。
「俺を従者にするその理由を、お伺いしてもよろしいですか」
「これには、深い理由がある」
直接きいてみると、カルティウスシア姫は眼をきらりとさせた。
「マクセンス兄上の『考えておく』は口癖のようなものだから、兄上はわたしの願いを聞き入れて、スカイをわたしの従者にして下さるに違いない。スカイはそれを条件つきで受けて欲しい」
「条件つき。とは」
「隠居屋敷と城を往復して、わたしとアリステラ姫の双方に仕えて欲しい」
「掛け持ちですか」
なんのために。
カルティウスシア姫は革製の筒を俺に投げて寄こした。丸めた手紙を中に入れて運ぶ書簡筒だ。
「実はね、スカイ。北の国のアリステラ姫宛てに、南国臨時特務大使からの手紙を預かっている」
「はあ。南の特務大使ですか」
特務大使とは常駐するのではなく何かあった時に母国と往復する大使のことだな。いや、それよりも。
「もしやこれは王族の方々が用いる書簡筒ではありませんか」
筒は銀細工と宝石で飾られており、見た目からして特別な感じだ。軽率に持ち出していいものではない。
「このようなところで取り出すのは、いけません」
「誰にも見つからなかったらいい」
姫は片目をつぶった。さらに、「スカイ、見てご覧」と書簡筒の上蓋を開けて中身を俺に見せた。
「この書簡筒は、南の国に残られた母上とわたしの為の専用の書簡筒で、勝手に中身を読む者はまずいない」
霊視王を連れて実家のある南の国に帰った后は、愛娘と離れ離れになることを選び、夫を追い出した息子が治める化石の国に戻るつもりはないようだ。
「この中に手紙を隠しておけば、誰にも気づかれることなく、文通が出来る」
筒の中からカルティウスシア姫は、一通の手紙を引っ張り出した。
「こうして、この手紙の上から、わたしや母上の手紙を巻いておけばまず分からない。内側に隠してあったこの手紙、これをアリステラ姫に届けて、スカイ。南の国と化石の国は友好というほどでもないけれど、国交を遮断しているわけでもない。わたしが化石の国に戻ったことで、南の国に残ることを選ばれた母上からの手紙が今後はわたし宛てにしばしば届くことになる。兄上とても、それまでは止めない」
「つまり……?」
「スカイがわたしの従者になって城と隠居屋敷を往復してくれるなら、わたしは母上へ送る手紙の中にアリステラ姫の手紙を同封し、母上から届けられる手紙の中には、南国臨時特務大使イグナツィオからの手紙を入れて、それをスカイを介して誰からも怪しまれずに隠居屋敷のアリステラ姫に届けることが出来る」
「もしや」
ある予感でぞくぞくしてきた。イグナツィオ。
「イグナツィオとはまさか」
「そう」
カルティウスシア姫はこともなげに認めた。書簡筒の中にある手紙の送り主が、泣く子も黙る南の国の大貴族、イグナツィオ・リュ・ゼデミネンだということを。
》Ⅴ
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