第3話 主君・曹操孟徳の登場

 いつの間にか私の部屋に足を踏み入れていた、その人物は。

〝女の部屋に勝手に!〟などと怒るのもはばかられる身分の持ち主。


 部屋奥の窓から差し込む月明かりだけでは、入り口の扉に佇む彼の姿は、まだ確認できないが。


 その声を、私は知っている――前世でも、何度も聞いた。……いや。


(あれ……でもちょっとだけ、違うかな。ここってゲームの世界っていうより、もう本物の世界みたいだし。世界が違えば、声優さんの声、ってワケじゃないだろうし。でも、ああ……似てるな。この綺麗な声……きっと、いや絶対、間違いない)


 不思議な確信が、ある――この勢力において今現在、何処に無断で足を踏み入れようと、恐らく許されるだろう人物。



 曹操孟徳そうそうもうとく――今は亡き郭嘉かくか様の、そして甄氏しんし(私)の、主君だ――



 三国志においては〝乱世らんせい奸雄かんゆう〟と恐れられ、苛烈さで言えば徐州侵攻が有名か、昨今ではえん家を滅ぼしたコトが知られる。

 そうして今、この時代における最大の英傑と呼んで過言ではない――そんな恐るべき人物の言葉は。


『……ぐすっ。す、すまぬ、其方そなたの嘆き悲しむ姿を見ていると、我が心を映すかのようで……思わず、涙が……』


「! い、いえ、そんな……お見苦しく、お恥ずかしい限りです……」


『そんなことは、言わないで欲しい。他者の死を心からいた葬送そうそうの涙が、見苦しいことなどあろうものか。ただ儀礼じみた心無い涙を流す儒者とは、大違いだ。……まあさっきの良く分からない詩か何かの出来は、だいぶアレだったが……』


「ほっといてくれません?」


『ひっ!? す、すいません……』


 私の控えめな憤慨に、乱世の奸雄。

 ……まあその、何というか……。


 シリーズ最終作〝ロード・オブ・三国志Ⅹ〟における曹操孟徳は、シリーズ前作を含む多くの創作、あるいは正史や逸話で知られる苛烈な印象とはかなり異なる、の性格なのだ。


 ……ここで非常に個人的な〝曹操像のこだわり〟について述べさせて頂くと。

〝曹操がただの悪人〟や〝劉備とかにやられるだけの無能キャラ〟な三国志モノは私としてはNGだ。

 滅びかけの漢王朝を一時は再興せしめ、三国志における最大勢力を築き上げた破格の英雄が、ただの悪人や無能なはずがなかろうと小一時間(※ここから述べ数万字に渡るオタ語りが始まりそうなので割愛♡)


 まあとにかく、そういうワケで……この微妙に頼りなさそうな曹操孟徳は、本来なら私的には〝解釈違い〟なんだけど……本来なら、そうなんだけれども。


『……甄氏よ、既に無断で入室しておいて何だが、その尊い命を絶つ前に、話を聞いて欲しい。――失礼するぞ』

「あっ、えっ。ちょ、待っ……」


 慌てて止めようとする私に構わず、彼はゆっくりと、歩み寄ってきて。


 その身を――を、窓から差し込む月光に曝す。


「………くうっ………!?」


 思わず私は、息を呑んでしまう。

 そう、何というか〝ロード・オブ・三国志Ⅹ〟の曹操孟徳は、その……身も蓋もない言い方をしてしまうと。



 ――――めっちゃのだ――――



 青みがかった黒髪は艶やか、奸雄らしからぬ穏やかなまなじりは深い淵を湛え、今も窓から覗く満月のような円い瞳を飾る。


 この御姿を目にした乙女同志たちは、誰もがこう言ったという。

〝イラスト気合、入りすぎやろ……〟と。


 二次元においてすら、多くの乙女プレイヤーの心を撃ち抜いてきた。

 三次元となれば少しは劣化するかと思いきや、真逆――そのアンリアルなまでの美形が現実的な輪郭を得るコトで、こうも悩ましく抗いがたい誘引力を醸すなんて。


 更に言えば声までも良い――こんなん、こんなんもう見た目だけで世を平定し得るじゃん。〝治世の偶像、乱世のアイドル〟じゃん。何言ってんだ私。


 かく言う私も〝解釈違い〟さえ凌駕する好ビジュアルに撃ち抜かれ、三国志君主の中では最推しなのが曹操孟徳。

 むしろ性格は大人しめなのが〝斬新な曹操像〟として〝なんか放っとけない♡〟とシリーズファンの人気を集めているほどだ。何か劉備りゅうびっていうか、いっそ高祖こうそ劉邦りゅうほうっぽい好かれ方な気もするけど、まあそれはそれ。


 しかし、しかしだ――かといって、少し前に郭嘉様を失った私が、そう簡単にオチるなどと! ええい、見くびってもらっちゃ困りますねえ!


「……甄氏よ、聞いてくれ、キミに――」


「っ、ちょっと顔がイイからって、私が簡単にオチるなんて思われちゃ心外なんですからねッ! ふんッ!」


「えええええ!? ちょっと歩み寄っただけで浴びせられる突然の罵声! なにこれ逆に斬新! おれが何かしただろうか、甄氏――!?」


 ……我ながら良く分からないツンデレをかましてしまった私が、こほん、と咳払いしてから、慌てふためく主君へと涙で嗄れた声で言う。


「こほん、ン゛ッ、ゲホッ……も、申し訳ございません。いまだ悲しみが褪せず、心神が衰弱して妙な言動を……どうかお許しくださいませ、ご主君さま」


「あ、ああ、そう。……いや、分かるぞ。おれも奉孝を失い、いまだ方寸(※胸中、心中)にあなが空いているかのようだ。……だが、それでもおれは、その奉孝から頼まれたことを成さねばならぬ」


「……えっ、郭嘉様から? それは、一体……」


「うむ、甄氏よ。奉孝が亡くなる前日――そなたのことを頼む、と後事を託されたのだ」


「!!」


 嗚呼。

 嗚呼、まさか。


 郭嘉様が、私なんかのコトを、死の間際にまで――おもんばかってくれていた、なんて。


 こんな、こんな――三日間、病床にも拘らずストーカーさながら急に通いまくった、謎の大号泣をかます変な女に――!(本当になぁ……)


 彼の死後にまで大号泣をかまし続けて腫れぼったくなった目から、再びモワッと涙の気配がしたものの、どうにか堪えていると。

 眼前の曹操孟徳が、恭しい言葉と、決定的な選択肢を突き付けてきた。


「甄氏よ、今後そなたの面倒は、おれが見ると約束しよう。そこで、キミ本人の意志を問いたい。おれが考えているのは、〝宮中にて内務の仕事に従事する〟……つまり〝女官〟となること。あるいは……〝それ以外〟の道」


「! ……それって……」


 ここで私の前に、二つのルートが、それこそ選択肢の如くに提示された。

 あえて、俗に言うなら。



1.〝女官〟ルート。


 もしくは〝それ以外〟の道―――いわば、それは。


2.〝個人〟ルート。



 この意味を、今後を明確に左右するものとして、私は深く考えねばならない。

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