2 人間じゃない私と、おいしそうなキミ
「じゃあね、倉杉くん。また明日」
「っ!? さ、さささ……」
体育祭のための初めての実行委員会が終わって、鞄を持って隣に座っていた倉杉くんに手を振ると、鳩が豆鉄砲を食ったような顔が返ってきた。
何か言いかけたみたいだけど、声は口の中でもごもごと消えていく。
自分の不甲斐なさを責めるように、ぎゅっと唇を引き結んだ途端、倉杉くんの身体から、ぶわっと陰の気が立ち上った。
あぁんっ、おいしそう……っ! 食べちゃいたい……っ!
崩れそうになる理性を奮い立たせ、ゆるみそうになる顔を隠すようにふいとそっぽを向く。
倉杉くんの陰の気って、ほんとおいしそうで目の毒なんだもん。ついふらふら~って吸い寄せられて、ふれたくなっちゃうんだよね……。
人間みたいに暮らしてるけど、あたしは本当は人間じゃない。『
ヨーロッパには『インキュバス』って種族がいるけど、それとは別物。うちは東洋系の中国由来だし、女性もちゃんといる。
まあ、音が似てるから、もしかしたら遠い親戚かもしれないけど。
名は体をあらわすって言うけど、『陰吸魃』のエネルギー源は人間の『陰の気』だ。しかも、暗くてうじうじしてればしているほどいい。
ふれるだけで『食事』はできるけど、ふれている大きさと時間で摂取量が変わっちゃう。
そんなあたしにとって、
目を隠してしまうほどの長い前髪に、
誰に話しかけられてもとっさに返事ができなくて、どもってしまう癖。
背を丸めて身を縮める姿は、自分を情けなく思っているのがありありとわかって。
あ――っ! もう、そのたびに発される陰の気がほんとおいしそう~っ!
食べたいっ! ぎゅってして思いっきり吸っちゃいたいっ!
好みの陰の気の持ち主なんて、滅多に会えない陰吸魃の前で、あんなに毎日陰の気をもわもわ生み出すなんて、もしかして誘惑してるのっ!?
あたしの理性を崩壊させて、はすはすちゅうちゅうさせたいのっ!?
だから、そんな倉杉くんと同じクラスになれたばかりか、席替えで隣の席になった時には、天にも舞い上がる気持ちだった。
……同時に、理性で耐え忍ぶ苦痛の日々でもあったけど。
だって理想のごちそうが毎日隣でずっとおいしそうな匂いをさせてるんだもんっ!
それを食べずに我慢するなんて何の拷問っ!?
あたしが陰吸魃だと周りにばれるわけにはいかない。
相手にちょっとふれるだけでも少しは陰の気を吸収できるから、人間にばれることなんて、まあないだろうけど……。
何より、倉杉くんに嫌われたら困る。
だから、必死で我慢しなきゃと思ってたんだけど……。
思いついちゃったんだよね……。「おはよ」って挨拶しながら、ぽんって肩を叩くくらいならいけるんじゃない? って。
それで、匂いで感じてるより、実際はマズかったら我慢しやすくなるだろうし、ちょっと試してみるくらいなら大丈夫かなって。
でも、甘かった。甘すぎた。
だって、倉杉くんの気ってば、想像以上においしかったんだもん~っ!
濃厚でコクがあって、後味だって爽やかで……っ!
あんなおいしい陰の気は初めてだった。
一度、あんな極上の気を味わっちゃったらもう我慢なんて無理。
いまのところ、朝に挨拶する時に肩にふれて気を吸うだけで、こらえてるけど……。
今朝、倉杉くんの席を借りた時は、ほんとヤバかった。残り香を吸い込んだだけでうっとりしそうになっちゃって……。
思わず見ちゃった倉杉くんと目があったけど、変な顔をしてなかったよね!?
人の席に座ってうっとりしてる変な奴だと思われたら嫌だよぉ~っ。
でも、運命の女神様のおかげで、せっかく一緒に実行委員になれたんだもんっ! これを機に、気軽にボディタッチできるくらいもっと仲よくなれたらいいなぁ~。
「たっだいま~♪」
これからのことを夢想して、うきうきと自宅の玄関扉を開けたあたしは、たたきに並んだ私立のお嬢様学校指定の靴を見た途端、「うげ」と思わず小さく呟いた。
リビングに行くと、ソファーに座って母さんが出した紅茶を優雅に飲んでいたのは、予想どおり同い年の同族のいとこの
「ごきげんよう。家族旅行でにフランスに行ってきたから、お土産をお持ちしたの」
お嬢様学校の制服に身を包んだ美麗が、つややかな長い黒髪をさらりと揺らして微笑む。
「何かいいことでもあったの?」
「気のせいじゃない?」
玄関から聞こえた声だけで、あたしがご機嫌だと見抜いたらしい。
つん、と顔をそらしたあたしの顔を、美麗が探るように見る。
「だって、日葵ちゃんがそんなにうきうきと声をはずませてるなんて……。学校でおいしそうな陰の気の相手でも見つけたの?」
「っ!? み、美麗には関係ないでしょ!?」
図星を刺されて、思わず焦った声が出てしまう。美麗が舌なめずりするように綺麗な顔を歪めた。
「見つけたのね。いったいどんな子かしら? 気になるわぁ。日葵ちゃんったら、ほんとグルメなんだもの。どんな子? クラスメイトなの?」
「や、やめてよっ! 倉杉くんには手を出さないでっ!」
とっさに言い返してから、内心しまったと思う。案の定、美麗が妖しく目を光らせた。
「へ~。倉杉くんっていうのね」
これ以上、美麗の策に乗るものかと唇を引き結ぶ。
いつもこうだ。美麗には小さい頃から何度も、お気に入りの陰の気の持ち主を横取りされてきた。
あたしが先に見つけても、いつも後からきた美麗が先に親しくなって距離を詰めてしまうのだ。
『陰の気の持ち主はね。私みたいな無害でおとなしそうなタイプが安心するの。日葵ちゃんだって、茶髪じゃなくて、私みたいな清楚系を装えばいいのに』
と美麗は言うけど、あたしは自分の好きなお洒落をしたい。確かに、陰の気は吸いたいけど、そのために 自分を偽るのは違う気がする。
陰吸魃であることを隠して人間のふりをしているだけでも嘘をついているのに、これ以上、偽りを重ねたら、本当のあたしがわからなくなる気がして。
美麗に言っても笑われそうだし、両親に話しても心配されそうだから、こんなこと、誰にも言ったことがないけど。
「美麗はもう、いっぱいおいしいおやつをキープしてるんでしょ!? ウチにまで手を出してこないでよねっ!」
「もうっ、日葵! 美麗ちゃんとけんかしないの! ごめんなさいね。この子、最近学校がほんと楽しいみたいで……」
「母さんっ、余計な話はしないでよねっ!」
美麗に愛想笑いする母さんに釘を刺すと、これ以上、美麗と顔をあわせなくて済むように、あたしは階段を駆け上がって自分の部屋に飛び込んだ。
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