ニセモノの茶碗
よこうひかる
ニセモノの茶碗
颯太は窓の外をぼんやりと見つめていた。舞い上がった落ち葉が風でどこか遠くへ流され、また新しくやってきた枯れ葉が積もっては、次の風で吹き飛ばされていく。
「まだ帰らないのか」
はっとして顔を上げると、先生が不思議そうに顔をのぞき込んでいた。颯太は慌ててランドセルを背負った。
「もう帰ります」
「相変わらずだなあ。そういえば、お店はもう決めたのか?」
駅前の商店街のお店を一つ選び、インタビューをするという社会の宿題が出されていた。
「まだ決めていません」
「発表は来週だぞ。もう今日か明日あたりにお店に行かないと間に合わないからな」
先生は呆れつつ笑って言った。
「すいません」
颯太が頭を掻くと、急に先生は目を細めた。
「ところで、まだ無理に高い声を出しているのか」
颯太は思わず喉元に手を当てた。少し突き出た喉仏の感触が最近の変化をはっきりと告げていた。六年生になってから、地声が低くなってきたのだが、それを認めたくなくて、無理に高い声を出していた。
「やがてみんな声が変わるんだよ。クラスの子たちも少しずつ低くなっているだろう? それに、成長を受け入れて、ありのままの自分と向き合うことも大事だぞ」
「はい」
颯太は手を強く握りながら低い声で答えた。そうするしかなかった。
「低い声は渋くていいと思うよ。もっと自信を持ちなさい」
先生の言葉は何の励ましにもならなかった。声変わりを受け入れられていないのは自分のはずなのに、先生に自分自身を否定されたような気持ちになった。颯太は眉間に寄ったしわを隠すようにお辞儀をすると、うつむいたまま教室を後にした。
学校を出ても心の中の重さは残ったままで、日差しがやけにまぶしかった。家に帰る気にもなれず、颯太はそのまま商店街の方へとぼとぼと足を向けた。魚屋の客引きの声が遠くから響いてくる。中華料理屋からは香ばしい匂いが漂い、通りの人々を引き寄せる。どの店も活気づいていたが、颯太にはその雰囲気が暑苦しかった。
商店街が終わりに近づくころ、颯太はふと足を止めた。目の前にあったのは古びた暖簾が風に揺れているひっそりとした店である。「骨董 茶碗」という文字が辛うじて読み取れた。心の内に高価な宝物に出会えるのではという淡い期待が湧き上がると、引き寄せられるように暖簾をくぐった。
店内は想像よりもはるかに狭かった。隅々まで掃除が行き届いているのか清潔さが感じられたが、建物自体は古く、土埃や木のにおいが鼻につく。店内はひっそりと静まり返っていて人の気配はなかったが、むしろお宝が眠るにはちょうどいい場所かもしれない。
颯太は咳払いをして「すいませーん」と呼びかけたが、声は馬鹿馬鹿しいくらいに裏返った。先生の言葉が頭にこびりつき、どんな声を出せばいいのか分からなくなっていた。
目に涙がにじんだころ、奥の扉がゆっくりと開いた。歩み出てきたのは小柄なおばあさんであった。
「あら、珍しいお客さん。一人で来たの?」
「そうです、でも今日は買いに来たわけじゃなくて……」
なおも声は裏返って言葉に詰まったが、おばあさんは気にも留めず、ゆったりとした口調で続けた。
「買うつもりがなくとも、美術館のように鑑賞するだけで構わないの。それにしても子供のお客さんが来るなんて何年ぶりかしら。最近は骨董に興味を持つ子が減っているから」
颯太は肩の力が抜けた。考えてみれば当たり前の話である。初対面であれば元々の声を知るはずもない。生まれつき少しかすれた高い声の子だと納得してくれるだろうし、声が裏返ったのも緊張していたからだとか、喉の調子がよくないだとか、何かしらの理由をつけているはずである。颯太は気を取り直して高い声で説明をした。
「商店街のお店を一つ選んでインタビューをするという宿題が学校で出されたんです」
「それならぜひ紹介してもらいたいわ。骨董屋というのは何とも面白い場所よ。骨董自体もいいのだけれど、色んな人が来るの。本質を見抜いて骨董そのものを愛している人もいれば、お金のことばかり考えている人もいる。いわば、人間の一番きれいな心と一番きたない心が交差するところ」
颯太はドキっとしておばあさんから目をそらした。
「店内を見てもいいですか」
「もちろんよ。江戸時代の骨董から現代の陶芸家の作品まで、様々な茶碗があるから、満足するまでゆっくり見ていくといいわ」
颯太は並んだ茶碗にさっと目を走らせた。白や黒、茶に緑。ただ色が異なるだけで、どれも同じように見えた。肝心の値札は見当たらない。興味深そうに鑑賞するふりにも飽きてしまい、すぐに本題を切り出した。
「このお店で一番高い茶碗って、いくらするんですか?」
「そうねえ、子供には買えない値段かしら」
曖昧な返事に颯太はいら立った。お宝を探してやろうと意気込んでおばあさんを追い越すと、奥の棚に「模倣品コーナー」と書かれた看板が掲げられているのが分かった。
「これは何ですか」
「それはね、ホンモノそっくりに作った模倣品よ。茶碗は高くて買えないって人も多いから、お土産用としてホンモノに似せた茶碗を私が作っているの。くすんだ色や黄ばみをあえて出して古いものに見せているものもあるのよ。ほら、ホンモノと見分けがつかないでしょ?」
おばあさんは赤みがかった茶碗を手に取り、颯太に差し出した。だが、颯太は茶碗を一瞥すると、吐き捨てるように言った。
「でも、これはニセモノですよね?」
かすれた声が店内に響いた。おばあさんはその言葉に動じることなく、静かに頷いた。
「そうね、ニセモノよ。だけどニセモノでもみんなを喜ばせることができるの。いきなり高価な茶碗を買うのは気が引けるでしょ。でも、安い模倣品ならお土産として持って帰ることができる。それに、模倣品を見ているうちにホンモノが欲しいと思って、また買いに来てくれるかもしれない」
「ニセモノを売って利益を得ているんですよね。それって、いいことなんですか?」
颯太はいつの間にか声を荒げていた。声はさらに高くかすれ、喉に痛みが走る。
「どんな人にも手軽に茶碗の良さや美しさを感じてほしい。それが私にとって最も大切なことなの」
おばあさんの口調は穏やかながらも、確かな自信を含んでいた。おばあさんに放った冷たい言葉が颯太の頭の中をこだまする。高い声を無理に出している自分こそニセモノではないか。喉の痛みが段々と胸の奥深くに沈み込み、重くのしかかった。
颯太の様子を見ていたおばあさんは少し考えてから切り出した。
「ちょっと奥の工房を見てみない? 小さなろくろや窯が置いてあるだけだけど」
颯太は戸惑いながらも頷いた。声を出すことさえためらわれる今、提案を拒否する気力はなかったし、おばあさんの信念の正体を知れそうな気もしていた。
おばあさんがゆっくりと立ち上がって店の奥の扉を開くと、木の壁に囲まれた工房が姿を現した。低めの天井から裸電球がほのかな光を落としている。
おばあさんは中央にある大きな機械に手を添えた。
「このろくろという機械で土をこねて茶碗の形を作るのよ。どう、挑戦してみない?」
颯太は言われるがままに土に手を当てた。手の汗が土に冷やされ、ひんやりとする。ろくろが回り始めると、手を少し動かすだけで土はどんどん崩れてしまった。
颯太は形を整えようと、無意識に力を入れた。しかし、土はその強さに反発するように予想もしない方向へねじれていく。焦りが募ってさらに手の力を強めた瞬間、土はぐにゃりと崩れ、指にべったりとはりついた。
「焦ると土は逃げちゃうんだよ」
そう言っておばあさんは颯太の隣に腰を下ろすと、手際よく土をろくろに乗せた。ろくろの静かな回転音だけが工房の中に穏やかに響いていた。颯太はその音を聞きながら、おばあさんの手の動きに見入った。ほんの少し力を加えたかと思えば、すぐにその力を緩める。まるで孫の乱れた襟をそっと整えるかのように、愛情と手慣れた動きが交じり合っていた。
土はおばあさんに導かれ、徐々に滑らかな円錐形へと姿を変えていった。
「なかなかいいのができたわ」
おばあさんは完成した茶碗を満足げに撫でた。おばあさんの目は真剣で、誠実で、それでいて温かかった。
「土を乾燥させてから、色を出すために釉薬と呼ばれる液体を垂らして何十時間も炭で焼き上げるの。釉薬の調合や焼く温度・時間はそれぞれ職人が何年も試行錯誤してたどり着くものだから、詳しいことはヒミツよ」
ヒミツと言われても颯太の胸に怒りは湧いてこなかった。むしろどれほどの苦労を重ねてきたのだろうかと想像し、敬意を抱いていた。おばあさんの技術や経験や熱意が込められた茶碗は模倣品という名の、ホンモノの作品にしか思えなかった。颯太は何も知らずに非難した自分が恥ずかしくてたまらなくなった。
「あの、実は僕……」颯太は喉に手を当て、言葉を探した。「本当は声変わりしているのに、無理に高い声を出そうとしているんです。ニセモノの声を出し続けているんです」
唐突な話題にもおばあさんは表情を変えず、颯太を見つめた。
「それは辛いことだね。自分の声が変わるというのは、簡単に受け入れられるものではないからね。だけど……」
颯太はうつむいて、「分かっています」とつぶやいた。おばあさんは首を軽く振り、優しい声で続けた。
「いいや、そうではなくて。自分が出したいと思って出す声は、決してニセモノではないわ。それに、たとえニセモノだとしても構わないじゃない。どうしていけないの?」
「ニセモノでもいい……?」
颯太は顔を上げて目を見開いた。
「元の声を出そうとするのは自分の心に向き合おうとしているからだと思うの。私にとってはどんな声で語るかよりも語る内容のほうが興味深いけれど、あなたが高い声で話し続けたいなら、そうすればいい。自分がどうありたいかを決めることが何よりも大切だから」
颯太は自分の中で抑え込んでいた何かが少しずつほどけていく気がした。
「実はね、私はもともと陶芸家をやっていたの」
おばあさんは懐かしむように天井を見上げた。颯太は意外というよりむしろ自然にそうだろうと思った。
「大学生のころに何となく訪ねた美術館で目にした茶碗がとても美しくて、岐阜の陶芸家へ弟子入りしたの。ところが自分の茶碗は月に二つか三つしか売れなくて。もっと多くの人に茶碗の魅力を伝えたいと思ううち、骨董屋を開きながら模倣品を売ることにしたのよ。もちろん最初は本当の自分を隠しているようで迷いがあったわ……」
おばあさんは一瞬言葉を切って、穏やかな表情で続けた。「けれど、ある日気づいたの。大事なのは私が何を伝えたいか、それだけなんだとね」
颯太は黙っていられなくなり、小さな声でつぶやいた。
「もう一度、作品を見せていただけませんか」
「もちろんよ」
おばあさんは嬉しそうに颯太の肩をさすって、再び店内へ案内した。颯太はまっすぐに模倣品コーナーへ向かうと、先ほどおばあさんが紹介してくれた茶碗を手に取った。全体は薄い乳白色をしているが、上の部分は赤みがかっている。
「これは志野茶碗と言うの。ほら、口のあたりが焼けたように赤くなっているでしょう。緋色とも火色とも呼ばれる焼けた赤色こそ一番の特徴よ」
「夕焼け空みたい……」
「そう、まるで夕焼け空を見ているようで、ほんのり切ない気持ちになる。でも、ろうそくに照らされた人肌のような温かさもある。色んな感情を映し出してくれるわ」
颯太はじっとその茶碗を眺めた。少し歪んだ形が手のひらに心地よく馴染む。表面には無数の小さな気泡が浮かんでいる。一つの穴をじっと覗いてみたり、穴と穴を結んでみたり、数を数えてみたりと、まるで星がきらめく夜空のように観察しては、今度は茶碗を朝焼け空にしてみる。そうやって時間を忘れて、時間の変化を楽しんだ。
「とてもきれいな目をしているわね」
おばあさんは嬉しそうにつぶやいた。「実は私が陶芸家を志すきっかけになったのが、まさにこの志野茶碗なの。今あなたが手にしているのが現代の陶芸家の模倣品で、こっちが桃山時代の模倣品よ」
おばあさんが指差した茶碗は、少しこげ茶色がかった赤みを帯びていた。
「時代によって、微妙に表情が変わるのが面白いでしょう」
それから、おばあさんは志野茶碗の歴史について語ってくれた。志野茶碗は安土桃山時代の末期から美濃のあたりで作られるようになったが、江戸時代に入ると技法が途絶えてしまい、昭和時代に荒川豊蔵という陶芸家が再現に成功するまではまったく作られなかったのだという。
「こんなに美しい茶碗でも一度は途絶えてしまったことに驚いたわ。どんなに良いものであっても、伝えようとしない限り伝わらないのね。勝手に伝わるだろうというのは都合のいい思い込み」
黙ってばかりいる自分が急に情けなくなり、颯太はぎゅっと手を握った。
「桃山時代の志野茶碗と現代の志野茶碗、どっちが好き?」
颯太は少し考えてから答えた。
「現代のほうが好きです」
「たしかに色が鮮やかで目を引く力があるものね。でも、面白いことに、渋さや古さの中にしか見つからない美しさもあるのよ。最初はピンとこないかもしれないけど、ある日ふと気づくの。『ああ、これもいいな』ってね」
おばあさんは茶碗を手に取った。
「もしよかったら好きなほうを持って帰る?」
「いいんですか」
「ニセモノでもよければ」
颯太はもう一度ぎゅっと手をにぎると、力を込めて答えた。
「とても素敵な作品だと思います」
そして思い出したようにたずねた。
「あの、お名前は何ですか」
「深澤エミ子よ。陶芸をやっていたときは、志野や豊蔵にちなんで星野豊子と名乗っていたわ。あまり売れなかったから、今振り返ると恥ずかしいけれどね」
おばあさんは照れくさそうに笑った。颯太は深々とお辞儀をして店を後にした。店を出ると風に吹かれて、てのひらが涼しくて、とても気持ちがよかった。
とうとう発表の日を迎えた。自分の番になると颯太は茶碗を持って教壇に立った。クラスメイトが一心に彼を見つめている。
「これから、骨董店とそこで働く深澤さんという女性についてお話しします」
颯太は無理にでも高い声を出そうとしていた。すぐに先生の表情が曇ったが、颯太は先生に訴えかけるように発表を続けた。
「深澤さんは商店街で骨董店を営んでいて、黒楽茶碗と呼ばれる真っ黒の茶碗や、緑色の模様が入った織部茶碗など、様々な茶碗を売っています。店の奥には模倣品コーナーがあり、ホンモノそっくりの茶碗が置かれているんです。そのうちの一つ、志野茶碗の模倣品をいただきました」
颯太はそっと茶碗を取り出して、みんなの前に掲げた。緊張で震える手を茶碗のぬくもりが落ち着かせてくれる。
「模倣品ってことはニセモノじゃねえか」
誰かが口をはさんだ。
「そうです、悪い言い方をすれば……これらはニセモノの茶碗です。しかもそのニセモノの茶碗はすべて深澤さん自身が作っているのです」
クラスメイトたちから少し驚いたような反応が聞こえた。颯太も皆に同意しながら発表を進める。
「はじめは僕もどうしてニセモノを作っているのか分かりませんでした。でも、深澤さんは言っていました。『手軽に買えるようにして、多くの人に茶碗の良さを知ってもらいたい。それが私の願いなの』って。僕はその言葉を聞いて、ホンモノとニセモノの違いについて考えさせられました。大切なのは物そのものの価値じゃなくて、その人がどういう思いを持っているかではないか」
声は上ずっていた。つっかえたり、言い直したりもした。それでも堂々と自分の思いをぶつけた。
「すべて納得できたわけではありません。高い技術を持っているなら、オリジナルの作品を作ればいいのではないかと思う気持ちもあります。でも、深澤さんが教えてくれたのは、自分の信念があるのなら、その思いを貫き通すことも大事だということです」
颯太は茶碗を抱き直し、息を整えた。クラスメイトの表情は読めなかったが、全員が真剣に言葉を待っているのが分かった。
「僕はそのとき、自分の声のことを考えました。僕の声は変わり始めているのに、自分ではなかなか受け止められず、無理に高い声を保とうとしています。そんな自分に嫌気が差していました。でも深澤さんのお話を聞くうちに、ありのままの自分を受け入れることだけでなく、自分の理想を追い求めることもまた、自分らしさを守ることなのではないかと思いました」
教室の窓からは柔らかい光が差し込み、外の木々が穏やかに揺れている。
「だから、僕はみんなの前で高い声で発表することにしました。ニセモノの声だとか、色んな意見があると思います。でも今の僕にとってこの声は大切なものです。これからも自分らしさを守り抜くために自分自身と向き合い続けていきたいと思います」
颯太は最後に深呼吸をし、喉に力を入れた。
「そして深澤さん、いや、星野豊子さんの茶碗を宝物として大切にしていきます」
一瞬の沈黙の後、拍手が教室全体に響き渡った。誰よりも大きな拍手をしていたのは先生であった。
颯太はそっと茶碗を包み込んだ。茶碗の淡い緋色がほんのり輝いた。
ニセモノの茶碗 よこうひかる @hikaruyoko
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