第11話 花見で屋台を
そんなおり、変わった話が舞い込んで来た。
というものだ。
花見が始まると、隅田川の支流のひとつ、八幡川の桜並木の下に屋台がたくさん並ぶ。金持ちは川に船を浮かべて花見をして、夜間には花火まで上がって、おおいに盛り上がる。
与田屋は屋台の設備がないから出店はしないが、毎年、久平が天秤棒を担いで辻売りに出掛けている。花見といえば団子。持って行った団子はあっという間に売れてしまい、団子屋の書き入れ時だった。
小春の団子が販売から二か月が過ぎてかなり有名になっている。
今年は花見を管理する地主の方から「屋台を出してくれないか」と、依頼が来たのだった。
「いい話だが……」
久平は出店に難色を示した。
「はっ?」
でっぷりと太った地主は、予想外の久平の返事に口を閉じるのを忘れたようだ。わざわざ足を運んで与田屋に来て、こんな良い話を断られるとは思わなかったのだろう。
「まさか、断るのか。儲けは大きいぞ」
「しかし、今はそういう余裕がないんで」
今は団子より金策に走らなければならない。それが与田屋の現実だ。借金を文司に返さなければ店を取り上げられてしまう。久平は団子を売ることに情熱が湧かなくなっていた。
小春は、最後には自分を売って金を作るつもりで女郎屋に行った。そういう小春の計画を久平は知らない。小春は自分の身売りを久平が絶対に許さないことを知っていて、だから内緒で身売りをして金だけは久平に届けるつもりでいた。
話を持って来た地主は、
「誤解してるな。儲け話なんだぞ。八幡川の桜並木は一町ほどだが、お前のところでそこを独占していいということだぞ」
「しかし」
「出店の金を取るわけではない」
「しかし」
久平は説明がヘタで、さっきからそれしか言わない。隅田川の支流はいくつかあり、特に八幡川の土手には樹齢の重なった見事な桜並木が連なる。この時代、娯楽が少ないこともあって花見は異様な盛り上がりを見せて、人々は頬の肉と一緒に財布の紐も緩み、飲んで食べてとおおいに散財する。
「そこで団子を売れば人々の話題にもなり、この後の店の経営にも大きく影響するはずだ」
「しかし」
「金を払ってでも出店したい。そう思うのが普通だぞ」
「と申しましても」
「よく聞け、金を取るわけではない。屋台はわしが用意する。お前は団子を作ってそこで売るだけでいい」
「ふーむ」
久平は首を縦には振らない。
そこへ、「いらっしゃいませ」と、団子とお茶をお盆に乗せた小春が入っていった。
「おお、美人の看板娘か。これは目の保養だな」
小春は頬を赤く染めた。しかし、姉の綾と間違えている。看板娘として人気があったのは綾のほうだ。
「どうぞ」
小春は照れくさそうに金次郎の前に団子とお茶を置いた。
「お前の姉さんが病で臥せっているのは聞いている。わしはその姉さんの顔も知っている。お前の名前は小春だな。お前の目元は姉さんによく似ている。二人ともべっぴんさんで、母親似だ」
金次郎は太っていて鈍そうに見えるが、一代で成り上がった商売人だから人の表情の変化に敏感で、小春の困惑の色を読み取ったようだ。
(わたしが母親似?)
小春は母親の顔を知らなかった。
金次郎の美濃屋は、ここからそれほど離れていない場所にある。小春の赤ん坊の頃に死んだ母親のことを金次郎は知っているようだ。小春は母親の面影が自分の中にあることを知って嬉しくなった。
「おとっさん、お話をお受けになったらどうですか」
薄い壁だから話は全部聞こえていた。別に、べっぴんさんと言われて浮かれたわけではないが、小春はそう言った。
「しかしなあ……」
「いいお話じゃないですか」
金策をしなければならないことを小春はもちろん知っているが、団子を売って儲けなければ始まらない。小春は花見の期間は与田屋を閉めて花見の屋台で団子を売ったほうがいいと思った。
小春は、まじまじと金次郎を見た。
金次郎がお茶を飲むとき、太い腕に巻かれた金の数珠がきらりと光った。懐から見える三徳にも金細工の金物が付いている。扇子も金色に光っていて、
(ほんとうだ、金の金次郎さん)
と、小春は妙に感心してしまった。
「心配事でもあるのかね。まさか、反対の西側の土手で屋台を開くつもりか」
「そういう話は来てないが」
久平は、やはり渋い顔をする。
「なら、問題はないだろう」
「しかし……」
もごもご、はっきりしないことを久平が言うので、金次郎は小春のほうを向いて、
「あんたからも、おとっさんに言ってくれ」
と、小春の舌足らずを真似て言った。
小春は久平の考えがわかるから、久平の代わりに話した。
「金次郎さん、とても恥ずかしいことなんですが、この家は借金で困っています。おとっさんは、お団子を売るよりも借金のお願いに走り回るのに忙しいんです。だからお話を受けられないんです」
「借金があるのか」
「はい」
含むところもあった。
店のことをあれこれやるようになり、交渉は真実を最初に伝えなければ始まらないということを小春は学んだ。相手がこちらの事情を悟るまで待っていたら、何度生涯を送っても時間が足りなくなる。駆け引きは真実を伝えたあとに始まる。
「いくらだ? 少しならわしが出してもいい」
(あ……っ!)
小春は雷に打たれたような衝撃を感じた。
もしかしたら……と、期待を込めて借金のことを言ったのだが、あっさりと金次郎は小春が求めたことを言ってくれた。
小春と久平が顔を見合わせる。
借金の話を切り出したとたん、誰もが必ず逃げを打ってきた。金次郎も早々に退散するのかと思ったら、借金のことに首を突っ込んで来た。
「あ、あと、……三十一両です」
小春は震える声で言った。
文司から十六両。
ほかに十両。
そして、新たに新月に五両。
合計で三十一両――。
小春は、真月の取り消し料の五両も忘れずに上乗せした。文司からの借金はあと十六両になっている。
「よし、三十一両だな。その金はわしが出してやる」
「条件はなんですか……?」
小春は緊張して確認した。これでは話が上手すぎる。手練手管でのし上がった商人が一番危険かもしれない。
「べつに、条件なんてない」
「そんなに上手い話があるとはとても信じられません」
小春が言った。久平も隣で大きくうなずいている。相対的なもので、口下手のはずの小春のほうが久平より舌が回るから、二人が一緒だと小春が声帯担当になってしまう。
「いいか、八幡川の土手には両岸に桜並木がある。その東側の土手がわしが毎年管理している側だ。この東側に花見客をたくさん集めて欲しいのだ。団子の屋台は全部で十軒。それを全部、与田屋に仕切って欲しい」
小春たちが思ったよりも、ずっと大きな話だった。
屋台の出店期間は桜が開花してから散るまでの十日間ほど。
花見の最盛期に、大名船が川下から上がってきて船上から花見をする。大名は一万石の
「花見にきた大名船は岸に着けて団子を召しあがる。そこまでが慣習となっている。だから――」
と、金次郎は拳を握って声に力を込めた。
「お船を東側に呼んで欲しい」
「私たちが……?」
小春は話が大き過ぎて手に負えないと思った。どうやって大名を呼ぶというのだ。
「お前たちは団子を売るだけでいい」
「私たちではなんとも致しかねるのでは……。大坂の城代様とは恐れ多いすぎます」
「いや、大坂城代ではなく、大坂城の定番だ」
「でも、お大名なんですよね……?」
「そうだ」
小春は恐れた。そういうものにうっかり庶民が関わらないほうがいい。城代であろうがそれ以外であろうが、大名ならば雲の上の人ということに変わりはない。
金次郎が詳しく教えてくれた。
大坂定番は、
金次郎によると、大坂城代は本流の隅田川を船で上りながら花見をして、大坂定番と大坂加番の二人が、隅田川の支流をそれぞれが同じ日に一斉に花見をするのだという。
「どうだ。譜代のお大名たちが一斉に川を上って船上からお花見をなさるのだ。船上と戦場を掛けているのか知らんが、戦のようで勇ましいだろう。その八幡川の東。わしの管理しているその場所に大名船を呼んでほしい。それがお前たちの仕事だ」
「はい……」
小春と久平は激しく当惑した顔で首を同時に傾げた。たかが町人が大名の行く先を決められるわけがない。
「いいか、聞け」
金次郎はさらに力を込め、
「お船は、毎回賑やかな方にお着きになる」
「はい……」
「お武家のやることだ、わしらからしたら空いてる方がいいように思うが、空いている方は敵に背を向けてしまう。それでは、お武家は縁起が悪くて駄目なようだ。必ず人ごみの岸に着ける。東側に着けたらわしが団子を献上して、わしたちの名誉になる。大坂城代の任期は五年。だからこれは五年に一度だ。前回は西側に着け、この五年、わしは悔しい思いをして暮らしてきた。今回は負けるわけにはいかん」
「ま、まさか……」
小春はそれを聞いて歯の根が合わなくなった。唾をひとつ飲み込み、身体と一緒に震える声で金次郎にたずねた。
「まさか、私たちのお団子を、その偉いお武家様に召しあがっていただくのですか」
「船がこちら側にきたらな。ここのあん入り団子を食べたら、お殿様は仰天しなさるぞ」
なんとも大きな話で小春は頭の中に靄がかかったように思考力が衰えた。
金次郎が管理する東側の土手。
そこで団子をたくさん売って人を集め、ついでに大名船も呼んで欲しいということだ。
大商人が大名のために団子を献上する。
それはきっと名誉なことなのだろう。そういうことなら、三十一両くらい金次郎にとっては惜しくはないのかもしれない。
「自信を持て。お前のところが一番だ」
金次郎は厚いまぶたの瞳を細め、大きくうなずいた。
金次郎は、
「この体でな」
と、肥えたお腹のあたりを太い手で叩き、
「汗をかきつつ江戸中の団子を食べ歩いたのだ」
と言った。与田屋の団子がその中で一番気に入って、だからわざわざ訪ねてお願いに来たのだという。
「仕事が上手くいけば三十一両はわしが出す。貸すのではない。お大名を呼び寄せた報酬が三十一両だ。いいな、やってくれるな」
「わ、わかりました」
久平はここで返事をした。小春も隣で頭を下げた。
本当に良い話だ。
出店費用を求められているわけではない。「上手くいけば」というのが小春は気になったが、もはや金策は手詰まり状態で断る理由がない。それに金策は、屋台を出すことになっても続けられるはずだ。
話が決まり、金次郎が大きな身体を揺すり満足気な顔で与田屋の玄関を出ようとしている。
見送りの小春に、
「団子屋は儲からないと聞いていたが、そんなに借金があったのか」
と、少し情けない顔で言った。
「はい……。そのうちの五両は、真月という女郎屋にしています」
自嘲の笑いと共に小春は言った。
金次郎には意味が伝わらず、
「あっちこっちにな」
と、笑って帰っていった。
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