第9話 夜歩きの理由


 ――カンカンカン……。


 半鐘の音がかすかに聞こえる。夜中にそれが鳴り、その音で小春は目を覚ました。火事は遠くのようで騒ぐほどではない。


(こんなに小さな音で起きるなんて)


 自分で驚いた。

 半鐘の音は、ほんのわずかしか聞こえない。よほど眠りが浅く、神経が深く休まっていなかったのだろう。


 遠くの火事でいちいち起きていては江戸では暮らせない。そのまま目を閉じたら、隣の部屋で久平が動く気配がした。


「おとっさん?」


 声をかけたが返事はない。

 小春は布団から出て久平の様子を見に行った。半鐘の音に反応して横の伝八がやってくるかもしれない。久平は、どうも夜中に散歩をする癖があるようだ。


「ねえ、おとっさん」


 伝八に見つかったら面倒なことになる。小春は襖を開けて久平の部屋に入った。


「いないの?」


 布団にはいない。

 隣の部屋の、ナカのイビキは聞こえた。


 小春は草履を履いて裏から出て、月明かりを頼りに半鐘の音がする方角に歩いた。すぐに自身番所の建物が見えてきた。その屋根の上に火の見櫓がある。櫓に人影があり、おそらく木戸番の佐平が火の見櫓から火事を見ている。火事が近寄ってくるなら、半鐘を鳴らして町に知らせようと監視をしている。


 江戸の町は辻ごとに木戸があり、夜間はそれらが閉められて人の往来が制限される。防犯のためだ。木戸番の番小屋と自身番所がそこにあって、二つの建物が道の両脇にあり、そこに木戸がある。夜間は木戸が閉じられて道が塞がれる。


 小春がそこに行くと木戸がなぜか開いていて、無人の木戸を潜り抜けて小春は辻の向こうに出た。


 そこにも久平はいない。

 小春は久平を探して半鐘の鳴る方角にどんどん歩いていった。

 木戸が閉じていると、


「火事の方角に親戚の家があるんです。寝たきりのお婆さんが居ます」


 と、小春は嘘を言って通った。意外と機転のきく娘だ。閉じている木戸はそのようにして通る。十四歳の娘のことで、押し込みなどやるようには見えないから、別に疑われもせず木戸は通れた。夜間は木戸が閉じられるといっても、木戸番に理由を話せば通して貰える。



 だんだん半鐘の音が大きくなり、火事の現場に近づいた。思ったよりも大きな火事だった。野次馬も含めて多くの人が居た。


 家財を持ちだす者。土蔵に火の粉が入り込まないように目塗りをする左官。延焼を防ぐために家々をぶち壊す火消人足。それらが叫び声を上げて動きまわり、現場は大騒ぎだった。


 その日も寒い日で、上着も羽織らず外に出た小春は凍えそうになって歩いてきたが、火事の勢いが強く汗ばむほどだ。


 やがて、火事見物の野次馬に紛れる久平の姿を発見した。


「おとっさん!」

「――げえっ」


 小春が声をかけると、久平はお化けを見たような顔をして驚いた。


「ど、どうしてお前がここにいる。五町も家から離れてるぞ」

「どうしてって、おとっさんが心配で探しにきたのよ」

「わしを」


 久平は用意が良くて提灯を持っていた。火事場見物の趣味でもあったのかと小春は首を傾げた。火事と喧嘩は江戸の華と言うが、火事で不幸になる人もいるわけで、あまり良い趣味とは言えない。


「前から火事場見物をしていたの? だから伝八の旦那に疑われてるんじゃないの。火事場から帰るところを見られて」

「あいつは誤解してる」

「そうでしょうけど……」


 火事の半鐘が鳴ってから久平は外に出た。だから火付けの犯人ではないことが小春にはわかる。だが、岡っ引に疑われているのに、わざわざ火事の現場に行くのはどうかしている。


「戻ったら、伝八の旦那が家の前に居るかもしれない。そしたら、どう言い訳をするのよ」

「見つからなければいい」

「そういうふうにコソコソしてるのが悪いんです。とにかくもう、帰りましょう」

「先に帰ってろ」

 久平は怖い顔をして小春に言った。

「なぜ? まだ火事を見ていたいの?」

「提灯に火を入れる」

「おとっさん?」


 小春は眉を寄せて久平の顔を覗き込んだ。火事場の火が久平を赤々と照らしている。なるほど、久平が手にしている提灯の火は消えているが、まさか火事場から火を取って提灯に火を入れるつもりだろうか。


「おとっさん、火事の火を提灯に?」

「それしかない」


 久平は思いつめたように言った。

 それしかないことはないだろう。野次馬の中に提灯を持っている者がいくらでもいる。その誰かから火を分けてもらえばいいではないか。


 ふらふらと、燃えている家に久平が近づく。


「だめよ」


 小春は必死にその手を引いた。だが、恐ろしい馬力で久平は炎に近づいてゆく。火の粉を浴びてもまるで久平はひるまない。小春にも火の粉が降りかかった。


「おとっさん、だめ!」


 がらがらと、燃えた二階建てが頭上に崩れてきた。あっ! と思って小春は久平を突き飛ばした。


 二人が倒れて、最初に起き上がった久平。久平は憑かれたように炎に近づいてゆく。


「お、おとっさん!」


 久平の腰を両手で抱える小春。その小春を引きずって久平は炎に進む。

 崩れた家財が道の端まで飛んで燃えている。その炎のところまで久平が行って、燃える家財の切れ端を掴んで後ろに下がった。


「おとっさん、もうやめて」


 小春は泣きながら言った。

 久平はそんな小春に目もくれず、燃える家財を火種にして提灯に火を入れた。ぱっとロウソクに火が灯った。


「や、やった。ついにやったぞ!」


 久平は裂けるように口角を吊り上げて笑った。火事の炎に照らされたその笑顔が恐ろしい。まるで包丁を持った山姥のようだ。何かに取り憑かれているとしか小春には思えない。


「おとっさん、とにかく家に帰りましょう」


 久平の着物を引くと、今度は素直に従って久平は付いてきた。しばらく歩いて、火事の喧騒から離れた道で久平を見ると、気味の悪い笑顔は消えて変った様子はなかった。久平は大切そうに提灯を吊り下げた棒を両手で持っている。


「ねえ、月があるから大丈夫でしたよ。提灯がなくても」


 久平の様子を確かめるために小春は言葉をかけた。


「いや、ちがうんだ」

「なにが?」

「実は、火事の火が欲しかったんだ」

「どうして?」

「この火を火種にするのだ。この火で団子を焼く」

「まさか……」


 小春は思った。久平はボケてしまった……。


「驚かせたな。実は、与田屋の団子を焼く火は火事場から持ってきた火だ。これは本当だぞ。代々守ってきたその火を、わしがうっかり絶やしてしまった。だから代わりの火が必要だったんだ」


 その訳を聞いても小春には少しも理解できなかった。


「よく、わかりません……」

「団子を焼くための火」

「だったら、今まではどんな火を使っていたの?」

「こっそり、火打ちで点けた火を使っていた」

「それでいいと思いますけど」

「うちはそれではだめなんだ……。今まで話さなかったが本当なんだぞ。口外禁止の与田屋の主だけの秘密だ。火は火事の火を使う」

「本当のこと?」


 小春は呆れた。

 なんでも伝統を大切にして、それは良いことだと思うが、火事場から持ってきた火で団子を焼くなど正気とは思えない。だから自分にも内緒だったのではないか。もしもお客さんが聞いたら気持ち悪がるだろう。


「代々、店の主がこの秘密を受け継いできた。お前は跡取りだから秘密を話した。まあ、現場を見られたしな」

「火事の火でお団子を焼かないとだめなの?」

「うちはな」

「そういうの、やめたらだめ?」

「何を言う。ご先祖様が考えた方法だ。火の持っている力が違うんだぞ。その力が団子の味を良くする」

「でも……」

「実は、わしが絶やしたのは八百屋おしちの火だったんだぞ」

「お七の……?」

「お前も知ってるだろ」

「みんな、知っています」


 もう百年以上前の火事で、「八百屋お七の火事」と言って、芝居にもなっている有名な火事がある。


 天和てんなの大火――。


 駒込こまごめ大円寺だいえんじから出火して、死者三千人以上が出た。

 火事から逃げることができても家を失った人がたくさんいて、お七という娘もその中の一人だった。


 お七はそのとき十六歳。

 寺でしばらく避難生活を送っていて、実家の八百屋が再建されたので家に帰ったのだが、お七は避難先の寺の小姓に惚れて、もう一度火事が起これば、あの寺小姓に会えるかもしれない。そう考えて新築された自宅に火をつけた。しかし、お七は放火犯として捕縛され、火炙りの刑に処せられて死んだ。



「ほんとうに、お店で使っていたのはお七の火だったの?」

「そう伝わっている。お七のつけた火だと」

「嘘ですよ」


 お七が焼け出されたのは大火だったが、お七がつけた火は、ぼや騒ぎで終わったと伝わっている。ぼやの火を持って来られるだろうか……。江戸は火事が多いから、今日のようにどこかの火事で火を拾ってくることは出来ただろうが、百年以上も火を絶やさず、それが有名なお七の火など、眉唾ものでとても信じることができない。


「わしは、ご先祖様の火を絶やした罪に震える毎日だった。だが、かわりの火がようやく手に入った」

「さっき取ってきた火が?」

「悪いが、お前の代になっても、これをお七の火として次の代に伝えてくれ。与田屋の主のみの秘密だぞ」

「だから、おとっさんは元気がなかったのね」

「死んで詫びるしかないと思っていた」

「やめて」


 軽々と死の話をして欲しくない。


「おとっさん、私も伝統は大切だと思うから、もう何も言いません。でも、危ないことはやめてください」

「火が手に入ったからもう大丈夫。いいな、お前の代になっても、この火をお七の火だと思って守ってくれ。お七の好物は団子だったんだ。縁起かつぎだと思って」


 むしろ、縁起が悪い気がする……。

 小春は、種火を絶やさないように延々と伝統の火を受け継ぐ店というのを聞いたことがある。火打石で火をつけるのはコツが必要で、小春は上手く出来ない。火打ちの労を省くためにそういう伝統が出来た。火を受け継ぐのは、そのくらいの意味だと思っていた。


「わかったな」

「はい」


 小春は軽く返事をした。

 だが、いつか自分の代になれば、もうこれは伝えないようにしようと思った。


 昔、お七という娘が放火で捕まって処刑された話は本当のようだが、犯人が十六歳の娘ということで舞台のネタとして脚色され、お七が寺小姓に恋をしたというが、それが創作なのか実話なのかさえもわからなくなっている。本当にお七の火だったとしても、久平がそれを絶やしてしまった。久平の前の代でも絶やすことがあったかもしれず、そういう馬鹿な伝統を受け継いでも意味がないと小春は思った。おそらく、お七が舞台ネタとして有名になって、誰かがついた嘘を間に受けてこれが受け継がれてしまったのではないだろうか。だから、いつか誰かがその馬鹿げた伝統を止めなければならない。



 小春たちが与田屋のある矢田町やだちょうの木戸に戻ってくると、木戸が閉じられていた。


 火事はすでに収まったようで、木戸番の佐平は火の見櫓から降りていた。佐平は木戸の前に六尺棒を持って立っている。


「なんだ団子屋、外に出ていたのか」


 眠そうな顔で佐平が言った。

「ああ。親子で火事見物をしてきたよ」

 久平がそう言うと、


「そりゃあ、だいぶいい趣味だな」


 と笑って、佐平は木戸を開けてくれた。


「横の伝八さんは来ましたか?」


 木戸をくぐって小春が訊いた。


「来たよ。火事があると、あの旦那は必ずここに来るな。なにかを探っているようだ」

「来てるのね……」

「どうかしたね」

「私たちが外に出たことを内緒にしてくれませんか」

「いいよ。わしは矢田町の町人の味方だ。あんたらが強盗や人殺しでも匿ってやる。今日は何人殺めてきたんだね」

「お爺ちゃんたら」

「わははっ」


 佐平が、ほとんど歯の残っていない口を開けて笑った。


 木戸番は棒を持たぬと転ぶたち


 という当時の川柳がある。

 木戸番はだいたいが年寄りだ。六尺棒を持って勇ましいが、それが杖に見えると皮肉っている。老人が門番ということだが、治安がいいからそれで問題は起こらなかった。


 この闇の奥に伝八が潜んでいると思うと、小春は笑う気分になれなかった。久平と小春の二人が路地裏を抜ける。


 土地勘があるから暗くても手探りで歩けるが、せっかく火事場から手に入れた提灯の明かりを消すわけにはいかず、かなり目立つ。裏口から家に入ろうとしたら、


「おい」


 と、伝八に皴枯れた声で呼び止められた。


「どこへ行っていた」

「火事場から火を持って来たんです」


 と、小春が答えた。


「火ってぇのはなんだ」

「この火です」

「提灯か」

「この火、火事場から取ってきたんです。これで、お団子を焼くんです」


 小春はにこやかに言った。

 真実を言わなければ、ますます火付けの犯人だと疑われてしまう。久平など、火事場の火をいじったから手が真っ黒だ。小春はこれをどう伝八に説明していいかわからない。この場で縄を掛けられてしょっぴかれてしまうかもしれず、本当のことを言うしかないと思った。


「ふざけるな。そんな馬鹿な話があるけぇ」


 伝八は信じなかった。火事の火で団子は焼く……。誰であっても信じられないだろう。


「ほんとうです。家のお団子は、全部が火事の火を火種にして焼いたものなんです」

「そんな気持ちの悪いものを食わしていたのか」

「だから内緒だったんです。こうしないと、美味しいお団子にならないんです。団子屋はみんなそうなんです。内緒だけど親分さんにだけ特別に教えて差し上げました」


 小春は伝八が納得してくれたらそれでいい。と、適当なことを並べた。久平も小春の趣旨がわかったのか、横で相槌を打って小春の援護をする。


「そうなのけぇ」


 素っ頓狂な声を伝八は上げた。


「するってぇと、おとっつぁんの方は、だから火事場へ出かけていたのか」

「へい、そういうことなんで」

 久平は神妙な顔でうなずいた。

「間違いないか」

「へい」

「たしかによぉ、そういう理由なら火事が起こるたびに出掛けるおめぇの説明はつく」

「そういうことだったんで」

「さっきもよぉ、裏道からこそこそ帰ってきたのに、どうして提灯を消さねぇのかって不思議に思っていた」

「親分さん、本当です」


 小春も真面目な顔でうったえる。


「だから二人で火事場に行ったんです。火種を絶やしてしまったら、火事場から火を取ってくるしかないんです」

「まあ、かもしれねぇな」


 伝八は、がっかりしたように首を横に振って深い溜息を吐いた。しつこく張っていた下手人きゃくは見当違いだった。


「火事の火か……。もう団子は食えねえな」

「取れたての火で焼いた団子を食べてみます? 癖になりますよ」


 疑いが晴れた安堵感で、小春はつい軽口を言った。元々、冗談が好きな娘だ。


「ほら、生き生きしてる」


 小春が提灯を大切そうに抱えて差し出し、上から火を覗くように伝八にうながした。


「ほらほら、見てください」

「よせよ」

 小春の計算通りなのだが、提灯を顔の側で抱えて、下からの火に照らされた小春の顔が怖い。

「ほらほら~」

「よせって。その火で人死にがあったかもしれねぇんだぞ」


 伝八は顔をしかめて後ずさり。


「本当は、私もこういうことは止めたいんです」


 これは本心だ。


「がっかりだぜ」


 捨て台詞を残して、伝八は闇に消えていったのだった。

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