第6話 小春の特訓
その日、暗いうちに小春は家を出た。
樟蔭寺の綾のところに墓参りにいこう――。
そう思い、小春は団子を三本包んで風呂敷に入れた。お供え用だ。
(姉さん、文司さんのように団子を嫌がるかな?)
と思ったが、そういう想像をすると、綾の表情が頭に浮かんで、息遣いや体温まで感じるようで嬉しくなった。
綾の墓参りには、その死を伏せているために小春くらいしか行かない。久平は綾の死が納得できないようで墓参りにはほとんど行かず、
(姉さんが寂しがってる)
と、そう思い、小春はよく行った。
それにしても、お供えというのは良いものだ。と、小春は思う。亡くなった人にはもう何もしてやれない。そう思っていたのに、亡くなった人の好きだった食べ物を作ったり、好きだった花などを買ってきたりしてお供えをして、束の間だが、向こうに行った人を身近に感じることができる。
今日は団子を持っていく。風呂敷を広げ、それを団子の片が崩れないように丁寧に包んだ。
この時代、荷物は自分の足で運ぶのが基本であり、ほとんどの通行人が何かしらの荷物を運んでいる。この国には不思議なことにバッグという皮や布を縫って作った入れ物が育たなかった。なぜだろうか。徳川幕府という変化を好まない政権が長く君臨したためかもしれない。奇抜すぎる発明品は世が乱れ、徳川の治世が揺れる元凶になると危惧した。変化を好まない社会風景が日常化していて、発明品というものを嫌う風潮があった。荷車はあるのに欧米では当たり前の馬車はないし、運動するための靴もなく、足の下には藁を編んだ粗末なものを、原始の時代から江戸時代まで履いていた。発明する能力がないのではなく、変化を恐れる政権が二百年以上この国に君臨していたためではないか。だからバッグすらない。ただ、バッグの代わりになる風呂敷の包み方は工夫され尽くし、何を持ち歩くにも不便を感じなかった。
冬のことで夜が明けるのが遅く、小春はほとんど月の明かりを頼りに墓参りを済ませた。ひとつには、文司に後を付けられるのを恐れたからだ。文司には、そういうことをしかねない危うさを感じていて、小春は警戒していた。
そして夜が明ける頃、家の近くの隅田川の土手まで戻ってきた。
(発声練習をしよう)
そう思った。
身が縮みそうになるくらい寒いが、視界いっぱいに広がる霜のかかった土手の道には誰も居ない。静寂が広がる霜の道。土手の道は、まるで意識がはっきりとしたまま夢の続きの道を歩くような楽しさを感じた。小春はたまに早めに起きて、ここで呼び込みの練習をしている。なにより、広々としたところが気持ち良くて気晴らしになった。
「いらっしゃいませ、お団子はどうですか。おいしいお団子ですよ」
白い息が伸びて声もしっかり伸びる。だが、練習ではできるのに、店の前に立つと声が出なくなってしまう。
(歌にしてみたらどうかしら)
そう思って、
「いらっしゃいませ~、おいしいお団子ですよ~」
と、節を付けて歌うように言ってみた。
「おいしいおいしいお団子ですよ~」
そうやって、白い息を吐きつつ練習していたら、
「僕が客だと思ってやってみて」
と、いきなり背後から声がかかった。ぎょっとして振り返る。そこに、文司が天から降り立ったような意外さで立っていた。
「ひゃっ?」
小春は熟れたホウズキのように一瞬で顔を赤く染めた。どういう事態か呑み込めず、まだ夢の中なの? と思ってしまった。
「僕が客で、君は店先の間抜けな団子売り。そういう設定ね」
「文司さん……」
「さあ、やってみて」
かなわない。と思った。
これは恥ずかしい。誰も居ない土手の道。誰も見ていないからできる練習だった。人の気持ちを少しでも想像できるなら、見なかったふりでどこかへ行ってほしい。
「いいからやってみて。恥ずかしがってもしょうがない。僕、さっきからそこの木の陰で見ていたし」
さっきからこっそり練習を見ていたようで、小春の不器用さを見かねて出てきたようだ。
「さっきからですか……」
消えそうな声で小春は言った。歌うように発声練習をしていた。その続きなど恥ずかしくて出来るわけがない。
「大丈夫。君のことは何でも知ってるよ。昨日もここで練習してたよね。僕はその一部始終を見ていた」
「そんなのうそです」
「うそじゃない。綾さんの居所がわかると思って、たまに君を付けてるんだよ」
「わたしを?」
「だが、綾さんのところにはちっとも行かない。いいからやってみて。一人で練習してたって何も変わらないから」
「でも……」
小春は下を向いた。ここで発声練習をすることを知っているようだが、暗いうちに綾の墓参りに行ったことまでは知らないようだった。文司は少し前にここに来ただけだ。
小春は唇を結んで顔を上げた。
自分の欠点を直したい。
文司は霜をサクサクと踏み壊しながら土手の道の向こうに下がり、そこから歩いてきた。ここが与田屋の店先で、文司は通行人。そういう設定のようだ。文司はそっぽを向いて、わざとらしい口笛を吹いてこちらにやってくる。文司に団子を売り込めばいいのだろうか。
「お、お団子はどうですか?」
やってきた文司に声をかけたら、文司はそっぽを向いたまま小春の前を通り過ぎた。そして向こうまで歩いて、踵を返してこちらにまたやってきた。
「あ、あの……。お団子を買ってください」
文司は小春を無視して通り過ぎた。声が小さいのが気に入らないのだろう。向こうまで行って、回転してまたこちらにやってくる。
「お団子!」
小春は両こぶしを胸の前で握り、やぶれかぶれで大声を出した。それで、ようやく文司が立ち止まってくれた。
「うるせえな」
「お団子!」
ちょっと、ヤケになって声を出した。小春は思った。もしかしたら本当に夢の中にいるのかもしれないし、夢の中でも発声練習はできる。
「なんだよ、こちとら急いでんだよ」
「ど、どちらへ行かれるんですか」
「あずま庵に団子を買いに行く」
文司の団子屋のことだ。
「お団子を? なら、もうお団子はいりませんよね。行ってらっしゃい」
「ば、ばか!」
文司はまた向こうへ行ってやりなおし、そこで、
「おーい! むりやりにでも団子を売れーっ!」
と、大声の見本なのか、雷が轟くように叫んだ。
文司がまたポクポク歩いてくる。今度はなぜか小春の瞳をじっと見つめて向かってきた。
「お、美味しいお団子はどうですか?」
目を逸らすと怒られると思って、小春は目を見開いて文司の瞳を離さないで言った。頬を赤くして、必死に文司の瞳を見つめ続ける。
「おい、その団子は本当に旨いのか?」
「もちろんです。……あの、江戸で一番です」
「江戸で一番はあずま庵の団子だ。俺はあずまの団子しか食わないよ」
「でも、うちのが一番だと思います」
「どんなところが」
「あの、味です。味が一番です」
「どんな味?」
「あの、あの……。とってもおいしいんです。おいしい味です」
こうなるとただの雑談で、にわか狂言のようでもあるが、文司はなるべく多くのことを小春に言わせようと工夫しているようで、根気よく小春に返事を返した。
「だから、一番はあずま庵の団子だよ。お前、あずま庵の団子を食ったことがあるのか。食った上で、あずま庵の団子より与田屋の団子の方が旨いって言ってンのか」
「あずま庵のお団子は食べたことがありません……」
「食ってみたいか?」
「はい」
「なら、付いてこい」
「はい」
背を向けた文司のあとを、糸で引かれるように小走りに小春が付いてゆく。
「ばか!」
無邪気に付いてきた小春を文司が叱った。
「それなら、あずまの団子が君に売れてしまうだろ」
「は、はい」
「売り込みは、ひたすら押しまくるんだ。相手に合わせず、自分勝手なことでいいから、しゃべりまくって押して押して押す。いいね」
「……はい。でも、あずまのお団子の味を、私はずっと気になってました。食べてみたいです」
「今度さ、持っていってやる。よし、もう一回やってみよう」
「はい!」
元の位置に小春が走った。
そうやって文司相手にしばらく団子を売る練習をしていたら、幼い頃の記憶が蘇ってきた。幼い頃、手習いの待ち時間に、文司がこうやって遊んでくれたことがある。
物売りの真似が文司は得意だった。
屋台の親父の呼び込みを真似て、それを見て大笑いするまわりの子供にも演技を求め、相手が真剣に客の真似をしなければ血相を変えて怒った。
「遊びでもまじめにやれ!」
と、小春も童女時代に叱られたことがある。あの頃から、文司はどこか芝居がかっていた。どうしてあんなに真剣だったのか……? 小春の勝手な想像だが、
(文司さんは、役者さんになりたかったのかも)
と、そんなことを思った。
「よし、今日はもうやめよう。君は店の仕込みがあるんでしょ」
「仕込み、私はやりません」
「親父さんの仕事なんだ」
「それと、ナカさんがやっています」
「ふーん」
少し考えるような仕草で沈黙して、文司がとんでもないことを言った。
「あの侍の後を付けてみた」
「どういうことですか?」
「あの侍のこと、君も気になるでしょ。どうして毎日団子を百本も買うのか。そもそも、どうして与田屋の団子なのさ。あずま庵の方がずっと美味しいのに」
「家が近いとか?」
「それも含めて気になって」
「はい……」
勿体つけて文司が語るから、つい小春も気になる素振りをしたが、実は小春は団子百本の侍の素性は気にならない。接待のお役目なのだ。と、ナカが言っていて、それでいいではないかと思っている。
「僕が気になるのはこういうこと。百本も団子が欲しいなら、団子屋に納品させればいいってことだよ」
「それは、私も少し思いますけど……」
「僕の店にはそういう得意先が何件もある。どうして自分で団子を百本も買いにくるの。納得できる説明をして欲しいね」
「本当に、あの人の後を付けたんですか?」
「うん」
相手は侍だ。もしも発覚すれば斬られてしまうではないか。そのように小春は思って言ったら、
「まさか」
と、文司は噴き出した。
「そんなことあるわけはないけど、ばれたくはなかった。少し距離を取ってあの侍の後を付いていったんだよ。そしたら、
「よかったです」
「よくはない」
「文司さんが斬られなくて」
「君、本の見過ぎだよ」
小春は思った。もしも気になるなら、本人にどうして百本の団子が必要なのか聞けばいいのだ。そういう危ないことをする必要はない。
「見失ったのは、あのへんの屋敷に入ったってこと。藪字といえば大きな旗本屋敷が連なる場所だよ。あの侍、旗本だよ。それに君の所から離れすぎてる。やっぱり、綾さんが目当てで団子を買ってるんだよ。それはもう確定的」
「はい……」
小春は頷いてみせたが、文司が団子百本の侍の後を付けてみたのが本当で、どこかの立派な旗本屋敷に姿が消えたのが本当であったとしても、何もわかったことがないではないか。と思った。立派な屋敷に消えたとしても、そこが団子百本の侍の家であるとは限らない。団子を遠くから与田屋に購入に来ているのは、与田屋の味を気に入ってくれたからと小春は思いたい。
「だから、油断したらいけないよ。あの侍、旗本の可能性が高くて危険だ。綾さんを嫁にくれ。と、いつかあの侍が言ってくるけど、普通に断ればいいから。曖昧に返事などせずに」
これが文司は言いたかったようだ。
旗本なら危険の意味が小春にはわからない。首を少し傾げつつ頷いて、
「わかりました」
と、返事をしておいた。身分が低ければ本気の恋愛かもしれないが、旗本の御曹司ならば遊びの相手探しで危険ということなのか。いずれにしても、綾はすでに亡くなっている。文司は綾のことが好きで、好き過ぎて危険をおかして侍の後まで付けて、真実を告げたら、どう文司が落ち込むだろう。そう思って小春は辛くなった。
隅田川の土手から帰宅するとき、文司が家まで付いて来た。
「おとっつぁん、居るね」
と、いきなり店の腰障子を開けて中に入った。腰障子は下の半分が板張りで、上側が障子で出来たものだ。
団子
与田屋
と、障子に大きく墨書してある。
小春も続いて店に入った。
与田屋の店内は、つんとする炭火の匂いがする。白い靄のように煙が薄くかかり、その中で団子を焼く久平。その久平の前に文司がつかつか進んで立ち、懐から白い物を取り出した。
――金、二十両なり。
と、そこに書かれてある証文だ。久平の印も押してある。
「それは……?」
久平は作業を止めてそれを受け取り、目を近づけて読んだ。文司が証文の説明をする。
「久平さんが僕の親父から借りたのは十両。でも、返済するのは二十両だよ。これが本物の証文だからね」
「本物というと?」
久平は首を傾げた。
小春も気になって久平の背後にまわって証文を覗き込んだ。どうやら、文司にしている借金は二十両らしい。
(偽物じゃないの?)
と、小春は眉を寄せた。
文司のところの借金は十両のはずが、これでは二倍になってしまう。
小春の一番の悩みは家の借金のこと……。
だから借金のことについて色々と久平に聞いて知っている。
借金をしたのは十年前。
文司の父親の
伊五郎と久平は同門。二人の仲は良好で、そういう縁があったから、都合よくそう解釈する気持ちが久平にはあった。しかし、現実が目の前の証文にある。
「久平さん、これが本物の証文だよ。さあ、二十両。耳を揃えて返してもらおうか」
「しかし……」
久平は押し黙った。ない袖は振れない。
小春も同様に黙って、ちらりと久平の表情をうかがった。久平は、その薄いまぶたを落とし、気の抜けた顔をしていて、その気持ちが小春には想像できた。
今まで文司の先代から借金返済を要求されず、金利の請求もまったくされなかった。だから、「倍でもしょうがない……」と、久平は内心で思ってしまっているのだ。最近、文司が言い出した月に一両の金利も、だから久平は文句のひとつも言わなかった。
「わかった? 久平さんがうちにしている本当の借金は二十両。証文がちゃんとあるからね。この店の価値は十両。この店を取り上げて、足りない十両は小春を女郎屋に売って作るしかない」
「そ、そんなばかな!」
久平は急に声を荒げ、やにわに立ち上がって文司に掴みかかった。焼いていた団子が炭火の中に落ち、掛けてあった薬缶が転がった。灰神楽が勢いよく立ち上がる。
「おとっさん」
小春は久平に抱き付いて止めに入った。小春がしがみついて落ちつかせ、久平は元の場所に座ったが、荒い息で肩がいつまでも静まらない。顔をくしゃくしゃにして涙が切れている。
(おどろいた……)
小春は瞳を丸くした。こんなに取り乱した父親を見たことがない。
綾が亡くなり、久平から笑顔が消えた。食は細くなり覇気のない虚ろな表情で前にも増して静かな人になっている。白髪も急に増えたようだ。その久平が「小春を女郎屋に」という言葉に珠が破裂するように反応した。
「ふん……。残念だが、馬鹿でも夢でもない」
文司は冷静に事実を伝えた。
「嫌なら金を払うしかない。だがさいわい、別の方法もある」
「文司さん?」
小春は泣きそうな顔で文司の整った顔を見上げた。綾さんと夫婦に――。そう前から言っていたが、どこかに余裕を含んだ冗談のようなものを感じていた。ところが、店に入るなり文司は、魔物に取り憑かれたかのような恐ろしい形相になっている。
「僕が綾さんと夫婦になる……。そうすれば、ここの人は義理の家族。そう思って今まで遠慮をしてたけど、僕はもう我慢できない」
久平が、また証文を確認して言った。
「そうだったな……。たしかにこの証文は本物だ。そういう話だったのを思い出した。だが、返済期限まで、あと三月あるはずだ」
今まで文司が借金十両のように言っていたのは、もしも与田屋に十両を返済されたときのために伏せていたのだろう。文司が十両と今まで言っていたのはそういう戦略だった。与田屋が十両でも払えないことを確信して、心を折るために二十両の証文を見せにきたのだ。
「いいか」
と、文司は土間から足を上げて板の間を踏んだ。
「返してもらうのは二十両。期限はあと三月。金が出来なければ店は貰う。家財はすべて売り、小春は女郎屋に売る」
小春はそれを聞いて目眩いで倒れそうになった。
さきほど、隅田川の土手で発声練習に付き合ってくれた文司とまるで別人だ。肩を怒らせ、角の生えた恐ろしい顔で、
「金を払え!」
と、まくし立てる。
綾と一緒になりたくて、文司は怖い借金取りの演技をしている……。小春はそのように思い始めていたのに、目の前の文司は、とても演技とは思えない。
「わかったな。綾さんにも相談しろ。別にここの家の人が憎くて言ってるわけじゃない。借金をしたのは久平さん、あんただ。借りた金は返さなければならない。だが、綾さんが僕のところに来たら、この家の人は僕の家族になる。家族から借金は取らない。それどころか、ほかにしている借金も僕が返してやる」
「はあ……」
久平はうなだれて押し黙った。
小春は胸の前で両手を握りしめて考えている。本当のことを言うべきか……。
綾はすでに亡くなっている。
綾の死を隠したために、ややこしいことになってしまった。真実を言うしかないのだが、しかし、言ったところで借金は変わらない。綾の死を伝えれば、文司の怒りがどう爆発するかわからない。すぐに店は取られ、自分は売りに出されるかもしれない。
「色気づきくさりやがって……」
部屋の隅で黙々と団子の仕込みをしていたナカが言った。さっきから、すぐそばに座って、違う時間軸の中を生きているかのように作業をしていた。
「いいか、文司さん。力づくでも思い通りにならんことは世の中にはたあんとある。大人になるというのは、分別が付くようになるということじゃ。文司さんも、分別がつく立派な大人にならんといかんよ」
「死にぞこないの婆さん、あんたに何がわかる」
「年寄りだからこそわかることもある」
「あんたが代わりに金を返すのか? 返せないなら黙ってろ」
「ふん……」
「また来る」
文司はそれで帰った。
小春は外まで文司を見送ったが、文司は何も言わず、小春に目を合わせなかった。文司は店を出るとき、気が立っている様子はなく、風呂上がりのような脱力のある顔をしていた。小春はそれを見て思った。伝えることは伝えたという達成感なのだろう。あとは時間が過ぎれば答えを出してくれる。どう考えても、綾と夫婦になれるとしか思えない。まさか店がなくなる上に、小春を売りに出してまで綾を隠さないはずだ。そのように文司は思っているのだ。
あたらしいお団子はじめました
つぶあん団子
小春は、そう墨書して店の前に掲げた。団子の見た目は普通で、四つの白玉の上に粒あんが乗っている。そして、白玉の中にもあんが潜んでいる。
団子の値段は悩んだすえに六文とした。
とても悩んだ。
文司は八文で売るように言ったが、それは高すぎる。
一日に千本の団子を売る計画が、借金が実は合計で三十両だったことがわかり、生活費を切り詰めても、一日あたり千三百本を売らなければならない計算になった。
文司に借金倍額を告げられても小春は腐らなかった。
一日、千三百本を売る――。
だが、値段を上げて客に敬遠されるのも心配で、ぎりぎりの値段設定にした。六文で売ると、他の団子より少し儲かり、純利益は二文になる。最初、あん入の団子も四文で売ろうとしたが、改めて計算すると原価だけで四文になって、それはあきらめるしかなかった。
団子の名前は、
――つぶあん団子
にした。
元から売っていたのが「こしあんの団子」で、区別さえつけば名前など何でもいい。
与田屋のこしあん団子は白玉の上にこしあんを乗せた普通の物だが、新しいつぶあん団子は、見た目で言えば乗っているのが粒あんになっただけ。それなのに値段は六文。こしあん団子よりも高い。
「粒あんになっただけで値上がりか」
当然、客はそう思った。
「お団子に……、工夫がしてあるんです……」
顔を赤くしながらも必死に小春は説明した。特訓が足りないのか、語尾はまだ萎んでいる。
「粒あんの方が安いだろ。三文だな」
「そんなぁ……。これ、とても美味しいんですよ」
「まあ、やめとくわ」
そうやって敬遠する客も多かった。
小春にしたら心外だった。実は粒あんは、小豆をすりつぶさず、豆の形を保つから混ぜ物などのごまかしが利かない。だから、こしあんよりも粒あんのほうが高いのが普通だ。しかし、そういう説明を客にする話術が小春にはない。
逆に六文という高さに興味を引かれて買ってみる客もいた。
「こりゃあいい!」
と、食べた客には評判が良かった。
小春の作戦が当たった。
すぐに「つぶあん団子は」は店で一番人気となった。
あんを白玉の中に仕込んだことはサプライズ演出で、だからわざわざ「つぶあん団子」と名乗って、中にあんが仕込んであることを隠した。
この団子は食感がとくに良い。
小豆は形が出るから良いものを使い、砂糖もこしあん団子より多く入れてある。
さらに石田少年を見習って、最初に出すのはぬるくて薄いお茶。次に出すのは濃い目の熱いお茶。最後に出すのは渋めの熱々のお茶。その三段階で出す。この気遣いにも客が面白がり喜んだ。そういうお茶の出し方は、物語で知っているだけで実際に飲んでみたことがある人は少なかったからだ。
お茶は、お茶葉代がばかにならないので、今まではお代わりをされたらわざと薄いお茶を出していた。三杯目を所望されたら白湯に近いお茶。出す順番を逆にしただけだったのだが、物語の石田少年が出したお茶を想像して客は喜んだ。町人は娯楽が少ないから、よく講釈場に行って話を聞くし本も芝居も好きで、そういう戦国武将の逸話をよく知っていた。
つぶあん団子の評判が走り、団子が飛ぶように売れた。近所の女房連中などに団子作りを手伝ってもらい、急に与田屋は活気が出てきた。千三百本にはまだ届かないが、一日の売り上げ八百本という創業以来の記録を小春は打ち立ててしまった。
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