路地裏に描く

雨宮徠空

路地裏に描く



 『子供心を忘れたくない』

こんな言葉はよく聞く。でも、大抵そんなことを言っているのは、子供心をすでに忘れた大人だったりする、と僕は思っている。


 僕は学校に行けていない。それも小学校五年生から三年間。

段々友達関係が複雑化していって、それに馴染めなかったんだと思う。

正直、僕も理由はわかっていない。

「怜悧、待ってるからな」

窓の外から声が聞こえてくる。宙だ。学校に行けていた頃に仲の良かった子。

今でも平日は毎日、学校帰りに律儀に外から声をかけてくる。

はっきり言うと申し訳ないし、罪悪感を蒸し返されるから、なんというか、やめてほしい。

その一方で、僕のことを忘れないでいてくれていると分かって、嬉しい気持ちもある。

それ以外にも、担任の先生が時々会いにきてくれている。


 僕は昔、宙と一緒に路地裏のアスファルトに水で絵を描いて遊ぶのが好きだった。

不登校になってからはアスファルトに描くのはやめてしまったけど、今でも絵を描くことはやめていない。

不登校になる前に、絵が完成したら宙に見せる、と言う約束をしていた。

でも完成する前に学校に行けなくなってしまった。


 「怜ちゃん。ちょっと渡したいものがあるんだけど」

母親が呼ぶ声がして、部屋から出て階段を降りる。

「何?」

母親が封筒を差し出してくる。

「これね、ポストに入っていたの」

差出人を見ると、【太田飛色】と描いてあった。僕の担任だ。


 【佐和村 怜悧様


 久しぶり。元気だったかな?今日は先生が今、思っていることを素直に書こうと思います。】


「う、もう読むのやめようかな。」

ここから先は、きっと耳の痛い、聞き飽きた話が始まるはずだ。

僕はそれに耐えられる自信がなかった。

それでも、何が書いてあるんだろう、という好奇心でなんとか読み進めることができた。


 【先生は、怜悧が笑顔で過ごせるようになって欲しい。

学校には来れなくても、怜悧が笑って過ごせるのなら、それでいいんです。

もちろん、元気に過ごせるようになる為には、学校に行けるようにならないと元気に過ごせない、と怜悧が思うのなら、先生はいくらでも協力するし、それは他の先生たちも同じです。

でも、怜悧が学校に行かないことを選択するのであれば、みんなで応援します。

それは間違っていないから。先生が保証します。間違っていない。

怜悧がたくさん考えて悩んで、選んだ答えなんだから。

でも、一つ先生からお願いがあります。

エネルギーが貯まって、この生活を続けるんじゃなくて、何か挑戦してみたいって気持ちになったら、勇気を出して一歩踏み出してみてください。

それは、誰かが決める、決めてもらうじゃなくて、怜悧が自分自身で決めることです。

無理はしなくていいからね。自分のペースで、ゆっくりで大丈夫。では、またね。


                                       太田 飛色】


読み終えた瞬間、僕の中で何かが変わるのを感じた。不安が全て勇気に変わるような。

今なら一歩踏み出せる気がする。

そうとなれば話は早い。急いで荷物をまとめた。

「お母さん、宙に会ってくる」

「え、お母さんも着いて行こうか?」

「ううん、大丈夫。行ってきます!」

不登校になる前に、宙に見せるために書いていた絵を持って家を出た。

久しぶりに外へ出る。アスファルトを踏み締め、僕は宙の家へと向かった。


 『ピンポーン。ピンポーン』

インターホンを鳴らす。三十秒ほどあって、宙が出てきた。

「・・・、宙、久し・・・振り」

緊張からか、言葉が辿々しくなる。

「怜悧、遅かったじゃんか。待ってたよ」

笑いながら、何事もなかったかのように言ってくれたことがありがたかった。

「今まで、ごめんね」

罪悪感でいっぱいになり謝る。

「何も気にしてないって。むしろ俺の方こそごめん。毎日声かけてて嫌じゃなかった?」

「忘れないでいてくれていることは、すごく嬉しかった」

「そっか」

「これ、約束してたやつ。遅くなっちゃったけど」

絵を取り出して、見せてみる。

「うわ、すっげえ。怜悧めっちゃうまいじゃん」

絵を人に見せるのは久しぶりで、なんだか照れ臭かった。

「またアスファルトに水で絵とか描く?」

宙が提案してくれる。

「うん、やりたい」


 僕たちは路地裏へ移動した。アスファルトを大きなキャンバスに見立て、水で絵を描いていく。三十分ほどかけて大作が完成した。

「学校、もし良かったら来ない?大輔覚えてる?最近よく怜悧元気かな、とか言ってるんだよ」

「考えてみる」

「分かった。来れそうだったら、待ってるね」

ふと思ったことがある。

「宙、僕たちも大人になったら、子供心忘れちゃうのかな」

「いや、忘れないでしょ。忘れたくないって気持ちさえあれば」

「そっか、確かにそうかも」



『子供心を忘れたくない』

こんな言葉はよく聞く。でも、大抵そんなことを言っているのは、子供心をすでに忘れた大人だったりする、と僕は思っていた。

でも違うのかもしれない。宙が言ったように忘れたくないという気持ちさえあれば、覚えていられる。僕は、これからも忘れないでいよう、そう強く思った。



                                     完


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

路地裏に描く 雨宮徠空 @amamiya-raiku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ