惚れ薬なんて飲みたくない
「出来たぞユウジ!」
嬉しそうな声と共に玄関のドアを蹴破られたのは土曜日の午後だった。
もう何度となく吹き飛ばされた扉は醜くひしゃげて所々に亀裂が走っている。
こんな事をしでかす奴は、牧場アヤメを置いて他にいない。
科学と無関係な事はとことん覚えないので、サッカーボールと玄関扉の区別がついていない可能性が高い。むしろそうであってほしい。玄関扉だとわかっていて毎度毎度蹴りを入れる方が人間として間違っている。もう本当に、帰ってくれないだろうか。
「惚れ薬が出来たっ!」
俺の返事を待たずに上がり込んで来たアヤメは四畳半の畳に正座する。そんなに勢いを付けて正座したら摩擦で火傷しそうだ。
「飲め! さぁ早く!」
俺の口に親指を突っ込んで、瓶の中身を無理矢理ねじ込もうとしてくる。
まだ俺は一言も喋っていない。
扉を蹴るな、扉を元の位置に直せ、靴を揃えろ、手を洗え、うがいをしろ、まず説明をしろ、人の口に指を突っ込むな、無理矢理得体の知れない液体を人に飲ませるな。
以上、全ての意味を込めて頭をひっぱたいた。
驚いたように脳天を両手で押さえて目を丸くするアヤメ。
「……なぜ?」
「何故はこっちの台詞だ馬鹿が! ……取り敢えず座ってろっ! おとなしく!」
実家にいる犬へやるように地面を指差し、吹き飛んだ扉を直す。
ふくれ面のアヤメは、白衣に付いた汚れを擦っていじけている。
大体、どうして実験が成功する度に俺の家へ殴り込んでくるのだこいつは。今までの薬も碌なものではない。体重が二倍に増える薬、ヘリウムガスを吸わなくても声が甲高くなる薬、食べた物が全てケンタッキーフライドチキンの味に感じるようになる薬。
全て飲まされたが悉くマズかった。
効能が無意味なのだからせめて上手くあってくれ。
そもそも、俺に付き纏う理由からしておかしい。
「一目惚れだ!」
大学一回生の一番最初の共通単位の講義で、講堂に響き渡ったアヤメの一声は今も覚えている。もう少し乙女の一目惚れというのは恥じらいがあるものではないのか。
まるで体育祭の選手宣誓のような告白に俺は大いに狼狽えた。生まれて此の方彼女も出来ず、勇気を出して告白してみた回数はわずか二回。小学生と高校生で惚れたあの子の箸にも棒にも掛からぬ己のブ男っぷりに、大学では身の丈にあった作戦を立てて慎重に慎重を重ねて意中の異性に近づこうと、藪から睨み、茂みに身を隠し、虎視眈々と潜んでいた矢先に剛速球である。
俺は思わず「いや俺藤原さんの事が好きだから!」と新入生歓迎会で出会った意中の相手を引き合いに出してしまった。高めのボール球フルスイングと言ったところだ。
それに対してこの脳内エステル化合物は「わかった! 諦めん!」とこれまたドデカい声で敗北を認め講堂を去ったのであった。わかってねぇんだ、それは。
そんなやりとりを目撃され、俺の好きな人物が全校生徒に知れ渡り、抜き差しならぬ状況でところてんのように藤原マヤさんへ告白したが、当然振られた。
だから俺は慎重に行こうと思ったのに! どうして二日目に振られなければならぬ!
それからというものアヤメの執拗な付き纏いが始まった。
彼女は自分が面白い薬を作ったら意中の相手が惚れてくれると思っている節があり、前述の通りわけのわからない薬を常時二三個白衣に忍ばせていた。全て自信作だそうで、その自信に違わぬユニークっぷり。おそらく出すところに出せば世界を席巻するのではないだろうか。しかし悲しきかな、それをもらって喜ぶのは世界であり俺ではない。もっと言うと普通の大学男子全般は自分の腕が斬られても元通りくっつく薬など喜ばない。誰が好き好んで「へぇ腕がくっつくのか。じゃあ試しに斬ってみよう」となるのだ馬鹿か。
しかし世の常というか天才の常というか、牧場アヤメには日本語が通じない。
俺がいくら薬はいらねぇと言っても「わかった!」と返事して次の薬を調合してくる。だから薬全般がいらねぇんだって言ってるだろうが!
これは俺が薬を飲むからいけないのだろうか。飲んでいる=脈ありと捉えているのだろうか。
「なぁ……すまん。何が悪かった? 惚れ薬もダメか……?」
未だ白衣の汚れを弄りながら不貞腐れているアヤメだが、反省する気はあるらしい。
「ああ。惚れ薬が一番ダメだ」
「どうしてだ。飲んだら私に惚れるだろう」
こいつはそれでいいのか。偽りの恋でも満足なのか。俺の気持ちがどうであれ、俺と付き合えればそれでいいのか。
マッドサイエンティストの考えはよくわからないが、一つはっきりしていることがある。
それは、俺が望んでいないという事だ。
アヤメに惚れたくないわけではない。
既に惚れているから、薬で上書きされたくない、という意味である。
……ああ。
ああ! どうして。
そうなのだ。俺はどうやら牧場アヤメが好きになってしまったようなのである。
いつの間に? 何故? こんな奴の事を!
おそらくきっかけは去年流行ったインフルエンザだ。
この野郎、インフルエンザで俺がダウンしている時に、しっかりインフルエンザの特効薬を調合してきやがった! しかもそれが効くまでの間、エネルギーが必要だろうという事で、甲斐甲斐しくおじやまで作ってくれちゃったりしたのだ。
慈愛に満ちた(のではなく自分の薬の効き目を見せつけられる喜びでわくわくしているだけの)顔で蓮華を口に運ばれたらちくしょう! 頭ではわかっているのに、その笑顔が眩しくてちくしょう! その時のアヤメの台詞は印象に残っている。
「どうだ惚れたか!」
その時は「誰が惚れるか」と思っていたが、時間が経つにつれこのザマである。
風邪で弱っていたからかもしれない。しかし、ダウンしている時に訪ねて来てくれたのがアヤメだけというのもまた事実である。
何と単純! 男っていうやつはっ!
それなのに俺は、いざ自分の恋心を自覚した途端、臆病になってしまった。
小学、高校、そして大学入学直後と、振られた時のトラウマが蘇り、こんな勝算だらけの賭けにすら乗れなくなってしまったのである。
当然、俺も男である。それなりの雰囲気になれば覚悟を決める所存だ。しかし未来永劫それなりの雰囲気など訪れないと知っている。
だから、その日から俺はアヤメに要求している薬がある。
「だから、惚れ薬じゃなくて勇気の出る薬を作ってくれって!」
そう、俺は勇気が欲しい。
勇気さえあれば、アヤメにこちらから告白してやる。どんなに不自然でも、どんなに不格好でも!
「嫌だ!」
しかしアヤメは頑なにその薬だけは作らない。
「それを作ったら君はマヤ嬢に告白してしまうではないか!」
「だから藤原さんには振られたって!」
「嘘だ! 君が振られるはずがない。そうやって私を騙す気だな!」
もう一度言うが、天才には日本語が通じない。
だから俺はこれからも変な薬を飲み続けなければならないのである。
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