第13話 心機一転お引っ越し

 新たに雇った助手のエリナに、自分の部屋を用意したい。

 そう考えて、私は翌朝になってから、事務局に向かった。

 今の研究室は、レベルゼロでは一番面積が狭く、主な部屋には私、隣室にビスコッティが使う薬学室があり、その隣は本来は倉庫となっている寝室だ。

 事務局があるのは三階なので、移動が少し面倒くさい。

 研究室がある八階でエレベータを待っていると、慌てた様子で寝間着のまま、研究室を飛び出してきた様子のビスコッティがやってきた。

「師匠、どこにいくんですか。起きたらいなかったので、追いかけてきました」

 ビスコッティが、眠そうに問いかけてきた。

「うん、引っ越ししようと思ってね。確か、リズの研究室の隣が空いてたはずだから。あそこなら五部屋あるから、エリナの個人部屋も出来るでしょ」

 私は笑った。

「あっ、そういう事ですね。分かりました。私も一緒にいきます」

 ビスコッティが欠伸した。

「分かった。ここで待ってるから、着替えて顔でも洗ってきて。まだ早いし、寝ててもいいのに」

 私は苦笑した。

「いえ、行きます。十五分くらい待っていて下さい」

 ビスコッティは、駆け足で研究室方面に向かっていった。

「やれやれ、あの寝ぼけ具合じゃ、戻ったら寝ちゃうね。さっさと済ませてこよう」

 私は苦笑した。


 事務局に着くと、私は受付カウンターで研究室の移転について相談した。

 すぐに担当者がやってきて、簡単な応接室に通され、私は担当者と相談をはじめた。

 結果はお目当て通り、リズ研究室の隣室に決まり、様々な書類に記入してサインという作業を終え、正式な部屋移動の許可が下りたのは研究室を出てから十分後だった。

「十五分あったら、用事を済ませて戻れちゃうんだよね。待つわけないじゃん」

 私は笑った。

 事務局から八階の研究室に移動すると、ソファに転がって、半分脱いでいたビスコッティが転がっていた。

「あーあ。もう、なにやってるんだか」

 私は苦笑して、ビスコッティを起こす事にした。

 ビスコッティの体を揺さ振って半分起こし、脱ぎかけの寝間着を着せると、浮遊の魔法でビスコッティの体を浮かせ、そのまま引っ張るようにして、ベッドまで連れていって寝かせた。

「これでよし。全く、手が掛かる」

 私はビスコッティの寝顔を見て小さく笑ってから、自分の部屋に戻って椅子に座った。

 ノートパソコンのディスプレイを開き、私は新しく魔法を作るべく、まずはどんなものにしようか考えはじめた。

 現在時刻は、朝の五時だ。

 一応存在する定時は午前九時なので、エリナがくるまでまだ時間があるはずだ。

「うーん、たまには『土』を弄ってみようかな。この系統の攻撃魔法、あんまりないし」

 私は机の引き出しから研究ノートを取り出し、ノートパソコンの横に開いて置いた。

 ペンを手にカリカリとノートにメモ書きを書き連ね、パソコンのエディタを立ち上げて適当にカタカタとキーを叩き、新しい魔法の『種』が閃くのを気長に待った。

「うーん、『ロック・バレット』を強化しようかな。今は小石だから、もっと大きな石を作って…」

 ロック・バレットとは、私が開発した地味な攻撃魔法だ。

 簡単に言ってしまうと石つぶてを飛ばすだけだが、侮ってはいけない。

 爆発も熱もなく、使い方によっては静かに相手を倒す事が出来る。

攻撃魔法の改良に夢中していると、今度はちゃんと目を覚ましたようで、ビスコッティが目を擦りながらやってきた。

「師匠、おはようございます。今日は、ちょっと寝起きが悪くて」

 ビスコッティが眠そうに呟いた。

「うん、多分覚えていないだろうからいうけど、今日はこの部屋から新しい部屋にお引っ越しだよ。ビスコッティは、手早く自分の荷物をまとめてね」

 なにせ、隣室に築かれたビスコッティの城には、私は危なくて手が出せない。

 大変だとは思うが、これはやってもらうしかない。

「えっ、引っ越しですか。なぜ、またいきなり…」

 ビスコッティが目を見開いた。

「ほら、新しくエリナがくるじゃん。専用の部屋がないと、存分に遊べないでしょ。ビスコッティだけ遊び場があるなんて、不公平じゃん。だから、もう手続きしてきた。九時になったら、この研究所が贔屓にしている引っ越し業者が、大量の段ボール箱を持ってくる手はずになっているよ。今は七時半だから、作業をはじめてね」

 私は笑った。

「急にいわれても困りますよ。組んだままの装置が、かなり大規模で…」

 ビスコッティは小さくため息を吐き、諦めたように軽く首を横に振ってから、隣室には入っていった。

 すぐにカチャカチャと音がしはじめ、ビスコッティが片付けをはじめた事が分かった。

「さて、私は私で片付けしないと。隠し部屋も綺麗にしないといけないね」

 この部屋は元々なにも仕掛けなどなかったのだが、家具の隙間などが無駄だなと思って、色々とDYIで作ったのだ。

 私はビスコッティが、自分の部屋を片付けている間に済ませてしまおうと、魔法作りを途中で止めて、机から本棚の前に移動し、本に偽装したスイッチを押し込んだ。

 スルスルと本棚が右にスライドして、部屋への出入り口が開き、私は素早く室内に入った。

 中の荷物を部屋の隅に置いてある車輪付きの木箱に全部入れて蓋を閉め、ガラガラと押して外に出て、もう一度同じスイッチを押して本棚を元の位置に戻した。

 この本棚は部屋の作り付けなので、移動対象ではない。

 私はスイッチになっている本のようなものを引っこ抜き、壁に残った痕跡はあえてそのままにした。

 次に使う人が気が付けば、なにか有効利用してくれるかもしれないが、それはどうでもよかった。

「さて、あとは床だね。えっと、このソファを押して…」

 私は室内のソファを大きくずらして、現れた床板を足でコンと押した。

 すると、床板の一部が横にスライドして、三段ほどの下り階段が現れた。

「ここは、あんまり使わなかったな。なにかの役に立つかなって、作ったけど」

 私は苦笑して、床を這うようにして進むしかない、極端に天井が低い空間を進んだ。

 なにしろ、上は私の部屋の床、下は七階の研究室の天井だ。派手に動くと迷惑だろう。

 この扱いにくい部屋の最奥部には、私が作ったオーブが収めてある。

「なにか非常事態が起きて、部屋ごと脱出しないと助からないとかいう事態を想定して、転移の魔法を仕込んでおいたんだよね。使わなくてよかった」

 なにしろ、これは私がこの部屋を割り当てられた時に、用心しておいた仕掛けだ。

 深く意識して念じる事で、この部屋が丸ごと研究所の建物外に転移するようにしてあり、冗談では使えないヤバい一品だった。

「まあ、用心しろっていわれたから、考えられる限り、徹底的にやったんだよね。このオーブはちゃんと回収しないと、もしも事故ったら困る」

 私は光るオーブに手をかざし、魔力を込めて機能を休止させた。

「これでよし。よっと…」

 私は床に這ったまま方向転換をして、入ってきた出入り口に向かった。

 程なく階段を上って部屋に出ると、私は扉を閉めてソファを元に戻した。

「これでよし。あとは、時間が来るまで待とう」

 私は椅子に戻り、中断していた魔法開発の続きをはじめた。

 ネチネチクドクド、古代ルーン文字を弄っていると、部屋の呼び鈴がなった。

「おや、エリナじゃないな。自分で開けるはずだから」

 私は椅子を下り、インターフォンの画面を見た。

 すると、マスクを着用したリズが、ぼんやり立っていた。

「あっ、動けるようになったんだね。よしよし」

 私は満足して頷くと、スイッチを押して扉を開けた。

「おはよう」

 リズが笑った。

「なに、治ったの?」

 私はリズに問いかけた。

「うん、ほぼ完治したよ。さすがに、ビスコッティの薬は効くね。それはそうと、引っ越しするんだって。お隣の研究室に業者が出入りしてたから、話しを聞いたよ」

 リズが笑った。

「そうそう、助手が一人増えたから、広いところに行こうと思ってね。今日は、忙しいと思うよ」

 私は笑った。

「だろうね。手伝いたいけど、休んでいた間に溜まっていた仕事を片付けないといけないから、ごめんね」

 リズが笑った。

「気にしなくていいよ。私の都合だから。そうだ、誕生日プレゼントを渡してなかったよ。ちょっと待って」

 私は出入り口近くの棚に置いてあった、ティーセットをリズに手渡した。

「しまった、忘れてた。スコーンも誕生日だったはずだよね。プレゼントを用意していなかった」

 リズが声を上げた。

「それどころじゃなかったでしょ。気にしないよ」

 私は笑った。

「いや、なんか考える。それじゃ、あたしは仕事に戻るから」

 リズが部屋から出ていった。

「やっと、プレゼントを渡せた。これで、気が済んだよ」

 私は笑った。

 時刻はそろそろ九時近くなり、私は魔法開発の手を止め、引っ越し作業の準備をはじめた。

 少し時間が経ち、九時の十分前に部屋の扉が開き、緊張が溢れる面持ちで、エリナが入ってきた。

「おはようございます。スコーン先生」

 エリナがペコリと頭を下げた。

「えっ、先生ってなんか痒くなるな」

 私は苦笑した。

 ビスコッティの『師匠』も最初はムズムズしたが、エリナの『先生』もなにか落ち着かない。

「えっ、ではどうお呼びすればいいですか?」

 エリナが困ったような声を上げた。

「あっ、好きに呼んでいいよ」

 私は笑った。

「それでは、スコーン先生にします。しっくりくるので」

 エリナが笑った。

「うん、それでいいよ。さっそくだけど、今日は新しい研究室に引っ越しの日なんだ。今、第一助手のビスコッティが隣で作業してるから、自己紹介を兼ねて手伝えそうなら手伝ってあげて。魔法薬を専門にしてるから、器具が多いんだよ」

 私は笑った。

「はい、分かりました。では、私は隣の部屋に行きます」

 エリナは笑みを浮かべ、扉が開け放たれたままの隣室に入っていった。

 それに続くように、引っ越し業者がやってきて、部屋は組み立て前の段ボール箱が大量に運びこまれてきた。

「よし、始まった。私も作業開始だ」

 私は笑みを浮かべた。


 私の研究室は、今までで希に見る騒ぎになっていた。

 まずは、手早く私の部屋の荷物が運び出されはじめ、手慣れた業者が箱詰めを終えたら搬出するという、素晴らしい速さで事が進んでいった。

 私のやる事は、荷物の交通整理だけ。段ボール箱に詰めるのも運ぶのも業者の仕事だ。

「私の部屋は本ばかりだから、重いけど楽だね。ビスコッティの方は、相変わらず大変そうだね」

 ほとんど空っぽになった私の部屋とは対照的に、ビスコッティの方は大変そうだった。

「予想通りだね。それじゃ、私は新しい研究室の方に行くか。ビスコッティ、引っ越し先の作業をやってるから、あとはよろしく」

 私は声を張り上げた。

「はい、分かりました」

 ビスコッティの声を聞いてから私は部屋を出て、引っ越し先の部屋に向かった。

「こっちはこっちで大騒ぎだね。やれやれ…」

 新しい部屋は数だけでなく、その面積も倍近く感じるほど広かった。

 運びこまれてきた荷物が山積みになっていて、私は箱に書かれた内容物に従って開梱し、作り付けの本棚に次々と魔法書を収めていった。

 机回りにはノートパソコンやらなにやら、細々と整理しながら片付けていき、ここだけなら四時間で終わった。

「さて、こんなもんか。あとは、ビスコッティの方だね。物が多いから大変そうだ」

 ビスコッティの荷物が次々と運びこまれ、私は置き場所を隣室に指定した。

「こりゃ一日じゃ終わらないね。せめて、運びこむ作業だけは、今日中に終わって欲しいところだけど」

 ビスコッティの荷物がどれだけあるかは、私には分からない。

 ただ、大変な作業だという事は理解していた。

「犬姉、いる?」

 私が問いかけると、早くも天井裏に拠点を確保したようで、天井パネルの一枚がパコッと開いて、犬姉が顔を見せた。

「あっ、もう移転したの?」

「はい、問題ありません」

 私の問いに、犬姉が笑った。

「さすがに、動きが速いね。頼りにしてるよ」

 私の言葉に犬姉がニコッと笑みを浮かべ、再び天井パネルを閉じた。

「これでよし。さて、ビスコッティの手伝いに行こうかな」

 私は部屋から出て、元の部屋に戻った。

 私の荷物がなくなり、これから運ぶ予定の段ボール箱が、床に山積みになっていた。

「あっ、スコーン先生。こちらは順調です」

 ちょうど段ボール箱を持って隣室から出てきたエリナが、小さく笑みを浮かべて私をみた。

「あっ、ちょうど良かった。ちょっときて」

 私はエリナを連れて、新しい研究室に移動した。

 中に入り、整理を終えた私の部屋から、今まさに荷物が集まりつつある隣室に移動し、さらに、作り付けの家具いがいまだなにもない隣室に移動した。

「ここがエリナの部屋ね。好きに使っていいから、存分に錬金術の研究をして」

 私の言葉が意外だったのか、エリナは驚きの表情を浮かべた。

「えっ、ここは私の部屋ですか?」

「うん、近所迷惑にならなければ、好きに研究をやっていいからね。助手だからって、遠慮しなくていいから」

 私は笑った。

「驚きました。助手は研究してはいけないと聞いていたのですが」

 エリナが頭を掻いた。

「誰、そんな事いったの。私はそんなセコいこと言わないから、安心していいよ。自分の研究室だと思って、自由に使ってね」

 私は笑った。

「分かりました。ありがとうございます。あの、そういう事であれば、さっそく準備していいですか」

 エリナが笑った。

「いいよ。ビスコッティは私が手伝うから、エリナはエリナの準備をして」

 私は笑った。


 エリナが床に錬成陣という、錬金術のキモとなる魔法陣のようなものを、ナイフで床に刻みはじめたので、邪魔になるといけないと思い、私は再び以前の部屋に戻った。

 ビスコッティの部屋に入ると、黙々と器具を片付けている彼女の姿があった。

「ビスコッティ、手伝いにきたよ」

「あっ、師匠。それでは、そこに並べてあるビーカーなどを段ボール箱に入れてください」

 ビスコッティの言葉に頷き、私は床に綺麗に整列してあるビーカーやフラスコの類いを、緩衝材に包んで箱にしまっていった。

 それと同時並行で引っ越し業者による運び出し作業が進み、ビスコッティの部屋は徐々に物が少なくなっていった。

 これならば、今日中に運び出し作業が終わるだろう。

「師匠、私は新しい部屋の様子をみてきます。あとは、箱詰めするだけなので、残りをお願いします」

 ビスコッティはそう言い残し、部屋から出ていった。

 私はまだ箱に詰め終わっていない器具類を、段ボール箱に入れていく作業に集中した。

 気が付けばラスト一箱が完成し、研究室内の部屋を全てチェックして、忘れ物がない事を確認した。

「これでいいね。あとは、新しい部屋だ。今までお疲れさま」

 私は笑い、研究室を出た。

 その足で新しい研究室に移動し、全ての箱が積み上げられているビスコッティの部屋に入った。

 広い部屋を埋め尽くした段ボール箱に埋もれるようにして、ビスコッティが慣れた手つきで棚や引き出しなどに、箱の中身を移し替えていた。

「ビスコッティ、大丈夫?」

 私が問いかけると、ビスコッティは笑った。

「はい、問題ありません。今日中に、ある程度は片付けるつもりです」

 ビスコッティが再び黙々と片付け作業に戻った。

「邪魔しちゃいけないね。隣はどうかな」

 私はエリナに割り当てた部屋に入った。

 すると、床には白く光る錬成陣があり、エリナはなにかやろうとしている様子だった。

「あっ、スコーン先生。お疲れさまです」

 エリナが笑った。

「うん、お疲れ。なにかやるの?」

 私は素直に問いかけた。

「はい、錬成陣の状態を確認するために、ミスリル製のナイフでも錬成してみようかと」 エリナが笑った。

「おっ、いいね。見学していい?」

 私も錬金術の知識はあるが、専門家が見せる腕がどのようなものか。大変気になるところだった。

「はい、もちろん構いません。ちょうど、はじめるところでした」

 エリナは小さく笑い、空間ポケットから一目でミスリルと分かるインゴットを取りだした。

「これは高純度のミスリルです。これを。錬成陣の真ん中において…」

 解説しながら、エリナが錬成の手順を踏みはじめた。

 ミスリルのインゴットを錬成陣の中央に置くと、エリナはそこから出て小さく呪文を唱えはじめた。

 錬成陣のミスリルが光り、液状になって床を流れた。

 そのまま急速にナイフの形になり、パッと一瞬目映い光が走ったかと思うと、錬成陣の中央には大ぶりのナイフが置かれていた。

「成功です。これで、色々試す事が出来ます」

 エリナが笑った。

「うん。さすがというか、いい腕しているね。内容によっては、素材や資金は補助するから、欲しかったら相談してね」

 私は笑った。

 こうして、研究室の引っ越しという大きな作業は、なんとなく形になって終わっていくのだった。

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