第5話 莚売りと黄色の頭巾・肆

 ある時、張角ちょうかくは薬草を取りに赴いた山中で一人の老人と出逢った。


「ご老人。山中にお一人で山菜取りですかな?」


 老人は何も言わない。老人は無言のまま、張角ちょうかくの顔をじっと見つめた。


「な、何か……?」

「貴公のその手に持った薬草は、何に使うのかな?」

「これは、末の弟が風邪を引いていて。煎じて飲めば、体が温まるのです」

「その弟のことは、大切かい?」

「それはもちろん。……我が家は父母も既にありません。あの子とは年齢も離れておりますし、私が守ってやらねば」

「では、薬草の知識はどこで学んだのかな?」

「都です。兵法書や古典、様々な書物を読みましたが、これが一番面白かったのです。それに、病が癒えればそれだけ悲しむ人が減る。私の出世の道は閉ざされてしまいましたが、それでも周りの人々に喜んでもらえることはできます」


 質問の多い老人だ、と感じた時、張角ちょうかくと老人の視線が重なる。老人が白い髭を撫でた。


「……この国も、病んでいる。そうは思わぬか?」


 老人は表情を変えず、張角ちょうかくを見据えたままで言った。


「そう……かもしれません」

「なにゆえ病んでいる。なにゆえ病んだままか。これを変えることはできるか。この病を、癒すことはできるか」

「難しいでしょう。民の苦しみも、朝廷には届かない。大きな力を持つ者たちにそれらを聞く気が無いのです。私は都でそれを思い知りました。清廉な志を持つ若者がいない訳ではない。義憤を秘めた忠臣や、慈愛を施す地方官がいないということでもない。全ての官吏や宦官が、これで良いと思っているということはないのに、変わらない」

「大きな力とは、何と心得る?」


 張角ちょうかくは言葉に詰まる。言われてみれば、朝廷を牛耳る者らの持つ力とは何だ。


「貴公の頭に浮かんだもの全てよりも、苦しむ民の数は遥かに多い。貴公の智慧は、貴公の持つ愛と絡み合い、天下のあまねく辛苦を救うやもしれぬ」

「私にはできません」

「できるとも」


 老人は微笑んだ。


「簡単なことではない。だが貴公こそ、この乱れた世を正すことの出来る力を、才を持つ選ばれし者であることは確かだ」

「私が?」

「そうだ。力といっても、様々な力がある。考えるのだ、貴公の平和を。貴公の愛を。党錮とうこきんという欺瞞ぎまんとらわれてはならない。清流せいりゅう濁流だくりゅうも、行きつく先は大海原おおうなばら些事さじに気を取られることなく感じるのだ。天意を」

「あなたは……一体?」

 張角ちょうかくは不思議に思いつつも、老人に問うた。

「我は南華老仙なんかろうせん。この書を以って、太平の世を導かれよ」


 張角ちょうかくは差し出された書を受け取る。『太平要術たいへいようじゅつ』と記された三篇さんぺんの書からは、何とも言えない不思議な力が感じられた。それぞれてんじん、の文字が大きく刻まれている。


南華老仙なんかろうせん!」


 顔を上げたときには既に彼の姿はそこには無かった。






 張角ちょうかくは帰宅すると、家族に山中で起こった出来事を話した。


 張角ちょうかくは四人家族だ。党錮の禁で一家の希望だった張角ちょうかくが失職すると、父母はそれを気に病み相次いで亡くなった。二人の弟がおり、二歳下の次弟が張宝ちょうほう、字は子玉しぎょく。そのさらに十歳年少の末弟が張梁ちょうりょう、字は子良しりょうという。張宝ちょうほうの幼い息子は張典ちょうてんと言って、母親を早くに亡くしており、働きに出ている父の張宝ちょうほうよりも家にいる伯父の張角ちょうかくによくなついていた。


「何だこれ汚いな。そんなものを持ち帰ってきてどうするつもりだよ。絶対胡散臭いだろう、そのなんとか仙人」

南華老仙なんかろうせんだ」


 張角ちょうかくは怪訝な表情の張宝ちょうほうを尻目に『太平要術たいへいようじゅつ』を紐解いた。書の中には、何も書かれていない。


「まっさらじゃないか。兄上、その得体の知れない老人に騙されたんだよ」

ほう兄さま、兄上を馬鹿にするのは俺が許しませんよ」


 末弟の張梁ちょうりょう張宝ちょうほうを睨んでいる。張角ちょうかくは忠犬のような弟の頭を撫でてやった。


南華老仙なんかろうせんは私に言ったのだ。『考えるのだ、貴公の平和を。貴公の愛を』とな。これはつまり……私に、答えは託されているということだ」

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