第6話 莚売りと黄色の頭巾・伍

 一念発起した張角ちょうかくは、まずは地元を巡って病に苦しむ人々に無償で治療を施し始めた。農夫、商人、豪族、官吏、老若男女も貧富も問わず誰が相手でも献身的に救おうとする張角ちょうかくの噂は噂を呼び、鉅鹿きょろく郡のみならず冀州きしゅうのあちらこちらから救いを求める者、教えを乞う者が続々と現れた。張角ちょうかくはその一人一人に丁寧に接し、張角ちょうかくに心を寄せる人数はあっという間に千を数え、二千を超え、五千に届こうとしていた。


ほうりょう。見えるだろう、皆の笑顔が。一人ひとりが、明日を生きる希望を持つことができる。これが天下太平。平和と愛は、人の世を正すことができるのだ」


 張角ちょうかくは満足げだった。だが、張宝ちょうほうは懸念を口にする。


「しかし兄上、お一人で治療を行うにも限界がありましょう。既に、兄上を待つもの達が溢れかえっております。近頃は休む間も無いではないですか」

「やってみせる」

「そう言うと思いましたが兄上が倒れては元も子もない。この教え、『太平道たいへいどう』とでも号し、後進を育て諸国に広めてはいかがでしょうか? 南華老仙なんかろうせんもきっと、より多くの民を救うことを望んでいるはずです。まずは、我らから兄上の知見を学ばせてください」


 張宝ちょうほうの言葉に、張角ちょうかくは暫し考える。


「うむ」


 張角ちょうかく張宝ちょうほうに微笑み頷いた。

 張角ちょうかく張宝ちょうほう張梁ちょうりょうの兄弟は、弟子とした波才はさい朱氾しゅはん馬仁ばじんらを各地へと送り、布教活動を行った。

 数年が経つと、弟子たちが布教を経て連れ帰った信者で冀州はごった返し、『太平道たいへいどう』はますます盛んになっていったのだった。


太平道たいへいどう』を信奉する信徒たちは、張宝ちょうほうの発案で黄色い布を身につけさせた。集った信徒達が天の光を浴びるときらきらと煌めく光景は、張角ちょうかくの心をいつも癒してくれている。安全に布教活動するために、体格に秀でたものや武芸の心得がある者は、信徒を守る『黄巾党こうきんとう』とした。その調練は、子供のころから剣の腕前が村一番だった張梁ちょうりょうが引き受けた。こうして年々人が増えるにつれて張宝ちょうほう張梁ちょうりょうも、自身の弟子を持つようになっていた。信者の中でも勇猛な者達を指揮官として各地に配置、大頭目だいとうもく大方だいほう)とし、その下に小頭目しょうとうもく小方しょうほう)を置いて、軍団の指揮系統を明確にすることも忘れなかった。張宝ちょうほうの息子の張典ちょうてんも聡明に育ち、自ら南の荊州けいしゅうで布教に取り組んでいる。


太平道たいへいどうの教え、国の教えとして朝廷に認めさせはいかがでしょう?」


 そんな中で馬仁ばじんがふいに口にした問いかけ。張角ちょうかくより先に口を開いたのは張宝ちょうほうだった。


「兄上の教えを国の教えとして、内部から国を変える。その手があったか」

ほうよ、さすがにそれは反発を呼ぶのではないか?」

「兄上、何を躊躇うのです。まずは洛陽らくようの高官と繋がりを持たねばならん。わたしが捧げものを集めるゆえ、馬仁ばじんには、その運搬を頼みたい。出来るな?」

「この元義げんぎにお任せください」


 時は、光和こうわ七年(184)二月。党錮とうこきんから十五年が経過していた。

 張宝ちょうほうは、既に四十万を超える信徒の力で漢王朝に反旗を翻すつもりでいた。党錮とうこきんで兄が都を追われ、父と母は心を病んで亡くなった。復讐の時が来たのだ。信者達の黄色の頭巾。五行説ごぎょうせつにおいて、漢は赤色の火徳かとく。黄色は、火徳かとくに勝る土徳どとくの色である。

 太平道たいへいどうは、国家の腐敗を拭い去り皇帝から天子の椅子をも手に入れる。

 その嚆矢こうしであったはずの馬仁ばじんは、帰ってくることはなかった。


 甘かったのだ。


 張宝ちょうほうと共謀し密命を受けた馬仁ばじん宦官かんがん封諝ほうしょ徐奉じょほうに取り入り、三月五日に皇帝劉宏りゅうこう弑逆しいぎゃくし内外から一斉蜂起するという密約を結ぶことは出来たものの、彼らは所詮末端だった。事の大きさに怖気づいた唐周とうしゅうという信徒が他の宦官かんがん達に密告したことで計画は早々に露見した。馬仁ばじんも都で牛裂きにされ、朝廷内の密通者も悉く処刑されたという報告が、張宝ちょうほうの耳には入っていた。


「兄上、太平道たいへいどうを信ずる敬虔な信徒の命が奪われました。……言いたくはありませぬが、これは太平道たいへいどうに対する、漢王朝の弾圧、かと。先手を取って兵を挙げましょう」

「しかし、正面から戦うなど、民に血が流れることがあっては……」


 張宝ちょうほうが先に仕掛けた事など知らず、民を戦乱に巻き込みたくない張角ちょうかくは渋る。


「兄上は我らを慕う者たちを見捨て、黙って殺されるのを待つおつもりですか?」

「そうではないが」

「ならば、我らが選ぶべき道は最早、一つしかありますまい」


 張宝ちょうほうの言葉に圧倒され、張角ちょうかくは挙兵の許可を下した。そこからの張宝ちょうほうの行動は早かった。まるで既に準備が完了していたかのような迅速さであった。


 黄巾こうきんらん


 大きな戦禍が、中国大陸を飲み込もうとしている。

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