第4話 莚売りと黄色の頭巾・参

玄徳げんとく様?」

「あ、いや! はい、何か?」

玄徳げんとく様は、真っすぐなお方なのですね」

「た、ただの草鞋作りですよ。急ぎましょうか、御父君ごふくんも心配していらっしゃいましょう」

「赤くなってんじゃん。いや、気持ちはわかる!」

「うるさいぞ、益徳えきとく


 からかわれているのは明らかだったが、不思議と嫌な気持ちはしない。

 恐らく二人とも自分より幾つか年下であろうが、妙に達観している。比べて、自分はちっぽけだ。ふいに焦燥が募った。だが、何所か心地良いと感じている自分もいる。


益徳えきとく、私は恩賞が目的ではない故、太守たいしゅ殿と面会、というのは辞退させていただきたい。仕事も残っているのでな」


 一番の理由は、姫とこのまま同道するのが心臓に悪いから、などとはとても言えない。が、実際皇統の端くれではあるものの、一介の農夫が郡太守ぐんたいしゅに面会など、いささか不遜が過ぎるという気もする。


「そうおっしゃらずに、父上にお会いして下さいませ。父上も、お喜びになるはずです」

「いや、私はただ、喧嘩を仕掛けられただけで、恩賞などを受けるようなことはしておりませんので、お心のみ」

「ならばこれを。わたくし個人としての感謝の気持ちです」


 姫が小さな巾着袋を取り出す。


「これは?」

「今の私に出来るのは、これくらいですから」


 姫が玄徳げんとくの手に巾着袋を乗せた。小さく触れた手から、仄かに体温が伝わる。


「あ、いや、しかし……!」

「では、ごきげんよう。りゅう玄徳げんとく様、本当に、ありがとう」

「もらえるもんはもらっときな。じゃあな、りゅうさんよ!」

「あ……」


 二人が立ち去り、玄徳げんとくは小さな袋を見つめる。ただ渡されるままであった。明らかにあたふたしすぎな自分が情けなくなった。


「今日は、変な日だ……」


 本来ならばとっくに楼桑村ろうそうそんに着いているはずだった。それが賊の集団と殴り合い、張飛ちょうひ少年とだい郡太守ぐんたいしゅの姫君と出逢った。いつもは取引先の主人や村の人々と顔を合わせるくらいで、新鮮みなど欠片もなかった毎日。それが、今日は違う。意義を感じることも無かった繰り返しの日々が、気のせいかも知れないが少し変わった気がする。


「なんだ、いつからこんなものが?」


 道端にある立て板に、玄徳げんとくの目が行った。毎日通る道なのに、今まで気づかなかった。


 祖国を守らんとする義士ぎしを募る。

 近く、黄巾こうきんの賊が跳梁し、安寧を脅かしている。作物・財を奪い尽くし、抵抗する無辜むこの民を殺戮しているという。その黄賊こうぞく幽州ゆうしゅうにもあらわれ、州の境で割拠している。まもなく我らが郡県にも押し寄せることは明白である。

 故に、義心有る者はいまこそ立ち上がるべきである。共に祖国を守らん。

                            涿たく県尉けんい雛靖すうせい







 光和こうわ七年(184)、司隷しれい河南尹かなんのいん洛陽らくようの都に座す皇帝は二十九歳の劉宏りゅうこうであった。


 当時、漢王朝は母方の親類縁者である外戚がいせきと、不義を犯さぬよう去勢を施された上で宮廷に仕えた宦官かんがんとの対立が繰り返され、宦官かんがんの勢力が隆盛を誇っていた。


 宮廷内には張譲ちょうじょう蹇碩けんせきら『十常侍じゅうじょうじ』と称される宦官かんがんがいて、それが皆欲望に忠実な者達の集まりだったため、常に自己の権勢の拡充に励み、悪政がはびこることも顧みなかった。

 しかし、皇帝こうてい劉宏りゅうこう外戚がいせき宦官かんがんの融和を優先し、この奸臣らの正体を見極められず、あまつさえ十常侍じゅじょうじ筆頭の張譲ちょうじょうを『阿父あふ』と敬っていた。


 国の中央で専横が蔓延れば、世の中も平穏であろうはずがなく、治世は地方に至るまで大いに乱れた。十常侍じゅうじょうじの悪名は大いに知れ渡り、中原では農民でもその存在を知らないものは少なく、万民から憎まれていたが、その権勢を阻めるものは、皆無であった。


 二月、大賢良師たいけんりょうし張角という者を党首と仰ぐ『黄巾党こうきんとう』が幽州ゆうしゅうの南西、司隷しれいの北東の冀州きしゅうを中心に各地で蜂起し郡太守ぐんたいしゅ州刺史しゅうししが鎮圧にあたったが、安平国あんぺいこく甘陵国かんりょうこくでは人々がこれに呼応し安平王あんぺいおう劉続りゅうしょく甘陵王かんりょうおう劉忠りゅうちゅうが相次いで捕らえられるという有り様だった。


 三月三日、皇后の兄で、都の洛陽を含む河南尹かなんのいん(首都圏の地方長官)を務めていた何進かしんは、全軍を統率する最高位の武官である大将軍だいしょうぐんに任じられ討伐の総指揮を執ることとなり、都を護る八ヵ所の要害――函谷関かんこくかん広城関こうせいかん伊闕関いけつかん大谷関たいこくかん轘轅関かんえんかん旋門関せんもんかん小平津関しょうへいしんかん孟津関もうしんかん八関都尉はっかんといを置いた。これに対する報復措置として、何進かしんの故郷でもある荊州けいしゅう南陽なんよう郡では『神上使しんじょうし』を称するちょう曼成まんせいという若者が、太守たいしゅ褚貢ちょこう率いる官軍を、兵力でも士気でも圧倒し、飲み込むように討ち果たした。三月下旬のことである。


 彼ら『黄巾党こうきんとう』は、頭に黄色い布を纏い、当初は腐敗した漢王朝を正そうとする集団であった。張角ちょうかくは、字を子瑞しずい冀州きしゅう鉅鹿きょろく郡の出身で、百年に一人と称された賢者であったが、遡ること十余年。建寧けんねい二年(169)の宦官と名士たちの対立『党錮とうこきん』のあおりを受け、故郷に隠棲を余儀なくされていた。

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