第一章 黄巾の乱

第2話 莚売りと黄色の頭巾・壱

 春。桃の花が、村一面に咲き誇る季節。


 少年は、二十四歳の青年になっていた。

 時は、漢王朝かんおうちょう光和こうわ七年(184)三月末。皇帝劉宏りゅうこう御世みよ

 すっかり昇りきった朝日を見つめながら、青年――玄徳げんとくは溜息をついた。

 毎日同じことの繰り返し。それだけだ。毎日毎日草と戯れて、莚と草履とをせっせと作り続ける。それを売って、空の銭袋に僅かばかりの銭を入れる。少しずつ、何となく消耗を続けている気がする。

 いつまでこんなことをしているのだろうかと思うと、溜息ばかりが出るのだった。

 玄徳げんとくは今しがた、納品を終わらせたばかりだ。

「いやぁ、玄徳げんとくの作るものは、いつもながらいい出来だな」

 親しげな問屋の親父のいつもの言葉に、今日は妙に苛立ちを覚えた。毎日こんなことばかりしているのだ。嫌でも上手くなってしまうのは当然ではないか。自分の腕前と商品の質を褒めてくれている店主の言葉が、嫌味に聞こえる。

「じゃあ、また」

 むしろと草履と引き換えに、大量のわらを積んだ荷車を曳いて帰路につく。重い。腰が痛い。


 玄徳げんとくは、母を既に失っていた。

 学問を教えてくれていた盧植ろしょくも、南方の揚州ようしゅうで、『会南夷かいなんい』と呼ばれる不穏な勢力が反乱を起こすと、かつて九江きゅうこう太守たいしゅであった時の恩信を買われ、廬江ろこう太守たいしゅとして赴任することとなり学舎を畳んでしまった。

 玄徳げんとくに目をかけてくれた先輩の公孫瓉こうそんさんは、今や遼東属国長史りょうとうぞっこくちょうしとして北方騎馬民族の鮮卑せんぴに備えた国境警備を担っているという。

 対して自分はというと、毎日毎日、藁の山とにらめっこだ。父が亡くなった頃、族父おじ元起げんきが気を遣って付けてくれた侍女が一人、今も住み込みで身の回りの世話をしてくれている。

 今や涿たく県に残っているのは、幼馴染の簡雍かんようくらいだった。元々人なじみの良い性格をしていたが、酒を取扱い、馬の取引をして、今では地元ではそれなりなやり手と知られている。一方の自分はというと、夢見ていたはずの未来へは一歩も近づくことの無いまま年齢だけ重ねている。近頃は、溜息が癖になっているのを自分でも感じていた。


 近頃、太平道たいへいどうなる怪しげな教団が黄巾党こうきんとうと名乗り、世の中に不満を抱えた住民を抱き込み煽動している、という噂も聞くが、涿たく県のような片田舎には縁遠い話だった。

 いつもと変わらない帰り道。いつもよりも、気が重い帰り道。また溜息が――、

「やめて、離してください、誰か!」

 ――出なかった。

 男三人が、綺麗な格好をした少女を大きな布袋に放り込んで縛り上げ、荷車に押し込んでいる。


 暇な奴らだ。


 目の前で繰り広げられる光景を見て、玄徳げんとくはそう感じた。こっちはただでさえ日々の生活に追われ、疲れ切った身体に毎日鞭打って生きているのに、あんな風に欲望に身を任せて、どれだけ暇なのだろうか。そう考えた瞬間、不思議と足が前に進んでいた。

「おい、そこの暇人共」

「あぁん?」

 そんな反応だろうとは予測できたが、正に頭の悪い奴特有の反応だった。

「誰に物言っていやがんだ、テメェ」

「お前ら以外に誰かいるか?」

「仲間に入れて欲しいのか? そういやお前もなかなかボロッちい恰好してるもんな」

 正義感、ではなかった。むしろ苛立ちの方が近い。耳障りな濁声だ。

 もっとも、幼い頃の自分であれば、正義の心満々で止めに入っていたのだろうが、今はそういう気分になれそうもなかった。

「お前らなんぞと一緒にしないで欲しい。私は忙しいんだ」

「ならさっさとどっか行きな。俺たちも、黄天こうてんの世のため、暇じゃあないんでね」

「いや、暇人だよ」

「はんっ、正直に言えよ。お前も、この小娘の身代金が欲しいんだろう?」

「身代金? 馬鹿馬鹿しい。一体何の話だ」

 苛立った自分の直感は、案外正しかったようだ。これが最近噂の黄巾こうきん。どこかの良家の娘を攫って、それを身売りでもして稼ごうとしているのだろう。悪い冗談だ。やはりこの男たちは暇人だ。まず白昼堂々人攫いに及ぶなど、隠す気も無いのか。こんな杜撰ずさんな計画を考える余裕があるなら、三人で働けばいいではないか。きっとそれなりな稼ぎになる。

「けっ、邪魔くせぇ。っちまえ!」

 小刀を抜き放ち、玄徳げんとくを睨みつける三人の男。だが玄徳げんとくは怯まない。一番下っ端と思わしき細面の男が進み出た。次々に突きだされる刃物をかわし、二、三発拳を叩きこむ。かわすこともできず腹部を殴られた男はあっけなく呻きながら倒れた。続いて二人が一度に襲いかかってきたが、玄徳げんとくは逡巡も無く剣先をかわして瞬く間にそれぞれの顔面に一撃ずつ入れると、大の男二人はそのまま卒倒した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る