【6.0万PV感謝】新三国志

江口たくや【新三国志連載中】

第1話 序幕


 春。桃の花が、村一面に咲き誇る季節。


 少年は、十五歳だった。

 彼の住まう楼桑村ろうそうそんは、都の北東千八百里、幽州ゆうしゅう涿たく郡の郡治ぐんち涿たく県の郊外にある。


 少年の祖父は、一年の間で郡からたった二人しか選ばれない孝廉こうれん(孝行で欲が少なく、廉直な人柄の人物を選定する人材登用の制度)に推挙され、都で皇帝陛下を護衛する郎中ろうちゅうに任じられるや頭角を現し、遠く兗州えんしゅうとう郡のはん県令に抜擢されたが在任中に若くして亡くなってしまい、以来、家は没落していた。

 父は、家を再興すべく努力を重ね郡吏として官に返り咲き、長く自分を支えてくれた妻とのあいだに念願の一人息子を授かった。それが少年である。

 その父も、州の従事史じゅうじしに昇ったが、少年が六つの時に無理が祟って倒れ、それからは、母と家族二人、父の従弟で楼桑村の村長でもある元起げんきの世話になっている。

 少年は五歳年少の族弟いとこ元起げんきの息子)徳然とくぜんと一緒に、同郷の儒学者として有名な盧植ろしょくの下で学問を学んでいた。

 正直、勉強はあまり得意ではない。どちらかと言えば、いつか祖父のように武芸を磨き、都の精鋭に混じって皇帝陛下のお役にたちたい。

 剣術の腕も、素手での戦いも、村の仲間と一緒に磨いてきたのだ。

 先生の私塾で学ぶようになって一番良かったのは、学問を修める事よりも盧植ろしょくに学ぼうとする名門の子弟をはじめとする、村人以外との関わりが出来たことだった。


 穏やかな陽光に照らされ、そよ風に誘われるように空を見遣ると、桃の花びらが陽差しを纏いながらきらきらと舞い踊っている。


「こら、玄徳げんとく! またそっぽを向きおって! わしの話を聞いておるのか!」

「申し訳ありません、聞いていませんでした!」

 盧植ろしょくに叱られて飛び上がった少年の正直な返しに、生徒たちから笑いが起こる。

「全く、お前はいつものんびりしていると言うか何というか……。せっかく物覚えは良いのだから、もちっと真面目にやりなさいよ」

「あ、はい」

「では、続けよう。『春秋左伝しゅんじゅうさでん』にもある通り、かなえの軽重を問うような者が、いつの世も蔓延はびこることがある。若き諸君には、そのような不埒を正し、誠の心を以て、ひたむきに心身文武の研鑽を怠らぬことを期待している」


 少し前にも、先生は同じ話をしていた。というより、噂を聞きつけて途中から新しく加わる者が多くいることもあって、中々講義が先に進んでくれない。それもあってか、先生の事は好きだが、先生の講義はあまり好きになれなかった。


 講義が終わると、少年――玄徳げんとくの周りにはいつも人が集まる。徳然とくぜんの他、盧植ろしょくの息子たちである盧師ろし盧助ろじょの兄弟に加え、同じ涿県の出身者で、一歳年長の高誘こうゆう簡雍かんよう、そして仲間たちのうちで歳年少の俊才、冀州きしゅう安平あんぺい郡観津かんしん県の牽招けんしょう。六人はいつも連れ立って野山を駆けたり、時にはごろつきに喧嘩を吹っ掛けたりした。大の大人が相手でも、玄徳げんとくは怯んだりしなかった。色白で端正な顔立ちに似合わず、六人の中で玄徳げんとくは一番気が短く、一番腕も立つのだ。

 彼らの他、盧植ろしょく門下の中でもひと際目立っていたのは、遼西りょうせい豪族の庶子の公孫瓚こうそんさんだった。誰もが認める長身の男前。名家の子息の名に恥じないその紳士的な振る舞いと持ち前の華やかさで、そこにいるだけで圧倒的な存在感を放つ。

 玄徳げんとくはその公孫瓚こうそんさんにも気に入られ、よく隣村の張家の肉屋で食事を奢ってもらったりしている。利発で勇敢な玄徳げんとくのことを公孫瓚こうそんさんは実の弟のように可愛がった。

「いつか俺は、天下に名を轟かせてみせる。そしたらその時は玄徳げんとく、お前も俺と一緒に華々しい戦果を挙げて、英雄として歴史に名を刻もう!」

 公孫瓚こうそんさんは酒に酔うと、二回に一回は大きな声で玄徳げんとくにそう言った。

伯珪はくけい殿なら、絶対になれるに決まっています!」

しゅうと殿とお前だけだ! 俺の事をわかってくれるのは!」

 長男ではあったが生母の身分が低く、嫡母ちゃくぼから厄介者扱いされて少年時代を過ごしたこの先輩が優れているのは決して見た目だけではない。

 武芸の腕前にも秀で、才色兼備さで太守の娘を射止めるや、当の父親の心をもがっちり掴んで、盧植だけでなく大学者劉寛りゅうかんにも師事する資金を捻出してもらっている。夢に近づくため、したたかな一面も持ち合わせていた。

 玄徳げんとく少年もまた、夢を真っ直ぐに語るこの兄貴分と過ごす時間が好きだったし、彼に刺激を受けて一層鍛錬にも力が入った。


 時は、漢皇帝劉宏りゅうこうの御世。熹平きへい四年(175)、春の日の事である。


 そして、日々は流れゆく。

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