零落令嬢と骨の魔術師
比呂
零落令嬢と骨の魔術師
『金で買えないものはない』
それが、父の口癖だった。
私は幼いころから、そんな父の背中と横顔だけを見て育つ。
父に商人としての才能があったのか、屋敷は広く、金と銀に彩られた装飾に溢れていた。
使用人も家庭教師も出入りの商人も、皆が優しかった。
私の顔色を、常に伺っていることを除けば、幸福だったと思う。
あるとき、母親の存在を父に尋ねたら、欲しいのなら買ってやる、とだけ言われてしまった。
それが私への、父なりの愛であったのか、政略結婚の手駒としての投資対象であったのか、今ではもう聞くことが出来ない。
先日、事業で巨額の損失を出した父が、川に浮かんでいた。
お金で買えないものはないのだから、お金がなければ買えるものがないのは、当然だろう。
父は信念に殉じて、この世を去った。
娘である私が、死を思いとどまる楔にもなれなかったことが、少しだけ悲しい。
父の事業に関係していた貴族や商人が、督促の紙切れ一枚で、私の衣服さえ剥ぎ取った。
とても苦々しい顔をして、父への恨みを私に投げつけてくる。
好きにすればいい。
私のものなど、ここには何一つとして無いのだから。
「ここにあるものすべては父のものだから、持っていけばいい」
私がそう言うと、身なりの良い商人が私に粗末な服を投げつけてきた。
もちろん、そのつもりだと。
私は商人に手を引かれ、屋敷の外に投げ出された。
そして、馬車の荷台に押し込まれそうなとき、頭からローブを被った者がやって来た。
男の声で言う。
「ああ、困るね。その娘は僕のものだよ」
顔は雪のように真っ白で、カタカタと顎が揺れる。
黒い虚ろの眼窩と、長い杖を握る枝のような白い指。
私は生まれて初めて、骸骨を見ることになった。
スケルトン、リッチ、アンデッド、と思いつく限りの名称が、頭の中を駆け巡る。
怯える私に気付いたのか、白骨が愉快気に笑う。
「悪いね。これでも人間さ。魔術の実験に失敗して、肉を失ってしまったのだよ。人間である証明は出来ないが、帝都魔術教導院の者であることは分かるかね?」
羽織った灰色のローブの胸元には、三日月の意匠を施したネックレスがある。
それを見た商人の顔が、青ざめた。
魔術師が強大な力を持つことは当たり前だが、その魔術師に対して指導するための存在があった。
無法な魔術師を取り締まるために生まれた、言わば『魔術師を狩るための魔術師』が所属する場所こそ、帝都魔術教導院である。
白骨が上を向いてカタカタ笑い、ネックレスをローブに仕舞い込む。
「まあ僕の事はともかく、この娘は貰い受ける」
そう言い切った白骨に、商人が怯えながらも督促状を取り出した。
すると、督促状の文言を見ていた白い頭蓋骨が、僅かに傾けられる。
「はあ。確かに、アリアン・クラウトン氏の財産については没収して構わないみたいだね。だけど、この娘は、とうにクラウトン氏のものではないよ」
白骨がローブの中に手を入れて、肋骨の間から羊皮紙を取り出した。
嫌な顔をする商人の眼前に突き付ける。
それは、古めかしい契約の証文だった。
羊皮紙の一番下に、父の名前が載っている。
そして最後に、恐れ多くも立会人として公爵様の名が記されていた。
内容は、金貨百枚を担保に、私を差し出す契約だった。
なるほど、私は、最初から、私のものではなかったのだ。
父から大切にされていたのは、商品だったから。
「そういうことで、この娘は頂いていくよ。疑義があるなら、ハイマーク公爵を訪ねると良い」
真っ白い面貌が、私を向く。
ローブから、白くて細長い指の骨が差し出された。
私がその手を取れないでいると、白い指が頬へ回される。
「可哀そうに、お腹が減っているのかい? 君が犬だったら、僕の骨を貸してあげるのだけどね」
そうもいくまい、と肩を竦めて見せた。
「どこかでお茶でもしようか」
「……よろしいのですか、ガイモン・コツール様?」
私は、白い骸骨の名を言った。
知っていたわけではない。
単純に、契約の証文に書かれていた名前を言ってみた。
ただ、白骨が顎に手を当てて黙り、黒い双眸で私を覗き込む。
「ふむ。僕はその名前が嫌いだ。だから僕の事は通称である、アルビオンと呼びたまえ。アルでも構わない」
「はい、アルビオン様」
「長いな。うん、アルにしよう」
「はい、アル様」
「いいね。さて、何の話をしていたんだっけ。ああ、そうだ、お茶だな。でも僕は飲めないんだ。分かるだろう?」
そう言ったアル様の胸から、ローブを突き破って剣が突き出た。
彼の背後には、商人が雇った荷運びの男がいる。
その男が、アル様の背後から剣を突き刺したのだ。
「ほらね。でも、驚いたよ」
骸骨が振り向く。
「帝都魔術教導院の名声も地に落ちたものだ。まさか、名前を出しても逆らう気力があるなんてねぇ。それとも、この周辺では知られていないのかな」
人間ではありえない角度で後ろ向きに関節が曲がった。
ローブが翻り、白い指骨が荷運びの男に触れる。
「ぐぶっ」
何が起こったかわからない様子で、男の頭が咲いた。
肉がめくれ上がり、頭蓋骨が反転しているのだ。
人間にはこれほどの量の血が内包されているのかと驚くほど、周囲を赤く染めている。
アル様の顎が、かぱっと開く。
「さてはて。賢明な者であれば、ただの骸骨が勝手に動くわけないことはすぐにわかるはずだ。何故ならば、骨と骨は靭帯や筋肉で繋がっているのだからね。まあ僕の場合は魔導糸を編んで繋げているわけだが、それよりも疑似神経を作り上げるのが手間だったよ。何せ、神経伝達速度は雷と同等だ。しかしね、僕はそこで思いついたのさ。雷と同じであれば、雷魔法で代用してしまえばいいと――――」
「……あの」
私は小さく手を上げた。
アル様の骸骨がくるりと反転して、私を見る。
「うん、何かね」
「皆さん、逃げてしまいました」
「そうか。僕の話に付き合ってくれたら、その間くらいは生きられたのに」
アル様が、残念そうに肩を落とした。
そして、斜め後ろを振り返る。
ちょうど、商人たちが逃げ出してしまった方向だ。
「さて、そろそろだね。彼らの首に巻いた魔導糸が締まる頃だ。ま、君は気にしなくていい。それよりも、お茶だよ。僕は飲めないから、君だけで楽しんでくれ。お金は僕が払っておくから心配いらない」
「いえ、お腹は減っていません」
あまり見たくないものを見てしまって、物が喉を通りそうにもなかった。
人の命など何とも思わないアル様だからこそ、何かの拍子に私の頭がめくれ上がってしまうかもしれない。
手を煩わせたら、折檻だってあるだろう。
そこで、私は思う。
私は私のものでないのに、私を気遣う必要があるのだろうか。
私の命は、金貨百枚。
それほどの価値があるとは思えないけれど。
「へっ」
私が物思いに耽っていると、眼前にアル様の顔があった。
すなわち、白い頭蓋骨が。
元あるべきところから外されて、前に突き出されている。
「触ってみるかい?」
「け、結構です」
「あれ、おかしいな。魔術院では好評だったのだが。特に狼人間のヴォグンには、背筋が凍るほどの熱視線を送られているんだ」
それは食事的な意味の視線では、と私は返答に困った。
頭蓋骨を元の位置に戻したアル様が言う。
「ま、嫌なら無理をする必要はないんだ。僕としては、これから君と仲良くしていきたいだけなんだからね」
「仲良く、ですか」
言葉通りの意味とは思えないので、私は顔を曇らせているのだと思う。
反対に、アル様の表情はよくわからない。
彼が少しだけ頭を傾けた後で、優しく顎を動かした。
「うん、そうだよ。でもまあ、僕が信用できないのは当然だな。この姿を見て逃げ出さずに会話してくれている時点で、僕は助かっているけどね。それなら、お互いに利益のある話をしようか」
「あ、いえ、でしたら」
私は、自分の腕を胸に置いた。
利益の話をするのであれば、金貨の話は避けて通れない。
「私の命に、金貨百枚の価値はあるのでしょうか」
「ないね」
即答だった。
私は小さく口を開けていただろう。
何かを察したアル様が、珍しく慌てた様子で手を振って見せる。
「ああ、違う違う。そっちじゃない。君に価値がない訳じゃないんだ」
「え?」
「君は、人間ではないんだよ」
――――だから、命なんてものは、ない。
膜を張った耳で、遠い異国の言葉を聞いた気分だった。
手が震えている。
「わ、私は」
「残念ながら、君は『生きた人形』と呼ばれる存在だ。息もするし、御飯も食べる。成長だってするんだよ。だが、命と言うべきものがない」
「そんなの、わからないじゃないですか!」
私には、父がいて、母がいた。
小さな頃から、ずっと屋敷で暮らしてきたはずだ。
そのはずだ。
けれど。
どうしても、母の顔だけがわからない。
父は教えてくれなかった。
誰も教えてくれなかった。
私は私のものではなく、命すらないのであれば。
私というものが、何もなくなってしまう。
「それなら、どうして私は生きているんですかっ!」
「うん、とても良い質問だね」
白い骸骨が、微笑んでいるように見えた。
穏やかな風によって、アル様のローブが揺れる。
「僕もそれを知りたいと思っているよ。……見たまえ、この僕の身体を。命があっても骸骨であることに、意味があると思うかい?」
私には、何も答えられなかった。
それをするだけの、知識も言葉も足りていない。
アル様が頷く。
「別にいいじゃないか。命なんかなくても、身体があれば美味しいものだって食べられるだろう。それでも命が欲しいというのなら、それを知ろう。そして、手に入れられるか試してみよう。僕と一緒にね」
白い指が差し出される。
細くて折れてしまいそうな、指の骨。
けれどそれは、今の私には、何より力強かった。
「どう、して」
私は、アル様の指に触れた。
その指は、皮膚もないのに温かい。
「君は覚えていないだろうね。小さな頃の君も、とても可愛かったんだよ」
カタカタと、アル様が笑う。
彼は私の手を引いて、歩き出した。
その、ローブの裾を翻して歩く魔術師の姿は、随分と長い旅をしてきたようだった。
零落令嬢と骨の魔術師 比呂 @tennpura
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