第2話 虹の名前を持つ女神

 気がつくと、あたしは何もない真っ白な空間にいた。

 それに、まるで身体の重さがないみたい。

 あたし、久しぶりに痛みも感じないで立っている。

 あれ? 久しぶりって?


「ようこそ、イリス」

 さわやかできれいな声がして振り向くと、少女が立っていた。

 十歳くらいだろうか。

 あどけなく可愛らしい顔。

 アクアマリンみたいな淡い水色の瞳。

 微笑みを浮かべた小さな薄い唇。

 青みを帯びた銀色の髪が卵形の顔を包み肩を覆い、足もとまで流れ落ちている様子は光の滝みたい。ものすごい美少女だ。

「あら、ありがとう」

 美少女が穏やかに笑う。


「あたし、声に出しちゃってた?」

 なんか恥ずかしい。

「いいえ、イリス。もちろん言葉で話しているのではなく、心に思うことは、すべてわたしに伝わっているのよ」

「それってテレパシーみたいな!?」

 うっかり、テレビドラマで見た超能力もののことを思い浮かべてしまった。

「ふぅん、あなたは人類を管理していたから、そんなふうな記録の残滓が魂に残っているのね」


「人類の管理?」


「忘れることができたのなら何より。それより、あなたに大事な話があるの」

 少女は満面の笑みを浮かべた。


「わたしの名前はスゥエ。異世界の女神みたいなもの。イリス。あなたに、異世界に転生しないかとお誘いにきたのよ」


「ええええ!?」

 あたしは驚いて声を上げてしまう。

「異世界転生!? えっと、それってネット小説とかで、死後、別の世界に生まれ変われるってやつ?」


「その通りよ」

 そういえば何もない白い空間とか、まさにそれっぽいなー、なんて、呑気なことを、あたしは思った。


「……あたし、死ぬとき、どうだったんだっけ」

 考え込む。

 ……なんか、思い出しそうに……

「広い部屋で、壁いちめんに、たくさんモニターがあって……なんか、熱くて痛かった、ような?」


「あら、無理に思い出さなくてもいいじゃないです?」

 なぜだかスゥエと名乗った女神さまは少し慌てたように両手を振って、手を差し伸べてきたので、何気なく手を握る。

 つめたい。

 ひやりとした感触が、思い出しそうになっていた、熱くて苦しい何かの感覚を遠ざける。

「それよりイリス、転生先の世界のことを知りたくない?」

「あっハイ! 知りたいです!」

 食い気味に答えてしまった。恥ずかしい。

 女神さまに引かれないかしら。


「世界の名前はセレナン。それは世界の根源意識の名前なの。よく見て、このわたしの姿は世界セレナンの根源よりも表層にある端末インターフェイス。世界の本体だと大きすぎてあなたと会話もできないから。転生先の世界には人間達がたくさんいるわ。国も、生き物も、それから、精霊も、魔法使いも」

 スゥエ女神さまの水色の目は優しく、あたしを見つめている。


「魔法使い? その世界に行ったら、もしかして魔法が使えるの?」

「うふふ。もちろん。魔法もばっちり使えるわよ」

「すごーい……!」

「ええ。それとね、伝えておかなくちゃいけなかったわ、この世界は精霊によって成り立っているの。精霊には二種類あるわ。セレナン本体の端末である、わたしのこの姿のような存在で、人間のように生きている。……少しばかりの違いはあるけれど。親しくしてやってね。きっといいことがあるわ。彼らの呼び名もセレナンというの。そして今ひとつは自然界に宿るもの。空気や水、火、土、それらのスピリット。エレメントと言う方があなたには理解しやすいかしら。妖精もいるわ。小型のエレメントね。魔法使いに協力してくれる存在よ」

「うわあ……すてき」

 わくわくしてきた!

「あなたは生まれてすぐに妖精も精霊も見えるのよ」


「女神さま、そんなによくしていただいて、いいのかしら?」


「いいのよ。では、そろそろ転生する頃合いね」


「えっ!? もう?」

 穏やかで優しいスゥエさまといると、とても癒やされて、落ち着いたわ。

「お別れするの、さびしいです」

「だいじょうぶよ、心で呼びかけてくれれば、いつでも会えるわ。助けてくれる味方もいるし」

「あの、女神さま、どうしてこんなに良くしてくださるんですか?」

「うふふふ」

 虹の名前を持つ女神は、笑った。

「わたしの名前、スゥエは、セレナンのとある国の言葉で虹という言葉なの。あなたの名前も虹という意味でしょう。放っておけない気がしたの。さよならイリス。また会いましょうね。よい人生を!」


 ありがとう、優しい女神さま。

 いつかまた会えるといいな。


 そう思ったのが、あたし、イリスの最期の記憶だった。


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