転生幼女アイリスと虹の女神

第1話 システム・イリスは地球の終焉を見届ける

　夢の中であたしは叫んでいた。

　喉が切れて血が出るくらい。

　誰にも届かないとわかっているのに。

　なぜなら生きている者などもう地上のどこにもいないから。

　あたしはイリス。

　誰が名付けたのか憶えていない。

　けれど、たしか……『執政官（コンスル）システム・イリス』と、『管理局』の同僚達に呼ばれていた。遠い記憶が、海に浮かぶ泡のように浮かんでは消えていく。

　もう、歳だもの。

　何千年、もしかしたら一万年も生きてきた。

　人造生命である、あたし。

　外見の年齢は成人に達した段階で止まっているけれど、寿命なんてとうに尽きている。かつて『管理局』に勤務していた同僚たちは原生地球人のレプリカだったけれど、櫛の歯が欠けるようにいつしか死に絶え、誰ひとりとして残ってはいない。

　だから、ここに現存している「あたし」はAIである。合成された魂が何世代目かのレプリカである肉体の殻をまとっているにすぎない。

　それにしてはよくできている殻だよね。どうせ複製の肉体なら感覚なんかいらなかったんだけどな。五感、ことに暑さ寒さ、苦痛までもフィードバックされてしまうのはいただけない。

　ここは地球上のすべてを見通せるように建設された『管理局本部』天候及び人類生存管理ステーション。

　設置された場所はワシントンD.C.

　かつて遠い昔には地球連邦首都と呼ばれていた。

　全世界に設置された無数の監視カメラが地球すべてを襲っているカタストロフィのありさまを同時にモニターに映し出す。

　空から降り注ぐ夥しい大火球が核爆弾のように地上を破壊していく。

　地震、竜巻。津波。

　海水は真っ赤で毒液そのものだ。

　赤く濁った大気も猛毒。

　地面に走る亀裂に、都市ごと転げ落ちて呑み込まれていく。

　その都市もゴーストタウン。人なんて生き残ってはいない。都市どころか村にも山にも海にもね。

　監視カメラは刻一刻、次々に壊れていきモニター画面はノイズに覆われる。

　声を限りに叫んでいたつもりだったけれど、あたしの喉はとっくに焼けつぶれて肺は毒の大気に冒されているから実際には掠れ声にもなっていないのだった。さっきから耳障りだと思っていたノイズの正体は自分の口から発していた音だった。

　ああ、もうだれも。もうだれも。

　人も獣も植物さえも地上に生きてはいない。

　どうしてこうなっちゃったんだろう坂道を転がり落ちるように事態は悪くなる一方で。

　核の冬？　沈黙の春？　それすら遙かな過去のことば。

　切り裂かれた大地から噴き出すマグマだけが鮮やかな赤色で目を射る。

　もっともあたしの視力もそれほど残っていない。

　オゾンが大気を削り太陽風がほんの少し以前よりも強く吹きつけている、それだけで、人類も動物も強い紫外線にさらされて視力を失い皮膚は焼け爛れて生命の滅亡にとどめを刺した。

　今は夜。ありがたいことに夜。

　監視塔の動力も死んでいく。暖房もできないから身体は凍り付くけれども、もう何も感じられないから平気。

　ううん、もうどうでもいい。

　どうせ次の朝に太陽が昇ってくれば、このあたしの纏う脆い肉の殻もすぐに壊れるから。

　朝まで生きていられるかどうかもわからないけど。

　あたしに課せられた役割は監視者。

　受精卵の状態で凍結された冷凍睡眠者（コールドスリーパー）たちと、電脳仮想空間で生活している、データに変換された『魂（ゴースト）たち』の管理官。

　地球の終焉を見届ける者、ルート管理者権限を持つ執政官（コンスル）。

　あたしも、もうそろそろ限界だ。

　夜空には月だけが白く、まるで大災厄の前のように美しく輝いている。

　あたしが最期に目にするのはこの、月だろう。

　僅かに光を認識できる機能は残されている。

　せめて優しい思い出を。

　せめて楽しかったことを思い出せたら。

　　　　　　　　※

　刹那に、夢を見ていた。

　遙かな過去の地球で生活していた夢を。

　あたしはアリスという名前で十五歳の女子高生だった。

　サヤカという親友がいた。

　両親が居た。愛に溢れた優しいママとパパ。思い出すだけで、こころが、あたたかくなる。

　ちょっと気になる男の子もいた。まだ名前も知らなかったけれど。

　けれど……それはすべて、目覚めてしまえば儚い夢で幻でしかなくて。

　気づいたときには冷たくも温かくもない人造大理石の床の上に倒れていたのだった。

　意識を失っていたらしい。

　その間に、見た夢。

　はかない夢の記憶が、その詳細など憶えてすらいないのに、感情だけが取り残されて、胸をしめつける。

　よけいに世界の終末の光景が凄惨に見えて。

　実際のところ監視カメラのモニターなんてお飾り。

　これはもうみんな死んじゃったけど管理局の同僚たちのためのモノ。

　あたしの殻（肉体）の神経系（シナプス）は地上に張り巡らされた網（ウェブ）に直結して情報を拾っているから、地球が痛めつけられるダメージが自分に直接フィードバックされてしまうのだ。

　だから。

　苦しい。

　皮膚が目が喉が内臓の粘膜が肉が骨が砕ける焼ける痛い痛い痛い痛い痛い！

　助けて。神さま。

　滅びてしまった人類が信仰していた対象。一神教だったり多神教だったり対象はさまざまだった。人類の心の中は、あたしにはうかがい知ることもできなかった。

　生命の奥津城（おくつき）は、AIであるあたし、イリスには到達できず、理解できなかった部分だ。

　この終焉のカタストロフが、あまりに苦しくて辛くて寂しくて。

　信じるなんて機能は備わっていないはずなのに、思わず、神にすがってしまう。

　もしかしたら……万が一にでも、どこか遠くに本当に存在しているかもしれない、あたし（AI）イリスだけの神さま。

　どうか、いっそのこと、早く、この苦しみを終わらせて……！

　ころして。

　あたしを。