第10話 結

「けどだからこそ、惹かれ合うの」


 陽光を受けて、彼女が言った。 


「弱い私でも、彼との思い出が、あなたと向き合わせてくれるの。あなたは強いわ。魔法でどこへでも行けるのかもしれない。でもね、グリシフィア。そのどこへでも行ける魔法で、あなたはどこへ行くの?」


「どこ……へ……?」


 グリシフィアは言葉を失った。


 月すらない漆黒の夜空から、ただ一人、地表を眺める心象が浮かんだ。そこには誰もいない。何も聞こえない。近づくことも、触れるものも誰もいない。


 なんと退屈な光景だろう。


「あなたがまるで、迷子のように見えるの。何も知らず、月夜に彷徨っている子猫のようだわ」


 この暗闇の世界にあっても、彼女の言葉は全てを貫き、グリシフィアまではっきりと届いた。彼女の眼差しは闇を切り裂き、グリシフィアの脳裏に焼きつく。


 ああ、そうだわ。


「何も知らないグリシフィア」


 彼女と私は、鏡合わせのように同じ姿をしている。けれど、決定的に違う。光と影ほどに、違っていた。


 グリシフィアがフィリオリと体を離す。それから、鏡のように合わせ立つ姫君に向かって言った。


「私とあなた、瓜二つの顔をしているのにね。あなたの方がずっと綺麗だわ」


 自分の美しさの方が影であり、虚像のような気がしていた。悔しくはない。ただ、自分が魔女なのだと、再認識しただけだ。


 けれど、フィリオリは言った。


「あなたの方こそ、私よりずっと綺麗だわ。綺麗で、強くて、初めて見たときから、あなたに憧れた。それでほんの少しだけ、強くなれたの」


 もし自分がこんなに弱くて頼りない存在でなければ、この惨劇を防げたかもしれない。ランスだって、死ななくてすんだかもしれない。


 グリシフィアが最後の確認をする。


「本当に、船にはのらないのね? ミッドランドに来れば、生まれ変わったランスに会えるかもしれないわ」


 そこで一瞬、フィリオリの瞳が揺らいだ。だがゆっくりと首を横に振る。


「私は行けないわ。ここの人たちと一緒に生きていくの。ねえ、グリシフィア。私、あなたが羨ましい。私に永遠の命があれば、ランスの元まで飛んでいくのに」


「この世界のどこに生まれているのかもわからないわよ」


「なら探すわ。永遠の命だもの、きっといつか見つかる」


 フィリオリが初めて微笑んだ。


「グリシフィア」


「なに?」


「弟を頼んだわ」


「頼まれても困るわ。あなたはともかく、あなたの弟は私を仇として恨んでいるわ。会えばきっと闘いになる。何度も繰り返し、ランスを殺すことになるかもしれない」


 魔女の呪いによって100万回の生を受けたランス。


 おそらく憤怒と復讐の化身と化している彼とは、生まれ変わりのたびに殺し合うことになるだろう。


「それでも、ランスは100万回も生まれ変わるのでしょう。そばにいられるのはあなたしかいないわ」


「ばかげてる。いい、フィリオリ。あなたの目の前にいるのは、すべての元凶の魔女なのよ。あなた、おかしいわ」


「そうね、おかしいのかもしれないわ。だってあのとき、炎の中であなたを見て、恐ろしいより先に、どきどきしてしまったもの。悪魔のようなあなたに見惚れていたの」


 全てを支配する夜の支配者の姿。こんな狭い窪地のきまりや仕来りなど、気まぐれ一つで灰燼と化してしまう。


「小さい頃から私ね。ときどき、全てを破壊してしまいたいって、思うことがあったの。私を閉じ込めるこんな窪地なんて、滅んでしまえばいいって」


 グリシフィアが一瞬驚いた顔をしてから、ふっと笑った。


「とんだお姫様ね。あなたがそんなことを考えているなんて、誰にもわからなかったでしょうね」


「そう、私は嘘つきなの。本当の私は王女の立場をぜんぶ投げ出して、弟のランスにさらってもらって、二人だけで海の向こうにいきたかったの」


「私は最初からそうしろと言っていたわ」


「そうだったわね」


 言うと、二人で笑いあった。


「もし生まれ変わりがあるのなら、あなたのように自由でありたい。そうしたら何にも縛られず、好きな人のもとにずっといるの」


 フィリオリが手を伸ばす。そして鏡界線を挟むように、グリシフィアが手のひらを合わせた。


「さよなら、グリシフィア」


「さよなら、フィリオリ」


 そして黒衣の魔女は背を向け、海の方に飛んで行った。フィリオリもノルディンたちの方に歩みを向ける。二人とも、振り返らなかった。









 日が昇り始めた。荒涼の地が光と影に分けられていく。




 炎から解放された呪われた島を、グリシフィアが空からぼんやりと眺めていた。


 200年、炎を護り続けた|炎の魔人(イフリート)は、ランスの槍によって倒された。


 グリシフィアが胸を押さえた。光の尾を引いて突進していくランスの姿に、胸が騒いだのを覚えている。


「私の心臓、まだちゃんと動いていたのね」


 賭けに負けたグリシフィアは、今度生まれ変わったランスに力を貸すことになっている。 


「あなたの思惑通りかしら、フィリオリ」

 

 懐かしい名前を呼ぶ。そして手を伸ばしてみた。


 最後に触れたフィリオリの手のひらの感触は、今も変わらず残っている。

 

「さて、あの真面目な騎士様はどこに生まれ変わっているのやら。ゆっくり探すことにするわ」


 私の命は永遠に続くのだから。



 

 すでにノースティアは遥か遠く、海原の上空をグリシフィアがとぶ。


 かつて滅びた国の姫君の言葉を抱いて、


 いつか、どこかで、再び彼に会うために。




 でも本当にこの命が終わることがあるのなら。


 もし生まれ変わりというものがあるのなら。 


 また、あなたに会うこともあるのかしら。


 ねえ、フィリオリ。

 

 あなたに聞いてみたいことがあるの。(fin)

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