第9話
言葉をなくしているフィリオリの元へ、一人の老婆が近寄ってきた。
「フィリオリ様、ご無事だったのですね」
老婆の顔を見てフィリオリの顔が輝く。
「マリィも無事だったの? よかった……」
それはフィリオリがよく通っていたドレスの仕立て屋だった。そしてグリシフィアと初めて出会った場所でもある。そのときはそっくりな二人が並んで立っていて、周囲では《鏡合わせのお姫様》として噂になっていた。
そのお姫様二人とこんな形で再会するとは夢にも思わなかっただろう。見れば老主人も一緒に逃げてこられたようだ。奇跡的に田舎の村に戻っていたことで、ノルディンの忠告を聞くことができたのだそうだ。
「そのお子様は、まさか」
「はい」
フィリオリが胸に抱いている赤子を見つめた。その父親と同じ白銀の髪をした赤子は、周囲に動じず寝息をたてている。その様子に、兄に似て大物になるだろうという予感がした。
「第一王子ハウルドの嫡子、カイルです」
「なんと、つまりそれは!」
「はい、王家の正統な血統です」
「なんと愛らしい……、カイル様のおくるみは私目が縫わせていただけますか? 今は布がないのですが、でもいつか必ず!」
マリィの言葉にフィリオリが頷く。
「ありがとう、お願いね」
「はい、必ず!」
この約束は後に叶えられることとなる。 (それだけでなく、その布はやがて純正白のマントとして仕立てられ、200年後、ランスと白銀のエルフの少女を護ることになる。)
「あなたにも、感謝申し上げます」
マリィが頭を下げた。その先にいるグリシフィアが、首を傾げる。
「私?」
「炎を堰き止めたのはあなた様の大魔術でしょう。おかげで皆が生きながらえました」
それを聞いて皮肉な笑みを浮かべた。確かに助けることになったが、あの炎を生み出したのも魔女だった。
「礼には及ばないわ。ほんの気まぐれだもの。でも生きてくれていたのはよかったわ。あなたたちのドレスを仕立てる腕は本物だから」
「ご所望なれば魔女様のドレスも仕立て上げます」
「そう。ではいつか、もらいにくるわね」
純正白のドレスは私ではなく、彼女にこそ似合うのでしょうけれど。
「ねえ、フィリオリ」
グリシフィアが名を呼んだ。
「これからどうするつもり?」
フィリオリが赤子に向けていた顔をあげ、それから考え込むように再び俯いた。
東の海が白み、太陽が顔を出してくる。長い夜が明けようとしている。
新しい日の光を浴びて、銀の赤子を抱く彼女はまるで一枚の絵のようだった。
グリシフィアは返事を待たず、言葉を続けた。
「行く当てがないのなら、私の船に乗りなさい。ミッドランドに渡り、そこで保護してあげる。あなたに何も不自由させないわ。その赤子にもね」
フィリオリは俯いたまま、答えない。
「以前、あなたは言っていたわ。自由な私が羨ましい、と。一緒に来ればいい。思うがままに海を渡り、世界中のドレスや宝石であなたを飾ってあげる。あなたは世界で一番美しいのだから、世界で一番、傲慢に生きればいいの」
すると彼女が顔をあげた。銀の瞳が、同じ顔の黒衣の魔女を映す。
「そこにあなたの大切な人はいるの?」
「大切な人? 何を言ってるの? 私以外のものなんかどうでもいいわ」
するとゆっくりと、フィリオリが近づいてきた。そのままグリシフィアにもたれかかり、肩に額を乗せた。
「ごめんなさい、グリシフィア。私はあなたとは一緒に行けないわ」
「拒否権はないわ」
黒衣の魔女の目がすっと冷めていく。フィリオリが顔をあげる。息のかかる距離で同じ顔が見つめ合う。
「あなたは私の大切なものをたくさん奪ったわ。国も、お父様も、お母様も、ランスも。あなたは酷い人、魔女だわ。あなたが憎い。憎まなくては、いけないのに———」
銀の瞳に宿っているものは憎しみではなかった。
「———あなたのこと、嫌いになれないの。グリシフィア」
それは傲慢の魔女が初めて向けられる感情だった。グリシフィアは、自分が憐れまれていることに気がつき、狼狽えた。
「嫌いになれない? どうしてかしら。私はあなたのすべてを奪ったわ」
「あの炎はあなたの魔法ではないのでしょう?」
「どうしてそう思うの?」
「私は嘘つきだから……他の人の嘘はわかるの」
フィリオリの銀色の瞳に、黒衣のグリシフィアが映っている。まるで見透かされるような感じがして、魔女は表情を引き締めた。
「そう。確かにあの炎は私ではなく、他の魔女の仕業だわ。でも私が協力したことにかわりはない」
「それも嘘。あなたはきっと他の魔女に協力したりしない」
「知ったふうなことを言うのね。私はランスやあなたの兄を殺したのよ」
ランスの名前に銀の瞳が揺らぐ。けれど、決してそらさずに言葉を続けた。
「確かにあなたはランスやお兄様を殺したわ。けれど、斬りかかっていったのはお兄様からだったわ」
「他の兵も殺したわ」
「この子を救いもした。兵士だって、あなたが直接手を下したわけではない」
ふう、とグリシフィアが息を吐いた。
「あなた、何を言っているの? 本当は私が親切な魔女とでも言いたいの?」
「そうじゃない。グリシフィア、私、あなたを恨みたくない」
「なぜ? 恨めばいいわ。憎めばいい。私はあなたの大切な者を嗤いながら殺したわ」
「あなたはとても残酷な人よ。自由で、強くて、残酷……でも、でもね。私、あなたを見ていると、とても胸が詰まってしまうの」
その口調は仇に向けられるものではなかった。これから旅に出る娘に送るような、二度と会えない友人に向けたような、そんな声音だった。
「だってあなた、何も知らないのだもの」
「知らない? 私は不死にして不変、完成された存在なの。あなたより、ずっと長く生きてきたのよ。その私が何を知らないというの?」
「あなたのいう通り、私たちはあっという間に死んでしまうわ。不完全で、弱くて、自分が嫌になる」
「そう、人間は不完全だわ。短い生すら思うように生きられない、弱い生き物よ」
「けどだからこそ、惹かれ合うの」
陽光を受けて、彼女が言った。
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