第28話「バリケードの向こうへ」
薄暗い警備室で、俺たちは最小人数での探索準備を整えていた。
今回の目的はあくまで“確認”——バリケードの向こうの声が人間なのか、それともモンスターなのかを見極めること。
不用意に扉を開けてしまえば、取り返しのつかない状況になる可能性もある。慎重に行動するしかない。
「ハジメ、メンバーはどうする?」
北村が腕を組んでこちらを見ている。
「俺と、お前……あと橘と藤崎で行こう」
「俺もか……まあ、しゃーねぇな。もたもたしてると夜になるしな」
橘は深く息をつき、腰に巻いていたベルトナイフをしっかりと固定する。
このビル内では基本的に鉄パイプやバールがメイン武器だが、接近戦の際にナイフが役立つ場面は多い。
藤崎は緊張の色を隠せない。俺の決定を聞くと、手にした鉄パイプを握り直しながら「や、やるしかないですよね……」と呟く。
彼の心情はよく分かる。ここ数日で覚悟は決めたとはいえ、まだ実戦経験が少なく、不安は拭えないはずだ。
「いいか、あくまで“最低限の確認”だけだ。下手に深入りはしない。危なそうならすぐ戻る」
俺は念押しする。
「……分かった。慎重に行こう」
北村が頷き、リナが心配そうに後ろから声をかける。
「気をつけて……もし何かあったら、すぐに知らせて!」
「おう、もちろんだ」
バリケードは頑丈に組まれているが、開閉を想定して作られているため、慎重に外せば騒音を抑えて開けることができる。
俺たちは数センチずつ慎重に扉を開け、周囲の状況を確認することにした。
金属が軋む小さな音とともに、バリケードの隙間がわずかに開く。
懐中電灯の光を漏らさないように、スリットの隙間から外を覗き込む。
「……誰かいるか?」
俺は小声で問いかける。
——が、返事はない。
代わりに、うめき声が近くで聞こえた。
「……た、すけ……て……」
ぞわりと背筋が凍る。
確かに人の声だ。
かすれたその声は、痛みに耐えるような、あるいは衰弱しきった者のものだった。
「……これ、マジで人間か?」
橘が小声で呟く。
「……でも、なんかおかしくねぇか?」
北村が首をかしげる。
俺も感じていた違和感——それは、声の主の動きがほぼ感じられないことだった。
普通なら、助けを求めるならもう少し必死に叫ぶはずだ。
しかし、この声には“意志”があまり感じられない。
「どこにいる……?」
俺は目を凝らしながら、さらにわずかにバリケードの隙間を広げた。
——そして、見えた。
床に横たわる人影。
ぼろぼろの服を着た中年の男。痩せこけた頬と、腕や足には血のにじんだ傷跡。
だが、何より異様だったのは——
「……目、開いてねぇぞ……?」
藤崎が息をのむ。
そう、この男は俺たちに助けを求めるような目をしていなかった。
目は半開きのまま、どこを見ているのか分からない。
それでも、かすれた声だけが発され続けていた。
「……おい、これって……」
北村が低く呟く。
「……あいつ、死んでるのか……?」
だが、死体ならなぜ声が出る?
「まさか……転化しかけの異形か?」
橘が警戒し、ベルトナイフに手を伸ばす。
それを聞いた藤崎が、びくりと肩を震わせた。
「ま、待ってください! もし、本当にただの負傷者だったら……!」
「分かってる。でも、あの状態で声だけ発してるってのは異常すぎる」
俺は慎重に、さらに小さな隙間から懐中電灯を当てる。
その瞬間——
ガクン!
男の身体が、不自然なほど急激に動いた。
「やべぇ……!」
北村が反射的にバリケードを押さえる。
「後退! すぐ閉めるぞ!」
俺たちは素早くバリケードを元に戻し、一気に施錠する。
扉の向こうから、カサ……カサ……と、何かが動く音が聞こえる。
「ちっ……これはモンスターだな……!」
俺たちは全員汗をにじませながら息を整える。
「でも、さっきまで人だった……ってことは」
橘が険しい表情をする。
「やっぱり……“人間が異形になる”って話、あり得るってことか……?」
その場の誰もが沈黙する。
「とにかく……バリケードは開けずに正解だったな」
俺は確信を持って言った。
「ああ、開けてたら確実に襲われてたな……」
藤崎は顔を青くしながら、それでも何かを言いたげだった。
「でも、元は……人だったんですよね……」
「……ああ」
これは単なる敵じゃない。
おそらく、この男は少し前まで俺たちと同じ“人間”だった。
だが、何らかの理由で異形へと変貌しつつあり、既に自我も失われかけている。
「もう少し遅かったら、俺たちもああなってたってことかもな……」
橘が自嘲気味に呟く。
「……ハジメ、今後どうする?」
北村が尋ねてくる。
俺はしばらく考え、答えを出す。
「このビルの外には、まだ生き残ってる人間がいるかもしれない。でも……変異しかけたヤツも混じってるなら、慎重に見極めないとダメだ」
「つまり?」
「次からは“生存者を見つけても、すぐには中に入れない”ってことだ」
リナや藤崎が辛そうに俯く。だが、これが現実だ。
俺たちの拠点を守るためには、下手な慈悲をかける余裕はない。
「とにかく、今日はもう動くな。外は危険だ」
俺たちはバリケードの施錠を再確認し、警備室へ戻った。
こうしてビル入口からのうめき声は止み、代わりに新たな不安が俺たちの心に巣食うことになった。
“人間が異形へと変わる”——この現象が意味することは、今後の生存戦略に大きな影響を与えることになるだろう……。
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