流浪の賢人とその弟子、髑髏の兵団を討滅す

まさつき

前編 妖女からの呼び出し

 今は昔のことである。


 唐国からくにより渡り来た道登法師どうとうほうしと云う賢人がいた。


 裳付もつけをまとった流浪の僧侶と見えて、その実は不老不死の仙人である。唐国にて仙道を得てのちおよそ三百年。留学の徒であった恵日えにちの帰国の船にまぎれ、倭国へ渡ってより五百年ほどの時が経つという。宇治橋の架設に携わったとの逸話も残るが、本人に聞いても「はて?」というばかりで定かではない。


 確かなことは、裳付姿でも隠せない、姿を見た女が総じて腰を崩すほどの美男であること。仏法に道術、陰陽から果ては閨房けいぼうまで、あまねく術を極めた傑物であるということのみである。


 道登には一人、童子の弟子がいた。名を制多せいたと云う。


 熊野の農村で暮らしていたが、流行はややまいで両親を含めた村人すべてが亡くなる中、ひとり生き残ったという不可思議な子供である。持って生まれた仙縁により道登と巡り合い、類い稀なる仙骨を備えた身を見込まれて、弟子となること早三年。


 幼いながらも武芸は並の武人では歯が立たぬほどの腕を見せるが、仙人の弟子でありながら術の覚えは遅々として進まないという、変わり種の童子であった。


 さてここで、そんな子弟の数奇な旅路における、逸話のひとつを語るとしよう。



    §


 制多が十歳となった、夏のことである。


 道登は弟子を伴い、那古野荘なごやのしょうの近く、山深い竹藪の中にある霊気漂ういおりを目指す道中にあった。今では尾張国おわりのくにと呼ばれる辺りの山中である。


 道登は童子の弟子を伴い、初蓮はつれんという妖仙の庵を訪ねようとしていた。初蓮は、白狐びゃっこのあやかしである。かつてこの地を訪れたと言われる徐福じょふくの弟子となり仙道を得たという初蓮に、伝説の仙人の話を聞こうと道登はこの地へ足を延ばしていたのだ。


 竹林の隙間から、射かけるような夏の日差しが童子の身を炙っていた。


「御師さ~ん……この暑さ、なんとかならないのかぁ~い?」


 もとよりほんのり火照った愛くるしい顔立ちの制多だが、今は茹でたタコか、迷い出た赤鬼の子供のような有様となっていた。体中から、汗が滝のように流れている。


 ところが師匠の道登は――涼やかな面持ちのままである。汗ひとつかいていない。


「体内で練った内気を身にまとって、熱を遮断するのですよ。私が今、やっているみたいにね。ほら、真似してごらんなさい」


 こともなげだ。


「見せられたって、おいらわかんないよ……」


 ちゃんと教えておくれよ――と、制多はどんよりとした眼差しで、師の顔を見上げるばかりだ。


「お前、気功術を武芸に応用するのは得意なのに、こうした繊細な術の扱いがどうにも苦手なようですねえ」

「御師さん……人にはねぇ、得手不得手ってもんがあるの」


 三年も教えればもう少し達者に……とか、私のときは……などと、道登はぶつくさとしながら、竹林の中を歩いてゆく。


 とはいえ、弟子の覚えの悪さの原因は、師の教えの悪さにもあった。


 齢数百年を優に超す道登が初めて弟子を得て、初めて知ったことなのだが――そして、本人もあまり認めたがらないこととして――極めて、教え下手なのである。


 というよりも、「分からないのが、分からない」とするほうが正しいか。


 道登は学ぶことにおいて、つまづくことを知らないのだ。それゆえ、他人が学ぶにあたって何に苦労をするのか、まったく理解が及ばない。


 あらゆる術に非凡な才を示すこの仙人は、人に物を教えるということにかけては、凡庸以下である。


 人には得手不得手があるというのは、確かに弟子の言うとおりであるらしい。


「――練った内気を、身体のまわりに出して……おおっと!!」


 とにかく師に言われたことをやってみようと、素直に試したとたん。制多の周りに、突風が巻き起こった。あたりの竹林が、制多を中心に丸く薙ぎ倒されてしまう。


 突然背中に大風を受けた道登もさすがに驚き、目を丸くして弟子を振り返った。


「おお! 涼しくなったぞ!」と、制多はご満悦である。

「お前、身体の熱をひといきに外へ吐きだしたのですね。それをね、もっと静かに細やかにやるのですよ」

「ん-、それはちょっとまだ、むつかしぃ~なぁ~」


 弟子の様子にやれやれと天を仰いだ道登の目に、一羽の夏鳥の姿が映った。つばめである。予想もしない大風に煽られて身体を崩した燕が、ひらひらとしながら道登と制多の足元に舞い落ちてきた。


「わあっ! 悪いこと、しちゃった? 死んじゃったかな」


 ふいに険しい顔をした道登に、制多は不穏な気配を感じておずおずと訊いた。しかし、師の答えは意外なものであった。


「いや、死んではいません。生きてもいない。これは……」


 二人の目の前で、燕が背を伸ばして立ち上がった。


 そのうちに〝ぴゅいぴゅい〟とさえずりながら、身を震わせはじめる。


式神しきがみの燕……もう、そんな時期でしたっけ」


 いや、まだ二十年はかかるはず……などと思案気にする道登の面立ちが、どんどん険しさを増すのに合わせて――燕が、姿形を変えはじめた。


 羽毛を逆立て、翼を広げ、やがてくるりと一回りしてみせると――


 そこに現れたのはとても小さな、身の丈八寸ほどの、娘の姿であった。



    §


 人形のような娘の姿は、実にあでやかで、愛らしくもあり……妖しい。


 年の頃は、十七、八。藍と白を織りなしたつやのある単衣ひとえをまとい、長く流れるように滑らかな黒髪には、炎の如く赤い花形の髪飾りが添えられている。切れ長の目をした面立ちは涼やかな美しさを備えていたが、同時に強く勝気な気性も滲ませていた。


「やい、道登!」


 愛らしい、小さな菩薩像のような口から、大音声だいおんじょうが響きわたった。風もないのに、竹林の笹の葉が驚いたようにざわめいている。


 呼ばれた師の顔を見上げると――この上もなく渋いしかめ面を作っている。どうやらこの口上は、娘の本体によって送られた言付けであるらしい。


「今すぐ、坂東ばんどうまで参るのじゃ!」


 坂東――つまり、今でいう関東の地のことだ。ここ那古野荘からは、遠く八十里は離れた土地である。


「道登よ! お主、われという者がありながら、最近弟子をとったそうではないか! まったく! 聞き捨てならぬことなのじゃ! 今すぐ我の元へと馳せ参じ、我の修行のほどを確かめい!!」


 今すぐ馳せ参じろとは、弟子らしき者にしてはずいぶんと横柄な物言いである。しかもどうやら今すぐというのは文字通り、寸時も開けずということらしい。


 訝しむ制多の前で、道登は珍しく悪態をついていた。


滝姫様たきひめさま、あいかわらずわがままなことで……まったく! いや、しかし……前回稽古をつけてから、まだ三十年しか経っていないはずですが……」


 ひとしきり怒りを吐きだしたのか、道登は深く長いため息をつくと、いつものほがらかで飄然ひょうぜんとした様子を取り戻した。


「仕方がない……制多、私の背に乗りなさい」

「え? おぶってくれるってことかい?」

「そうです、お前はまだ、雲には乗れませんからね」


 言われるままに、制多は師の背に飛び乗り、はっしとしがみついた。


 雲に乗るとはつまり、空を駆けるということだ。どうやら道登は、言付けに従い寸時も開けずにこれより坂東まで飛ぶらしい――


 初めての空の旅に、制多の心は子供らしく昂る。


「では、行きます――」


 道登は右手の人差し指と中指を揃えて立てると、口元で印を結んだ。一息吸い込み、ひゅうっと空気を鳴らして、指先に向け息を吹く。


 結んだ印を小刀のように構え、吹きかけた息を左右に斬ること三度四度、最後に右から左へ大きく薙ぎ払うと――真綿の如き夏雲が一つ千切られ空を駆け、一塊ひとかたまり金色こんじきの尾を引き道登の前まで飛んでくるではないか。


「せいっ」とひと声気合をかけて、道登は制多を背負ったまま雲に飛び乗った。


「しっかり、掴まっていなさい」と弟子に声をかけるや、僅かに身体を前に傾けると――制多の目にする景色が、まるではじけ飛ぶように背中の方へと流れ――瞬きする間に眼下には、広々とした平らかな景色が広がっていた。


 坂東の地――どこまでも続く、赤褐色の土を抱いた平野である。


 呆気にとられる弟子の前で披露した仙術は、一瞬にして十万八千里を跳び駆ける、道登の雲乗りの術であった。



    §


 道登と制多が雲から降りた地の遠く、視線の先に一人の娘が、立っていた。制多にも見覚えがある。式神の燕が変じた、小さな娘の、大きな姿だ。


 待ち構えていたのは、滝夜叉姫たきやしゃひめ――かつて朝廷の世を転覆せんと坂東の地で謀反を起こした武人の娘、そして敢え無く討ち取られた強者を父に持つ姫君にして、妖女。


 今の世に大妖霊として知られる平将門たいらのまさかどの愛娘、滝姫その人だ。


 父に仇なす都の者たちに復讐せんと滝姫は、かつて都の北、山峡の地にある貴船明神きぶねみょうじんやしろにて丑三つ参りに努めること二十と一日。満願成就となった夜、現れた荒御霊あらみたまより妖力を授かり、滝姫はあえかな姫から、なまめかしき不老長命の妖女へと変化したのであった。


 その日より、滝姫は己の名に〝夜叉〟の二文字を加えて〝滝夜叉姫〟を名乗った。


 そうして身に宿した妖術を振るい、妖魔の軍勢を坂東の地で仕立て上げた。いざ都へ攻め登ろうとした滝夜叉姫の前に立ちはだかったのが、朝廷より妖女成敗の勅命を受けた武人、大宅光圀おおやのみつくに率いる朝廷軍と……道登であったのだ。


 いかにして、滝夜叉姫の叛意を先んじて都の者が知りえたのか。それには道登の陰なる働きもあったのだが……その話はまた、稿を改めることとする――


「遅いではないかっ! 道登!!」


 激しく勇ましい姫の声が、坂東の平野に轟いた。


「滝姫様、お約束の時には、まだ二十年ほどかかるはずですか?」

「〝滝〟ではない、滝夜叉じゃ!」


 不満を口にする滝夜叉姫の態度など意に返さず、道登は飄然として娘の前で立ち止まる。それがますます、妖女の心を乱したらしい。


「弟子など取らぬと言うておったお主が弟子をとったと聞き及び、居ても経ってもおられぬ我の気持ちが、お主にわかるかっ!」

「いや、そう申されましても。私が誰を弟子に取るかなんて、滝姫様には関わりのないことではありませんか」


 気がつけば、張り上げる滝夜叉姫の声には、わずかに涙が孕んでいた。


「関わりあるわっ! ええいっ……その小童こわっぱと我のどちらが弟子にふさわしいか、今この場で決めようではないかっ!」


 いったいなにを言い出すのかと、道登は僅かに眉を寄せる。


 ああ、そういう……と、制多はなんとはなしに、得心した。なるほどあの姉ちゃんは、妬いているんだな、と。


 それが女心の故なのか、弟子の座を先に取られた腹いせなのか……制多には測りかねるところではあるのだが――


「そんならおいらが、姉ちゃんと力比べでもすりゃあいいのかい?」と言いながら、制多は道登と滝夜叉姫の間に進み出る。


「制多っ、待ちなさい」


 思わぬ弟子の成り行きに、珍しく道登は慌ててしまった。


「良い度胸じゃ。誰が道登の弟子に相応しいのか、この弟子自ら試してやろうぞ」


 滝姫様まで……と道登が止める間もなく、妖姫は荒ぶる魂を呼び醒ます、まがまがしい呪を唱え始めた。


 高く、低く、粘るように長く響く呪言が、坂東の古戦場を這い廻る。ここは数多の強者の魂が眠る、怨念孕んだ合戦場の名残の地。


 やがて大地が震え、赤褐色の地を割って、無数の骨の腕が生え伸びた。土に手をかけ身を起こし、頭蓋が現れ、肉の抜けた胴が現れ――ついに立ち上がったのは、鎧に身を包んだ骸骨の武者たち。太刀に槍に様々な得物を手にし、後ろには弓矢を構える骸骨武者――その数、一千を下るまい。


 道登と制多はあっという間に、骨の大軍勢に取り囲まれてしまったのである。

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