流浪の賢人とその弟子、髑髏の兵団を討滅す
まさつき
前編 妖女からの呼び出し
今は昔のことである。
確かなことは、裳付姿でも隠せない、姿を見た女が総じて腰を崩すほどの美男であること。仏法に道術、陰陽から果ては
道登には一人、童子の弟子がいた。名を
熊野の農村で暮らしていたが、
幼いながらも武芸は並の武人では歯が立たぬほどの腕を見せるが、仙人の弟子でありながら術の覚えは遅々として進まないという、変わり種の童子であった。
さてここで、そんな子弟の数奇な旅路における、逸話のひとつを語るとしよう。
§
制多が十歳となった、夏のことである。
道登は弟子を伴い、
道登は童子の弟子を伴い、
竹林の隙間から、射かけるような夏の日差しが童子の身を炙っていた。
「御師さ~ん……この暑さ、なんとかならないのかぁ~い?」
もとよりほんのり火照った愛くるしい顔立ちの制多だが、今は茹でたタコか、迷い出た赤鬼の子供のような有様となっていた。体中から、汗が滝のように流れている。
ところが師匠の道登は――涼やかな面持ちのままである。汗ひとつかいていない。
「体内で練った内気を身にまとって、熱を遮断するのですよ。私が今、やっているみたいにね。ほら、真似してごらんなさい」
こともなげだ。
「見せられたって、おいらわかんないよ……」
ちゃんと教えておくれよ――と、制多はどんよりとした眼差しで、師の顔を見上げるばかりだ。
「お前、気功術を武芸に応用するのは得意なのに、こうした繊細な術の扱いがどうにも苦手なようですねえ」
「御師さん……人にはねぇ、得手不得手ってもんがあるの」
三年も教えればもう少し達者に……とか、私のときは……などと、道登はぶつくさとしながら、竹林の中を歩いてゆく。
とはいえ、弟子の覚えの悪さの原因は、師の教えの悪さにもあった。
齢数百年を優に超す道登が初めて弟子を得て、初めて知ったことなのだが――そして、本人もあまり認めたがらないこととして――極めて、教え下手なのである。
というよりも、「分からないのが、分からない」とするほうが正しいか。
道登は学ぶことにおいて、つまづくことを知らないのだ。それゆえ、他人が学ぶにあたって何に苦労をするのか、まったく理解が及ばない。
あらゆる術に非凡な才を示すこの仙人は、人に物を教えるということにかけては、凡庸以下である。
人には得手不得手があるというのは、確かに弟子の言うとおりであるらしい。
「――練った内気を、身体のまわりに出して……おおっと!!」
とにかく師に言われたことをやってみようと、素直に試したとたん。制多の周りに、突風が巻き起こった。あたりの竹林が、制多を中心に丸く薙ぎ倒されてしまう。
突然背中に大風を受けた道登もさすがに驚き、目を丸くして弟子を振り返った。
「おお! 涼しくなったぞ!」と、制多はご満悦である。
「お前、身体の熱をひといきに外へ吐きだしたのですね。それをね、もっと静かに細やかにやるのですよ」
「ん-、それはちょっとまだ、むつかしぃ~なぁ~」
弟子の様子にやれやれと天を仰いだ道登の目に、一羽の夏鳥の姿が映った。
「わあっ! 悪いこと、しちゃった? 死んじゃったかな」
ふいに険しい顔をした道登に、制多は不穏な気配を感じておずおずと訊いた。しかし、師の答えは意外なものであった。
「いや、死んではいません。生きてもいない。これは……」
二人の目の前で、燕が背を伸ばして立ち上がった。
そのうちに〝ぴゅいぴゅい〟とさえずりながら、身を震わせはじめる。
「
いや、まだ二十年はかかるはず……などと思案気にする道登の面立ちが、どんどん険しさを増すのに合わせて――燕が、姿形を変えはじめた。
羽毛を逆立て、翼を広げ、やがてくるりと一回りしてみせると――
そこに現れたのはとても小さな、身の丈八寸ほどの、娘の姿であった。
§
人形のような娘の姿は、実に
年の頃は、十七、八。藍と白を織りなした
「やい、道登!」
愛らしい、小さな菩薩像のような口から、
呼ばれた師の顔を見上げると――この上もなく渋いしかめ面を作っている。どうやらこの口上は、娘の本体によって送られた言付けであるらしい。
「今すぐ、
坂東――つまり、今でいう関東の地のことだ。ここ那古野荘からは、遠く八十里は離れた土地である。
「道登よ! お主、
今すぐ馳せ参じろとは、弟子らしき者にしてはずいぶんと横柄な物言いである。しかもどうやら今すぐというのは文字通り、寸時も開けずということらしい。
訝しむ制多の前で、道登は珍しく悪態をついていた。
「
ひとしきり怒りを吐きだしたのか、道登は深く長いため息をつくと、いつものほがらかで
「仕方がない……制多、私の背に乗りなさい」
「え? おぶってくれるってことかい?」
「そうです、お前はまだ、雲には乗れませんからね」
言われるままに、制多は師の背に飛び乗り、はっしとしがみついた。
雲に乗るとはつまり、空を駆けるということだ。どうやら道登は、言付けに従い寸時も開けずにこれより坂東まで飛ぶらしい――
初めての空の旅に、制多の心は子供らしく昂る。
「では、行きます――」
道登は右手の人差し指と中指を揃えて立てると、口元で印を結んだ。一息吸い込み、ひゅうっと空気を鳴らして、指先に向け息を吹く。
結んだ印を小刀のように構え、吹きかけた息を左右に斬ること三度四度、最後に右から左へ大きく薙ぎ払うと――真綿の如き夏雲が一つ千切られ空を駆け、
「せいっ」とひと声気合をかけて、道登は制多を背負ったまま雲に飛び乗った。
「しっかり、掴まっていなさい」と弟子に声をかけるや、僅かに身体を前に傾けると――制多の目にする景色が、まるではじけ飛ぶように背中の方へと流れ――瞬きする間に眼下には、広々とした平らかな景色が広がっていた。
坂東の地――どこまでも続く、赤褐色の土を抱いた平野である。
呆気にとられる弟子の前で披露した仙術は、一瞬にして十万八千里を跳び駆ける、道登の雲乗りの術であった。
§
道登と制多が雲から降りた地の遠く、視線の先に一人の娘が、立っていた。制多にも見覚えがある。式神の燕が変じた、小さな娘の、大きな姿だ。
待ち構えていたのは、
今の世に大妖霊として知られる
父に仇なす都の者たちに復讐せんと滝姫は、かつて都の北、山峡の地にある
その日より、滝姫は己の名に〝夜叉〟の二文字を加えて〝滝夜叉姫〟を名乗った。
そうして身に宿した妖術を振るい、妖魔の軍勢を坂東の地で仕立て上げた。いざ都へ攻め登ろうとした滝夜叉姫の前に立ちはだかったのが、朝廷より妖女成敗の勅命を受けた武人、
いかにして、滝夜叉姫の叛意を先んじて都の者が知りえたのか。それには道登の陰なる働きもあったのだが……その話はまた、稿を改めることとする――
「遅いではないかっ! 道登!!」
激しく勇ましい姫の声が、坂東の平野に轟いた。
「滝姫様、お約束の時には、まだ二十年ほどかかるはずですか?」
「〝滝〟ではない、滝夜叉じゃ!」
不満を口にする滝夜叉姫の態度など意に返さず、道登は飄然として娘の前で立ち止まる。それがますます、妖女の心を乱したらしい。
「弟子など取らぬと言うておったお主が弟子をとったと聞き及び、居ても経ってもおられぬ我の気持ちが、お主にわかるかっ!」
「いや、そう申されましても。私が誰を弟子に取るかなんて、滝姫様には関わりのないことではありませんか」
気がつけば、張り上げる滝夜叉姫の声には、わずかに涙が孕んでいた。
「関わりあるわっ! ええいっ……その
いったいなにを言い出すのかと、道登は僅かに眉を寄せる。
ああ、そういう……と、制多はなんとはなしに、得心した。なるほどあの姉ちゃんは、妬いているんだな、と。
それが女心の故なのか、弟子の座を先に取られた腹いせなのか……制多には測りかねるところではあるのだが――
「そんならおいらが、姉ちゃんと力比べでもすりゃあいいのかい?」と言いながら、制多は道登と滝夜叉姫の間に進み出る。
「制多っ、待ちなさい」
思わぬ弟子の成り行きに、珍しく道登は慌ててしまった。
「良い度胸じゃ。誰が道登の弟子に相応しいのか、この姉弟子自ら試してやろうぞ」
滝姫様まで……と道登が止める間もなく、妖姫は荒ぶる魂を呼び醒ます、まがまがしい呪を唱え始めた。
高く、低く、粘るように長く響く呪言が、坂東の古戦場を這い廻る。ここは数多の強者の魂が眠る、怨念孕んだ合戦場の名残の地。
やがて大地が震え、赤褐色の地を割って、無数の骨の腕が生え伸びた。土に手をかけ身を起こし、頭蓋が現れ、肉の抜けた胴が現れ――ついに立ち上がったのは、鎧に身を包んだ骸骨の武者たち。太刀に槍に様々な得物を手にし、後ろには弓矢を構える骸骨武者――その数、一千を下るまい。
道登と制多はあっという間に、骨の大軍勢に取り囲まれてしまったのである。
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