4 夏目漱石『こころ』


 日本語で書く作家のなかでは、夏目漱石がいちばん好きです。小学生のときに出会ってから今までずっと好き。


いったいどうしてこれほど好きなのか。

 1.まず人物が好み。

 2.つぎに物語の基調をなす情感が好き。

 3.なにより文章が好き。



 私が本を読む愉しみのひとつは、文章をシャワーのように浴びることです。うつくしい文章、味のある文章、味がありすぎてクセの強い文章、声に出して読みたい文章……、なかでも日本語で書く作家の文章のシャワーはやはり格別です。

 外国語で書かれていても、もちろん味わい深い文章はわかるものですが、どうしても翻訳者が間に入るし、原文の音感までは伝わらない。



では、夏目漱石の文章は名文であるか?

 私としてはイエスと答えたい。でも、他の方にも同様に捉えられるかは私は自信がありません。

 うつくしい文章だと思います。ただし、美文・麗文という意味ではない。荘重な文章というわけでもありません。

 むしろそこらに散らばる江戸っ子らしいアイロニカルな諧謔や滑稽味おかしみが、文学としての格を落とすものだと感じさせるかもしれません。

 あるいは言葉づかいが正しくなかったり、漢字表記や表現に揺らぎがあったり。

 さらには言葉にたいして装飾を加えることなく、平板に単調に綴られていく文章を前にしては、もはや稚拙との判決を下す方がいたとしても仕方ないとさえ思ってしまいます。


 ところが私にとってはこれらの特徴がすべて、漱石の文章が名文であることを証していると思えるのです。


 言葉づかい・漢字づかいの揺らぎや、現代から見ての違和感については、明治から大正にかけて書かれた文章であることが宿命的に内包する意味を理解しておくとよいと思います。明治は、言文一致を目指した書き言葉を時期でした。漱石はその二番手ランナーぐらいでしょうか、すこし上の世代の作家たちが切り拓いた道を、時には整え、時にはさらに切り拓く、そんな位置づけにあったように思います。



 初期の文章は、華美であったり荘重であったりもします。

 例えば下の、一つめは華美、二つめは荘重。石を削ったような硬質なうつくしさがある。こんな文章を書こうと思えばもちろん書けるわけです。


『古き江に漣さえ死して、風吹く事を知らぬ顔に平かである。舟は今緑むる陰を離れて中流に漕ぎ出ずる。櫂操るは只一人、白き髪の白き髯の翁と見ゆ。ゆるく掻く水は、物憂げに動いて、一櫂ごとに鉛の如き光りを放つ。舟は睡蓮の睡れる中に、音もせず乗り入れては乗り越していく。

 うてな傾けて舟を通したるあとには、軽く曳く波足と共にしばらく揺れて花の姿は常の静さに帰る。押し分けられた葉の再び浮き上がる表には、時ならぬ露が珠を走らす。』


『彼等は遅かれ早かれ死なねばならぬ。去れど古今に亙る大眞理は彼等におしへて生きよと云ふ、飽く迄も生きよと云ふ。彼等はやむを得ず彼等の爪をいだ。尖がれる爪の先を以て堅き壁の上に一と書いた。(中略)斧の刃に肉飛び骨くだける明日を豫期した彼等は冷やかなる壁の上に只一となり二となり線となり字となつて生きんと願つた。壁の上に殘る横縦の疵は生を欲する執着の魂魄である。』



 次第と漱石の文章は装飾少なになっていきます。

 当時、小説作法の流行が「ロマン主義」から「自然主義」へと移行していったことも背景にあるでしょう。(漱石自身は、ことさらに自然主義を標榜したり、その一派と目されたりすることを好まなかったようですが)


『自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花瓣に接吻した。自分が百合から顔を離す拍子に思はず、遠い空を見たら、暁の星がたつた一つ瞬いてゐた。

「百年はもう來てゐたんだな」と此の時始めて氣が付いた。』


『静かな夜を、聞かざるかと輪を鳴らして行く。鳴る音は狭き路を左右に遮られて、高く空に響く。かんからゝん、かんからゝん、と云ふ。石に逢へばかゝん、かゝらんと云ふ。陰氣な音ではない。然し寒い響である。風は北から吹く。』


『私は母を評した兄のこの言葉を、暗い遠くの方から明らかに引張出してくる事が今でも出来る。然しそれは水に融けて流れかゝつた字體を、きつとなつてやつと元の形に返したやうな際どい私の記憶の斷片に過ぎない。其外そのほかの事になると、私の母はすべて私にとつて夢である。』


『あの鳥は何うなりましたと聞いたら、あれは死にました、凍えて死にました。寒い晩に庭の木の枝に留まつたまんま、翌日になると死んでいましたと答えられた。』



 装飾を剥ぎとっていくことで、漱石は文章をよりうつくしく、清明に、枯淡に、日本人の心に沁みるものに昇華させました。(特に最後に上げた文章の平明なうつくしさ!)

 そこに一滴うるおいを与えているのは、叙述の下にかくれている諧謔おかしみでしょう。陽気な人間の諧謔ではない。不幸や辛酸にながく堪えた人の、それでも絶望しないで小さな楽しみを日々に見出す諧謔です。(『猫』や『坊ちやん』に顕著)




 そろそろ『こゝろ』に入りましょう。

(今回はあまり余計なことを言うよりなるべくたっぷり漱石の文章のシャワーを浴びていただくようにしたいと思います)


 「先生」の手紙を読んでいると私の心のなかには「死に至る病」という言葉が浮かんできます。必ずしもキルケゴールが言った意味に即してではありませんが(それはいずれまた紹介するとして)、私がこの言葉を思い浮べるのは、先生のなかに心を蝕む不幸の芽を飼っていて、それが次第に身中いっぱいに根を伸ばし葉をひろげてついには余儀なく死を択ばなければならなくなる、というような病を感じとるからです。そしてそれは、誰の心にも多かれ少なかれ飼われている病であるように思えます。


 その病は先生と奥さんの、静かで幸福なうつくしい好一対であるかのようなポートレートにもしばしば影を落とします。


『先生のうちは玄關の次がすぐ座敷になつてゐるので、格子の前に立つてゐた私の耳にその言逆いさかひの調子丈はほぼ分つた。さうして其うちの一人が先生だといふ事も、時々高まつて來る男の方の聲で解つた。相手は先生よりも低いおんなので、誰だか判然はつきりしなかつたが、うも奥さんらしく感ぜられた。泣いてゐる樣でもあつた。』



 人間は孤独であること、孤独に生きざるを得ないと覚悟するさみしさ、かなしさ、うつくしさ、しずかさ、すさまじさ……、先生を追う「私」の目を通してあらわれてくるものは、全篇これに尽きます。その諸相に読者は戦慄し、知らずしらずに心を洗われていくのだと思います。

 さて、先生の孤独は、父の臨終を待つ「私」の心の動きともシンクロします。


『要するに先生は私にとつて薄暗かつた。私は是非とも其所を通り越して、明るい所迄行かなければ氣が濟まなかつた。先生と關係の絶へるのは私にとつて大いな苦痛であつた。私は母に日を見て貰つて、東京へ立つ日取ひどりめた。』


『私は今にも變がありさうな病室を退いて又先生の手紙を讀まうとした。然し私はすこしもゆつくりした氣分になれなかつた。机の前に坐るや否や、又兄から大きな聲で呼ばれさうでならなかつた。左右さうして今度呼ばれゝば、それが最後だといふ畏怖が私の手をふるはした。私は先生の手紙をたゞ無意味に頁丈剥繰はぐつて行つた。』


『私はさかさまに頁をはぐりながら、私に必要な知識を容易にあたへて呉れないこの長い手紙を自烈じれつたさうにたたんだ。』



 いよいよクライマックス、先生の長い長い手紙を見ていきましょう。


『私の心が静まると共に、私は段々家族のものと接近して來ました。奥さんとも御嬢さんとも笑談ぜうだんを云ふやうになりました。茶を入れたからと云つて向ふのへやへ呼ばれる日もありました。また私の方で菓子を買つて來て、二人を此方こつちへ招いたりする晩もありました。』


『凡てが疑ひから割り出されるのですから、凡てが私には不利益でした。容貌もKの方が女に好かれるやうに見えました。性質も私のやうにこせこせしてゐない所が、異性には氣に入るだらうと思はれました。何處か間が拔けてゐて、それで何處かにしつかりした男らしい所のある點も、私よりは優勢に見えました。』


 手紙のなかで先生は、自分の心の動きをつめたく突き放して断罪しています。自身の薄情、疑心、打算、保身、卑怯を冷徹に見つめるとともに、友情も親切も愛情もたしかに在ったのだとつづります。

 その透徹した目はおそらく自身に向けられただけでなく周囲の人たちにも向けられていたでしょう。だれもが誠実ではあり得ない、なかでも自分がもっとも罪深い――そう考える先生は、だれより誠実で真面目に過ぎたのかもしれません。



さて、

 漱石の文章の心地よさの背後には、幼い頃からの漢籍受容と、子規との縁もあって俳句に親しんだことがあるように思います。

 彼のつくった漢詩は、私から見てうつくしいと感じるだけでなく、中国人から見ても音韻が正しく正統的であるそうです。日本語でつづられる文章にもその影響は随所にあらわれています。

 俳句に関しては例えば上に引用した「然し寒い響である。風は北から吹く」のような文章のならべ方に俳句的センスを私は感じます。


 漱石の漢字づかいも私は好きです。漢籍に深く親しんだ漱石ですから漢字の名手であるのは当然と思われるかもしれませんが、実のところ現代では通用しない、首をひねるような当て字も多い。例えば上に引用したなかでも、

れど」「言逆いさかひ」「左右さうして」「さかさま」「自烈じれつたさう」「笑談ぜうだん」……

 もっともこれは、漱石に限った話ではありません。泉鏡花はもっと不羈奔放ですし、遡ると江戸時代の文章なんかを読むとまるで当て字のワンダーランドです。

 そのなかで漱石は、節度とちょっとの冒険心と、諧謔とがほどよくブレンドされた漢字づかいをしているように思えます。



ついでにもうひとつ。

 上に抜き出した『こゝろ』の文章は、すべて語尾が「た」で終わっています。


 ときどき文章論で、語尾に「た」が続くのはよくないというおしえを目にしますが、すこし異を唱えたい。

 初心者への訓えとしては正しいのかもしれません。が、一定以上の文章力のある方ならむしろ、「た」が続く文章を意識して書かれる方が、うつくしい文章に近づくのではと考えています。


 実際、上の文章で「た」が続いたことに眉を顰めた方はほとんどいらっしゃらないのではないでしょうか。おそらく多くの方は、「た」が続くことに気づかれてもいないだろうと想像します。

 お時間がありましたらあらためて読んでいただければ――目で、あるいは音読で――「た」が続く文章のうつくしさを感じていただけるのではないかと思います。

 もしそこにリズムを破るような「……なのだ」「……している」などの文を挿入すれば、そのうつくしさもとたんに破れるでしょう。


 もちろん、敢えて文章のうつくしさを破る、という技巧もあり得るだろうとは思います。また、語尾をつぎつぎ変えていくことで文章がかろやかになる、それがいい。という考えもありだとは思います。その道も突き詰めるとすればけっして底の浅い、簡単な道ではないでしょう。


 私のなかでも、正直なところ、はっきり明言できるほど考えがかたまっているわけではありません。文章修行をつづけるうちにすこしずつ深まっていくことを願うばかりです。


(なお、上に引いた文章がすべて「た」で終わるのは、わざとそういう文章を選んだという面もあります。特に先生の手紙になると、過去形と現在形とが入り混じる文章がかなり多くなります)



 ……気づけば長くなってしまいました。最後にひと言だけ。漱石の文章を愉しむのなら、できれば旧仮名遣いで読まれることをお勧めします。(全集は旧仮名で刊行されています)


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