第一部 

第一章

運命の邂逅①

 ――家屋があちこち燃え、悲鳴と怒号が夜のシェース村に響き渡る。どうしてこの村が、村の人が、自分が酷い目に遭わなければいけないのか、とベルナデットは恐怖と怒りが混ざる。だが、今は逃げるしかない。そう約束したのだ。あの人と――


 


 外でけたたましく鳴く雄鶏の声で、ベルナデットは目を覚ました。カーテンを開けて外を見ると、外はまだ夜の気配をうっすら残している。一つあくびをすると、寝間着から仕事と普段着を兼ねた服に着替えるためにクローゼットに手を伸ばした。


着替えのあとはくしで琥珀色の長い髪を整え、台所で桶に溜めてあった水で顔を洗

って歯を磨いた。水の冷たさで頭は完全に冴えてしまう。サファイアブルーの双眸をパシパシと瞬かせた。


 身支度を済ませると、台所で戸棚にあったパンと、近所の人に貰った牛乳だけを慌てて口に入れて流し込み、エプロンと三角巾を身に着けて家を出た。

「…寒い」

 外に出た瞬間に吹き付けてきた朝風に、ベルナデットは身震いしながら独りごちた。

朝日が昇りきっていないというのに、村の中は既に働く人の気配で満ちている。

 


 このシェース村はリュヴェレット王国の西側・メリエ地方に位置する辺境の地である。巨大な山々の近くにあるため、山から吹き下ろしの冷たい風が常に吹いており、一年中寒冷な気候である。それ故に農作物が育ちにくく、畜産や織物がこの村の主な食い扶持となっている。


 ベルナデットも亡き両親に代わって生計を立てる為に、近所に住む羊飼いの家を手伝っていた。

「おじさん、おばさん、おはようございます」

 羊小屋に向かったベルナデットは、手伝い先の中年夫婦に挨拶をした。

「おはようベルちゃん。今日もよろしくねえ」

 妻の方が先に挨拶を返し、夫の方もそれに続いた。二人は既に羊に餌をやり始めており、ベルナデットは慌てて飼料の用意を手伝う。

「ごめんなさい、今日は少し寝坊しちゃって…」

 手を動かしながらベルナデットはおばさんに謝った。

「いいのよ、私たちもそういうときはあるんだから」

 おばさんはカラカラと笑いながらそう返した。二人の会話を遮るように、羊たちはしきりに鳴いて餌を催促してくる。ベルナデットは「はいはい」と言いながら餌入れに飼料を入れていった。



 その後は夫妻と軽く会話を交わしつつ、羊の放牧や小屋の掃除をこなしていく。この仕事の中で仔羊と少しの時間遊ぶのが、ベルナデットにとっての癒やしであった。そうして、あっという間に羊飼いの仕事の手伝いは終わってしまった。


いつの間にか太陽が昇り、空の真ん中に差し掛かっている。家への帰り際におばさんは、

「ベルちゃん、お昼はウチで食べていくかい?」

 と誘ってきた。

「ありがとうございます。でも、昨日も誘っていただいたばかりで申し訳なくて…。それに、畑仕事もありますし…」

 ベルナデットはそう断った。肉親がいないベルナデットもそうだが、この村自体が豊というわけではなく、夫妻に気を遣わせて負担をかけるのは本当に申し訳なかった。

「そうかい、遠慮しなくても良いのにねえ。じゃあ、お駄賃代わりの羊毛を取ってくるから少し待っててね」

 おばさんにそう言われ、ベルナデットは家の外で少し待つ。暫くすると、おばさんが大きめのバスケットを持って戻ってきた。

「はい、今回の羊毛と、これ、ミートパイ! 昼食にどうぞ!」

「わっ、ありがとうございます! でも、良いんですか?」

「良いの良いの、ベルちゃんはほとんど毎日ウチの手伝いをしてくれてるんだから、このくらいは当然だよ! 今日もありがとうね」

「はい、こちらこそありがとうございました」

 ベルナデットはおばさんからバスケットを受け取って、家に帰った。


                 ■


 おばさんから貰ったミートパイで昼食を済ませると、午後からは自分の家の分の畑で様々な作業を始めた。水やりや雑草取り、肥料をやりながら、畑の様子を見る。

「うーん…今年はやっぱり育ちが良くないなあ…」

 ベルナデットはため息をつく。この村では野菜は各家庭で育てており、足りない場合は村人同士での物々交換か、定期的に来る行商人から買う、もしくは近くの大きな街にまで買いに行くかのいずれかである。

  

 ベルナデットの場合は行商人から買うのは調味料が精一杯であり、街ではもっと野菜が高い。結果的に村人と野菜を交換するしかないのだが、ベルナデットが交換できる野菜は種類も量も少ない。それでも周囲の村人は気を遣って交換してくれるが、ベルナデットはその度に申し訳ない気持ちでいっぱいであった。何とかならないものか、ともう一度ため息をついた。


 畑仕事が終わると、次は貰った羊毛を洗って仕分けをしたり、一部を毛糸に変えたりする作業である。羊毛の脂を落とすために水を沸かして湯にするのだが、これも手間である。こんなときの火の魔法が使えれば、火をおこす作業が楽になるのだが、ベルナデットに魔法の才能は無かった。ベルナデットは自分を恨めしく思いながら火をおこして釜を用意し、湯になるまでに以前洗って乾かしておいた羊毛を糸にする作業を行う。


 糸巻きを使って糸を作り出し、それを撚り合わせて毛糸玉にする。その後はぬるま湯にまで冷めた釜で羊毛を洗っていたが、その作業中にとっぷりと日は暮れてしまっていた。



 ランプに火を灯したところで空腹を覚えたベルナデットは、夕食の準備に取りかかる。夕食といっても、野菜と鶏肉のミルクスープに、少しのパンとチーズのみである。一日中仕事をしていて疲れたベルナデットにとっては、これが精一杯であった。

 

夕食を終えると、用意したお湯で髪を洗い、あとは濡らしたタオルで身体を拭く。ふとベルナデットは、村人たちとの会話の中で”都市部では毎日湯を浴び、さらには湯船にも浸かる”ということを聞いたことがあった。それが本当ならば羨ましい限りである。そんなことを考えながら髪を拭いて寝間着に着替えた。その後は早々に寝床に就く。


硬いベッドに身体を横たえ、ベッドキルトに潜り込むと、いつの間にかベルナデットは眠りの世界に入ってしまっていた。

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