第三十話 緩流にも囚われる
高位にあるであろう人間がその頭を下げていることに、俺は少なくない衝撃を受けた
そしてそれは彼女にとって近しい人物……負傷した身で人混みを潜り抜けた目の前の青年にとって、予想以上に衝撃的だったのだろうか
「姉さん!敵に助けを求めるなんて本当に言ってるの?!」
「黙りなさいオスカー!物乞いが選り好みなどできるわけないのは、あなたも分かっているでしょう!今の私達は、差し伸べられたその手がたとえ悪魔のものだろうと邪神のものだろうと、何を対価にしても掴み取らなければいけないの!」
「それでも姉さんがそんな事をする必要は……ヴィクターさん!俺、いや私は長男として、いずれ家督を継ぎます、ですから首級を欲されるのなら、どうか私の首を━━━」
要求はわかったが、対価が納得いかない。いや首級を上げたら恩給とか出るかも知れない
だがしかし短期的でもあるのではないか?そもそもこの姉弟の首の価値がわからない。貴族のようには見えるが、どれほどの地位なのか
「……我々の目標はガウゼン市の攻略にあった、だからそこへ向かう分には何の問題もない……かと思ったが、状況は思っている以上に変化している……フランツィスカさん」
シエラに本隊への報告をジェスチャーと目配せで指示し、俺は膝をついた二人と目線を合わせる
「ガウゼン市の状況を。話はそれからだ」
「本当か!ありがとう……何と感謝すれば良いか……」
「まだ請け負うと決まったわけじゃない。場合によっては、貴方達を捕虜として後送することにもなりえる。とりあえず、貴方達の部下に武装解除を命じてくれ、いずれ本隊が到着する」
縋り付くように腕を伸ばして来た彼女を制し、言葉を続ける
「まずは武装解除、みんなを諌めてくれ。話はそれからだ」
「わかった……ありがとう……本当にありがとう」
俺は彼女にこれ以上頭を下げさせないよう抑えつつ、歩兵分隊に解除した武装の集積と監視を命じる
「指揮官、本隊は間も無く到着します。ただやはり、避難民の収容能力については不十分です……言ってはあれですが、足枷となるかと」
「そんな事は百も承知だ、だがあれを見てみろ」
俺はフランツィスカが向かった群衆……彼女が言った物乞いというのがあながち間違いではないと思える程にみすぼらしく、傷つき、疲れ果てていた
別に、彼女とその弟だけを残して全員を糞尿の詰まった肉袋へ変える事など容易い。ガウゼン市の現状だけを確かめて、生きたまま連れ帰り帝国軍へ引き渡すこともできる
だが、それは良い選択肢ではない。民間人の虐殺や虐待がバレれば占領地での抵抗運動……前世で用いられていた方の意味の
だからこそ、非戦闘員は可能な限り収容し、人道的に扱うべきなのだ。内外の評判は、そのほぼ全ての人員を志願兵が占めるパルチザンにとって生命線とも言える
「ヴィクター殿、事情の説明は終わった。武装の解除も……オスカーに任せてある」
「じゃあ、ガウゼン市の状況について説明してくれ。後々に事実確認も行う」
「わかった、だが話せば長くなる。事の発端は━━━━」
━━━━━━━━━━━━━━━┫
一月前、新型の錬金炉が市庁舎の地下に運び込まれた。錬金炉と言うのは魔力を注ぎ込んでマンティコアやゴーレム、それに様々な資源なんかを生み出すものだ
新型の錬金炉は高位の魔物の心臓を使ってるとかで、六本の制御柱と四本の魔力燃料棒を絶やさず管理しなければならなかった
制御棒は週に一度整備し、燃料棒は一本ずつ順に消費されるのでその分を補充する、一本で3ヶ月は低率稼働できる。魔物の錬金は何十倍も魔力を使うから、四本ストックしておかなければいけないらしい
何かあったら魔力燃料棒を全て引き抜けば、炉は活動を停止すると言われていた
ただ考えが甘かった。殺すのが精一杯、そんな高位の魔物の心臓など、高々6本ばかりしかない叡智の結晶では十分に制御できなかったのだ
制御棒の整備の時、心臓の持ち主に唆された魔法使いが正気を失い制御棒をいくつか破壊しやがった。おかげさまで解き放たれた心臓は備蓄してあった20本以上の魔力燃料棒を喰らって大量の魔物を吐き出し始めた
魔物の封じ込めにも失敗し、市庁舎を中心に被害は市全体へ広がった。駐屯していた各神聖国軍は魔力燃料棒の倉庫に戦力を結集して防衛を始めた。この時点で市庁舎にいた官民も軍人もほとんどが戦死しており、指揮系統は麻痺した
高位の魔物は市街を封鎖し、間も無く何万もの民間人が死に、今も多くの民間人と軍人が閉じ込められている。我々は何とか開く事のできた脱出路から逃れて来た敗残兵だ
継戦能力が段違いだ、いずれ倉庫の防衛も破られる。いくつかは魔法使いや魔物の召喚に使ったとはいえ、あそこにある何百本もの魔力燃料棒とまだ起動していない幾つかの新型炉が奪われれば、帝国も神聖国も戦争どころではなくなってしまう
貴方達の恐ろしく高い能力は、あの魔物も葬ることができると思う、もちろん報酬は可能な限り出す、だからどうか力を貸してほしい。残された人々、そしてガウゼンを守る為に
「自体は、俺の思っている以上に深刻か」
話を聞いた俺はトーンを落とし、市街があるであろう方角に目線を向ける。地平線の向こう側にある10万都市が、今や大国間の戦争、その趨勢を決めてしまう大事件の舞台になっている。まだ取り残された民間人も負傷兵も多くいるだろう
「……その話が本当なら、なぜ魔物は外に出ない?」
「頂点に立つ高位の魔物が、まだ錬金炉から完全に独立できていないからだと思う。残った制御棒が高位の魔物の行動に大きな制約を掛けているから、市の外に出るには力が足りない…だがそれも時間の問題、倉庫が落ちれば莫大な魔力を飲み込んだ高位の魔物が解き放たれる。今し方肉片に変わったあの魔物は、おそらく高位の魔物の支配下を離れて追って来た送り狼のようなものだったと思う」
「……受けない、と答える選択肢はないわけだ。300人程度の前衛部隊と、200人強の後衛。残存する民間人と負傷者を運び出し、跳梁跋扈するモンスターを吹き飛ばし……それで、件の錬金炉と高位の魔物はどうすればいい」
「……詳細はわからない、高位の魔物としか伝えられていなかったから。でも大方の予想はつく。出て来た魔物は多くが黒い体表を持ち、金属製の物理的な魔法攻撃に弱い。おそらくは吸血鬼か、その眷属。であるなら、心臓を打ち抜けばいい。杭か何かで」
「心臓を……か」
古典的……まったくステレオタイプな吸血鬼のイメージだ。どうせならT-72B1のルナ赤外線投光器で照らしたら焼け死んではくれないだろうか
どのみち、今まで戦った事のない敵だ、どんなやつ何か微塵もわからない。前世の価値観で相手を推し量るのは、事この世界特有の種族に関しては特に褒められたことではないだろう
場に沈黙が流れた時、それまで本隊と連絡をとっていたシエラが話しかけて来た
聞いてみれば、もう本隊がこちらを視認したらしい。来た道を振り返って目を凝らせば、数キロ先の地平線を越え、戦車の頭が見えて来ていた
「………編成の改編が必要になるかも知れない。この地点で全部隊と装備を結集し、休息を取らせよう。非常事態だ、改編後は俺が全体の指揮を執ると伝えろ」
「了、指揮官」
俺はシエラが立ち去るのを待たず、フランツィスカに言葉を投げる
「フランツィスカさん、あんたの依頼は受けさせてもらう。だが現有戦力では限界があるから、あんた達にも働いてもらう……後方で、だがな。報酬は追って決めるが、負けることは無い。覚悟しておいてくれ」
「そんなもの、あの
あの状況で逃げなかったのだから、やはり肝の据わった女性だと思いながらも、彼女の手を取る。古びた籠手と土に汚れたグローブが、固く互いを握り合った
━━━━━━━━━━━━━━━┫
「砲兵と戦車を削減、かつ増強……?!」
「ど…え、どう言うことですか?」
各部隊の長を集めた集会で発した提案は、当然疑問と反感を招いた
ただ彼らも俺が何も考えなしに提案したわけでは無いと言うのは理解してくれているので、訳を聞く様に一応の反発を見せた
「まず、10万都市のガウゼン市とは言うものの、現状の侵入路は限られている。市街地の道幅は狭く、そもそもの戦場が狭い。さらに輸送用に人手と車両が欲しい上、市街地では単純な破片効果弾頭による面制圧が主目的の
「具体的にはどうするつもりですか?」
「まずは砲兵だ。40両のBM-21を18両、つまり一個大隊まで削減し、余剰の22両はUral-4320トラックとして輸送に従事してもらう。人員についてだが、ガウゼン市の南西2kmに市を一望できる高地がある。ここを拠点とするから、主に拠点の整備や予備戦力としての運用になる」
「戦車に関してはどうするつもりですか?」
「3個戦車小隊15両の内訳は、現在2両のT-90Mと11両のT-72B1に加え2両のT-55M6だ。ここからT-72B1の一個小隊5両を削減する。5両のうち4両はより強力な砲兵であるTOS-1ソルンツェペック重火焔投射システムに改造される。また予備戦力を調整し、同じ編成の2個小隊を用意する」
「混雑と不必要な損耗を防ぐべく一度に投入する戦力を減らした上で、消耗戦に耐える為に予備戦力を用意する……と言うことですね?」
「そうだ。そしてBMPTにも手を加える。連装の2A42を単装の2A90 57mm自動砲に変更する。弾薬数は250発に減るが、対装甲火力や対空火力は増加する。未確認の4つ足が近距離でぶっ放した3UBR11を弾いた事を鑑みて単発火力の増強が必要と判断した」
俺は続けていくつかの案と方針を示し、各部隊と調整を行う
これからはカザンとの綿密な連絡も必要であるし、この方面の神聖国軍最高司令部であったガウゼン市が機能不全に陥った今、各神聖国軍も糸の切れた操り人形と同じであると言うこと、長期戦の備えには連絡線と補給線を確立する必要があると言うのもあり
その為にはまず無線を確立させる必要がある……ということで、砲兵から余剰の人員を配置転換させて、R-166-0.5を配備、IFV2両の護衛を伴わせて、双方向の長距離通信を可能にする
編成改編はともかく無線の確立などそもそも最初から行うべきだったものの、アストリアのT-90Mに後付けした指揮車用R-168-50K無線機で十分と判断していたのだ、まさか目標が前もって壊滅していて、その上さらなる長期の作戦行動が必要になるなど夢にも思わなかった
「長期の作戦の為にはこの長大な補給路を維持し、コンボイを護衛しなければならない。カザンへ火器と重装備、つまり戦車や装甲車を届けるために俺は一度戻る。代理指揮官はレン中隊長だ」
「拝命しました」
「戦闘団の先遣隊は南西の丘を占領する為に2時間後に移動を開始、それに合わせて俺を含んだ一部が離脱する。本隊は再編の為に再進撃を10時間後に延長。それまでに休息と準備、必要なものがあれば申請しろ」
「質問はあるか?」
俺は一通り見渡し、質問がない事を確認すると、皆に解散を言い渡した
━━━━━━━━━━━━━━━┫
前進する部隊に対してカザン市へと向かっているのは、5台のUral-4320トラックと1両ずつのNamer IFVとAPCを擁した分遣隊で、トラックには元々戦車に乗っていた連中の他に難民から重傷であったりまだ幼い子供を乗せてカザンに送り届ける
俺は歩兵分隊とは別で、トラックの荷台に乗っている。対面にはカヤが座り、銃床を下にしてOSV-96対物ライフルを抱き抱えている
ぼーっと草原を眺めていた彼女に、俺は一つ、前置きもなく質問をした
「カヤ、前職じゃあ空を飛んでたんだよな?」
「なんですか藪から棒に。まあ、航空騎兵ではありましたが……前線に配属されてからはパイロットというよりは
「……それでも、もう一度空を飛べと言ったら、飛んでくれるか?」
「飛行機でも運用するんですか?」
「いや、飛行機はまだだ。俺が欲してるのは、より簡便かつシビアな航空戦力……ヘリコプターだ」
「ヘリコプター……」
「地上よりも早く輸送が可能で、地上戦力による妨害を受けにくく、地上部隊に長期間随伴して支援が可能な……そして重厚な防空網に脆弱。いずれ砲兵以上の即応性と精密性を持った支援火力が要求されるだろうし、高機動かつ地形の制約を受けにくい空挺部隊の必要が出てくるかもしれない」
「そのために、ヘリコプターを運用すると?残念ながら専門外です。それに、貴方としてもこの能力を手放すのも惜しいんじゃないですか?」
彼女はこんこんとOSVの機関部を叩くと、俺に目線を合わせる。俺は一つ溜息を吐く
陸上の兵器は……簡単と言えば語弊があるが、事故の可能性やその時の死亡率、損害は比較的軽い。対して、航空機のそれはその比ではない
出力の増減、ピッチやロールの操作、付近の障害物への警戒、気流や不意のトラブルへの対処……
その上、ヘリコプター……いや航空機の運用には大きな設備や人員、教育が必要になる。今までにように一朝一夕で叶う物だと思うべきではない。だがしかし、だからこそ準備が必要なのだ
「そうだな、その能力は手放し難い。それに……カヤだけに頼んだところでヘリの運用ができるわけではないと言うのを失念していた」
「と言うと、どう言う事ですか?」
「整備職、というか前線の戦闘職以外は目立たない。時として日陰部署などと言われる事もある。だがしかし、俺もカヤもそうであるように……このパルチザンと言う組織は所詮、神聖国への脅威に対抗する為に団結した寄せ集めだ。職種間での軋轢は、組織の崩壊に繋がる恐れもある」
「だから組織が小さいうちに、基本を整備して拡張性を高める必要がある……そう考えているのですか?」
「そうだ。パルチザンにとって前線と後方の二つが明確になりつつある今、後方職に対する認識を確固にしなければ……まったく、ここに来てやることが増えすぎだ。誰のせいだと思う?」
自嘲気味にそう笑って見せると、彼女は呆れたように溜息を吐いた
時間がなかったとはいえ、そこまで組織の内政に手が回せなかったのは一重に俺の責任だ
今までは一つの戦場に全ての部隊がいた、だから俺一人で補給を賄うことができていたが、神聖国方面にもう一つの戦場を展開した今、それは叶わない。むしろ、物資集積所を設置しそこから各部隊に物資を分配する方式にシフトするだろう
だが今のパルチザンにはその為の兵站が整っていない。物資を輸送する車両はもちろん、それをどう向かわせるのか、そもそもどこの部隊で何がどう足りないのか、ではそれはいつまでにどれだけ補充する必要があるのか……そう言った会計をする人間がいないわけではないが数が足りない。
だがしかし、人も物資も足りないので待ってくださいと言える程戦争は優しくない。むしろ敵司令部が機能不全に陥り的全体の動きにまとまりながなくなった今こそが内政のチャンスかもしれない
「浅緩小川も浮き足立てば命取り……焦らず確実に、一つ一つ進めていくべきでしょう」
「そうだな……少しばかり焦りすぎたかも知れない」
「間に合わなくなってからよりはよっぽどいいと思いますけどね」
そう言って彼女はふっと笑い、つられて俺も頬が緩む。敵の支配地域の只中だと言うのに、俺は何とも言えない心地よさに少しばかり、浸っていた
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます