七章 炎と雨(1)

「あのね、わたし、この神社に祀られている神様のお嫁さんになるんだって」


 最近あったもっとも驚いた出来事を報告したが、青葉はいつものように淡々と「そうか」と応じただけだった。あまり驚いてくれなくて悔しかったが、少ししてからどこか気まずそうに問いかけられた。


「……そなたはどう思った?」

「びっくりした」


 ひよりは素直な感想を口にした。


「でも、将来どうなるかが誰かに決められてるのは、これまでと同じだよね」


 当初の予定では、村長の後妻になるはずだった。村長に恩を返すために、そして先祖がしたことの罪滅ぼしのために。


 例え両親が生きていたところで、親が決めた相手と夫婦になったことだろう。三廻部村でも近くの町でも、大多数がそうだから。


「同じではない」


 風が吹き、木々の枝と草が揺れる音が響いた。


「――同じなどとは思わせないようにする」


 箒を握りしめた青葉は、真剣な眼差しでそう告げた。


「……うん」


 よくわからないままに、ひよりは頷いた。


「あ、この神社で暮らすようになるなら、これから先も一緒に掃除ができるね」

「そうだな」


 花嫁修業で忙しくなって神社に通えなくなるなんて、思っていなかった。青葉と会ったのは、この日が最後だった。




 ひよりが目を覚ますと、寄りかかっていた相手――すぐ横に座る常葉が目に入った。


 昼下がりに陽が差している縁側に座り、日向ぼっこをしながらぽつぽつ話をしていたら、すっかり寝入ってしまったらしい。目を閉じて寝息を立てている常葉の姿は、いつもよりも幼く見えた。


 忘れていても思い出せた。会いたかった男の子に、また会えた。すぐ傍にいて、言葉を交わせて、触れられる。身体を起こさないといけないのに、すぐ近くに感じる体温は温かかった。


 そっと手を伸ばすと、その手を取られた。


「どうした?」


 起こしてしまったのだろうか。目を開けた常葉と目が合った。


「神様とこうしていられる時間が心地よくて、ずっと続けばいいのにと思いました」


 凍りついていた心は溶けた。荒ぶる神に命や魂を取られることはなかったが、心は奪われた。過去は変えられないし、辛かったこともあったけれど、この命運を、嬉しく思う。


「今度、町へ行こう」

「はい」

「かんざしの他にも、なにか身に着けるものを贈りたい。受け取ってくれるか」

「もちろんです」


 先日、崖下に落としそうになったかんざしは、いまもひよりの髪を飾っていた。


「神様はなにか欲しいものはありますか?」

「欲しいものか……」

「ただでさえ恩があるのに、いただいてばかりでは悪いですから」


 視線をさ迷わせていた常葉が、ひよりをじっと見つめた。


「私は、そなたが――」


 ひよりの鼓動が跳ねた。甘い期待に膝の上に置いた手が震える。次の言葉が口にされるまでが、無限の時間かのように思える。


「わっ」


 背中を押され、ひよりは常葉のほうへ倒れ込んだ。わおん、と犬の鳴き声が響く。天翔が背中に飛びついてきたらしい。


「す、すみません……」

「いや」


 常葉に支えられながら、二人して身体を起こした。そして思わぬ事態を笑い合う。


「もう、天翔、いきなり飛びかかったら駄目でしょう」


 くーん、と鳴く犬をひよりは抱え上げる。


 常葉が立ち上がる。ひよりもそろそろ夕食の支度をしなければならない。常葉と寄り添っていられる時間はここまでか、と思ったところで。


「ひより。夜、そなたの部屋へ行っていいか」

「は、はい……!」


 若干裏返った声で、ひよりは返事をした。




 八武崎町の茶屋に変わった客が来て、由良はにこやかに接客しながら相手を密かに観察した。


 二十代半ばほどの男だ。精悍な顔立ちで、長い髪を頭の高い位置で結っている。着物を着ていながらにしてよく鍛えられた均整の取れた身体だとわかった。


 陣羽織を羽織り、袴の裾を脚絆で固め、着物の袖からは手甲が覗いていた。腰には刀を下げている。武士というよりは旅をしている侍だろうか。


 茶と団子を注文した男は、品物を運んで行った由良に問いかけた。


「この町の近くにあるという、三廻部村を知っているか?」

「はい。私の故郷です」

「それはまた、数奇な巡り合わせだな」


 数奇とはどういう意味だろう、と由良は首を傾げた。


「その地で異変が起きていると聞いたが」

「三月ほど前に近くの山に星が降ってきたそうですが」


 異変というほどでは、と続けようとしたが、それより先に男はにやりと笑った。


「そうか。祟り神が暴れているという噂は真だったか」

「え、いえ、そんなはずは」

「異変を鎮めるため、俺は遠方からここまでやってきたのだ」


 なぜだろう。立派ななりをした侍が言った言葉に、由良は胸騒ぎを覚えた。




「あの英雄の話を聞いたかい?」

「三人兄弟の末子として生まれ、長兄や次兄がなしえなかった試練を乗り越えて、多くの妖怪を倒して英雄になったと言っておったな」


「美人な娘を嫁にもらったが、その娘は人間ではなく、英雄の功績と娘が持つ力で家は繁栄したとか」

「そんな伝承に語られるようなお方が、なぜこんな辺境の村に」


 都からやって来て村長の屋敷に滞在することになった英雄の噂は、三廻部村を瞬く間に駆け巡った。


 英雄は村長にこれまでの活躍を語って聞かせ、村の有力者の家々を訪問して武勇伝を披露した。それだけではなく、道行く村人からの質問にも気さくに答えてくれるという。娯楽の少ない村において、話題の中心となるのに相応しい人物だった。


「すごいお方なのに偉ぶってなくて、我々下々の者にも手を差し伸べてくれて。そういうお方に村を治めてもらいたいもんだね」

「村長に気に入られてるようだし、村長の孫娘の一人と番わせるつもりなんじゃないかね」


「英雄様は妻がいると聞いたが――あの村長ならやりそうだ。優れた血を一族に取り入れるためだ、などとおっしゃって」

「秀でた血を引く者の子供なら、もっとうまく村をまとめてくれるかね……」

「やめろ。そうした話をしていたと村長に知られたら――」


 村の子供たちもすっかり英雄の話に夢中だ。木の棒を片手に、妖怪を退治する英雄ごっこに興じている。


 それを視界に映しつつ、竹丸は畑で採れた野菜が入った籠を背負い、夕日が差す中で家路を急いでいた。


 竹丸が村人に頼み込んで畑を耕させてもらっているというのに、この野菜で保存食を作って売り出せないだろうか、などと両親が話しているのを聞いてしまった。


 山道が塞がれたせいで商人としてやっていけるかの危機に直面したばかりだというのに、懲りていないらしい。


 はあ、と溜息を吐き出して顔を上げると、すぐ近くにこの村の住人とは明らかに違う雰囲気の、長身の男が立っていることに気づいた。


 陣羽織を着ていて、腰に刀を下げている。村にやって来たという英雄だ。


「雀部竹丸というのはお前か」

「そうだけど」

「この村に星が降って来るのを予言したそうだな」

「予言したのは俺じゃなくて、神社の巫女さんだ」

「その神社は和守谷神社で、巫女というのは神に嫁いだ娘だと聞いたが」


 他の村人に、三ヶ月ほど前に星が降って来たときの話を聞いたのだろうか。


「詳しい話を聞きたい。家に上げてくれ」

「えっと……」


 そこまで知っているなら、それ以上竹丸から話せることはない。それに両親とこの英雄を引き合わせるのも気が引けて、断ろうとしたが。


「そうだ、名乗るのが遅れたな。俺は獅子堂大我たいがという」


 西日に照らされながら、英雄はそう名乗った。


「獅子堂大我!?」

「英雄だ!」

「竹丸兄ちゃんに用があんのか? すげえ!」


 近くにいた子供たちが集まって来て、竹丸は結局なし崩し的に、英雄の男――獅子堂を家に上げて、この地に二度目の星が降って来たときのことを語る羽目になったのだった。

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