六章 祟り神(3)
物心ついた頃には、両親に連れられて各地を旅していた。両親は放浪の身らしく、一つの場所に長くいたことはなかった。
旅の途中、両親は野や山に生える様々な植物について話をしてくれた。食べられるもの、毒があるもの、それから薬になるもののことを、教えてくれた。
「知っていれば、助けられる人がいるかもしれない。憶えておくといい」
そう言う父は、誇らしそうな顔をしていた。
ずっと旅は続くのかと思っていた。町や村にしばらく滞在することはあっても、家族三人が暮らしていけるだけの家に永住できることはないのだと、両親の様子から諦めていた。
父は片腕が不自由で、力仕事ができなかった。耕作地を耕してくれる者なら来る者拒まずの村から歓迎されることはなかった。
子供が十になる頃、ある辺境の村に辿り着いた。両親は村長に挨拶に行き、なにやら話をした結果、結論を出した。
「これからは旅をせずに、この三廻部村でずっと暮らしていけたらと思う」
もう、滞在している地に慣れてきた頃に、その地を離れなくてもいい。凍りつくような寒い夜に野宿をしなくても済むのだという。詳しい事情は教えてもらえなかったが、嬉しかった。
村の中心から外れた場所に建つ、住人がいなくなった古びた家が、親子三人の新しい家になった。
余所者は遠巻きにされる。あからさまに侮蔑の言葉を投げかける村人も多かった。
両親の生業は、最初はなかなか起動に乗らなかった。故郷から持ってきた財産を少しずつ切り崩し、町に売りに行ってなんとか日々の糧を得ていたようだ。その傍らで、村の住人とかかわっていった。
森で頼まれたものを採取して帰宅すると、父と村人が話をしているのが耳に入った。
「この間、あんたに手当してもらった怪我は、いつもより早く、傷跡も残らずに治ってな」
「これからも家族や近所の連中が怪我をしたら、頼むよ」
両親が村人と親しそうに話をしているのを見て、心が温かくなった。
村に新しく来た薬師の評判は、じわじわと村に浸透していった。
「財宝よりも、この地の民にとっては価値があるものを持ってきたようだ」
父はそう言っていた。父が持つ知識と技術は、三廻部村の住人に必要とされたようだ。
子供は最初、村の子供たちの輪になかなか入っていけなかった。だがあるとき、少し年下の子が声をかけてきた。
「お前、外から来た子なんだろ? どこから来たんだ」
放浪の身だったと答えると、羨ましがられた。
「こんな村で生まれてから死ぬまで暮らしていくより、どっか遠くに行きたい」
一家は安住の地を探していたのに、家があり居場所がある子供は、新天地を求めているらしい。
「ところでさ。お前ん家、すごい宝物を持ってるって本当か?」
両親が故郷から持ってきたものについて、詳しくは知らなかった。貴重品が入った葛籠を両親は大事に仕舞い込んでいた。
そのことを両親が村人に吹聴しているとは思えないが、価値があるものを持っていると思われたのだろうか。ふと、村に来たときに親が村長と話をしていたことを思い出した。小さな村では人の噂はすぐに駆け巡るということも。
「親から受け継いだら、見せてくれよ」
屈託のない笑顔を向けられ、思わず頷いた。
一人友達ができると、その子をとっかかりにして他の知り合いができた。子供は少しずつ、村の子供たちと打ち解けていった。村の催しや薬師の手伝いを通して、村の大人とも知り合った。村のやり方がわかってきて、村人たちも自分たち家族を受け入れてくれたように思えた。
ずっとこの村で暮らしていくということを、実感できるようになってきた。
だが村に馴染んできた頃、事件が起きた。
ある日、子供が家に帰ると、戸を開けた先で両親が血まみれになって倒れていた。それを取り囲む村人たちが振り返る。
「子供が帰って来た」
「見られたか……ならば仕方がない」
「なにも知らないままでいたら、我らの手の中で生きていられただろうに」
目の前で農具が振り降ろされる。
頭を砕かれたのにまだ意識はあった。とてつもない痛みに襲われ、目の前が真っ赤になった。片目が開かない。潰されたのだろうか。
家にいた村人の中には、最初に親しくなった子の親もいたように思えた。なぜ、という疑問と、裏切られた、という想いが生じた。
「これで財宝と、こいつらしか知らない薬の製法は、我らのものだ」
「村の薬師にも早いうちに教えてくれたら、死なずに済んだだろうに」
「だが、村人全員が知っていては価値がなくなる。一部の家のみで独占すべきだ」
途切れ行く意識の中で、そうした声が聞こえた。何度も鉄の道具を打ち付けられた末に、子供の命は尽きた。
その後、村に大雨が降り注ぎ、川が氾濫し、作物が実らなくなった。殺された異人は祟り神として祀られ、鎮められることになった。
やがて、村を襲う災害は収まっていった。
彼は部屋の中で目覚めた。鏡、榊の枝、注連縄から垂れた紙垂、大幣、刀、神酒。神社の中のような神具が壁際に並べられた部屋だった。
身体を起こすと、鏡に映った姿が目に入った。人として生きていた頃よりも上の年齢に見え、神社の宮司が着るような着物をまとっていた。知らないうちに髪は真っ白に変わっていた。
どこからか、声が聞こえた。
「お前たちのせいで村は滅びかけた。お前たちは外からやって来た異人ではなく、祟り神となった」
「神として祀って差し上げるのだから、荒ぶる魂を鎮めてくれ。殺された怒りを忘れてくれ」
「どうか願いを聞き届けてくれ、常葉様――」
この場所の記憶が流れ込んで来る。ここは急遽建造された神社で、和守谷神社の本殿だった。彼が目覚めたのは実際の神社の建物内ではなく、神が住まう神域で、人が立ち入ることはない場所らしい。
聞こえた声は、これまで村人たちが常葉という名の祟り神に向けて祈った言葉だった。
村人たちが呼ぶ名前は、両親の名前でも、子供の名前でもなかった。祟り神として名づけられた名前。この地の民はもはや、自分たちが殺した存在を、人間とは思っていなかった。
祈りと呪いは表裏一体。村人たちの言葉は、祟り神して祀られ、常葉と名づけられた存在を縛り、呪った。
なんて勝手な言い草。祟り神となったのだから、実際に村を祟ればいい。それが自分の役割だというのなら。
暗い想いが膨れ上がり、村人たちへの恨みを込めて、大雨を降らし、嵐を起こした。その結果、田畑は荒れ果てた。
しかし常葉がなにもせずとも、大雪や地震が村を襲った。山から下りて来た熊や狼が、村に入って来ることもあった。家が倒壊し、獣に襲われ、人は死んでいった。
「ああ、まただ。祟り神が悪さをしておる」
「あれほど鎮めの儀式をしたというのに」
「この村を恨んでいるのだろう。仕方がない」
常葉が手を下したときもそうでないときも、村人たちは和守谷神社があるほうに視線をやって、そう囁き合った。
災害が起きたときも、妖怪や悪霊による異変が起きたときも、戦が始まったときも、病が蔓延したときも、村長の子供が死んだときも、すべて祟り神の仕業とされた。
もはや神の意志など関係なく、常葉は村の闇や悪を一手に引き受ける存在となってしまっていた。
それを察すると、空しくなった。この村の住人にかかわるだけ無駄だと悟った。
それに、村の住人によって祟り神に祀られた常葉は、村の住人がいなくなったら存在できなくなる。いくら村人たちを恨んでいても、村を滅ぼすことはできなかった。
それに祟り神として目覚めた時点で、あの惨劇から十年ほど経過していて、いまはそれからさらに三十年ほど経っていた。
あの殺戮に加担した者たちも老いてきた。戦や病で命を落とした者もいた。祟り神が手を下さずとも、人は死んでいく。自分の罪など忘れて、日々を忙しなく送り、子孫を残してこの世から去っていく。
それでは憎しみを継続させることになんの意味があるのだろう、と思ってしまった。
そんなとき、柄須賀山の神である空閑と知り合った。
「おぬしが新たに祟り神となった者か。諸国を漫遊していて地元の出来事に気づかず、すまなかったのう」
そして空閑は、村人が神社に奉納した酒を勝手に飲みながら、神や妖怪について講釈を垂れた。
人間が神として祀られ、この国に存在する八百万の神々の末席に連なることは、古来よりままあることらしい。
常葉は空閑のつてで他の神や妖怪とかかわり、知識を蓄えて、成長していった。
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