一章 嫁入り(6)

 食事をした後、ひよりたちが町を見て回っていると、大通りから脇道に逸れた先のひと気のない薄暗い路地で、話をしている声が聞こえてきた。


「お前のせいでうちの店に多大な損害が出たってわかってんのか」

「ほら、言ってみろよ。お前がなにをしたか」


 十代前半の少年たちが、少し年下に見える小柄な男の子を取り囲み、抑え気味の声で罵声を浴びせていた。みな似たような着物を着て、前掛けをかけていた。同じ店で働いているようだ。


 囲まれた子供は、俯きがちになりながらも返事をした。


「大事な商品を地面に落として傷だらけにしました……」

「それだけじゃねえだろ」

「荷物を時間通りに運んで来られませんでした……」


 か細い声による返事に、嘲笑が被さった。


「うちの店主も寛容だよなあ。こんな使えない愚図に仕事を振って、食わせてやってるんだから」

「さすが鮫島さめじまの父親だな」


 鮫島と呼ばれた集団の中心らしき少年が、満足そうに頷いた。


「でも失敗したやつは罰しないと、一向に反省しねえんだよ。なあ、枯太かれた


 鮫島は枯太と呼んだ子供を蹴りつけた。小さな身体が壁に激突し、地面に倒れた。


「お前は借金のかたに売られてきたんだ。もとは俺たち商人より偉い立場だったからって、でかい顔してんじゃねえよ」

「そんなことは……」

「口答えすんじゃねえ!」


 大声で叫ばれ、起き上がろうとしていた子供の肩が跳ねた。


「お前は家族に捨てられた。お前の味方なんて、この店にも町にもいねえ。俺の親父もお前のことを心底迷惑に思ってるんだ」

「だから俺たちが代わりに粛清してやらねえとな」


 それを見ていたひよりは、思った。食事を抜かれたり土蔵に閉じ込められたりしたことはあったものの、直接的な暴力を振るわれなかっただけ、まだよかったのかもしれない、と。


「そもそもお前、名前に枯れるなんて字を使われてる時点ですぐ死ぬと思われてたんだよ」

「それは――」

「武士の子だから大人になったら名前が変わる? そんな日は、もう一生来ねえよ」

「鬼に目をつけられないよう、あえて不吉な名前をつけるんだったか。武士じゃなくなったから、ずっとその縁起悪ぃ名前のままだ」


 嘲りの声はやまない。心が冷めていく。人間は所詮こんなものだという想いが増していく。


「ひより。なにか思うところはないか」

「可哀想ですね」


 常葉の問いかけに、乾いた心でそう答える。


「ですが上の立場の者の言葉は絶対です。下々の者は、従うしかないんです」

「……それがそなたの意思か?」

「わたしに意思などありません。命令されたら従うのみです」


 だから神のもとへだって嫁いできたのだ。


 少年たちは子供の腹を殴りだした。相手が悲鳴を上げないよう、わざわざ口を塞いでまで暴力を振るっている。


 助けては駄目だ。そうしたら、周囲の者の不興を買う。それに子供一人助けたところでどうなるというのだろう。この地には、どうにもできない不幸などいくらでも転がっている。


 ――わたしの両親は、死んでしまった。誰も助けてくれなかった。


 道行く人々は、時折路地の様子に視線を向けたが、構うことなく先を急いでいた。


 猪俣の屋敷で暮らしていた頃のことを思い出す。冷え切った空気の土蔵から出してと叫んでも、扉が開いたことはなかった。


 だからあの子供も、救われることはない。


「私はそなたに言ったはずだ。自由にしろ、と」


 その言葉に、はっとした。


「命令ではない。そなたが選べ。そしてそなた自身では無理だと思うなら――」


 常葉の言葉を最後まで聞かず、ひよりは路地に向かって叫んだ。


「その子を傷つけないでください!」


 暗がりにいる少年たちが、一斉に声がしたほうを向いた。


「なんだ、てめえ」

「俺たち、新入りをしつけてるだけなんで。他人が口を出すことじゃねえよ」

「姉さんだって武士の横暴さに困ったことくらいあるだろ。こいつは落ちぶれた武士の家の子供だったんだよ。俺らにはやり返す権利があると思わねえ?」


 にやにや笑いながら、少年たちはそう口にする。自分たちの正当性を信じて疑っていない態度だ。


「じゃあさ、姉さん、いま着てる着物を脱いで置いてけよ。そうしたらこいつを殴らないでいてやるよ」

「そりゃいい。流行りから外れた柄だけど、売りゃあ二束三文にはなるだろ」

「そもそもその恰好、町の人間じゃねえだろ。どこの田舎から出てきたのか知らねえけど、こっちの流儀も知らん癖によくまあ意見できたもんだ」


 侮辱の言葉が突き刺さる。幼い頃、近所の子供に嫌がらせをされていたことを思い出した。


 彼らと話が通じることはなさそうだ。いまやめさせたところで、他者の目がなくなれば同じことが繰り返されるのだろう。


「聞いてんのかよ、ああ!?」


 ひよりに近づいて手を伸ばした少年の腕が、途中で止まった。二人の間に割って入った常葉が少年の腕をつかみ、ひよりを振り返った。


「自分ではどうにもできない事態なら、身近にいる神に願うなり、夫を頼るなりすればいい。そう伝えようとしたのだがな」


 この神は、民が問題を抱えていても我関せずなのではなかったのか。それとも――伴侶が願えば、頼みを聞いてくれないこともないということか。だとしたら。


「この子を助けてください!」

「心得た」


 風が巻き起こり、少年たちは目元を庇った。


「な、なんだ!?」

「砂埃が、目に」


 その隙に、少年たちの脇を抜けて二人は子供に駆け寄った。常葉が子供を抱え上げ、路地の向こう側に抜け、その場から離れた。




 少年たちから距離を取り、ひと気のない道で、ひよりは地面に下ろされた子供と向き合った。

「……あなたは」


 暗がりで年上の少年たちに囲まれていたから気づかなかったが、助けた子は午前中に重い荷物を運んでいた少年だった。


 蹴られてついた砂埃を払おうとすると、一歩後ずさりされた。


「あの、助けてくれたことは感謝します。でも、こんなことをして、後でなにをされるか……」


 そう言われ、ひよりの胸が重くなった。


 当然のように弱者を攻撃する連中から一時的に逃げたところで、どうにもならない。ならばどうすればいいのだろう。


 神社に連れ帰る。いや、無理だ。この子の生活や将来に責任など持てないし、普通の子供が神域の神社で暮らしていけるのだろうか。


「ええと、枯太さん、ですよね」

草鹿くさか枯太と申します。ですが、できれば名前ではなく……」


 あれだけ名前を侮辱されていては、初対面の人間に下の名前で呼ばれたくなくなるだろう。


「では、草鹿さん。売られたと聞きましたが、家に帰ろうとはしなかったのですか?」

「ぼくが帰ったら、家にもお店にも迷惑がかかります」

「迷惑、か。勝手に売られて迷惑を被ったのはそなただろうに」


 常葉が嘆息した。


 ひよりは草鹿の気持ちがよくわかった。猪俣の家で、もとの家があった場所へは行ってはいけない、近所の友達に会いに行くなど言語道断、と言われてきた。そうなると、例え徒歩で行き来できる距離だとしても行けなくなる。


「しかし、家に帰る、か。それもいいかもしれん」

「でも……」

「もとは立派な家の出だったのだろう? 売られた先の店でこれだけの怪我を負わされた、と訴えれば、なにか行動を起こしてくれるかもしれぬ」

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