一章 嫁入り(5)

 町の入り口付近を見て回った後、ひと気のない場所で天馬の神使を呼び出して、町の中心部へ向かった。


 天馬に乗って移動している間は、常葉や天馬だけでなく、ひよりも普通の人間には見えないようにしているという。八武崎町に空を飛ぶ馬が現れたという噂が立つ心配はしなくていいようだ。


 徒歩だと半刻ほどかかりそうな距離を瞬く間に移動し、中心部にある建物の裏手に降り立った。天馬から降りて、大通りのほうへと歩いて行く。


「この辺りになにか用があるんですか?」

「そなたは身一つで嫁入りしただろう。着物や履物などが入用なのではないか」

「い、いえ。部屋の行李に着物が入っていましたし」


 白い小袖に緋袴といった巫女装束の他に、普段使いできる着物や浴衣が入っていた。ひとまず着るものに困ることはなさそうだと安堵したものだ。


「道具の類は」

「神社にあるものを使わせていただきます」


「白粉や紅は」

「神様はそうした俗なものは嫌うだろうと猪俣の家で教えられましたが……お化粧したほうがいいでしょうか」

「……いや、そなたが必要でなければ無理強いはせぬが」


 常葉は困ったように嘆息した。


「ここまで足を延ばしてきたのだから、必要なものは入手して帰ればいいと思ったのだが。そなたは無欲なのだな」

「いえ、必要なものが咄嗟に思いつかないだけで……それにお金も持っていませんし」


 嫁入りするのに金の類は持たされていなかった。神に取って喰われるのかもしれない、と噂されていたのだから当然だ。


 ふと思った。目の前の神は、人の間でやり取りされている金銭を持っているのだろうか。


「こうしたときのために金子を溜めていたのだが」

「どうやって……」


 三廻部村には神社に金を納める風習などなかったはずだ。そもそも和守谷神社は村人から忘れられ、放置された神社ではなかったか。


「知り合いの神が各地を渡り歩くことを趣味としていて、たまに各地の土産を携えてやって来る。人の世で流通している金が入用のときに売ればいい、と教えられたのを思い出し、そなたが嫁いで来るまでに町で換金しておいた」


 神のわりに地味な手段で金を得ていたようだ。


「だから金の心配はせずともよい」

「それは頼もしいです」


 金の心配というよりも、本当に欲しいものがないだけなのだが。


 猪俣の屋敷にいたときは神に嫁ぐ娘なのだからと、高価なもの高品質なものを与えられたことはあったが、自分からなにかを欲したことはなかった。牡丹になにか言えば、我がままだ、甘えだ、欲深い、と叱責されて終わりだろうと諦めていたから。


 だから欲しいものがあったのかもしれないが、忘れてしまった。いまも特に思いつかない。それで構わない。


 ただ、常葉が残念そうな顔をしているのを見るのは、わずかに胸が痛んだ。




 ひとまず手近な店に入り、反物を眺めた。店内には色とりどりの反物が並んでいた。


「どれも綺麗ですね」

「気に入ったものはあったか?」

「……わたしには分不相応ですよ。与えられた部屋に着物があったので、それで十分です」

「そうか」


 ふと、反物が並んだ店の中心部の隅に、帯締め紐や髪紐、かんざしなどの小物類が置かれているのが目に留まった。


 子供の頃は、親に与えられた着物をなにも疑問に思わずに着ていた。猪俣の家に引き取られて、神の嫁に選ばれてからは、牡丹が高価な着物や装具を選び、それを身に着けていた。


 こうした小物一つすら、自分で選んだことはなかったかもしれない。


 陳列された装具をじっと見つめていると、店主に声をかけられた。


「娘さん、どれにしようか迷っているならつけてみるといい」


 ひよりは肩を跳ねさせた。心臓をつかまれたような感覚、罪悪感のようなものが込み上げてきた。


「い、いえ。すみません」


 首を振り、店から出て行く。


 ――必要なものは与えているのに、それ以上を欲しがるのは我がままですよ。慎みを持ちなさい。


 以前、牡丹に言われた言葉が頭の中で反響した。ここは猪俣の屋敷ではないのに。


 店を出てからさらに歩き、同行者を置いてきてしまったことに気づいて振り返ると、道の向こうから常葉が追いかけて来るのが見えた。


「どうかしたのか」

「いいえ。勝手に出てきてしまい、申し訳ありませんでした」

「そうか。なら次は――」

「あ、あの。町のお店はどうにも不慣れで……少し早いですが、先にお昼にしませんか?」

「見知らぬ町を歩き回って疲れたか。ではそうしよう」


 ひよりの提案はあっさりと受け入れられた。


 周辺の店を見渡しながら歩いていたひよりは、重そうな荷物をいくつも抱えた男の子が目に入った。


 駕籠を背負い、両手に包みを携えている。ふらふらとした足取りで進む姿をなんとはなしに

見ていたら、少年は足を取られて躓いた。


 けたたましい音が鳴り響いた。荷物は鍋や包丁といった金物や、食器の類だったらしい。幸い割れてはいないようだが、散らばった小さな木箱から包丁や皿が零れ落ちていた。


 ひよりは少年に近づいて、声をかけた。


「大丈夫ですか?」

「は、はい……すみません」


 弱々しい返事をされた。皿を木箱に戻して荷物にまとめるのを手伝っていると、少年の着物から伸びた腕に、あざや切り傷があることに気づいた。


「その怪我……」

「な、なんでもないです」


 袖を引き下げて怪我を隠された。


「この重さのものを子供一人で持っていくのは大変ですよ。手伝います」

「い、いえ。結構です」

「遠慮せずに」


「遠慮じゃありません。……誰かに手伝わせたことを知られたら――」

「え?」

「いえ、これを運ぶのが役目なので。拾ってくれてありがとうございました」


 若干無理やり会話を打ち切り、少年はお辞儀をして去って行った。


「村の人たちは、町の子供は畑仕事の手伝いなんてしていない軟弱者だ、と言っていましたが。町の子も大変そうですね」


 小さな後ろ姿が群衆の中に消えてから、ひよりはそうつぶやいた。


「『誰かに手伝わせたことを知られたらなにをされるか』。さっきの少年は、そうした独り言を口にしていたな」

「じゃあ、袖から覗いていた怪我は……」

「もっとも、町の住人ですらない我らが口を出したところで、どうにかなるものではないのだろう」


 我関せずの姿勢を示されてしまった。ここは三廻部村ではなく、常葉の管轄ではないのかもしれないが。


「そう……ですね」


 やはり神は困っている人を助けてなどくれのだろう、と思ってしまった。

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