隣り合わせの毒と青春

SIS

本編


 冒険者学園と呼ばれる施設がある。


 読んで時のごとく、冒険者を育成する学園である。


 冒険者とは、迷宮と呼ばれる空間の重なりによって作り出される概念空間に突入し、貴重な資源をサルベージする者達である。


 そして冒険者の仕事は、命がけであり常にリスクの方が上回る。そんな仕事の育成現場であるからして、冒険者学園もそれなりに血の流れる場所であった。


 とはいっても、訓練や学習で命を落としていてはキリがない。


 学園に用意された危険は、少なくとも最初のうちにおいては実際のそれとは大幅に温く、必要な技能を満たせば楽に突破できるように設定されたものばかり。


 だが、当然のように例外もある。


 そしてその例外を、黒髪の剣士科一年生の新米冒険者、ヴァルは今まさに、目の当たりにしているところだった。


「…………」


 場所は、訓練迷宮の第一階層。それも、入り口から歩いてわずかの位置だ。当然、遭遇する危険は数も限られそして危険度も低い。


 その一つが、今まさに目の前でぷるぷると震えている粘性の物体だ。


 ゲル。場合によっては、スライムとも呼ばれる。


 一言でいえば、迷宮の掃除屋。地面を這い回り、老廃物等を吸収して取り込む事で、環境を浄化する……いってみれば、キノコや細菌が巨大化し動き回るようになったようなモンスターである。みた目通りにその防御力、攻撃力、機動力全て皆無に近く、知能も殆ど存在しないという最弱に限りなく近いモンスター。冒険者どころかそこらの村人でも棒きれひとつでもあれば楽に始末できる相手である。


 そんな最弱の魔物相手に、慎重に距離をはかる少女が一人。


 腰下まで長く延びた藍色の三つ編みに、眠たげな赤い瞳。幾重にも重ねられた厚手の布服で素肌を隠すようにし、腰のベルトにはコルクの栓に針がささった瓶をいくつもぶら下げている。どこか儚げかつ気怠げな雰囲気の少女だ。


 そんな少女が、まるでスライムとの距離を慎重にはかるようにして、じりじりと摺り足で後退している。ヴァルの見立てでは、戦闘開始してからずっと、少女はスライムとの距離を変質的なまでに固定していた。


 ふと少女の手が、腰に延びる。固定されていたビンの蓋から針が引き抜かれ、中に満たされている液体がその反動で揺れる。その液体は、どこまでも深い緑色。到底、人体によい影響をもたらす物のようには見えない。


 そんな液体が付着した針を、少女が指で挟むようにして構える。次の刹那、その手が霞み……スライムの体に、数本の針が突き立っていた。


 納得したように頷き、再びじりじりと距離を保つ少女。


 一方、ぷるぷると震えるスライムは、体につきささった針にも構わず、のろのろと緩慢な動きで少女に向かって這い続ける。その体から、支えきれなかった針が自然に抜け落ちて、スライムのねばねばとした這い跡と一緒に地面に残された。


 そうして残るは、元通りのスライムの姿。


 そんな事が、かれこれ半日ほど繰り返されており。


「いやもう無理」


 ぐちゃっと、ヴァルは鞘に納めたままの剣でスライムを叩き潰した。防御力など存在しないスライムは、その一撃であっけなく水溶液に帰る。


 あっ、と目を見開いて硬直する少女……シルルを横目に、ヴァルは深い深いため息をついて、なんでこうなったかを思い返した。


 そう、全ては数日前の職員室まで遡る。


◆◆



「という訳で。なんとなく気に入らないから、ヴァル君は留年が決まりましたー」


「なんとなく、じゃねええええ!?」


 のびやかな昼下がりの職員室。いつもは教師同士の談笑の響くその場所で、やけくそ気味な少年の絶叫が響いた。


 絶叫の主は、黒髪の冒険者見習い、ヴァル・シャット。そしてそんな彼をにこやかに見つめているのは、彼が絶叫を上げる事になった原因であるシクルド教諭。


 シクルド教諭は、30前のまだ若めの女性だ。長くのばした緑色の髪は水のように抵抗なく櫛を通すほどつややかで、体型もでるところはでてひっこむところはひっこんでいるという、一般に美女といわれても差し支えない女性。だが、それ以上に学園では、その奇特な性格で名を知られている。


 そう、いましがたヴァルに言い放った、理不尽きわまりない宣告が示すように彼女は到底人の心を推し量る事のない暴君だった。


「だってぇ、ヴァル君私の教える事ないんですものー。教えることがないなら学園の意味がないじゃないですかー」


「それで落第にするって根本的に何か可笑しくないですかねぇ!?」


「そういう訳だから、ヴァル君には、特別科目を与えますー!」


 ヴァルの反論などどこ吹く風。一方的にシクルド教諭は話を進める。


「内容は、スカウト科の女子生徒の手助けですねー。どうにも、ひじょーに出来の悪い子がいるそうでして。学園の面子の為にもある程度モノにしないといけないんですが、どうにも。そこで、全方向に人よりちょっとできるヴァル君に彼女を手伝ってもらって、最低限学園はがんばりましたという箔をつけてきて欲しいのですよ」


「あんた……それでも教師か……?」


「はいヴァル君げんてーん!」


 ヴァルもこれにはもはや言葉もない。


 これでいて一応、授業はわかりやすい部類の教師ではあったのだが、本人の人格がこれではフォロー不可能である。


 まさか学園の本音はこんなもんなのかと思ってヴァルが周囲を見渡せば、居合わせた教師陣が顔をひきつらせているのが目に入った。その様子は到底シクルドに協調するものには見えず、この教諭が特別おかしいだけか、とヴァルはため息をついた。


「……わかりましたよ。それで誰とくめばいいんです? 箔をつけるってのは、つまるところ、その問題の女子生徒と組んで迷宮を突破してこいって事でしょう?」


「さっすが、話が早いですね、ヴァル君。むかつきますね」


 腐臭のする悪態をつきながら、笑顔でシクルドの差し出してきた羊皮紙を手に取る。そこには、件の女子生徒のデータが、ざっくりと記載されていた。


「シルル・クルル。ニルヴァーナ帝国領出身、16歳。隠密技能、調合技能、索敵技能全て及第点。基礎学力、社会常識にも問題なし? どこが落第生なんですか、彼女? ふつうにきわめて優秀に見えますが」


「あらあら、追記までちゃーんと読まないとだめよ早とちりさん?」


「追記? ……訓練用迷宮の踏覇率? んなっ!?」


 普通の資料にはない、追記事項。そこを読み込んだヴァルは、そのあり得ない記述に目を見開いた。


 シルル・クルルの迷宮踏覇率。一階層において、その割合……。


 10%以下。


 それはすなわち、彼女が最弱の魔物、スライムを突破できていないという事を意味していた。



◆◆



「……マジかぁ」


 そして流石に冗談だと思いつつも、放課後早速シルル・クルルを誘って迷宮に乗り込んだ結果が、まさかのスライム討伐に半日である。迷宮内は時間が歪んでいる為、外でも半日経過しているとは限らないが。


 第一階層は、肥沃な森林の形をとっている。広葉樹が生い茂り、しかし空は青くすんで強い日差しが隅々まで降り注ぐ。足下を覆う藪草は殆どなく、魔物さえいなければピクニックには最適の場所だ。その魔物すら、本来は村を飛び出した一般人でもどうにかなるレベルのはずなのだが……。


 ヴァルは足を止めて、先行するシルルを見やる。先ほどから彼女は足音一つ立てず、常に一定の距離で先行している。見えているにも関わらず、気配は殆ど感じないためうっかりしていると見失ってしまいそうだ。


 間違いなく、斥候としては一級品の能力を秘めているはず。なのになんでスライム如きにあんな有様なのか。


 やはり、確認する必要がありそうだ。


「なんだかなあ……。まあいいや、シルル。そろそろ休憩にしよう」


「もうですか? まだまだいけると判断しますが」


「いんや。そういう思いこみが、迷宮では一番まずい」


 ヴァルは懐をまさぐって、迷宮時計を取り出す。これは空間のゆがみで普通の時計や体内時計が宛にならない迷宮内において、正確な時間の経過をはかれる特殊な魔法道具だ。


 それを確認すれば、ヴァルの予想通りすでに数時間が経過していた。外では、月がでている頃だろう。


「やっぱりけっこうな時間がたってる。そろそろ野営の準備をしないと、明日の朝までに寮に戻れないぞ」


「そうでしたか。感謝します」


「あのなあ……一人の時はどうやってたんだ?」


 ヴァルの調べたところ、記録によれば、迷宮に潜ってる時間や回数は少なくない……むしろ多いぐらいだ。少なくとも熱意はあるらしい。


「限界ぎりぎりまで粘って、駄目だと思っていたら撤退していました。しばしば、日をまたぐことも」


「……なんでまたそんな事を。斥候科の成績を見たけど、引き際を謝るほど猪突猛進じゃないだろ、君」


「あと少しだったんです。そう、あと少し」


「?」


 なにやら拳を握りしめて、自分に言い聞かせるように、シルル。ヴァルは首を傾げながらも、やはり何かあるのかと疑念を深めた。


「なあ、一ついいか、シルルさん」


「はい」


「さっきの戦闘で、ちょっと思ったんだが……あれは、いったいなにしてたんだ?」


「なに、とは? 要領を得ません。明瞭にお願いします」


 きょとん、と小首をかしげるシルル。


「いやさ、スライムなんてそれこそ、革靴で蹴り飛ばすだけでしとめられるだろう? なのになんか針みたいなの持ち出して、ぜんぜん効いてなかったし……あれはいったいなにを「毒殺です」……はい?」


「ですから、毒殺です」


 シルルはベルトから、例の針をさしてあるビンを取り外すと、その栓をきゅぽ、と引き抜いた。


 その瞬間、ヴァルの背筋に言葉に出来ない悪寒が走った。


 知らず、脚が後ずさる。


「な……?!」


「間違っても、風下に立たないでください。危ない」


「いや、あける前にいってくれよ。なんなんだ、それ」


 背筋が泡立つ。まるで高脅威度のモンスターを前にした時のような戦慄が、ヴァルの心胆を凍えさせている。


 それに対し、シルルの答えは端的だった。


「毒」


「毒? もしかして……」


「そう。私が調合した、対モンスター用の毒液。それを使って戦うのが、私のスタイル」


 心なしか、薄い胸を張ってドヤ顔に見えるシルル。その双眸は相変わらず眠たげに細められているが、奥に今までになかった煌めきが輝いているように見えるのはヴァルの勘違いではないだろう。


「毒は素晴らしい。科学的な反応によって、効率的に体組織を破壊する。無駄に血を飛び散らせることもなければ、不必要に汗を流すこともない。勿論、ただの出血毒だけではありません。ほかの瓶には、麻痺毒、睡眠毒、なんでもござれ。それらを駆使する事で直接ふれる事なく、相手を弱体化させ能力を発揮させることなく処分する。実に建設的で、確実な戦闘手段。状態異常は素晴らしい」


「お、おぅ……?」


 いきなりまくしたてるシルルに、腰がひけているヴァル。まさかこういうキャラだとは思わなかった。


 クール系だと思ったら、まさかのオタクで電波系である。さしもの彼も引く。


 と、ふとそこでヴァルはある事に思い当たった。もしかすると、という予想に、ヴァルは別の意味でげんなりとする。


「ちょ、ちょっとまって。もしかして、さっきスライムにその針をちくちく刺していたのって……」


「ええ。毒殺を試みていました」


「スライムだよ!?」


 スライム、それは迷宮の掃除屋である粘性生物。神経も血管も心臓も存在しない粘液の固まりに、毒がきくのか。そもそもあらゆる腐敗物を吸収し栄養にするというのは、そこに発生する毒物も吸収してしまうという事だ。


「効く訳ないじゃないか! ていうか、そもそもなんで毒殺しないといけないのさ。蹴っ飛ばせばそれで終わりじゃないか」


「前者のご意見については、むしろだからこそです。毒の効かない生物など存在しません。してはいけません。相手がいくら耐毒性に優れた生物であっても、だからこそ毒殺しなければならないのです。後者については、それだと毒殺にならないじゃないですか。もうちょっと耐久力があるモンスターならともかく、スライム相手に攻撃を加えれば毒の意味がありません。妥協はするべきではないかと」


「妥協もなにもそのせいで学園退学されそうになってるんじゃないか! っていうか、そもそも状態異常は戦闘における補助手段じゃないか。そんなの、手段に拘泥して目的を見失っているのと同じだろ!」


「いいえ、問題はありませんよ。私にとって冒険者は毒殺を行うための手段です。毒殺こそが目的なので、間違ってはいません」


 力説するシルル。冒険者には大なり小なり変わり者がいるとはいえ、正直言うと彼女の拘りは常軌を逸している、というのがヴァルの正直な感想だ。


「……暗殺者にでもなる気?」


「暗殺者……人に毒を盛れと? いやです、つまらないですから。人間なんて、耐性を意図的につけてない限り針の先程度の、それも単一の毒でひっくり返ってしまうじゃないですか。その点、モンスターは素晴らしい。書物によれば、神経毒と出血毒と睡眠毒を全部盛られても数刻は耐えるほどの高い生命力をもっているそうですし。是非とも実践してみたいと思います」


 やだこの子超サディストだ、とヴァルは青い顔で頭を抱えた。


 というか話が通じない。方向性こそ違うが、シクルド教諭と同じジャンルの人間だとヴァルは確信した。


 だが、今もシルルを放り出す、という選択は出来ない。ヴァルは学園を卒業したいのだ。


「君の気持ちはわからないがわかった。だがこちらにはこちらの事情がある。次からスライムに遭遇した時は、僕の方で倒させてもらう。構わないな」


 むしろ嫌とはいわせん、とばかりに言い放つヴァルだったが、しかしシルルはどこいく風とばかりに頷き、あっさりと承諾した。


「了解しました」


「……ごねるかと思ったが、あっさりと受け入れたな。理由を聞いていいか?」


 相互理解は難しくとも、互いの境界線を把握しておくに越したことはない。思ったよりも聞き分けのよいシルルの様子をいぶかしみながらも、ヴァルはあくまで歩み寄りの姿勢を見せた。


「毒殺を試みているのを横からもっていかれるのは極めて不愉快ですが、私が手を出していないものを叩く分には関係ありません。私が手を出す前に消えたのなら、それはいなかったと同じです。私はモンスターをただ倒したいのではなく、毒殺を行いたいだけですので」


「つまり、君より先に手を出すなら問題ないと」


「ご理解いただけてうれしく思います」


 それはつまり、斥候科でありパーティーの先陣を切る彼女より、剣士科であるヴァルが先に接敵しなければならないという事である。それはすなわち、斥候技能をもっていないヴァルがパーティーの先頭に立たなければ無理であるという事で。


 無論、シルルの言い分なんか無視して、毒針を投げてようが問答無用でスライムを叩き潰すというのもありではある。だが、そうなった場合この状態異常マニアがなにをしてくるかわからない。最悪、麻痺毒を盛られて後ろにころがされたまま、スライム相手に日が暮れるのを待つ羽目になるかもしれない。その果てに待つのは、契約不履行による留年か退学だ。


「ああ、くそっ。なんでこうなったんだ」


 先が思いやられる展開に、ヴァルはくしゃくしゃと頭をかき乱して嘆息した。



◆◆



 それはともかく、テントの設営を早々に済ませなければならない。話はその後でも出来る。ヴァルは背中に背負った荷物をおろすと、キャンプの設営の為の準備を始める。


 その横に、そそっとシルルが寄ってくる。彼女も同じように、テントの設営を始めるのだが……。


「……待ってください。すこし準備が」


「準備? 何の?」


「虫除けがあります。それを設置するので、少しお待ちください」


「それはいい。あるならやってくれ」


 こういった自然環境を模した迷宮の場合、生態系も再現されている。当然、その結果モンスターと呼ぶには小さい虫も多数生息しており、それらはキャンプにおいて大きな問題になる。


 うっとおしいだけならともかく、血を吸われたり、最悪妙な病気を移される事もある。ここは一階層だからそこまで凶悪な虫はいないが、それでも虫除けがあるとないでは安眠度が全然違う。


 ただ、一般的な虫除けは、かさばり荷物を圧迫する。なのでヴァルも迷宮の危険度から考えてしぶしぶ持ち歩くのをあきらめていたのだが。


 しかしそんな荷物、彼女はもっていたかな、とヴァルが首を傾げる前で、シルルはキャンプ設営予定の空き地の四隅を回って、なにやらかがみ込んでいる。みれば、懐から何か粘土のようなものを取り出して盛り、そこにマッチで火をつけているようだった。


 粘土は火を殆ど出さずに、うっすらと煙のようなものを漂わせ始める。お香みたいなものか、と観察しているヴァルの前に、早速一匹の小さな虫が飛んでくるのが目に入った。


 その虫は、ただよう煙に構うことなくこちらにやってきている。おいおい、虫除けになってないじゃないかと肩を落としたヴァルだったが、次の瞬間、ころっと虫が落下したのを目の当たりにして口元をひきつらせた。


「……え?」


 慌てて虫をつまみ上げてみる。完全に硬直、脚の死後痙攣も見て取れない。見事なまでの即死だった。


「シルルーーーッ!?」


「なんですか、ヴァルさん」


「何だこの煙!? おまえ、いったい何を炊いてる?!」


 少なくともここまで即効性のある殺虫剤をヴァルは知らない。ろくでもない物であるのは間違いなかった。


「殺虫毒ですが」


「しれっと毒だって事を認めるなぁっ!」


「大丈夫ですよ、これ、一晩程度なら人体に害は無いのと同等です。虫は人間より体積が圧倒的に小さいから、効果が大きいだけですよ」


「これから少なく見積もっても俺は併せて一週間以上、こうしてキャンプを張る事になるんだが大丈夫なんだろうな……? 弱くても毒は毒なんだろ、蓄積したら……」


「…………」


 嫌な沈黙がその場に流れる。ヴァルは両手をワナワナさせながら絶叫した。


「そこは嘘でもいいからいっとけよ! 大丈夫だって!」


「大丈夫です」


「今更いっても説得力無いわ!」


 もうヴァルはいっぱいいっぱいである。とにかく火を消して処分しようと粘土に向かおうとする彼の袖を、しかしシルルががっしと掴んで引き留めた。


 ……振り払おうとするが、存外に力が強い。


「なんだよ」


「だから、人体には問題ありません」


「問題なければいいってもんじゃ……」


「かうひぃ、はご存じですか、ヴァルさん。かうひぃ、です」


「? いや、知ってるっていうか愛飲しているが」


 唐突に、飲み物の話を始めたシルルに、毒気を抜かれて首を傾げるヴァル。シルルの目は相変わらず眠たげに細められていて、本気かどうかよくわからない。


「かうひぃを愛飲しているのですか。それは結構。では、なぜ愛飲しているのですか?」


「そりゃあまあ、あのなんともいえない苦みがな。あとは目が覚めるっていうか、ぱっちりするというか」


「それは、かうひぃに含まれている成分のせいですね。コフイン、というのでしたか」


 何やらうんちくを語り始めるシルル。何がいいたいのかよく分からないが、このシルルという少女の事を理解するとっかかりにはなるかもしれない。


 ヴァルは振り払うのをあきらめて、とりあえず会話に応じる事にした。


「へえ。それは知らなかった。そのコフインってのを抽出すれば、便利そうだな。長丁場とか、眠りたくても眠れないときとかさ」


「そのコフインなのですが、実をいいますと」


「うん?」


「猛毒です。そこの虫除けに使ってる濃度ぐらいになれば、人が楽に死ねます」


 目を丸くするヴァル。シルルはコクコクと頷いた。


「……はい?」


「嘘だと思うなら、濃いめにいれたかうひぃ水の中に魚でもいれてみてください。すぐに逆さまになってぷかぷかと浮いてくるでしょう。無論、かうひぃに限らず、私たちの身の周りには、摂取量を間違えれば死に至る食べ物はいくらでもあります。ですが、摂取量さえ間違えなければ、毒は薬となるのです。人体は常に再生と破壊のサイクルを繰り返しており、適切に毒物をもって破壊のサイクルに働きかければ、再生の力はより多くなるのです。体によい物だけを取り込むのが、正しいことではないのです」


「つまり?」


 なんか結論が見えてきたぞ、とヴァルはこめかみに指を当てながら訪ねた。頭痛がしてきた気がする。


「多少の毒なら問題なし、です。大丈夫大丈夫、ちょっと当たっても気分が悪くなる程度ですから、あれ」


「わかったわかった、もういいよ……」


 降参しました、とヴァルは片手をあげてはなしを切った。このまま誤解とすれ違いを解消しようと話を重ねる方が、人体にはさほど大きな影響はないという殺虫毒よりも体に悪い気がしたからだ。


 今日戦ったのは、スライム一匹のみ。にも関わらず、激戦を終えた後のような疲労を覚えたヴェルは、今日はよく寝れそうだ、と一人愚痴った。



◆◆



 そして翌日。


 外の世界で日が上る前に迷宮から脱したヴァルは、シルルと別れ自室に戻った。装備を片づけ、シャワーを浴びればすでに日は山の向こうからその姿を覗かせつつあり、ぽつぽつと学路には人の姿が見え始めていた。


 その中に、何食わぬ顔で混ざり込むヴァル。その隣に、シルルの姿はない。あくまで彼女とは卒業を巡る難題としての関係しかない。あのエキセントリックさと平常から接するつもりは、ヴァルには当然なかった。


 そのあたりはシルルにも伝えてある。学園では距離をおき、あくまで学園に通う生徒と生徒でいよう、と。元々何のつながりもなかったのだ、それが自然な形に収まるものだと、ヴァルは考えていた。


 生徒でごった返す、早朝の通学路。生徒は基本的に学舎に登校する時は共通した制服の着用を義務づけられるが、一見するとそうは思えない雑然とした風景が広がっている。


 制服の上から目的に応じて装備する物については、特に指定がないからだ。


 剣士科の生徒なら金属鎧と長剣を、斥候科の生徒なら双眼鏡や弓、と所属する科によって装備品の傾向は異なる。かくいうヴァルも、左腰に剣をぶら下げ、心臓部を守る部分鎧を制服の上につけた、典型的な剣士科の装備をしている。


 そんな彼に、同じ剣士科の生徒が声をかけてきた。青い髪に白い肌といった典型的なニルヴァーナ系の男子だ。


「よーぅ」


「げぇ」


 彼の名は、アッシュ。アッシュ・ナーバ。この学園におけるヴァルの同期で、一時期同じパーティーに属していた友人である。どちらかというと悪友、というのが正しいか。


「おいおい、朝っぱらからご挨拶だな」


「うるせーよ。お前朝の挨拶律儀にするようなキャラじゃないだろ。そんな奴が朝からにやにやしながら語りかけてくるって絶対やっかい事じゃねえか。帰れ」


「へっへー。先生はいうことが違うねえ」


 ヴァルのとりつく島もない罵倒に、しかしアッシュは何やら楽しそうな笑みを崩さない。その笑みに、ますますいやな予感が募っていく。


「なんだよ」


「いやあ、お前さんも男だったんだなーってなぁ。聞いたぜ? 斥候科のかわいこちゃんと、迷宮の第一階層にしけこんでたんだって?」


「真実は別として。どこで聞いた、それ」


「え? シクルド教諭が言いふらしてたぜ、なんか」


 一瞬でヴァルの顔が渋面に染まった。


「…………あ゛ぁ。そうか」


「いやあ、しかし真面目な話、十階層に到達しているお前さんが、なんでまた一階層に用事なんだ? あそこ、冒険者体験会みたいなもんだろ。ズブの素人でも、一週間もあれば制覇できるだろ?」


「いや、そのあたりどうはなしたもんだか。あの教諭が話広げてるんなら、お前に真相はなしたらカウンターにならないかな……」


「あー。なんかもしかして、苦労話?」


「それに近い。ああくそ、なんでこんな目に」


 頭を抱えてぼやく。最近、隙あらば世界が自分を内臓的な意味で殺しにきているとヴァルはつくづく実感した。まだ若いのに心労で胃潰瘍とか勘弁願いたい。


 だが、同時に奇遇でもある。アッシュはこれで顔が広く、女子に詳しい。年頃の少年らしく異性に興味深々の彼なら、あの歩く毒物、シルルについても詳しいかもしれない。


 いや、そもそも何故最初に彼に相談しなかったのか。シルル・クルルについてもっと情報収集をしなかったのか。今思うと痛恨のミスである。


「なあ、アッシュ。斥候科の落ちこぼれって聞いたことあるか?」


 それはあくまで会話のジャブのつもりだった。シルル・クルルは学園はじまっての落第生だと聞く。それは一時的な関心を集めるかもしれないが、誰もそんな劣等生に深く関わろうとはしないだろう。いくらアッシュがナンパ好きでも、だからこそ彼女については詳しく知らないはず。だからまずは、当たり障りのない感じで話を広げていくつもりだった。


 だが。


「え……?」


 ぴたり、とアッシュの動きが凍り付く。不意に途絶えた足音にヴァルが振り返ると、彼はその髪色に負けないぐらい顔を青くして、小刻みに震えていた。まるで何か、思い出したくもない忌まわしい思い出にでもとりつかれたかのように。


 が、すぐに彼は我に返ると、周囲の目もはばからず、ヴァルにつかみかかった。急な展開についていけない彼の肩をつかんで、アッシュは壊滅寸前のPTのような剣幕で問いただす。


「まさか……お前が一緒にいたっていう女子、シルル・クルルじゃないだろうな!? 違うよな、違うといえ!」


「え、あ、えと……?」


「……すまん、取り戻した。それで確認するぞ……お前の言う女子とは、シルル・クルルじゃないだろうな。三つ編みで! 眠たそーな目をして! 絶壁の!」


「あー、いや、その。年齢を考えれば、胸はあるほうだと思うぞ?」


「ガッデム!!」


 確信をもって、アッシュは頭を抱えた。思わずこちらでは通じないニルヴァーナ独自の悪態が飛び出すにいたって、ヴァルはようやく事態を把握した。


「え。お前、知ってるの?」


「知ってるも何も、幼なじみだ!!」


「え、ええー!? い、いや、シルルの奴、確かに帝国出身だけど、見た目は思いっきり共和国系だろ!? なんで生粋の帝国人のお前と親好があるんだよ!?」


「ああいや、うちの両親、貴兵の研究してんのは前にはなしたろ? そのつながりで共和国から出張してきてたのがシルルの親父さんなんだよ……」


 思わぬところで思わぬ繋がりがあるものである。そんな関係があったとはヴァルは全く知らなかった。


「研究者ぁ? それが、なんであんな毒物マニアに?」


「あれは毒物マニアっていうか、超サディストなだけだって。能力を封じられて、全力さえ出せればお前なんか……、みたいな状態の相手をねえどんな気持ちねえどんな気持ちしたいだけだ。その為に手段と人道を選ばないだけなんだよ」


「わかってたけど怖ぇ!?」


 やはり、サディストであるという認識は間違ってなかったらしい。ヴァルは額に手を当てて項垂れた。


「アイツの両親は研究者と同時にバリバリの実践派でなあ。遺跡とかダンジョンに自分から潜っていくから、凄腕の冒険者でもあるんだよ。その影響かなぁ……。今はそうでもないけど、貴兵も技術も魔法も、遺産すらなかった当時の人間だ。そんな人達が強大な魔物に対抗するには、搦め手に頼るしかなかった。毒はそんな当時の人達が主力とした、本来は誇り高い手段なんだよ」


「誇り高い……ねぇ」


「そう。その認識が、彼女の歪みの現況だ。力を得て、正面から魔物と戦えるようになった今、相手を弱体化させる戦い方はいやらしいやり方のように言われる。そういう状況に不満を抱えて鬱屈した精神が、あのドSを育てちまったんだろ……」


 しみじみと実感の籠った呟き。実体験の伴った言葉だった。


「なんか実感こもってるなあ……」


「幼なじみっつったろ。アイツに巻き込まれて病院で点滴を受けたの、両手の指を全部使っても数えられないぐらいだ」


「……え。俺、そんなの相手にしないといけないの? え?」


「頑張れ」


「頑張れじゃないってばぁ!?」



◆◆



「くっそぅ……、アッシュの奴本気で関わらないつもりか……」


 何事もなく時間は流れて、昼休憩。


 いつもと違い一人きりで食事をとるヴァルは、グチグチと薄情な友人の事を罵っていた。


 あの後、アッシュに再三協力を求めるものの、全てなしの礫。忌まわしい幼なじみに、学園にきてまで関わりたいとは思わないらしい。


 その気持ちはわからないわけでもないが、でもちょっと友人つきあいを考えようと思わないでもなかった。


 放課後になれば、またシルルと一緒に迷宮にいかなくてはならない。シグルド教諭の話では、最低限五階層まで彼女を連れて行かなければならない。それさえすれば、あとは放っておいてもかまわないという話ではあるが……。


「あのペースだと、そこまでどんだけかかるんだよ……。一階層の半分も到達できてないんだぞ……」


 期限制限こそないようなものだが、しかしヴァルにはヴァルの事情がある。せっかく現時点で十階層まで到達できてエリートまであと一歩だというのに、ここでまさかの足踏みだ。うかうかしていれば、後続にも記録を追い抜かれ、今度はヴァル自身が落ちこぼれになってしまう。それだけはなんとしても避けなければならない。


 とはいえ、ヴァル自身がどれだけ焦って努力しても、シルルが進めなければ意味がない。ヴァル自身冒険者だからわかっていることではあるが、ここでシルルを引きずって無理矢理奥に進む、なんていうのは不可能なのだ。


 シルルが完全なお荷物状態でも、ヴァルなら二階層ぐらいまでなら突破できる。だが、その先は? 段階的に凶悪化する魔物や罠に、ヴァル一人で対抗できるか?


 答えは当然、否だ。


 確かに、ヴァルは十階まで到達した、そこそこ腕に覚えのある冒険者見習いだ。だがそれは、頼れる仲間がいてこそだ。斥候科や医療科に魔術科、騎士科といったそれぞれの専門職からパーティーを選び、戦術の元で合理的に動いてこそ、初めて下の階層の魔物や罠と渡り合える。


 シルルの協力なしで、三階層より下の魔物とは絶対にやりあえない。いや、そもそも斥候技能に乏しいヴァルでは、致命的なトラップを回避できない。


 つまり、嫌でもシルルのあのペースに併せて、彼女との信頼関係を構築しつつ進まなければならない。


 幸いというべきなのは、シルル本人はどちらかというとやる気に溢れていて、スライム相手に毒殺にこだわるという無駄な熱意さえなければ冒険者としての素養は悪くないということだろうか。斥候科での成績も、罠への対策や索敵、採取といった一般技能の成績は悪くない。本当に、あの変質的な熱意さえなければなんとかなりそうではある。


「……とりあえず、俺がぶっこんでスライムはり倒すしかないかぁ……」


 そうして、何度もたどり着いた答えに帰結して、ヴァルは深々とため息をつく。


「やれやれ……」


「迷惑をかける」


「全くだ……って、え!?」


 不意にかけられた声に、跳ねるように振り返る。


 ヴァルは一人で食事をしていたはずだった。にも関わらず、背中合わせで座り込んでお弁当箱を広げている女子生徒の姿があった。


 シルルだ。


「お前、いつから?」


「数刻前から」


「……うわっちゃあ。お前なんでその優秀さをもっとまともな方向に使えないんだよ」


「ごめん」


 こっちに振り返りつつ、もぐもぐとお弁当を咀嚼するシルル。その表情は無表情なようでいて、わずかな罪悪感のようなものが見て取れた。


「今更だけど。巻き込んだことには、謝罪したいと思う」


「あぁ?」


「自分一人の事だと思ってた。だから、どれだけ周りにおいていかれても問題ないと思っていた。まさか、こんな事になるなんて思ってなかった」


「あー……まあ、な。それじゃあ、あきらめてくれるか、スライム相手の無意味なの」


「それでもやっぱり毒殺は譲れない」


「をい」


 譲歩が見いだせたかと思ったらこれである。肩を落とすヴァルは、ふとシルルのお弁当箱に目をとめた。


 なんだかんだで、女の子らしいかわいらしい弁当箱である。その中に、見た目はおいしそうな肉団子が一つと、卵焼きが一つ、残っている。そしてそれらに、シルルは手をつける様子はないようだった。


 ヴァルは自分の弁当を見下ろす。若い男らしく、見た目とかいっさい気にしない男飯だ。適当に野菜と肉を痛めてスパイスで味付けしただけのおかずに、適当な炊き加減の白米。シルルの弁当と比べれば、見る影もない。


「……なあ、シルル。それ、あまってるならもらっていいか?」


「え?……あ」


「いただきっ、じゃあ、いただきまーゴフュ」


 肉団子をシルルの手元からかっさらう。それを口にした直後、ヴァルはそのまま悶絶して倒れ込んだ。


 それを、呆然と見下ろすシルル。彼女はふぅ、と息をついて、懐から小瓶と針を取り出しながらこう告げた。


「それ。毒回避訓練の為に作った、毒混じりの肉団子。はずれっぽいから残してたのに」


 シルルの嘆きも、泡を吹いて昏倒しているヴァルには届かない。仕方なく、彼女は針を解毒薬に浸すと、ぷすりと彼の首筋に突き刺した。



◆◆




「あ゛ー。なんかまだくらくらする」


「人の弁当に手を出すから。自業自得」


 時は移って放課後の第一階層。


 毒がいまだに抜けきらず、くらくらとする頭を押さえるヴァル。経口摂取にも関わらず頭痛がするというのはいったいどういう毒だったのか、ヴァルには想像もつかない。ただ、聞かない方がいいだろうという想像はできたので、シルルに訪ねることはしていない。


 そんな彼の後ろを、シルルは黙ってついてきている。


「……おし」


 とんとんと頭をこづいて、ヴァルは気持ちを切り替えた。剣を鞘から抜き、周囲を警戒する。


 彼らが歩いているのは、見通しのよい林の獣道だ。何百、何千と人があるいた結果、自然とできあがった道をいく。やっかいなトラップもないため、多少早足で進んでも問題ない。そもそもヴァルはかつてこの階層を突破したのだ。


 だが、それと油断はまた別の物だ。


 それに、シルルにスライムの相手をさせない、という考えもある。実際のところ成績そのものはわるくない斥候科相手に、剣士科がどこまでできるが疑問ではあったが、それでも彼は剣を片手に先行した。


 最も。


 実際のところ、シルルはヴァルより圧倒的広範囲をすでに認識していた。その中にはスライムの姿も多数ひっかかっていたが、彼女はあえて行動を起こさなかった。


 理由はいくつかあった。最も大きい理由が、ヴァルがシルルのスタンスをある程度尊重した上で動いてくれている事にあった。


 もしヴァルがシルルの拘りをいっさい理解せず強引に話を進めようとするなら、シルルも妥協はしなかっただろう。だが、ヴァルは自分の未来を人質にされたにも関わらず、シルルのスタンスにある程度の譲歩をしている。


 それに、彼女の毒に何度か巻き込まれて犠牲になったにも関わらず、その事について彼は必要以上に追求することも、彼女から距離をとる事もなかった。それはヴァルが一連の行動に自分自身の無知さと責任を見いだしたからであったが、それでもシルルにとっては初めての事だった。


 だから、シルルもヴァルに譲歩しようと思ったのだ。


「……」


 手元のナイフを弄びながら、先行してスライムを叩くヴァルの後ろ姿をみる。


 不思議な気持ちだった。彼は、毒は卑怯だとも、気持ち悪いとも、危ないから近づくなとも言わない。殺虫毒の件ではそれに近い事をいわれはしたが。しかし彼はそれを拒絶の理由にはしなかった。


 毒薬を戦闘に用いると知れて以来、シルルとパーティーを組んでくれた者はいない。だから、こうして自分が誰かの背中をみるのも、誰かの背中にかばわれるのも初体験だった。


 初体験だった、けども。


「…………悪く、ない。悪くなんか、ない」


「ん、どうした?」


「なんでもないよ」



 振り返ったヴァルの視線から意図して目をそらして、シルルはきっちり距離を保って彼の後をついて行った。



◆◆



 学園迷宮、十一階層。


 粘液質の壁でできた洞窟と呼ぶべきその場所を進行する、一つのパーティーがあった。壁役に騎士、剣士、中衛に衛生士、後衛に弓と魔法使いという堅実なパーティーだ。


 そして、その剣士は、青い髪が特徴の帝国人。


 ほかならぬ、アッシュその人だった。


「…………」


「どうしたよ」


「あ、いやな。アイツらうまくやってるかなぁ、と」


 きょとんとパーティーメンバーは顔を見合わせ、そろって苦笑を浮かべる。


「あー。件の幼なじみどのとヴァルの事か」


「変な噂になってたアレねー。ヴァル君も災難ねえ。変に優秀だから……」


「優秀っつうより、後ろ盾がないのがアイツの問題点だろ。シルルをどうにかするっつうなら、もっと適役はいたぜ? ただ、そいつらはそれなりに大きい家の出身だったり、血縁に優秀な現役冒険者がいる。あのクソ教諭はそれにびびったんだろうな」


「同じ英知を司る者として本当に嘆かわしい。そもそも、あの女はクルル女子の為に何かしたのか? いや、何もしていないに違いない。全く」


 次々に己の見解を述べる、アッシュのパーティの仲間たち。彼らは事情をだいたい把握した上で、ヴァルでもシルルでもなく無理をいいつけたシグルド教諭の事を責め立てる。


 人望がないというよりも、当然の理屈である。故に、シグルド教諭は人望がないのだが。


 とはいえ、あの教諭が無責任に垂れ流しているデマに仲間たちが勘違いしていないようでアッシュは一安心した。気心の知れた友人と、問題はあるがそれでも腐れ縁の幼なじみを悪く言われるのではないかと、若干不安に思っていたのだ。


 そんな彼の真意をくみ取ったように、肩を並べて歩いていた大盾と槍を構えた重装騎士の少女が取りなすようにほほえんだ。


「アッシュ。不安なのはわかりますが、私たち相手にそのような懸念、かえって不義理というものです。私達はヴァルさんの事をしっていますし、シルルという少女が本当にろくでもない人間なら貴方が関係を絶っているだろう事もわかっています」


「ある意味関係絶ちたいのは真実だろうけどなー。ま、俺っちはクルルの奴と同じ科目だからよくしってるしなー。色々ともったいないやつだぜ、キシシシ」


「こら。口汚いですよ」


 斥候科の黒い肌の少女が茶化し、それを衛生士の少年が諭す。いつも通りの話の流れである。


 冒険者といっても、基本は学生。何かない限りは、こうやって道草話に花をさかせるのも仕方ない事である。


 だが。


 その何かがあれば、一瞬にして切り替える事ができる。それこそが、彼らが学生メンバーの中、最前列を突き進んでいる理由である。


「……をい」


「ああ。なんだこれは」


 斥候の少女が血相を変えて弓を引き絞る。その前に静かに重騎士が歩みでる後ろで、アッシュが剣を引き抜く。そのいずれも、手元がわずかにふるえている。


 臨戦態勢に入ったパーティ。その前に、気配の元がゆっくりと現れる。


 粘液質の足音を立てて現れた、それ。


 その異形の姿に、パーティー全員が総毛立った。


「なんだこいつ……!?」


「ありえないよ、ヤバイってこれ! 十一階層レベルの敵じゃないよ!?」


 危機感に浮き足立つ一同。アッシュもまた、知れず気圧されている事を悟って愕然とした。


 そんな彼らの前で、現れた怪物……”二十階層防衛者”は、聞く者の心臓を止めんばかりの不協和音に満ちた絶叫を上げた。




 冒険に、イレギュラーは付き物である。




◆◆






「おっしゃあ!!」


 快哉一撃。ヴァルの振り抜かれた左キックが、半透明な粘液の固まりを粉砕する。防御力の存在しないスライムはその一撃で爆発四散、四方に粘液の飛沫を飛び散らせて絶命した。


 ガッツポーズを決めて次の獲物を探しに小走りでかけだすヴァル。そんな彼を、後ろから半目で眠そうに観察しながらシルルがマイペースに追いかける。


 なんだかんだですでに一階層の半分は越えただろうか。初日の有様から考えると、ずいぶん順調なペースである。


 それに関しては、やはりヴァルが見かけた端からスライムを蹴り飛ばし撃退しているというのもある。だがそれ以上に、シルル・クルルがふつうにやっていれば相当に優秀な斥候だったというのが大きい。


 それが証明されたのは、スライムとは別種の魔物との戦闘だった。


 一階層に出てくる魔物は、当然スライムだけではない。犬ほどの大きさもある巨大ネズミや、頭ほどもある巨大トンボなど、一般人相手なら十二分に驚異となる魔物も当然生息している。


 入り口付近には生息していないそれらが、進むにつれ姿を見せるようになるのも当然の話。そして寡兵であるヴァル達にとっては、たとえ一階層の魔物とはいえ障害となる、はずだった。


 結論から言おう。蹂躙である。


 剣士科であるヴァルは索敵能力に優れていないとはいえ、本来もっと下層のフロントランナーである。能力は、数値でいえばシルルより高い。にも関わらず、シルルはヴァルが反応するよりも早く奇襲に対応し、腰の毒針を魔物に見舞った。


 それで終わり。


 巨大ネズミも、巨大トンボも関係なかった。その一刺しでそれらはひっくり返って僅かに痙攣を見せた後、永遠に動かなくなった。


 そんな事が、スライム以外の魔物と遭遇する度に展開されたのである。


 もはや、シルルの毒殺にかける情熱と成果を認めないわけにはいかない。さらにいえば、道中の貴重な植物などのトレジャー発見率についても、彼女はずば抜けていた。


 盛大な節穴である。シルル・クルルは、非常に優秀な冒険者としての素養を秘めている。スライムどうだこうだで、彼女の事を見くびっていたヴァルや教師陣が間抜けだったと、そういう事である。


 これに関しては、ヴァルもおおいに反省すべきと考えつつも、しかし。


「それはそれとして、結局俺の時間が大量消費されたという忌むべき事実は変わらないんだがなぁ……」


「?」


 そう。結局、シルルが優秀でも劣等生でも、ヴァルが最前線から離れている事実は変わらない。今もこうしてる間に、仲間達が深層に進んでいると考えるとじれったいような、嘆きたくなるような。


 まあ、シルルが優秀ならそれはそれでいいか、とそこで考えを改め直す。シルルが詰まっていたスライムは一階層にしか出現しない。なら、二階層にさえ進んでしまえば、後は破竹の勢いだ。約束の五階層まであっというまにたどり着ける、はずである。


 予定通りに進む冒険なんてない。そう理解しつつも、その楽観に一抹の希望を抱くヴァルだった。




 しかしながら、この後に起きる出来事を予測できなかったこと、それを彼に責めるのは筋違いだろう。


 あくまでも、それはあらゆる不幸が重なり合った結果だった。


 一階層という人気のない場所への警告を後回しにした管理側、予想よりも早く一階層を進めて気を抜いていたヴァル達、警告にしたがって迅速に待避した下層の学園生徒達……誰もが、その時の最善を尽くした結果の、不幸だった。


 だが、それでも現実は現実。


 理不尽は時として、計算された悪意よりも悪逆で、無慈悲だ。




 最初にソレに気がついたのは、シルルだった。


 不意に脚を止めた彼女に、先行していたヴァルが気がついて遅れて脚を止める。訝しげに振り返ったヴァルは、始めてみるシルルの表情の変化に首を傾げた。


 戸惑っている、というのか。


 あのいついかなる時も己のペースを崩さなかったシルルが、明らかに何かに狼狽し、狼狽えている。


「あれ、どうした、シルル?」


「…………ヴァル。なんか変」


「変、って何が。というか、俺から言わせればいつもお前って変というか」


「そうじゃない。何か、来る。下から、変なのがあがってくる」


「下? つーと、二階層からか? もしかしてスタンピードでも起きたのかな……」


 とんとんと剣で肩をたたきながら、ヴァルは記憶にある通路の方へ向き直った。まだ少し距離があるので見えないが、今目の前に広がっている林を抜ければすぐに二階層につながる階段があるはずだった。


 スタンピードとは、何らかの理由で魔物が上の階層へとあがってくる現象の事だ。原因には特定の種類の魔物の異常発生、環境の変化などがある。


 決して珍しい現象ではなく、そもそも冒険者の始まりはスタンピードによって迷宮から出てくる魔物の間引きであったという説があるなど冒険者には身近な現象である。


 かといって放置していい問題ではない。やっかいなのは、下層……すなわちより厳しい環境で生息し、強靱な魔物が突如として現れる事だ。基本的に冒険者は自分の実力に見合った階層での探索を主軸としている為、そんな中で想定外の実力をもった魔物との偶発的戦闘に入るのは命に関わる。


 とはいえ、ヴァルは本来十階層クラスの冒険者である。たかが二階層程度の魔物、どうとでもなる……そんな風に考えて気楽でいた彼は、しかし次の瞬間、その考えを改める事となった。


 まだ見えない下層への階段。そちらから、臓腑を腐らせるかのようなおぞましい雄叫びが聞こえてきたのだ。


「な……?!」


「……っ」


 ヴァルは息を飲んで剣を構え、シルルが竦み上がったようにヴァルの背後に隠れる。


 突如として、牧歌的とすらいえた一階層の雰囲気が様変わりする。


 静かにそよいでいた風が、淀む。どこかなま暖かく、重たい空気があたりに立ちこめ、木々がしおれ、空をいく雲は散り散りに乱れる。


 そして裂けた雲から吹き出した紫がかった暗雲が空に立ち込めて日光を遮り、しおれた木々から腐臭を伴う汚水が滴って大地をとろかしていく。たちまち、穏やかな平原が腐り爛れていく。梢の向こうで、変化に耐えかねた魔物達が地面に墜ちて動かなくなり、そのまま見る間に腐って土に融けていくのが見て取れた。


「……世界支配!?」


 環境の変化に、授業でならった知識がヴァルの口をついて飛び出す。


 間違いない、はずである。実際に目にした事はなかったが、現状おきている現象は知識と合致する。


 世界支配。階層支配といいかえてもよい。


 それは一言でいうと、強大な魔物……通称、ボスモンスターの意志の力によって、迷宮そのものが変質してしまう事を指す。


 本来、迷宮とは複数の次元が重なって生み出されたとはいえ、あくまで本来存在していた自然環境を元とする。にも関わらず、到底自然に発生したとは思えぬ異常な環境が当たり前のように存在する。例えば、明かりがいらぬほどに結晶で覆われた洞窟であったり、パズルのように複雑な絡繰りを積み上げて生み出された回廊であったり、である。そして、そういった階層には必ず、ボスモンスターと呼ばれる強大な魔物が生息している。


 彼らは、その強大無比な力によって、本来不可侵であるはずの迷宮構造に働きかける事ができる。それにより、自分の住みやすいよう、戦いやすいよう環境を書き換えてしまう。それが、世界支配である。


 とはいえ、それはあくまで理論上の話、迷宮の成り立ちを解き明かす上での推論にすぎなかった。


 ヴァルは何度かボスモンスターと遭遇した事はあるが、世界支配の現場にでくわした事はない。何故なら迷宮内では因果関係がループしており、それはボスを倒しても外にでてまた訪れれば再びボスが存在している、といった具合であるためだ。つまりそもそも”ボスによって世界支配される前の階層を訪れる事はできない”。


 その世界支配が、今、ヴァルの目の前で起きている。


 それはすなわち、迷宮の閉ざされた因果関係を破り、ボスモンスター、もしくはそれに準ずる化け物が、一階層に迷い出てきたという事になる。


「冗談だろ……いや、そういうのが迷宮か」


 しかし、ヴァルの切り替えは早かった。


 そういうものである、とそこそこ長く迷宮に潜っていた彼は知っていた。順風満帆な冒険家が、一つの罠で後生を引きこもって暮らす、そんな事が珍しくないのが迷宮だ。故に、彼は予想外の事態にも、努めて平静を保つ事ができた。


 だから、問題は。


「しょうがない、一度引くぞ、シルル。ここにいたらヤバイ」


「…………」


「どうした、シルル。急ぐぞ」


「……あ……。……ぁ、ヴァルゥ……」


 ぺたん、と床にお尻をつけて。座り込んでしまった状態から、シルルはヴァルの顔を見上げた。


「腰が、抜けて……」


「わかった捕まれ!」


 女だ男だは、この緊急時には関係ない。言葉を述べるのも惜しんで、シルルの腰に手をまわして抱え上げる。


 だが。


 その一動作が、この状況においては命取りだった。


「!」


 その一撃にヴァルが反応できたのは、奇跡というより彼の研鑽のたまものだった。


 直感に従い、シルルを抱えたまま左足の踵を軸に反転しつつ、全力で剣を振り抜く。直後、森の向こうから二人めがけて放射された灰色の何かと剣がぶつかり合った。


「む、ぐぅ!?」


 二人をおそったのは、水流のようにも見えた。だが、接触する剣から返ってくるのは、まるで粘土を切っているかのような手応え。それも、尋常ではない圧力を伴っている。


 片手では押さえきれない。


「すまん、シルル!」


 一言謝り、彼女の体を放り出すと両手で剣を握る。強まる圧力に、両手の膂力であらがい、ずれていた剣の筋を修正する。


「せぃ、やぁっ!」


 一閃。


 気力を込めた一撃は、迸る圧力を縦に切り裂く。水流は左右に飛散して霧消し、それきり放出は止まった。


 剣を構え直し、眼前の林に意識を集中しながら横目で飛び散った飛沫を見る。


 放射されていたのは、どうやら毒性をもった粘液であったらしい。それが地面に飛び散り、しゅうしゅうと嫌な音をたてている。見れば、剣にも腐食したような跡が。


 それだけで生物を殺せる高圧の水流で、圧力をさらに強める粘液性、おまけに腐食毒つき。冒険者を殺すためだけに存在するような攻撃だ。ヴァルの武装がそこそこ上質でなければ、受けきれずにへし折られていただろう。


 そして、今の攻撃で無数の木々がなぎ倒された林の奥。そこに、攻撃を放った敵の姿があった。


「……知らないな」


 一言でいえば、それは二足歩行する爬虫類だった。


 だが、鱗のかわりに粘液に覆われただぶだぶとした厚い皮を持ち、口は大きく裂け、目も鼻もないのっぺらぼうという異貌。そして防具のように体を覆う繋ぎ合わされたデスマスクなどという姿をもった魔物は、ヴァルの記憶にはない。


 白い獣人は、にたにたと口元を気味悪くにやけさせながら、一歩、また一歩、こちらに近づいてくる。


 それを見て、ヴァルも覚悟を決めた。


 先ほどの放水攻撃らしきものを見るに、この状態からの離脱は不可能だ。正面からぶつかり合い、最低限、攻撃を封じ手からの離脱でなければならない。


 だが、果たしてヴァルにできるか。


 彼が知らない、という事は最低限、十一階層以降の魔物のはずだ。そして、十階層の魔物すら、彼であってもパーティーの助けがなければ、到底渡り合う事は不可能だ。


 故に、とるべき手段はたった一つ。


「シルル。動けるか」


「う、うん」


「なら、よし。……単刀直入にいうぞ。ここから逃げるのは不可能だ。戦うしかない。だが、まともに戦ったら秒殺される。完全につんだ」


 シルルが顔を真っ青にする。彼女は怪物とヴァルの間で視線を彷徨わせ、絶望に満ちた声を漏らした。


「そんな……!」


「見たところ、相手は最低でも十一階層……俺の見立てだと、十八階層は手堅いと思う。ふつうじゃない相手だ、剣で切っても死ぬかどうかはわからない」


「じゅっ!? じゅ、じゅうはち?!」


 そう。見たところ、粘液に覆われた皮膚は高い防刃性をもっているだろうし、だぶついた皮の厚みは高い衝撃吸収力を物語っている。物理攻撃で、あの魔物を撃退するのはほぼ不可能だろう。


 だからこそ。


「だから、君の出番だ」


「…………え?」


「奴を倒すには、特殊攻撃しかない。そして、君は。間違いなく、特殊攻撃のエキスパートだ。そうだろう?」


 二度、三度、何かを言おうとシルルは口を開き、しかし何も言えずに口を閉ざした。


 そんな彼女を、じっとヴァルはせかしもせずに見つめている。その真摯な視線に、シルルは、覚悟を決めてこくりと頷いた。


「……ええ。ええ。シルル・クルルは、その為に存在する」


「なら、よし。……逆に考えろよ。シルルのいってた、”何をしてもいい相手”だぜ、こいつは」


 そう。こんだけ強大な相手だ。


 毒にしても、麻痺にしても、睡眠にしても、まだまだまだまだ到底足りない。何してもいい。何したって、まだ足りない。


 シルル・クルルというサディストにとって、目の前の敵は、敵ではない。只の頑丈な、木偶人形だ。


 白い獣人が、ぷくりと喉を膨らませる。明らかな攻撃の予兆に、ヴァルは最後の指示を叫んだ。


「いいか、前衛で俺が壁になる! レベル差があるってもんじゃない、間違ってもふれるなよ! 微塵にされる!」


「了解!」


 叫んで直後、左右に散会。迸る水流攻撃をかいくぐって、ヴァルは突進し、シルルが周囲の木々の陰に斥候技能で紛れ込んだ。


「うぉああああ!!」


 気合い一閃。


 ヴァルの放った袈裟切りが、白い獣人の肩をとらえる。だが、やはり想定通り、ぬるぬるねばねばの粘液に阻まれて刃が肉に噛み合わない。


 明後日に放っていた水流を止めた獣人が、にたりとヴァルの方を向いてあざ笑う。鼻も目も眉もないくせに、やたらと人間くさい悪意に満ちた嘲笑だった。


 それに、ヴァルも牙を向いて獣のように嗤い返す。


「バースト」


 ちか、と剣が火花を纏う。一瞬おいて、剣と魔物の接触点で目も眩むような閃光が弾けた。


 衝撃波が迸り、魔物の皮膚を覆う粘液が放射状に引き波がされていく。だぶついた皮膚がびりびりと震えて押しやられていくのも見て取れる。だが、そのすべては皮膚を抜いてダメージを与えるにはほど遠い。


 さらに、反動に耐えかねて剣がついに砕けた。腐食していたのもあっただろうが、それ以上に頑強な皮膚にバーストの衝撃をほとんど跳ね返されたからだった。反動で、利き手がしびれて動かない。


 それだけの代価に、得たのは皮膚の粘膜を引きはがしただけ。


 でも、それで彼女には十分。


 風を切る複数の音。露わになった白い皮膚に、数本の毒針が突きたった。シルルの毒針。


 そこをシルルは見逃さない、とヴァルは信じていた。だから、ダメージを与えられないのを承知で、消耗覚悟で技を打ち込んだのだ。


 とはいえ、それで終わりだとはもちろん思っていない。残心を残し、反撃とばかりにふるわれる魔物の右腕をかがんで回避して、彼は一度距離をとった。


「シルル!」


「現在、魔物の耐毒性調査中。対抗手段検索中。待って」


「おし来た!」


 相棒の返事に、快哉を上げて延びてきた首の噛みつきを折れた剣で受ける。


 そう、相棒だ。この場において、シルルを信じなければ生き延びられないなら、それに全身全霊で信頼を注ぐのがヴァルという男の生き方だ。そこに、一切の疑念は存在しない。


 その相棒が、待てといえば、どこまでも待つ。例え遙かに格上の魔物の攻撃にさらされようと。


 バキバキと、飴のように剣が白い魔物の牙にかみ砕かれていく。十階層で採掘したレアメタルで構築したはずの剣が、おやつ同然だ。


 根本的な持ちうる資質があまりにも桁違い。


 それでもヴァルが死んでないのは、相手がこちらを侮り、あざ笑い、遊んでいるからにほかならない。邪悪な知性に満ちた圧倒的な驚異……だが、その知性が今はヴァルに利をもたらしている。


「ブレイクッ!」


 食いついてきた牙が一端離れ、溜めをつけて再び食らいついてくる。その一瞬を計って、顎下に突き上げるような掌打をたたき込むヴァル。粘土を詰め込んだ皮袋を殴ったような手応えに、骨が軋む。


 ダメージは通らないが、思わぬ衝撃に牙を強制的に噛み合わされた魔物がその場でたじろぐ。その唇に、逃さず数本の毒針がつきたった。


 それでも、魔物の様子に変化はない。


 再び距離をとって様子見に入るヴァルの背後に、まるで陰から浮かび上がるようにしてシルルが並び立った。


「シルル」


「精査完了。ここからは、私の時間」


「え、ちょ?」


 ヴァルの警告を忘れた訳ではないだろうに、シルルは彼の前へと歩みでた。いくら技能に優れていても、一階層すら突破していないシルルの肉体は強化されてないに等しい。本来そんな状態で、強大な魔物の前にでるのは自殺行為である。


 そんな彼女を、白い魔物があざ笑う。見せつけるように毒針を体から引き抜いて、余裕綽々に牙をむいて笑う。


 その嘲笑を前に、シルルは眠たそうな目を揺るがせず、淡々と告げた。


「確かに、貴方にふつうの毒は効かないみたいね。言葉が通じれば、そういいたいのでしょう?」


 言葉とは裏腹に、シルルは腰から数本の毒針を抜き放ち、風を切って投擲した。防御する様子も回避する様子もなく、魔物はそれを正面から受けて、にたにたと笑った。




「でも残念。体に有害かどうかに、毒かどうかは関係ないのよ」




 魔物が、苦痛の声を上げた。


 かき抱くように胸を両手で押さえ、呻きをあげて膝をつく。


 押さえられた腕の下。人間を簡単に引き裂くであろう爪の下で、真っ白い皮膚が紫色に変色していた。それは見る間に膨張し、晴れ上がっていく。


 明らかな化膿症状だ。


「毒が効かない? なら効くようにすればいいだけよ。貴方に投与した二回目の針は、毒じゃない。薬よ。当然、それそのものは人体に有益で、単体なら害をもたらさないけど、体質によっては劇的なアレルギー反応を起こすのよ」


 所謂、薬物アレルギーという奴である。薬物の副作用ともいう。


 投与した薬物が体内の免疫反応と結びつき、抗原となる。そして、そんなものに魔物が耐性をもっているはずがないのだ。


 なにせ、毒じゃない上に自然界には存在しない。


「そしてほかにもいくつか」


 懐から、別の毒針を取り出す。


 それに対して、初めて命の危険を感じ取ったのだろう。白い魔物が、いままで使わなかった尾を振りかざして周辺を薙ぎ払った。だが、激痛にさいなまれている状況でその動きは精彩を欠いており、悠々とシルルはそれを回避して次の毒針を突き刺した。


 先ほどのように、劇的な変化は起きなかった。


 だが、己の体に何か尋常ではない変化が起きているのを感じ取ったのだろう。白い魔物は、体内の何かをえぐり出そうとするかのように体をかきむしり始めた。


 その凄惨な様子にうげぇとヴァルがどん引きし、対してシルルはこれまでヴァルが見たことがないほど生き生きした表情でくすりと笑う。


「貴方、再生能力も高いみたいね? さっきのアレルギー反応も劇的だったしね。普通にダメージをあたえても、瞬く間に再生しちゃうんでしょう? すごいわね。尋常じゃない新陳代謝……だから、それを利用させてもらったわ」


 説明しながら取り出すのは、さきほどの毒針。それは今まで使っていた針とは、金属の輝きが違っているようにヴァルには見えた。


「これね。針自体が有害な重金属でできてるの。生物に分解できず、生物にとって必要な反応の一部とすり替わる類の。本来行われるはずの反応が、重金属にすり替わってしまう事でバグって進まなくなる。そして金属は分解できないから、排出できない限りそのループから抜け出せない。だからどれだけ肉体を修復しようと新陳代謝を加速したところで……ほら、そろそろ体の構造に異常がでてきた頃じゃない? 人間ならそれなりの時間が必要だけど、貴方の場合、数十年分の代謝を数秒で行えるのね。凄いわ」


 シルルのいうとおり、目に見える変化が魔物の体におきていた。


 大量の粘液に覆われていたはずの体が乾きはじめ、真っ白だった皮膚はくすみ、爪や歯が脱落を始める。生きたまま腐っていくかのようなおぞましい有り様は、むしろ見るものの同情を招くだろう。


 かすれた声で唸りながら、魔物が膝を起こそうとする。せめて一死報いようという決死の覚悟がそこからは見て取れた。


 だが。


 猛毒の女帝は、それを許さない。


「そして。それだけぼろぼろになったなら、普通の免疫系はもう働かない」


 指の合間に挟む、毒針、毒針、毒針。


 総勢八種類の異なる猛毒を滴らせて、シルルが鮮やかに笑う。


「ストックは、まだまだまだたーくさん、ある」


 間違いなく。


 その笑顔は慈悲の類ではなかった。




 その後、まともに動くことすらできなくなった魔物は、シルルのもつあらゆる毒の実験台となった。


 魔物にとって、そしてそれにつきあうヴァルにとっても悪夢のような時間が続く。


 魔物が絶命するまで、迷宮内でおよそ数時間の時間が必要だった。




◆◆




 それから、シルルの周囲は劇的に変化した。


 二十階層からスタンピードしてきた強大な魔物。フロントランナーさえも蹴散らされたその魔物を撃退した落ち零れの斥候科の少女の噂は、爆発的に広がった。


 毒を卑怯、古くさいと馬鹿にできたのも、それが実績を持たないから。実績を出した異端の技術の担い手を馬鹿にするなら、それはそれ以上の自負があるか底抜けの馬鹿である。そして、学園に底抜けの馬鹿はほとんどいなかった。


 シルルの周囲には人が集まるようになり……しかし。彼女は当初の予定通り、ヴァルとの冒険を望んだ。


 そしてシクルド教諭も前言を撤回しなかった為にヴァルもPTを解散せず……二人は今日も一緒に迷宮に挑むのだった。




「やっと二階層に到達かー」


「……うん」


 眼前に広がる、朝靄に包まれた街道といった風情の二階層の光景。それを階段……正しくは次元連結回廊と呼ばれるゲートの出口から見渡しながら、ヴァルは感慨深くつぶやいた。その隣で、シルルも進歩をかみしめるように頷く。


 白い魔物との遭遇から、撃退。その後の後始末や質問責め、何故か書かされた始末書等々の決済に、およそ数日がかかった。


 とんだ横道である。これでヴァルの前線復帰はさらに数日遅れた。一方、最前線のほうは白い魔物で一時混乱したらしいがすでに元に戻っているとの事。差は開く一方である。


「まあ、いいか。とにかく急いで突破するぞ。一階層のスライムみたいなもんはここにはいないし」


「そうなの?」


「ああ。ちょっと刺されると腫れる小さな虫みたいなのが密集してるポイントがところどころにあるが、毒なんてもんじゃなくてかゆいだけだからな。魔物とよぶのもおこがましいレベルの奴」


「ふーん……」


「さ、いこうぜ。ちょっと痒い思いをするけど、最短ルートがあるんだ」


 にこやかに笑いながら、ヴァルは早足で迷宮に踏み込む。彼の頭の中では、すでに二階層は突破したも同然だった。


 シルルを招いて、横道に入る。藪を新調した剣で切り払いながら進めば、たちまち話にあげていた極小魔物が群がってくる。


 剣をふって追い払い、手をふって追い払い。それでも、とりついてきたそれらが皮膚のとりついて、痒みを引き起こしてくる。首筋とか袖とか、露出している部分が痒くてたまらない。


 必要経費だとわかっていても、不快な物は不快である。後ろを歩くシルルも、さぞ不愉快な思いをしているだろう。


 そこで、ふとある思いつきがヴァルの頭をかすめた。


 シルルは、状態異常のエキスパートだ。そしてあの白い魔物との戦いで見せたように、毒しかもっていない訳ではない。むしろ、万が一に備えての薬だってちゃんと常備しているはずだ。痒みどめぐらいはあるのではないか。


「なあ、シルル。ちょっとこういうのに効きそうな薬、もってな……」


 袖をぽりぽりかきながら振り返ったヴァルは、しかしそこで見てしまった。


 そう。


 地面にうつ伏せに倒れ込み、無数の魔物にいいようにチクチクされながらびっくんびっくんヤバげに痙攣しているシルルの姿を。


 ヴァルにはわかる。フロントランナーである彼は、幾度として目にした。


 あれは、死にかけてる人間の反応だ。


「し、シルルーー!?」




 数分後。彼は昏倒したシルルを抱えて迷宮を脱出する事になる。


 学園史上初、正真正銘最弱の魔物に撃退された冒険者のでた瞬間であった。


 原因はアナフィラキシーショック。


 過去に受けた毒に、免疫系が過剰反応を示しそれそのものが肉体を破壊してしまう現象。


 それこそが虫にさされたシルルにおきた現象だった。いくら毒の扱いにたけていても、だからこそ起きた悲劇である。


 そして、虫の群をさけて進むルートだと数日は軽くかかるという事実に彼が気がつき項垂れるまで、さらにあと数時間。




 彼らの目的である五階層までの道のりは、遠く険しい。




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隣り合わせの毒と青春 SIS @masumoto0721

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