第28話 私たちの解釈

「うーん……まずは、風かなぁ」

「ふむ……」


 私が感じたのは、爽やかな風と鳥のダンス。

 だけど、それよりも違和感がある。先生にしてはかなり聴く人に解釈を委ねる演奏というか……随分と、表現の余白があるように聴こえてしまった。


「なんだか、倉井先生らしくないんだよねぇー」

「倉井先生のことをあまり知らないんですが、そうなんですか?」

「うん……」


 この曲を演奏するにあたって、絶対に外してはならないのが「ツィリッ、ツィリッ、ツィリッ」と、ごしきひわの特徴的な鳴き声を表現した部分。


「私だったら、もっとごしきひわの鳴き声に表現を乗せちゃうかなぁ」


 曲の随所に出てきて、一番観客の耳に残りやすい旋律だと思う。

 だけど、倉井先生はあえて同じ鳴き声しか表現しなかった。


「他の部分に聴き手の意識を向けたかった、とかはいかがでしょう?」

「うん、私もそう思ってる」


 倉井先生の代名詞は、満腹感の強い演奏。

 満足感ではなくて満腹感ね。先生の世界に酔いしれるというか、先生の見てる物、感じてる物を曲を通して知ることができる……そんな感じ。


 だから、この『ごしきひわ』は異色に映る。

 例えるなら、こってり系のラーメンの店があっさり系のラーメンを始めたようなイメージだ。


「解釈の余地がありすぎるんだよね……ねえ、アリスはどう思う?」

「そうですねぇ……」


 珍しく、アリスが悩んでいる。


「てーんれてーんれてんてれれん!」


 ピアノの天板をコツコツと指先で叩きながら、曲の出だしを口ずさむ。

 私が演奏する時は、どうするだろう……これは元気過ぎ?


 うーん。考えれば考えるほど、芸術には正解がないから難しい。

 ピアノの天板にぺたりと片頬をつけて、考え込んでいる様子のアリスをじーっと眺める。


 すると、パッと何かに気付いたように目を見開いてアリスが言った。


「――分かりましたよ。和奏ちゃん!」

「え、解釈の余地があった理由も分かったの?」

「ええ、考えれば簡単なことでした」


 まじですか。

 私、倉井先生のファンなのに……。


「和奏ちゃん、よく思い出してみてください。倉井先生は、いつも独奏をされていませんでしたか?」

「確かにそうだけ、ど…………ってことは、もしかして――!」

「はい、解釈の余地はピアニストが補っているはずです。もう一度、聴いてみませんか?」


 そうか!

 私、うっかりしてた……。


 CDプレーヤーの音量を少し上げて、再び再生ボタンを押す。

 ――当たりだ。目立たない形ではあるけど、伴奏のピアニストが倉井先生の解釈の一部を担っている。


 ところどころ歯抜け状態だったジグソーパズルがピタリと嵌っていくように、イメージがピアニストによって補完されていく。


 これは風と鳥……それに木漏れ日?

 ピアニストが表現しているのは、小鳥のダンスをキラキラと照らす、そんな木漏れ日。


 新緑を感じさせる青々と茂った木々に、それを彩るのは『ごしきひわ』――倉井先生のフルートだ。思わずピクニックに出かけたくなってしまうような、そんな美しい森での、一瞬の出来事を見事な技術で表現している。


「――ふぅ、納得と満足だよ~。教えてくれてありがとう」

「いいえ、私もピアノの演奏に集中してましたから、最初は気付きませんでした」

「私だってフルートの音に集中してたよ~」


 吹部でも、自分の楽器の音ばかり追い掛けてしまいがちだよね。


「アリス、ちょっと横に寄ってくれない?」

「あ、はいっ――あっ」

「それじゃ、失礼しまーす」


 アリスに少しだけズレてもらって、横長なピアノ椅子に二人で座る。

 もちろん、アリスが椅子から落ちないように腰にしっかりと手は巻き付けている。


「「…………」」


 無言の時間が少し流れる。

 開け放った窓からは、風に乗って運動部の掛け声が聞こえて来た。


 バレー部、テニス部、野球部……色んな音が飛び込んでくる。

 皆、頑張ってるなぁ……。


「アリス」

「はい、和奏ちゃん」

「曲の解釈は、私に任せてもらえないかな?」


 もちろん、一から百までを私が決めるわけではない。

 大まかな方向というか、私たちの間の共有事項を決めるって感じ。


「はい。『血濡れの未亡人』と違って、『ごしきひわ』は和奏ちゃんが主役の曲ですから、それで構いません」

「ありがと」

「いいえ……」


 そういうと、アリスが私の方へ体を預けてきた。


「ねえ、和奏ちゃん?」

「ん?」

「コンクール、頑張りましょうね」

「……うん!」


 ぐぅ~、とアリスのお腹が鳴った。


「そいえば、お弁当食べてなかったね?」

「…………はい」

「練習の前にお弁当を食べよっか」


 真っ赤になってしまったアリスと一緒に、少し遅めのお昼にする。

 アリスのお弁当は、いつもサンドイッチが詰まっている。これは、手掴みで食べられる物を、という太一さんの配慮だ。


 ん? サンドイッチ?

 今、一瞬だけ超大事なアイデアが浮かび上がってきたような……。


「お弁当に、ピクニック……」

「和奏ちゃん?」


 アリスが不思議そうに問いかけてくるけど、今は答えられない。

 今、何かに気を取られたら、さっきのアイデアが霧散してしまいそうだ。


 幸いにも、アイデアは細い糸を垂らして頭の片隅に引っかかっている。


 玉子焼きをもぐもぐと頬張りながら、私の脳内に張り巡らされた細い糸を、切らないように慎重に手繰り寄せて行く。


「……これだっっっ!」

「――っ!」

「あ、ごめんアリス」


 突然大声を出して、アリスを驚かせてしまった。ごめん。

 まだ輪郭だけのおぼろげなイメージだけど、アリスと一緒なら成し遂げられるはずだ。


「アリスのおかげで浮かんできたよ――私たちの『ごしきひわ』が!」

「私のおかげですか? はむっ」


 当の本人であるアリスはというと、きょとんとした顔でサンドイッチを頬張っていた。

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