第4話 サイコロ婆さん

小さな宴会場くらいの畳敷きの部屋の中央に、一辺が50センチほどの木箱が置かれていた。

それ以外には何もないがらんどうとした空間が、箱の存在を殊更ことさらに際立たせている。


「싫은 냄새……(なんか変な臭い)」


鼻腔に入り込んだ空気が、ユンソの整った顔を歪める。

甚九は木箱の手前まで進むと、その前で正座し、うやうやしく箱に向かって頭を垂れた。


「ばば様、ご健勝何よりでございます」


―――コイツ敬語使えたの?


ユンソは怪しげな木箱の正体を置き去りにして、まずはそこに突っ込んだ。

唐墨からすみの家での横柄な態度しか見ていない彼女にとっては、それが新鮮な光景であった事は間違いない。


ずっと敷居のあたりで様子を伺っていたユンソであったが、甚九に倣い同じように居住まいを正す。


「おめえこれが健勝って言うがぁ?……ガッカカカカカカカッッ!!!」


箱の中から発せられた猛獣のような笑い声に、ユンソは肩をビクっと震わせる。


―――誰か入ってる?!


木箱の前面には綺麗な組子細工の装飾が施してあり、その隙間からなんとなくではあるが中を覗く事が出来た。

ほとんど影に覆われ真っ黒に見えたが、笑い声とともに上下に揺れるそれは『人間』である事に間違いなかった。


「おじょうちゃんっ! はじめましてっ!!」


―――いちいち声がでかい!


ユンソはこれ以上関わりたくないとばかり、心を無にする事に集中する。


「ばばぁが気持ち悪いか?」

 おまえ様呪っちまうぞ……ガッカカカッ!」


喉の水分が枯れ果てているかのような、スカスカの笑い声が木箱を震わす。

ユンソは形容しがたいおぞましさに既に涙目だ。


「ばば様 その辺に」


見かねた甚九が助け船を出す。


「おや……おまえ様、すでににおを飼っていなさるか

 ……呪蝕じゃろう? ジン坊」


「その通りです」

 

甚九は言葉にこそ表れなかったものの内心驚愕していた。

甚九が最初に彼女の状態を見た時、手の平の触覚を通してようやく判断に至ったのであったが、箱の主は対象に一切触れる事なく、甚九の数メートル後方に座しているユンソの状態を正確に見抜いたのである。


「気の毒によぅ

 まだ女の喜びも味わっとらん」


その声色から、先ほどまでのからかうような調子は消えていた。


「で……どうしたいんじゃジン坊」


「ご子息の手をお借りしたく お願いに上がりました」


「息子ってどの子だぇ?

 四十人も産んだから忘れちまったよ」


です」


甚九がその名前を口にすると、箱の主が動揺したかのように、木箱がガサガサと音を立てて振動した。


「ばば様?」


甚九が呼びかけるものの、箱からはひゅーひゅーという細い呼吸音が漏れ聞こえるだけだ。


結局それ以降、甚九が『ミズキ』の居所について何度尋ねてみても、一切の反応を示す事はなくなってしまったのである。




――――――




埒が開かないと判断した甚九たちは敷地の駐車場まで戻ってきていた。

そして堪えかねたようにユンソが叫ぶ。


「ここって一体何なの?! それにあの気持ち悪いの

 あんなの見せたくてこんなトコロまで連れてきたわけ?」


半泣きのまぶたがぷっくり膨らんでいる。

それもそのはずであった。

唐墨の屋敷で半年ぶりの快眠を貪っていたユンソであったが、朝4時に叩き起こされたかと思えば、ボロボロの軽自動車に半ば強引に乗せられ、気がつけば怪しげな喋る木箱とご対面。

とにもかくにも置かれている状況について最低限の説明すらしようとしない、この男の行動にはもはや悪意しか感じなかったのである。


甚九は、キセルの火皿に葉っぱを盛りつけると、その指でユンソの背後を指さす。


「(この男ぶん殴ってやりたい!)」


喉まで出かかった言葉を飲み込みながら、甚九の指先を追うユンソ。


『常磐亡魂アゲインセンター

 ~亡くなったあの人ともう一度~』


と筆書きされた木製の看板が目に入った。


―――何なの、この詐欺師冥利に尽きそうな文言は……


「あの婆さんの生業だ」


吸った煙をゆっくりと吐き出しながら甚九が続ける。


「……川原毛操糸術って言ってな

 霊魂を技術だ」


「インチキでしょ?」


ユンソが眉をひそめる。


「若い頃俺もあの婆さんの下で世話になったんだけどよ

 跡目争いっていうのかね

 あの強欲ばばあ、姉妹たちの反感を買っちまったんだ」


「それで、ちょっと強烈な呪いをかけられてなったって訳だ

 こんな辺鄙な場所に追いやられた挙げ句

 一尺八寸の結界から爪の先ひとつ出す事も叶わねえ」


「呪いって……」


息を飲むユンソ。


「どうせ……私を怖がらせて退かせるためなんでしょう?

 いずれ私もああなる

 だから自重して過ごせって……そういう事だよね!」


震える声と共に、踏み込んだ足が駐車場の砂利敷きを荒らす。


「リアルな現実を見せるって意味も、まあ少しはあったが

 一番の目的は『ミズキ』だ」


「ミズキって確か箱のお婆さんの子ども……」


「お前さんステージに立つと言ったろ?

 だからその、なんだ……YouTubeで古いのを見てみたんだよ

 そしたらこれが結構厄介でな

 スタジアムみてえな開放された空間で安定した結界を張る技術が俺にはない

 だからミズキの力が必要になるって思った訳だ」


ユンソにとって意外な答えだった。

呪われた身でありながら「ステージに立ちたい」というのは、完全にユンソの我が儘である。

にも関わらず、甚句は既にそれを具体的なフェーズで検討していたのだ。

アイドルを引退し結界に引きこもる―――それ以外の選択肢はない、そう見限られても仕方ないと思い込んでいた彼女にとって、一筋の光明であった。


「감…감사합니다(あ…ありがと)」


先ほどまでの露骨な反抗心を恥じるかのように、反射的に母国語が漏れる。


「で、でもさ。結局分からなかったじゃん? その人の居場所

 どうするわけ?」


「さあな……まあ他にもツテはあるっちゃあるが

 それよりもまずは朝飯だ」


甚九は、吸い終わったキセルを本革製の巾着に突っ込むと、車のキーを手に取った。


「本当もうおなかぺこぺこ~

 ね、早く行こうよ!」


ユンソはねずみ色の自動車の助手席に乗り込むと、上機嫌そうに急かす。


「ところでさ……なんの動画見たの?」


慎重に車をバックさせる甚九に、悪戯っぽい笑みでユンソが言う。


「7th PASSION?

 ……古いのだとあとは~

 GLOBE IN THE ABYSSとか?」


「知らねーな」


「どうよ?……世界的アイドルを助手席に乗せてる気分は」


「その口を閉じてろ」


「照れちゃってさ~w

 実は今までも、可愛さが過ぎる私に絶賛心拍上昇中だったんでしょ?」


「ぶりゅーんって娘は可愛かったな

 ぶりゅーんって娘に限っては」


「二回も言うか!?

 確かにぶりゅーんはさ………」


―――唐墨の家に着くまでの車中は、始終賑やかであった。

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