第52話 旅芝居の一座
旅芝居の一座が、今日もガラガラと次の町まで幌馬車の列を走らせている。
幌馬車の荷物の一番後ろに腰掛けた、役者風の男と女が
「ベアータ、君の髪って綺麗な赤だったんだね」
出会った時の髪色は染められていて、目立たない茶色の髪だったが、その色もすっかり抜けて、持ち前の色に戻っている。
「そうよ。わたし、前はこの色が大っ嫌いだったんだけどね……」
そう、その髪色は父譲りの炎のように赤い、赤毛だ。
「俺はとっても綺麗な色だと思うよ、ベアータ」
ベアータは、ふふふと笑って
「あなたが褒めてくれるから、この色も嫌いじゃなくなったわ」
「髪だけじゃないよ。それに君の綺麗な青い目、澄んでいてなんて美しいんだ……いつまで見ていても飽きないよ」
トマスは彼女の瞳を見つめながら
「トマスったら……わたしも、あなたと出会えて良かったわ。本当に、今までの人生がつまらないものだったってそう思えるほど、今生きていて楽しいの!」
「そうかい? 俺も君と出会えて本当に幸せさ。僕のベアトリクス……」
「トマス、その名前はもう呼ばないで。今のわたしはただのベアータよ。昔の名前は捨てたの」
「ごめんよ、ベアータ。君は後悔していないかい? こんな旅の一座で歌を唄ったり、芝居をしたり……
「ぜーんぜん! 今は毎日がキラキラしてるの。みんなと一緒にお芝居して、歌を唄って、生きてるって素晴らしいって思えるのよ!」
ベアータことベアトリクスは、貴族令嬢としての生い立ちが頭を
大きな屋敷に住み沢山の召使いに囲まれていて、暮らしには何の不自由もなかった。だが生活はがんじがらめで母は行儀作法にうるさく、厳格な父親に逆らうこともできず、命じられるままに政略結婚させられそうになっていたのだ。
それが今やその日暮らしの旅芸人の一座で、歌を唄って踊り、芝居をして、星空の下での眠ることすらある。空の星がこれほど美しいと知らなかったし、仲間とくだらない冗談で笑い合ったり、お酒を飲んで騒ぐことがこれほど楽しいとは……
今までのあの息苦しい人生は何だったのだろう。こうなってみるまで、他の生き方があるなんてまったく考えもしなかった。
今は、
「君がそう言ってくれて、俺は最高にうれしいよ!……ベアータ、俺と結婚してくれないか?」
「トマス、本気なの?」
「本気も本気さ、君のことを世界中で一番愛してるんだ!」
「嬉しい! トマス、わたしもあなたが大好きよ!」
二人の影が重なった。この一部始終を旅芝居の仲間みんなが、あたたかい目で見守っていた。
貴族令嬢ベアトリクス・エクスラーは名前を捨て、身分を捨て、今本当に生きていて良かったと感じている。
* * *
季節は移り、南都にあるノイエンドルフ伯爵家の別邸では、今まさにお産が始まっていた。
昨日夕方から徐々に始まった陣痛が、朝には数分おきになっている。この日のために、エアハルトは主治医の他に助産婦を三人も雇っていた。もちろん、生まれる赤ん坊のために用意した部屋も完璧だ。
リーゼロッテは陣痛の合間に、水を飲んだり、息を吐きながら次の波が来るのを待っている。
リーゼロッテの息が荒くなって来た。
「さっ、いち、に、さん! いきんで――――っ!!!」
助産師の掛け声に、リーゼロッテがいきむ。
「うぅ――――――――んっ、はぁ、はぁ、はぁ…………」
繰り返しいきむ声が廊下の向こうまで響く。
「はい、力を抜いてぇ〜」
「はいまた、いきんで――――っ」
「おくさまっ、頑張ってぇ!」
エルが必死に応援している。
ドアの外では、エアハルトや家令のクラウスが行ったり来たりして、落ち着きなくその瞬間を待っている。
唐突にリーゼロッテの声が聞こえなくなった。
その一瞬の静寂の後、赤ん坊の
その子猫が泣くような声は、そこにいる皆に歓喜で迎えられた。
「旦那様っ、うまれましたぁ〜、男の子ですぅ〜!」
エルが廊下で待機していたエアハルトに伝える。
「そうか! 男の子かっ!」
数分後、エアハルトは疲れ切ったリーゼロッテと、我が子に対面を果たした。
「リーゼロッテ、よくやった! 大丈夫か?」
「……旦那様……」
もう、息も絶え絶えである。
「ご主人様、お抱きになりますか?」
助産婦に言われて、エアハルトは白い産着にくるまれた小さな赤ん坊を抱いた。顔は赤く、くしゃくしゃとしている。
(これが、俺の子……俺とリーゼロッテの子……)
「リーゼロッテ、お前に似ているぞ。可愛い子だ……」
「旦那様……指は、指を数えてください……」
「指?」
エアハルトが問い返すと、助産師の一人が答えた。
「大丈夫ですよ。ちゃんと五本ずつありますよ」
「そう、良かった……」
「それでは、一旦出ていただきます。
助産師に言われて、またエアハルトは部屋を出た。
「旦那様、おめでとうございます。男の子ですか?」
「ああ、男の子だ」
「おめでとうございます!」
皆が次々とお祝いの言葉を伝えに来る。
「ああ、ありがとう」
(自分が生まれる時も、こうして母が頑張ってくれたのであろうな……)
そんなことを考えたのは、初めてのことだった。
(父もこんなふうに祝ったのだろうか?)
そんな思いばかりが頭を駆け巡る……
(リーゼロッテ、頑張ったな……ありがとう……)
空は青く、初夏の日差しがきらきらと木陰できらめき、新たな命の誕生を祝福しているようであった。
その男武器商人、その女劇作家 滝久 礼都 @choukinshi
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