第13話 白い仮面の男に負けてあげて

 ヴィルヘルム・ショーペンハウアーこと夫のエアハルトは私の手を取ると、奥の部屋へと入った。

 

 そこには一人の小柄な男が待っていた。リーゼロッテにはその男こそがここの劇場主オーナーのエッカルト・ランゲンバッハ男爵だとわかった。随分昔ではあるが、舞台の袖で見たことがあるのだ。

 小柄ではあるが、しっかりと撫でつけた濃い金髪に、隙のない薄い水色の目がいかにもやり手という感じがする。年恰好は三十代半ばくらいであろうか、それでここの劇場主というのだから大したものだ。


「これは、お初にお目にかかります。私、この劇場の劇場主オーナーのエッカルト・ランゲンバッハと申します」

「それがしはヴィルヘルム・ショーペンハウアーです。どうか、仮面のままでいることをお許し願いたい」

 

「構いませんよ。ショーペンハウアー様にはいつも面白い脚本を書いていただいて、本当に感謝しております。できましたら、今後の友好のために “ヴィルヘルム殿” とお呼びしても? 私のことはエッカルトで」

「これはありがたいお言葉。それではエッカルト殿、今日はお招きいただきありがとうございます。これは私のささやかなお祝いの気持ちです、お納めください」


 ヴィルはふところから皮袋を出すと、エッカルトの前に置いた。

 そんなもの、いつの間に用意していたんだろう……?

 リーゼロッテは自分が何も考えずに、ただパーティーに参加したいなんて気軽な気持ちで参加してしまったことに気づき、浅はかだったことを反省した。


「これはこれは。お気遣きづかい痛み入ります。ときにヴィルヘルム殿、今日のお連れ様はお美しい方ですな。失礼ですが、奥方様で?」


「いや、それがしは独り身を貫いておりまして。こちらの女性はエスコート・サービスから来てもらいました。今日は舞踏会と聞いておりましたので」

「それは申し訳ございません。上の階では確かに舞踏会が催されております。よろしければ、そちらにもご参加ください。本日は私のチップをお貸ししますので、存分に遊んでいってください」

「わかりました。お言葉に甘えて遊ばせていただきます」


 これはいわゆる客の『品定め』ということだろうか?

 リーゼロッテは背中が薄ら寒くなるのを感じた。


 二人で部屋を出ると、腕組みをして待っていたギルが顔を上げた。

「ただの挨拶だったよ。遊んで行けってさ」

「そうですか……先ほどチラリと見ただけですが、結構な数の貴族たちが来ています」

「そうだな。さて、どこのテーブルに加わろうか……その前にロッテ、飲み物でもどうだ?」

「そうね、少し喉が渇いたわ」

 ヴィルとロッテは連れ立って、バーカウンターへ向かう。その後ろをギルとマティアスが左右を警戒しながら進んで行く。

 

「何がいい? ワインかシャンパン?」

「シャンパンをお願いするわ」

「わかった。君、シャンパンとシングルモルトのウイスキーをロックで」

「かしこまりました」


 ヴィルは出て来た酒を一口だけ含むと、テーブルを見渡した。すると、裏から先ほどの黒服の男が出て来た。

「ショーペンハウアー様、チップのご用意ができました。カードになさいますか、それとも『オカ』のテーブルにご案内しましょうか?」

 黒服の男がチップの乗ったケースを手にやって来た。

 

「では、カードで」

 ヴィルが言うと、黒服は空いているテーブルへ案内を始めた。

 他のテーブルを様子見で眺めていた客たちが、黒服の持ったチップの量を見てあっという間に四人の男がいて来た。

「五人、でよろしいですか? それではどうぞこちらへ」


 五人の男が新たなテーブルを囲む。

 そのうちヴィルを含む四人が仮面を着けている。ロッテは静かにヴィルの斜め後ろで全体を眺めた。

(仮面を着けている、と言うことはおそらく貴族ね……)

 

 ロッテはヴィルの斜め前に座った、白い仮面の細身の貴族に、なんだか既視感を覚えた。

 明るい茶色の髪……いつか歌劇オペラを一緒に観に行ったことのある男の一人だろうか?

 もう一人は黒髪の痩せぎすの貴族、歳は四十台くらいだろうか。残った仮面の男は銀髪だ。年齢はうかがい知れないが、無駄のないからだつきだ。 仮面の無いでっぷりと太って顔艶かおつやの良い中年の男は、商人だろうか。

 

 ディーラーの黒服が新しいトランプの紙封をピシリと切って客に見せる。カードの中からジョーカーを抜いた。カードを手早く切ると、五人の客の前にカードを配り始めた。親を決めるためだ。何回かカードが配られたところでヴィルの前にJのカードが出た。彼が最初の親というわけだ。親が決まると、それぞれの前にカードが二枚ずつ配られる。

 

 ヴィルの左隣の銀髪の男がチップを一枚、前に置いた。続いてその左の白い仮面の貴族が二枚チップを置いた。続いてその左隣の太った商人もチップを二枚置く。


 次にディーラーが中央の場にカードを三枚、表に向けて置いた。

 ロッテはヴィルがさっきちらりと見せたカードを思い浮かべて、少し表情を曇らせた。

 ヴィルもチップを置いてゆく。

 銀髪の男がチップを倍賭けにした。みなそれに合わせてチップを出していく。誰も降りることもなく、掛け金はさらに上がっていく。


 場に五枚のカードが並べられた。

 ここでさらに掛け金が上げられる。ロッテはちょっと心配になった。みんなそれほど良い手札なのだろうか?

 皆が同じ数だけチップを出したところで、ショウダウンとなって、手札が返された。

 

 場のカードと自分のカードを組み合わせて、できた役が高い者が勝者だ。

 ヴィルはツーペアだ。商人の男もツーペア、黒髪の貴族はスリーカード、白い仮面の男はワンペアだった。

 最後に銀髪の男がカードを返すと、8のワンペアとキングのスリーカードだった。フルハウスだ。みな、ボロ負けである。

 

 「なんだよ! 自信なさそうだったじゃないか……」

 白い仮面がぶつくさと文句を言う。あれ、待ってなにこの声……?

 (う〜〜〜ん? これって……まさか……)

 どこかで聞いた声、既視感のある姿、間違いない『兄のディートハルト・マイヤーハイム』だ!

 ロッテは仮面の下で、顔をゆがめた。

 (まったく、こんなところで何をやっているのよ! うちには賭け事に注ぎ込めるようなお金なんてないでしょうに!)

 

 戸惑いとあせりで葛藤かっとうしているうちに、ゲームは次へ進んで行く。

 次は商人と黒服が降り、残りの三人の勝負になった。次はヴィルがストレートで勝ち、チップを手にする。

 兄は負けても、『あー、しまった!』とか『今度こそ』とか呟いて、恰好かっこうのカモになってしまっている。

 それにしても、ヴィルと銀髪の貴族はいい勝負だ。たまに、恰幅のいい商人も勝っている。

 黒髪の貴族が席を立って行った。そうだ、負け続ければやめるのが普通だろう?

 なのに、なぜ兄はやめないのか!

 

 ロッテは、これ以上兄が負けるのを放っておけなくなり、そっとヴィルに耳打ちした。

 「ヴィル、白い仮面の男に負けてあげて」

 一瞬、ヴィルがちらりとロッテを見た。ロッテはこれ以上ないくらいに満面の笑みでにっこりと返す。


 そこからヴィルの徹底攻撃が始まった。

 どんどんチップを上乗せして、勝っていく。さっきまではほんのお遊びだったようだ。

 最後には他の全員のチップを根こそぎ奪って、みなテーブルから去って行った。


 ヴィルは無言でチップをギルに押し付けると、ロッテの手を引っ張って隅の薄暗いラウンジに連れていく。

 ラウンジのソファにロッテを押し付けると、仮面越しにもヴィルの目が怖いほど凶悪になっていた。


 「ロッテ……あいつは、お前の男なのか?」

 「はい?」

 「あいつはお前の男なのかと訊いている!……」

 「……違うわよ。そんなわけないでしょう」

 「じゃあなんだ? なぜあいつに勝ちを譲れと言った?」

 

 「……そう言えば、あなたは絶対勝つでしょう?」

 「……」

 「あれは、あのひとは……兄なのよ」

 「お前の兄?」

 「あなたも会ったことあるでしょう? つい先日エクスラー侯爵家の娘と婚約した兄。あなたに私を売った男」

 「あいつか……気づかなかったな」

 ヴィルの目が『やれやれ』という少しあきれたような、安心したような複雑な表情に変わった。

 

 「マイヤーハイム伯爵家は、お前を売らなければならないほど困っていたんじゃないのか?」

 「そう、まさにそれよ。お金なんかないはずなのに、なんでここにいるのかってこと……」

 「……そうだな……聞いてみる必要があるな」

 

 ヴィルはロッテの隣に座り込むと、腰に手を回した。

 「まったく、お前は……」

 ロッテは、あきれたようにため息をつくヴィルの頬に、チュッとキスした。

 一瞬ヴィルの目に恥ずかしげな色が浮かぶ。

 

 (あら、この人でもこんな目をするのね……)

 ロッテはなんだか嬉しくなった。


 (ああいけない、今は兄を捕まえて問い詰めなければ!)

 思い直してヴィルに言う。

 

 「私が兄を連れ出すので、先に外で待っていてくれるかしら?」

 「わかった。念の為マティアスだけは残すからな」

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