第12話 劇場主のパーティ
「本当に大丈夫か?」
もう何度目だろうか、その夫からの問いに
「大丈夫ですよ。昨日の夜だって、散々私の
エアハルトの顔が、心配から少し不満の方向に振れた。
「そ、それはだな、体のどこかに傷や打ち身でもないかと思ってだ……」
「ありましたか?」
「……いや、なかったと思う……」
夫はしばらくの間、まるで病人を看病するように、私の世話を家の者たちに言いつけた。
朝食も昼食も夕食も、すべてベッドの上で
初めの頃こそ立ち上がるのにエルの手を借りたが、さすがに三日もすれば自分で立てるようになり、そこから先はエルがちょっとからかっているのじゃないかと思った。
「旦那様の命令ですから」
とにっこり笑って手を差し出して来る。
面倒くさくなって、
「わかりました。もう好きにすれば?」
とされるままにする。自分だって腕を骨折しているのに。
いい加減うんざりしていると、ベッドに寄りかかって本が読めるように座卓を膝の上に出してくれた。
ここしばらくはそうして本を読んでいたのだが、さすがに運動不足で体がウズウズしてくる。やっと庭に出してもらえたのが、目を覚まして十日目だった。
そして更に一週間が過ぎ、今日は “ライゼン劇場の設立十周年
昨夜帰って来たエアハルトは、例の調子で『本当に行くのか?』とうるさい。
躰に傷がないか確かめるとか言って、私をひんむいて調べていたのだが、いつの間にか別の情熱に変わってしまった。
久しぶりの夫の素肌の温もりに、妙に安心する。私が寝込んでいる間はどうしていたのだろう? 娼館にでも行って欲を満たしていたのだろうか……
そんなことを思うと、少しイラッとする。
『娼館に行ったか?』なんて
思い切って夫の躰に
「……っ、おいおい躰は大丈夫か?」
「大丈夫だって言ったでしょう」
なおも大胆に腰を動かすと、夫の声が嬉しそうに変わっていく。
「そうか……それなら、もっと可愛がってやる……」
そして翌日、ゆっくり寝坊して湯浴み後、衣装を着付けてもらっている。
ときどきエルが『またこんなところに……』とか
「ふふっ」
思わず笑いが込み上げて鏡の中のエルを見ると、以前と違い、もう困った顔も
「今度はもっと胸元が隠れるドレスにしましょう」
エルの言葉に『そうね』と笑って
最後に大きな羽のついた仮面を着けてもらって、全身を見た。
今日のドレスは私の藤色の髪に合わせた薄紫のドレスだ。ふわふわのシフォン生地をたっぷりと使ったお出かけ用ドレスで、くるりと回ると花のようにふわりと裾が広がるのだ。ウエストは柔らかな黄色のサッシュで絞り、首周りとイヤリングは先日の兄の婚約式の時と同じく、エアハルトの瞳の色のジュエリーだ。
エアハルトはギリギリまで仕事をしていたようで、急いで汗を流して着替えている。
体にフィットした明るいグレーのシルクタフタ地のスーツに、
一瞬、お互いを見つめて声が出ない。
「……ヴィルヘルム・ショーペンハウアー様。ヴィルとお呼びしてもよろしいかしら?」
先に口火を切ったのは、リーゼロッテの方だった。
「……リーゼ、いやロッテにしようか。ロッテ嬢、今宵はよろしくお付き合いのほどを」
そういうとエアハルトは流れるような仕草で、右腕を動かして礼をした。
「ロッテ嬢、お手をどうぞ」
彼がうやうやしく手を差し出すと、ロッテはその手を取った。
破損したおでかけ用の馬車は、すっかり新品のようになっていた。
色は黒に塗り替えられ、窓は前よりさらに狭く、車輪も四輪から六輪に変わっている。馬車の中の座席はさらに改良されて、座面は広くクッション性も上がり、この中でベッド代わりに仮眠できそうだ。その上、革のベルトで座った姿勢を固定できるようになっている。
先日の
馬車のステップも折りたたみ式で車体に
手を借りて乗り込むと、彼が
「
思わずトクンとして、顔が赤くなる。
(いえいえ、素敵なのは
席に着いて座席ベルトをつけてもらいながら、説明を受ける。
「いいか、もし馬車が横転するなどしてこのベルトに拘束されたら、シートの下に手を伸ばすんだ。ここにナイフがしまってある」
そう言うと夫はシートの下からナイフを取り出した。変わった形のナイフで、手元に近い部分がフックのような形になっている。
「このフック状の部分にベルトを引っ掛けて引けば、楽にベルトが切れるようになっている。これだけの革ベルトを普通に切るのは、結構大変だからな」
『なるほど』と感心していると、シートに留め付けられた私が嬉しいのか、唇が
「まずいな、このまま押し倒してしまいそうだ……」
そう言うと、自分も席に着いてベルトを締めた。
「ギル。やってくれ」
そう声をかけると。馬車が動き出した。
「今日の
「ああ、あいつは俺の護衛だからな。後ろにはお前の護衛も乗っているぞ。エルだけは外したがな」
馬車は一路 “
ライゼン劇場の周りは馬車でごった返していた。普段は立派な馬車などあまり入って来ない平民街にある。馬車が混み合って進めなくなり、近くで馬車を止めて降りた。ギルとマティアスが人をかき分けながら私と夫を劇場へと導いて行く。
盛大な人だかりだ。だが、劇場の中へ進んで行ける人はあまり多くないようで、入り口付近で選り分けられている。
『なんで俺が入れないんだっ、お得意様だぞ!』などと怒鳴り声も聞こえて、入れない客と警備員の間で揉め事も起こっている。
「お客様は、ご招待のお方で?」
入口に並ぶ列の前で、シルクハットを被った背の高い男に呼び止められた。
夫が『そうだが』と答えると、『招待状を確認させていただいても?』と言われ、招待状を見せる。
「これはこれは……ヴィルヘルム・ショーペンハウアー様、ようこそ」
シルクハットの男は大袈裟に頭を下げると、『こちらへ』と我々を誘導する。
劇場横の壁面に『V.I.P.専用入口』と刻まれたプレートがあった。
その横に、ドアノブの無い重厚な金属扉がある。男がその扉を五回ノックすると、扉は内側から開いた。
「どうぞこちらへ」
中は入り口付近が広くなっていて、小さなカウンターがひとつあり、その後ろに狭い部屋があった。部屋の中の壁面全体が棚になっていて、それほど大きくない金属の箱がたくさん並んでいる。
「申し訳ございません、お付きの方はこちらでボディーチェックをさせていただきます」
よく見ると、扉の影に別の目つきの悪い男が立っていた。
「剣やナイフ、飛び道具はこちらでお預かりします」
「帰りには返してくれるのであろうな?」
ギルがそう言って
目つきの悪い男はギルと護衛の身体を手早くチェックし、武器を探す。
「はい、こちらの金属箱にお入れください」
さすがにお祝いの席に剣を持ち込むことはしていなかったが、ギルとマティアスからは銃とナイフが出て来た。
男は金属の箱にそれらを入れると鍵をかけて、その鍵をギルに渡した。
「お帰りの際に鍵をお渡しください。鍵と引き換えに中身をお返しします」
なるほど、このたくさんの箱はそういうことか……
リーゼロッテと招待客のヴィルヘルムは、フリーパスのようだ。仮面をつけていることから、『貴族』という判断なのだろう。貴族の身体に触って “不敬” と言われれば問題になってしまう。
「随分
夫がそう言うと、
「貴族のお客様は上とは別の催しがございますので……」
という
『上とは別』とはどうゆうことだろうか?
赤い光の灯された通路を夫に手を引かれて進み、階段を降りた。
その先で開かれた奥のドアをくぐる。
そこは光の洪水だった。
きらびやかなシャンデリアがいくつも天井から下がり、アーク灯の灯りが柱のあちこちに
小さな舞台では踊り娘が踊り、その身につけている布地の小ささに驚く。
音楽は別室で奏でられているのだろうか? どこからか賑やかな音が響いて来ている。
壁際には大きなカウンターがあり、その後ろの棚には、さまざまな色合いの沢山の酒瓶が並んでいる。
銀の盆を持って給仕をしているのは、黒い仮面をつけた揃いの制服の女性たちだ。スカートは短く、胸元は大きく開いている。
テーブルは沢山置かれていて、小さな卓ではカードゲームをする者、大きな卓ではぐるぐる回るホイールに球を投げ入れて、その番号を当てる『オカ』というゲームが行われている。
我々を案内したシルクハットの男は、そばにいた黒服の男に何かを耳打ちすると、行ってしまった。
「な、なんなのですか、これは? ヴィル……」
「どうやら賭博場のようだな、ロッテ」
「ヴィルヘルム・ショーペンハウアー様ですね。当劇場の
黒服の男に
「ここからは、従者の方はご遠慮ください。ショーペンハウアー様とお連れ様だけ、どうぞお入りください」
「旦那様!」
ギルが警戒の声を上げる。
「大丈夫だ。ここで待っていてくれ」
そういい置くと、奥へ進んだ。
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