第11話 また別の妻を買いますよ

「リーゼロッテッ!」

 うーん、誰か叫んでいる?

 意識の底から浮かび上がって、うっすらと目に入って来た光に目をすがめると、目の前に金色の目がのぞき込んでいた。


「リーゼロッテ! 気が付いたか?」

「……だ……さま…」

 声がかすれて出ない。

「ほら、水だ」

 そう言われて起きようとするが、起き上がれない。

「待ってろ……今飲ませてやる」

 そう言った直後、エアハルトの顔が近づいて来た。

「んふ……」

 エアハルトの唇がリーゼロッテの唇を覆い、生温かい水が口から入って来た。

 口移しに二度、三度と水を飲ませてもらい、やっと少し口の中がうるおった。


「エルは……?」

「お前は……自分の心配より、エルの心配か。大丈夫だ、少し怪我はしたが、二人とも無事だ」

「そう、良かった……」

 そう言うと、カバッとエアハルトに抱きしめられた。


「まったく、お前は……寿命が縮んだぞ」

「ごめんなさい……」

「謝るな。お前が悪いんじゃない」

「兄が……あなたによろしく、って」


「今言う言葉か。バカだな……」

 そう言いながらも、抱きしめられたエアハルトの胸はとても温かくて、心地良い。エアハルトはそっとリーゼロッテを離すと、しっかりと言い置いた。

「いいか、しばらくは絶対安静だ。わかったな、ベッドから出るなよ」

 その言葉に、リーゼロッテはこくりとうなずいた。


 * * * 


 エアハルトが納品先の東の国境付近で、リーゼロッテの乗った馬車襲撃の一報を聞いたのは滞在三日目だった。その知らせを聞いた途端、心拍が上がり激しい動悸どうきが彼を混乱におとしいれた。


(まるで俺が帝都にいないことを知っているかのようじゃないか……)

 

 ここで周りに動揺どうようを知られては、いよいよ俺の弱点が『妻』なのだと公言しているようなものだ。ここは慎重に動かなければならない。

 予定の日程五日間を全て予定通りこなし、どこから聞きつけたのか様子をうかがってくる手合いに返事を返す。

「ノイエンドルフ子爵殿、帝都で奥方の乗った馬車が事故にったと聞きましたぞ。急いで帰らなくても良いのですかな?」


「おや、どこからお聞きになったのですか? 幸い大した事故でもなかったようなので、予定通り滞在しています。まあ、もともと政略結婚で金を積んで買った妻ですから、うまくいかなければまた別の妻を買いますよ」


 心の底でギリギリと歯を食いしばりながら、どうともしないようなふりで受け流す。こいつも、いつか殺してやる……

 身を削る思いで五日間我慢して、五日目の夜。夜を徹して馬を走らせた。

 通常三日かかるところを一日半で帰る。


 家に駆け込んで、馬を警護の者に渡し、玄関から真っすぐにリーゼロッテの寝室に駆け込んだ。上着を脱ぎ捨ててベッドの横に駆け寄る。


「リーゼロッテッ!」

「……だ、旦那様、奥様は……」

 家令のクラウスが狼狽うろたえている。

 

「リーゼロッテッ!」

(頼む、目を開けてくれ……リーゼロッテ。もう、誰も失いたくないんだ……)


 うっすらとリーゼロッテの目が開いた。その野に咲くスミレのような濃い紫の瞳に、彼女の強い意思の光が灯った気がした。

「リーゼロッテ! 気が付いたか?」

 

「……だ……さま…」

 声がかすれている。ずっと眠り続けていたのだろう。

「ほら、水だ」

 頭を支えて起こそうとしたが、力が入らないらしい。

「待ってろ……今飲ませてやる」

 エアハルトは自身の口に水を含むと、リーゼロッテの唇に持っていった。

 二、三度そうして水を飲ませると、少し落ち着いたようだ。


「エルは……?」

 その言葉にふっと可笑おかしくなった。妻は己の体より、従者のことを心配しているようだ。

 

「お前は……自分の心配より、エルの心配か。大丈夫だ、少し怪我はしたが、二人とも無事だ」

「そう、良かった……」

 

 なんてことだ。

 心の中に可笑おかしさや愛おしさが込み上げて来て、この妻が可愛くて仕方がない。思わずその華奢きゃしゃからだを抱きしめていた。

「まったく、お前は……寿命が縮んだぞ」

「ごめんなさい……」

「謝るな。お前が悪いんじゃない」

 

「兄が……あなたによろしく、って」

 本当に妻はおかしな女だ。安堵といとおしさで頬がゆるむ。

「今言う言葉か。バカだな……」


 この女は俺の愛しい妻だ、守らなくてはならない。今回襲われたのだって、俺をおとしいれるためだ。両親と弟妹きょうだいを奪った時のように、俺から気力を奪って言いなりにしようという奴らの思惑おもわくだ。

 エアハルトはそっとリーゼロッテを離すと、しっかりと言い置いた。

「いいか、しばらくは絶対安静だ。わかったな、ベッドから出るなよ」

 リーゼロッテがこくりとうなずいたのを確認して、エアハルトは妻の寝室を出た。


「エアハルト様」

「エルか。大事ないか?」

「申し訳ございません。我々がついていながら……」

「気にするな。それより詳細を聞かせろ。マティアスと御者ぎょしゃも呼んで俺の部屋に来い」

「はい、かしこまりました」


 数分後、襟元えりもとゆるめたエアハルトは自室の椅子に座って、エルとマティアスと二人の御者に向かい合っていた。

 エルは腕を折ったらしく。首から布で左腕を吊っている。

 

「順を追って説明しろ」

 エアハルトの問いにマティアスが口を開いた。

「はい、行きの馬車には何も問題はございませんでした」


「侯爵邸に着いてからはどうだ?」

「私とエルは従者の待機たいき部屋に通されまして、飲み物や軽い食事などが提供されました」

 マティアスがそう言うとつなげるように御者の一人が言葉をいだ。

 

「我々は馬車の待機場所まで案内され、必要ならうまやに水や飼葉かいばを取りに行くよう言われましたので、そのまましばらくそこに待機しておりました。そののち、水と飼葉をもらいに、一人が厩舎きゅうしゃへと行きました。馬車にはひとりが待機しておりましたが、近づいて来たものはおりません」

 次にエルが口を開いた。

「終わりの時間に近くなるとお呼びがかかり、玄関ホールで奥様と落ち合いました。馬車に乗り込んだ時、奥様がこんなことをおっしゃっていました。“ジークムント・エクスラー侯爵が、ちょっと変なことを言っていたと。なんでも『旦那様は、今日は東の方にでも出掛けられているのか』とカマをかけて来たと。どういう意味か?” と問われました」

 エアハルトの眉間みけんにピクリと力がこもった。

「それで?」

 エルに変わってマティアスが答える。


「奥様は知る必要はございません、とお答えしました」

「……そうか。で、襲撃しゅうげきの状況は?」

 今度は御者の一人が答える。

「私は後ろの御者台に乗っておりました。閑静な貴族住宅街の木々が生い茂った横を走っておりましたところ、いきなり左の木影こかげから突っ込まれました。敵も馬車で、馬をつないでいる中央の車軸から長いくいのようなものが飛び出しておりました。それで馬車の横のドア付近に体当たりされました」

 

「ふむ。馬車は横方向からの力には弱いからな」

「車体は右に横倒しになりましたが、堅牢けんろうだったため壊れず、そのまま馬に引きずられる形になりました。敵は目立たぬ茶色い二頭立ての馬車で、ぶつかった衝撃で敵の馬も暴走し、止まらずに逃げました」

「ぶつかっただけということか?」

 

「はい。何ぶん邸宅街ということもあり、騒ぎになれば敵も困るからでしょうか」

「すると、乗っていた御者以外はどんな奴か分からないんだな?」

「はい。御者も平民のような身なりをしておりましたが、体躯からだつきが騎士か兵士のように見えました」

「……わからんな。まあ、俺を狙ったわけではない時点で、“脅し” ということだろうが。うまく行けば誘拐するつもりだったのかもしれん」

 

「あのう……」

 二人の御者のうちの一人が何か言いたそうにしている。

「何だ、何でも言ってみろ」

「飼葉をもらいに厩舎きゅうしゃに行った時、引かれていく二頭の馬を見かけたんです。確実ではないのですが、その馬が体当たりして来た馬車の馬に似ていた気が……」

「本当か?」

「いや、確かにそうとは言えないのですが、両方とも栗毛で、一頭は後ろ足だけが靴下を履いているように白くて。それが印象に残ったので……」

「その馬に似ていた、と言うのだな」

「はい」


「わかった。それで、続きを頼む……」

 エアハルトがマティアスに目を移す。

「我々は衝突しょうとつの衝撃で宙に舞い、壁面に叩きつけられました。横倒しになってそのまましばらく引きずられました。私とエルはとっさに受け身をしたのですが、奥様は壁面に頭をぶつけられてしまい、気を失われました」

「そうか……」

 エアハルトは息を吐き出すと、椅子に深く掛け直した。

 

「皆、ご苦労だった。戻っていいぞ……それから、エル」

「はい」

 

「リーゼロッテは、目を覚まして真っ先にお前のことを心配していたぞ。……あいつを世話してやってくれ、頼んだぞ」

 エルの顔に控えめな笑顔が広がった。

「はい! お任せください、エアハルト様」

 エルは折れた左腕を抱えながら、部屋を出て行った。


(さて、どうしたものか……)

 エアハルトの顔に、怒りと冷笑が入り混じった表情が浮かぶ。

 そこへ、ギルベルトが顔を出した。


「旦那様」

「お前も聞いたか? あのクソ侯爵め……」

「いよいよ『隠しもしなくなった』ということですか。ですが、あやつのウラについているのが誰かは、以前謎のままです。ああまでして平然と宮廷でも大手を振っているのですから、後ろについているのは相当な大物ですね」

 

「公爵家の誰かか、もしくは王族か……」

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