第5話 密室に咲く時間

 黒岩さんがこの街にやってくる頻度は大体3ヶ月に1回、1週間ほど滞在でした。決まって同じコンチネンタルロイヤルホテルに部屋をとっていて、その間の二夜か三夜で私を呼び出し、様々な辱めを授けてくださいました。最初は一方的に苦悶を享受するだけだった私ですが、回を重ねるごとに許容が広がっていき、行為もより苛烈になっていくのが分かりました。黒岩さんから極上のM男に仕立てていただいている、心の中にそんな想念が生じたらしく、半年ほど経った頃から、私は彼の責めの意図を汲んでその期待に応えることが徐々に出来るようになっていきます。ここは耐えなければと察知すれば、全身に汗が噴き出ても全力でなぶられましたし、失禁すべきタイミングで躊躇ちゅうちょなく下半身をぐっしょりと濡らしました。黒岩さんの執拗しつよう打擲ちょうちゃくに私の愛液も溢れる一方で、その獣の歓喜の盛り上がりが一致した時、私たちは同時に果てることが出来たのです。もっと若い頃、イク時は一緒になどと言いながらやっていたセックスは、何と稚拙だったことでしょう。あんなのは子供の戯れみたいなものです。


 こんな話はお嫌ですか?ありがとうございます。もう少し聞いてください。私が毎回身悶えしながら待っていた行為の一つが、宝石を押し込まれることでした。初めての日に真珠を受け入れてから、毎回その所業しょぎょうは私を酔わせました。緊縛されて固く怒張どちょうした陰茎いんけいを散々手のひらで繰り返し殴打し、ぽっかりと開いた外尿道口がいにょうどうこうからずっぷり先走りの果汁がとめどなくしたたり、淫毛いんもう浸潤しんじゅんするまで濡らしてやっと、ご褒美ほうびの宝石が下賜かしされます。さらに大きさを増した真珠はもちろん、深い青のラピスラズリ、緑がかったターコイズ、紅色の珊瑚、紫色の水晶など、熱を持った尿道へ冷ややかな鉱物が押し込まれていく時の陶酔ときたら、魂が奪われると言っていいものでした。


 「もう無理です」と口にすることが許されぬ私は、もうダメ?苦しい?とわざと問いかける男の声にも粘膜から染み出す液で応えるのです。物理的に収まらなくなるまで貴石を飲み込んだペニスは、破裂しそうなほど肥大し自らの潤滑液でぬるぬるです。そこにさらにカテーテルが仕込まれ、シリンジで液体を注入されるのですが、ある時は粘度の高いローション、ある時は牛乳、スポーツ向けのゼリー飲料の時もありました。鉱石が算盤玉そろばんだまのように連なって尿路を塞いでいる強烈な違和感の中を、強引に推し注がれる流動体が膀胱をギリギリと拡張して行きます。経験したことのない鮮烈な尿意を我慢させられる時間の狂おしさ。肛門と陰茎の間の後ろあたりに死ぬ気で力を入れ続けていないと、締め付けている尿路が決壊しそうです。やがて全身が小さく震え始め、脂汗がじくじくと流れてくると、黒岩さんは唇にうっすらと笑みを浮かべ、鏡を見るように促すのです。大きな姿見の向こうに部屋があり、そこに男が全裸の肉体を汗と淫乱汁と垂らした唾液で輝かせながら、腰を小刻みに震わせていました。情痴じょうちの限りを尽くす淫靡な姿は自分ではない他人のようです。


 掠れるような声でもうイカせてくださいと訴え、激しく手のひらで扱かれるとあっという間に臨界に達し、激烈な快感と苦痛が青白い閃光と共に一気に炸裂しました。精子と宝玉ほうぎょくが一体となって噴出し、私の胸や腹に降り注ぎます。意思とは無関係に激しく上下に男根が跳ね上がり、ビュルっビュルっと音を立てて、尿道を飛び出ていく石の疼きに、おかしくなりそうでした。射精した後、その性感の火種を残したまま、注入された液体を激しく放出させるのもまた、恥辱に裏打ちされた陶酔なのです。


 いつだったか、私に挿入した宝石はその後どうするのか聞いたことがありました。すると黒岩さんはこともなげに、指輪やネックレスになり、客に販売されると言うのです。「きみの体内でぬるぬるになった石が、何も知らない女の首や指を飾るのが、誇らしいような気持ち。」「そもそも真珠は貝の内蔵に入った砂粒などの異物を、貝自身が出す体液で覆うことで生まれるのだから、きみの粘液でさらに輝きを与えられると考えれば、この上なく素晴らしい宝石です。」そんな賛辞に私は、後ろめたい多幸感を得ていました。


 黒岩さんに虐げられている時、彼が誰でどこに住んでいても構わないと思う一方で、会えずにいる時間の多くでは、ただひたすらに会いたいとの欲が身の内に浮かんで仕方ありません。ある時、私はポラロイドカメラを持参し、一枚だけでいい黒岩さんの写真が欲しいと訴えました。独寝ひとりねの時にそれで己を慰めたかったのに、許可はいただけませんでした。その代わりに私自身の責苦を受けている姿が四角い写真に無惨にも記録されたのでした。


 あの頃、写真カメラとビデオカメラがありましたが、写真はプリント、ビデオはダビングする以外には他人に見られることはまずありませんでした。複製も容易ではなかったため、自分とごく親しい間柄だけで楽しむものでした。有名人のプライベート写真が流出することはありましたが、一個人のそういった秘密は基本的に露見ろけんすることはなかったのです。ですから、性器が無修正のポラロイド写真や個人撮影の成人向けアダルトビデオなどは、マニアックな人向けに通信販売があったほどです。


 アンダーグラウンドの魅力は、日の目を見ないからこその濃密な行為ではないでしょうかね。あの頃のゲイポルノは、VHSのビデオで60分1万2000円近くする高価なものでした。そこに登場するモデルのほとんどは素人で、鬱積していた淫行衝動が一気に噴出するような、貪り合う性行為は臨場感があり興奮したものです。見る側にも同様の渇きがあったのでしょう。私にとって今のゲイAVは開放的すぎますし、背徳的なことをしているというのに、嬉々として熱狂しており、性行為への渇きなどが全く感じられない点で興醒めるのです。もっとも、今のゲイの若者は最初からゲイセックスを楽しむことを知っているのですから、背徳感などないのが当たり前です。


 いつからでしょう。男性同性愛を含む性的少数派マイノリティをLGBTQなどと呼んで、社会にその存在を知らしめようとする動きが出て来ました。多様性を認め合うことは本当に大切なことだと思いますが、私は、LGBTQの区切り自体がカテゴライズだと思っているのです。男性同性愛者の中でも差別や偏見、理解に苦しむ性質のジャンルが無数にあります。本当に女になって、女好きな男と恋愛がしたい人もいれば、マッチョで男らしい外見でありながら仕草や好みが女性的で、セックスも受け身な人、オネェと呼ばれる女性的な人、見た目もごく普通で行動も平凡だけど、性の対象が男というだけの人、自分の父親より年上の男が恋愛と性の対象の人、少年を愛する人、挙げればキリがありませんし、それらの傾向は男性同性愛者の間でさえ「あの人変態らしいよ」とかの陰口になることもありました。一般の人(これも大きなカテゴライズですが)に、理解してもらうのは難しいでしょう。


 私自身も自分のことを理解しきれていません。実は物心のつく3歳の頃にはもう男性が好きという感情がありました。そして小学校に通い始めるくらいから髪の毛を伸ばしたいと母親に訴える子供でした。遊ぶのも女の子とお人形遊びや塗り絵などが大好きでしたし、野球などの運動や乱暴な男の子が大嫌いでした。ピアノが習いたいと母にねだったものの「あれは女の子が習うものだ」と言われ、悲しくて泣いた記憶もあります。今の概念に照らすと「体の性は男だけど、心の性は女」のトランスジェンダーに該当するのだと思うのですが、そのことで生きられないほど苦痛だったかと聞かれれば、そう言うものだと自然に受け入れていったとしか思えないのです。もちろん、小学校も高学年になっていくと男女の区別が明確になっていき、そのあたりから「おかま」だの「女男」だのと揶揄からかわれ始めました。しかし中学1年の時に、そんな女みたいな少年に目をつけ、可愛がってくれた先輩がいました。近所に住んでいたIさんという3年生の男子で、すでに口の周りには濃いひげが生え始めていました。ひょろひょろの痩せっぽちだった私は、もう大人の男の顔をしたIさんが好きで、いつも目で追いかけていたくらいです。ある時帰宅しようと教室を出るとIさんが「一緒に帰ろうぜ」と声をかけてきました。はいと頬を紅潮させて私が笑うと、Iさんが顔を近づけてきてじっと見つめながら「おまえ、女みたいな顔だな」と言って手のひらを頬に押し付けてきたのです。Iさんの唇がうっすらと開き、呼吸する音が聞こえました。芽生え出した薄いひげが傾いた日差しの中で艶やかに美しかったのです。それが、「男に触られることで勃起した」初めての経験でした。


 なぜだか分かりませんが、女の子になりたいと願った記憶はありません。高校に入っても好きな同級生や先輩はいましたが、私自身も徐々に女性っぽさが消えていき、逆に筋肉質な男らしい体格になっていったのです。そうなって来ると心の性も体の性も男性で、男性が好きなゲイと言うことに分類されます。性適合手術を受けたいと思うこともない反面、女性的な感性は持ち続けたように思います。綺麗なもの、繊細なもの、芸術的なものが好きで、料理や裁縫も得意でした。LGBTQの当事者でさえ、己の性的傾向がいつしか変化していくのですから、ゲイとて十人十色なのだとしか説明のしようがありませんし、それを他人が理解できるとは思えないのです。


 日陰者とか隠花植物などと言われるその一方で、当時の世間一般の呼称であるホモの人は、その特性ゆえに異性愛の男より、有利に性的欲望を満たすことができたのも事実です。私と黒岩さんが出会った店もその一つで、お客同士が全裸同様の状態で接触しあって、気が合えば店内で口唇性交オーラルセックスすることもありました。男女では条例等の違反となる行為です。またハッテン場と呼ばれる宿泊施設も多く存在していました。男同士の性的行為を発展させる意味でハッテン場やヤリ部屋などと誰もが呼んでいました。表向きは会員制ビジネスサウナ的な看板ですが、店内では客同士が性行為の相手を探すことが出来ました。大部屋と呼ばれる部屋では、複数人での乱交行為も可能だったのです。今では男女でも簡単にマッチングアプリなどで性交渉を持てる時代になりましたが、ホモ同士の成立の容易さは比ではないと思います。


 あの頃、私と黒岩さんは密室に咲く麻薬草でした。誰に見せるでも、知らせるでもなく、二人きりの秘密に覆われ、互いの渇きを開き合い、淫らな行為にふけり、溢れ出る液で癒し合っていました。男であろうと女であろうと問題ではなく、また誰に認めてもらう必要もありません。多様性とは、それを持つ個々が自分を肯定し、人とは違うことに罪悪感を持たずに生きられることだと思いますが、私たちの交わりは、罪悪感が快楽になる時間だったのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る