螺子巻ぐるり

骨噛み


 火葬炉から出て来た夫の遺骨に、私は現実味を感じられなかった。

 これがあの人の骨と言われても、こうも崩れていては分からない。

 もしも誰か違う他人の骨を前にしても、それが夫なのだと言われれば、あぁそうなのかと納得してしまったことだろう。

 葬儀場の男の人がなにやら骨を示して説明をしたが、頭には入ってこない。

 ここがどこで、ここがあそこで。並べ立てられても、あの人の姿とは一致しなかった。はぁ、へぇと、夫の親族の誰かだけが、何かに気遣うように返事を連ねる。

 昔は――……と、葬儀場の男が続けた。この辺りにも、骨噛みの風習が残っていたんですが。

「骨噛み、ですか」

 それにだけ、何故だか返事をしてしまった。

 親族の視線が私に集まって、変なことを言ったかと心がざわつく。

 えぇ、と葬儀場の男は微笑みを貼り付けて頷く。今でも時折、そうされる方もいらっしゃいます。ご遺族への気持ちの表れとして、その一部を口にする。不思議な事ではありません。……並べ立てられ、あぁそうなのかと、素直に思う。そういえば昔、祖母の葬式の時も、親族の誰かがそんなことをしていた覚えがある。

 どうされますか。男が続けて、しばし沈黙が広がる。どうするって……あぁ。

「……じゃあ」

 私は小さく呟いて、小さな小さな骨の欠片を指で摘まむ。

 他に骨に手を出す者はいなかったので、男は遺骨を骨壺へと納めて行く。

 私はじっと欠片を見つめて、深く考えもせず、口の中に放り込んだ。


 じゃり、と嫌な感じが広がる。

 骨噛みなんて言われたけれど、噛んでしまうのは憚られた。

 だけど呑み込むことも出来なくて……からころ、からころ、義父が運転する車の中で、私はひたすら骨を転がす。


 喉に刺さった小骨のような、という言い回しを思い出した。

 吐き出すなり呑み込むなりしたいのに、そうもいかない気になる何か。

 思えば私の半生は、ずっと喉に小骨が刺さったままだった。


 夫と会ったのは、私がまだ学生の頃だ。

 共通の友人がいて、その紹介で何度か一緒に遊んで。

 仲の良い友達になれたと思った頃に、告白された。

 私にそんなつもりは全然なかったから驚いたけど、特に断る理由もないものだから、ものは試しにと付き合ってみたのだった。


 これが意外と長続きした。

 彼とはなんだか空気が合って、ささいな喧嘩はするけれど、大きな価値観の相違を感じる事も無く、淡々と関係が続く。大事にされるのは悪い気分じゃなかったし、体を触られるのだって、意外と嫌ではなかったから。仲がいいんだねと、友だちにもよく揶揄われた。きっとそれは、正しかった。


 その内に二人とも大人になって、当たり前のように一緒に暮らし始めて。

 それからすぐに、結婚を申し込まれた。私としては、やっぱり断る理由がない。

 彼以上に気の合う人なんて現れないような気がしていたし、彼と過ごす時間はいつでも、それなりに楽しかったから。


 だけど、そう。

 愛していると、私の方から言ったことは、ただの一度も無かったのだ。


 彼はその言葉を、私に強要しない人だった。

 大好きだよ、愛しているよと折りに触れて言ってきて、私が「ありがとう」と答えると、ただ満足そうに笑うのだ。


 だからある時、ふっと思った。

 私はこの人を、愛しているのだろうか?

 今の今まで、一度だって愛したことはあったんだろうか?

 疑問はどうにも、解決しなかった。彼と過ごす時間は楽しくて、だけどドラマや小説で見るような、甘く蕩けるような感覚はない。仲のいい友達と変わらないのではないかと考えたら、否定できない自分がいた。


 私はこの疑問を、彼にぶつけられなかった。

 だって彼は、ひどく真っ直ぐに私を愛してくれている。

 そんな人に「本当は愛していないのかもしれない」なんて、間違っても口には出来ないじゃないか。


 だからこの問いは、私の喉に刺さった小骨になった。

 呑み込めないし、吐き出せない。ただずっと、そこにある。


 もしも愛していないなら……彼との時間は、なんだったんだろうか。

 四十歳。彼との間に、子どもはいない。お互いに仕事で忙しかったし、相手だけいればそれで良かったから。そうこうしている内に、彼は不意の事故でこの世を去って。家は賃貸のマンション。二人で過ごした思い出はあっても、一人で住むには負担が重すぎる。きっとしばらくしたら、引っ越すことになるだろう。


 からころ、からころ。

 口の中に骨を隠したまま、私は義父母や夫の親族との食事を終える。

 骨が気になって、殆ど何も飲み食い出来なかったけれど……義父母はそれを、あの人を亡くした辛さからなのだと共感してくれた。

 義父も義母も、悪い人ではない。結婚してしばらくは子どもを作って欲しそうだったけど、やがて諦めて、私たち二人をただ可愛がってくれた。

 だけどこの人たちとの交流も、しばらく経てばなくなるだろう。

 年に一度、あの人の命日に、墓の前で会うか会わないか。

 少しだけ寂しい気もするけれど、敢えてそれ以上踏み込みたいとも、思えない。


 からころ、からころ。

 一通りの挨拶を終えて、私は自宅のマンションへ帰る。

 泊まっていけばと義父母は言うけれど、私は一人になりたかった。

 小脇に骨壺を抱えて、暗くなった部屋の電気をつけて。

 そういえば、骨壺を置く場所が無い。仕方がないから一旦は食卓に置いて、あぁ、どうしようかなと考える。どうせ引っ越すのに、仏壇なんてあっても仕方ないだろう。


 からころ、からころ。

 鞄に入れていた遺影を取り出して、骨壺の隣に置いておく。

 一年前、旅行に行った時にスマホで撮った写真を引き伸ばしたものだ。

 そのせいで解像度が妙に低くて、なんだかとっても、嘘くさい。


 からころ、からころ。

 椅子に座って、私はスマホを見ながらぼぅっとした。

 SNSも動画サイトも、今の私には興味が出ない。色んなアプリを付けては消して、最後は写真のフォルダを開く。

 お洒落なカフェのご飯とか、道端にいた猫の写真に紛れて、ひと固まり、またひと固まりと、旅行中に撮った彼の写真が目に入る。

 これも、これも、これも。写真の中の彼は、どれも楽しそうに笑っていた。

 旅行が楽しかったから、っていうのもあるけれど……彼は本当に、私を愛してくれていたんだろう。だからいつでも笑顔だった。

 二年、三年と写真を遡っていく。スマホに残っている限り、彼の写真は全て見返す。中には私が一緒に写っている写真もあって、彼の隣に写る私の姿は、なんだかとても、幸せそうだった。


 からころ、ごくん。


 小さな骨を呑み込んだ。

 気掛かりが一つ、なくなった。

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