薔薇の遺灰

dede

また咲かすために


「この度は、お悔やみ申し上げます」

「ありがとうございます」

 と返事を返すオバの横で、僕は下を向いていた。更にその横で妹は落ち着きなく僕と周囲を交互に見比べていた。

「ねえ、ニーチャン。どこか痛いの?」


 そうして僕ら兄妹はオバの元に引き取られた。


 人生を一転させるのは簡単だ。車一台あればいい。それだけで、十分だ。

 そうしてそれまでの薔薇色のような日々から色が抜け落ち、灰色な景色の中過ごしている。

 僕らはオバのアパートから近い小学校に転校した。始めは転校生に興味津々だった同級生も、笑わない辛気臭い僕に愛想を尽かし、今では腫物のような扱いだ。当然友達はいない。

 その点妹は上手くやったらしく教室に迎えに行くとだいたい友達と一緒にいた。それでも僕を見かけるとすぐに遊びを切り上げて帰り支度を始める。妹の友達からはあともう少しと言われるが僕の知った事ではなかった。

 オバのアパートに着くと、妹はリビングでお絵描きを始め僕はまず風呂掃除を始める。そしてお風呂を溜めている間に洗濯物を取り込んで、余裕があるときは畳む。でもだいたいは床に広げっ放しでそこから必要な服を拾っている。そうこうしてるうちに、お風呂が溜まるのでお湯を止めると妹と一緒にお風呂に入る。上がると洗濯機を回す。冷蔵庫からスーパーの割引シールの貼られた惣菜のパックを取り出し、レンチンする。そして食べ終わると拭かれたテーブルで妹はまたお絵描きを再開し、僕は宿題や予習をする。テレビはあるけど僕は観ない。妹はクラスで話題の番組だけたまに観ている。

「ニーチャン、パパとママにはいつ会えるの?」

 僕は妹の描いた絵を見る。ミスプリントした紙の裏に、ねだって買って貰った三十色入りの色鉛筆セットでいつも描いている。妹が鉛筆削り器を回すたびに僕の胸は軋んだ。

「僕は知らない。オバさんに聞いてよ」

 僕は嫌な事をオバに押し付けた。お花畑に四人。きっと妹の目には未だに色鮮やかに映っているんだろう。


 オバが寝る前に帰ってくることは稀だ。僕らがオバと顔を合わせるのは朝、トーストを食べてる時だけ。あまり話もしない。でもそれも平日の話だ。

 日曜日は昼前に起きてくるオバとスーパーに行き、お昼と夜の惣菜を買って一緒に食べる。午後オバはよく妹に話し掛ける。一緒にお絵描きをしたり、他の遊びをしたりもする。僕にも話し掛けていたが、そっけない返事ばかりしていたらあまり話し掛けてこなくなった。

 今日も妹はオバとお絵描きをしている。ミスプリントした紙の裏に、妹は色鉛筆で、オバは鉛筆で。描きながら話している妹とオバの会話が耳に入ってくる。

「ママのハンバーグ、すっごい美味しいんだよ」

「へー」

「パパも、卵焼きすごく美味しいんだ」

「うん」

「ねえ、卵焼き食べたい」

 そんな二人の会話を僕はイライラしながら聞いていた。その後、妹と断り切れなかったオバは二人でスーパーに卵を買いに行き、台所に立つと卵焼きを作った。ぺちゃんこで少し焦げた卵焼き。それはとても似ても似つかなかった。


「ニーチャン、これあげる」

「いらない。お前の大事なもんだろ? 僕は絵を描かないし」

 翌週の土曜の昼下がり、妹が突然色鉛筆セットを僕に手渡して言った。それを僕は押し返す。

「でも。じゃあ、なにかして欲しーことある?」

「ないよ」

「じゃあ。じゃあ。……やっぱり、あげる!」

「いらないって」

「いいから! 私はまたパパとママに新しいのを買って貰うから……」

「できるかっ、ばかっ!!」

 妹に、よく分かっていない妹に、だからだって分かっているのに、それでも感情が抑えきれなくて、声を荒げてしまった。そして色鉛筆セットを手で払う。音を立てて壁にぶつかると色鉛筆はケースから飛び出して床に散らばった。

「ばかって。そ、そんな怒らないでよぉ。なんでニーチャン、怒んのさぁ」

「お前が余計な事をするからだ」

「あ、あたしはただ、ニーチャンに元気になって欲し、欲しかっただけなのに。なのに……うぅぅぅニーチャンの方がばかぁぁぁーー」

 妹は盛大に泣き出した。

「怒んないでよぉ! 前みたいに笑ってよ! あたし、今みたいなのもうヤだよ!」

 父さんと母さんが亡くなって以来、一番盛大に妹が泣いた。僕の奥歯にも力がこもる。目頭が熱くなる。

「僕だって……僕だって……」

 前みたいに笑いたいよ! でも、『前みたい』になんてもう無理なんだよ! だって父さんも母さんも、もういないんだ!


 頭が痛い。けれど不思議とスッキリした気持ちだった。目の前に妹の顔がある。涙と鼻水でぐしゅぐしゅの顔。ひどいなと思ったけど、たぶん僕も似たようなものだと思う。どうやら二人して泣き疲れて寝てしまったらしい。窓から差し込む光はオレンジがかっている。カラスの鳴き声もする。もう、夕方だった。

 僕は目の前の妹の髪を指で梳く。寝汗で湿っていて妙に地肌が熱い。この幼い妹は、いまだに父さんと母さん事を理解できてないようだけど、それでもいつかは説明しないといけない。

僕は起き上がると、散らばっていた色鉛筆を拾い集めた。何本かは芯が折れていた。

「なにやってるんだか」

 また研ぎ直さきゃいけない。もう、替えなんてないのに。これしかないのに。それなのに。妹はコレを僕にくれようとした。両親の事は抜きにしても、妹の一番大事な宝物。それは間違いなくこの色鉛筆のハズなのに。それなのに僕にプレゼントして元気づけようとしてくれたんだ。

「悪い事、しちゃったな」

 それなのに、僕は妹に対して八つ当たりしちゃって。本当に情けない。なにか、お詫びに妹の喜ぶことをしてあげたいと、僕はそう素直に思えた。妹じゃないけれど、妹が喜ぶ事はなんだろうと必死で頭を悩ませる。すると自然と冷蔵庫に目が向いた。



「卵焼きだ!」

 目覚めた妹は見つけると目を輝かせた。

「ニーチャン、食べていい?」

「うん。さっきは怒ってごめんな」

「もういきなり怒んないでよね。でも許す! いただきまーす」

 妹は卵焼きに箸を突き立てると、そのまま大きく口を開けて放り込んだ。もぐもぐ顎が動き、喉を卵焼きが通り過ぎると再び口を開いた。

「おんなじだ! パパと、おんなじ!」

 興奮気味の妹は、再び卵焼きに箸を伸ばす。よかった。ちゃんと再現できたみたい。昔父さんに聞いた事があったんだ、隠し味にマヨネーズを使ってるんだって。父さんは、得意げに笑って教えてくれたんだ。

 卵焼きが2つ3つとみるみる減っていく。卵焼きが減るたびに、妹は花を咲かすように笑顔を浮かべるんだ。そこでようやく気がついた。僕の薔薇色の日々はもうないけれど、何も残らなかった訳じゃないって。残ったもの、残して貰ったものがあるって。それでせめて妹の日々は薔薇色とはいかないまでも、色鮮やかに彩ることもできるんじゃないかって。それが出来たなら、僕も嬉しいんだ。

「あ」

 僕の顔を見て何かに気がついた妹が箸を止めた。そして、卵焼きを食べる以上に顔を綻ばせた。

「どうした?」

「ニーチャン、やっと笑った」

「え?」

 僕は自分の頬をさする。どうやら僕は、妹の笑顔を見て笑っていたらしい。




 ガチャリとドアが開く音がしたので時計を見た。まだ日付は変わってなかった。でもいつも、こんな時間に帰ってきてたのか。

 灯りの点いたリビングに姿を現したオバは、僕を見つけるなり眉をしかめた。

「まだ起きてたの? 早く寝なさい」

「ごめんなさい。でも話したいことがあって」

 妹の食べてる様子を見ていたら、オバも食べたら懐かしくて喜んでくれるんじゃないかなと思ったんだ。そこで眠たい目を擦りながら、オバが帰ってくるのを待っていた。でもオバは素っ気ないものだった。

「明日の朝でいいでしょ? ほら、寝て」

「これ、作ったんだ」

 僕が卵焼きを見せると、ますます眉間の皺を深めた。声も荒くなる。

「一緒に住む時勝手に火は使わないでって言ったよね?」

「ごめんなさい、もう、しません。でもお願い、食べて欲しいんだ」

 オバは、しばらく僕の事を睨んでいたけどやがて盛大に溜息をついて箸を取った。そして卵焼きを半分切り取ると口に入れる。


「……にぃちゃん」


 僕は思わず、ギョッとした。そこにはキッと結んだ唇をぶるぶると震わせ、目に大きく涙を溜め込んだオバがいた。苦しそうに背中を丸めて胸に手を当てている。やがて堰き止めきれなかった涙が頬を伝うと、口元を押さえて目をきつくつむった。


「にぃちゃん、にぃちゃん、にぃちゃん、なんでっ!!なんでだよぉっ!!」


 堰を切ったような慟哭どうこく。昼間散々泣いた僕だけど、こんなに泣きじゃくる大人の人を初めて見た。でも、そうか。オバもずっと灰色の世界にいた人だったんだ。気づこうとしなかった僕。と。気づかせないようにしていたオバ。僕と一緒だったのに、すごいなぁ。ずっと、一人で頑張っていたんだこの人は。でも。

 僕は気がつくと、自然とオバの背中をさすっていた。擦りながらも、泣いている大人の人をずっと見ているのは悪い気がして視線は他所に向ける。目を向けた先は、本棚に置かれている伏せられた写真立て。見たら辛くなるので意識から外していたけど、父さんと母さん、僕に妹、そしてオバの五人で撮った一番最後の写真。オバの、成人式の時の写真だった。晴れ着姿でピースしているオバは満面の笑みでまさに人生薔薇色って感じだった。


 オバは少し落ち着くと、僕を抱きしめていっぱい謝った。

 ごはん、作って上げれなくてごめん。家事、任せちゃってごめん。一緒に、居てあげられなくてごめん。他にもいっぱい謝られた。でもそんなの僕も一緒だ。たくさん謝らなくちゃいけないことがある。だからたくさん謝った。そして散々謝り合った後、照れ隠すように二人して笑い合った。思えばオバの笑顔も随分久しぶりに見た。本当に僕は色を失っていたんだなぁと実感する。

 少しお話しもした。父さんの若い頃の話だ。代わりに僕といた時の父さんの事を少し話した。オバはとても喜んでくれた。僕も僕の知らない父さんが知れて嬉しかった。いつか妹にも話してあげなきゃ。

 泣き過ぎて腫れぼったい目をさせながらはにかむオバ。もう少し頼って貰えるように頑張らなきゃと思う。頑張りすぎるこの人に、少しは頼って貰えるように。その日々に色を足せるように。


 翌日の日曜日、オバはいつもより遅く昼過ぎに起きてきた。ちなみにオバと一緒に夜更かしした僕は「お腹が空いた」という妹に起こされた。今日もオバと一緒にスーパーに行く。でも今日はいつもと違う事がある。

「ひき肉って色々あったんだ……どれにしよう」

「色々試そうよ。今日は豚肉で」

 これまでとは違って、僕たちは今日、食材も買っている。少しは料理ができるようになりたいと僕が言ったら、オバもなりたいと言い出した。すると妹もなりたいと言い出して。それで日曜日はみんなで練習することになった。今日は、ハンバーグ。オバは義姉の味を再現するんだと息巻いていた。妹もそれを応援している。でも僕は同じじゃなくていいかなと思っている。母さんの味は懐かしいけど、三人で試行錯誤してこの家の味というのが出来たなら僕はそっちの方が嬉しいと思うんだ。


「ニーチャン、一緒にお風呂入ろー」

「入らない」

「いーじゃん、一緒にお風呂入ろうよ。ねえ?」

「オバさん、面白がってるでしょ?」

 妹がオバと風呂に入ると言いだした。それ自体はオバとの仲が深まったようで何よりだと思う。でもいつまでも風呂支度をし始めない僕を見て妹は不思議そうにしていた。僕も一緒に入る気でいたらしい。そしたらオバまで調子づいて入ろうと言い出し始めた。

「恥ずかしがる必要ないでしょー? 家族なんだし」

「三人も入ったら狭いでしょ?」

 ニヤニヤと笑いを堪えてるので分かってて言ってるんだと思う。オバも猫が脱げて、随分僕への遠慮がなくなってきた。徐々に家族になっているんだろうなと、改めて思う。でもな。

「ニーチャン、お風呂入ろー」

「入ろー」

 と二人でキャッキャ言ってる様子は、親子というよりは年の離れた姉妹のようで少し笑えた。

「「あ、笑った」」

 テーブルの上には妹の描きかけの絵があった。僕と妹とオバの三人の絵。父さんと母さんがプレゼントしてくれた色鉛筆で描かれた絵。たくさんの色がふんだんに使われた、色鮮やかな、絵。

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